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公安委員会-地裁による「デモ禁止」措置と2名に対する不当弾圧を糾弾する!
アメリカ大使館と警察・日本政府の沖縄基地建設運動への妨害を許さない!
 
はじめに

 2月20日、沖縄・高江ヘリポート建設強行に対して、アメリカ大使館への抗議申し入れ行動が行われた。

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 まずこの行動において仲間2名が、アメリカ大使館を防衛する赤坂警察署によって不当に逮捕されたことを断固糾弾する!この申入れ行動は、あらかじめアメリカ大使館へアポイントメントをとっており、なんら警察に規制されることなど何も行っておらず、この逮捕は沖縄反基地闘争自体に敵意をむき出しにした不当逮捕だ。

 次にアメリカ大使館前を通過するデモコースの申請を、警視庁・東京都公安委員会が2日前にデモ出発地点・コース・解散地点を強制変更したうえで「許可」するという暴挙を行ったこと。さらにこの変更の取消を求める主催者の「仮処分」申立を東京地裁が却下したことでアメリカ大使館前でのデモは実質的に禁止されたことに対して、沖縄へ心を寄せる人たちとともに、怒りをもって弾劾する!
 
SL広場

 昨年末から急転直下を迎えた高江では、2月7日に100名の作業員が投入され、木の伐採やユンボーなどの重機による米軍ヘリポート建設工事が強行されている。今回の抗議行動を呼びかけた「沖縄を踏みにじるな!緊急アクション実行委員会(新宿ど真ん中デモ)」とその仲間たちは、警視庁と東京地裁による実質的なデモ禁止措置に頓着せず、当初から街頭アピールを予定していた新橋駅前に集まった。ゆうに50名以上はいるだろう公安刑事がSL広場のあちこちに散在し、複数の警察部隊も待機している。

 広場の一角で、安次富浩さん(海上ヘリ基地建設反対・ヘリ基地反対協議会代表委員)をはじめとした高江ヘリポート建設反対の意思表明が語られると、警察指揮車両から愛宕警察署長の名前で「迷惑行為を中止せよ」と大音量でがなり立て、大勢の制服警官たちによる壁がつくられた。広場では障害者カンパも含めた古着バザーが開催されており、我々が歩行する人たちへも最大限の配慮を行っているにもかかわらず、警察は我々の行動をあくまで反社会的行為だと演出していることがありありであった。

 しかし我々は、怯むことなく現地報告や、安保反対・基地反対のラップ、パフォーマンスを行った。そして主催者からは、「今日は警視庁-都公安委員会によるアメリカ大使館前を通過するデモコースの強制変更を裁判所が追認したことで民主主義が殺された日として記憶されるべきだ。私たちは私たちの意思と関係ない警察が勝手に指定した道を歩くなんてことはできない。警察が勝手に指定したデモコースなど怒りを持ってボイコットする。そして私たちは警察がなんと言おうとアメリカ大使館に向かう。民主主義が殺されたならこのSL広場を"タハリール広場"として、いまここから新しい民主主義を作り出す一歩を踏み出そう。私たちは断固として米大使館に向かう」と、高江連帯、沖縄連帯の闘いへ向けた気勢があげられた。
 
アメリカ大使館へ!

 その後約200名がアメリカ大使館にほど近い虎の門のJTビル前までは、デモという形態をとらず歩道を移動。JTビル前でいつもの通り警察が阻止線を張って行く手を阻む。不当逮捕はそんな時に起きた。阻止線だけにとどまらない過剰な警備は、我々を威圧するように警官が包囲する。当然それに抗議すると、突如機動隊が抗議団に乱入して2名の身柄を拘束したのだ。

 一方申入れを行う代表者に対しては、何ら理由を明らかにせずに通行を妨害する。1時間以上の抗議のすえ、一切の法的根拠を持たない警察は、なくなく代表者の通行を認めざるを得なくなった。それでも権力は腹いせに代表者6名一人ひとりへ、執拗なボディチェックを行う嫌がらせ行為を働いた。

 沖縄・一坪反戦地主関東ブロックの代表世話人を務めた上原成信さんを先頭に代表者が申し入れを行っている間、待機した仲間たちは、不当逮捕を糾弾し続け、全国から寄せられた申し入れ文が読み上げられ、それに聞きいった。

 申入れ代表が帰り、結果が報告された。するとアメリカ大使館は申入文の受け取りを拒否し、後日郵送しろなどと傲慢な態度にでたというではないか。アメリカ大使館の窓口によると、大使館保安部からそうしろと命令を受けたという。大使館保安部と日本警察は、明らかに裏で連携している。何度もいうが、一連の警察・公安による沖縄反基地闘争に対する妨害・弾圧行為は、ブルジョア法にすらその根拠を見出すことができないのだ。これが「日米同盟」の実態であり、その本質は暴力的、抑圧的かつ反民主的なものだ!

 アメリカ・オバマ政権は、北アフリカ・中東での民主革命を支持するようなフェイクをとりつつ、自国大使館への抗議を許さないというお得意のダブル・スタンダードをとっている。我々は絶対にそれを許さない!
 
あらためて高江の闘いへ連帯しよう!

 高江では建設工事をめぐり、非暴力でありながら体を張った阻止行動が闘われている。高江から駆けつけた支援者からの報告によれば、沖縄防衛局が発注した工事作業に従事する沖縄の青年労働者と反対派住民によって、人間的な語り合いが行われているという。そして「敵を間違えてはいけない」というメッセージによって、現地においてまさに人間性を賭けた闘いが行われているということが、参加者全員へしっかりと伝えられた。

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赤坂署への差入れ行動に対する機動隊の暴力に抗議する
 
アメリカ大使館に対する申し入れ行動のあと、数十名が不当に逮捕された二人の仲間への激励と差し入れを行うため、赤坂署へ向かった。青山一丁目駅から歩いて赤坂署(仮庁舎)の付近まで来たとき、こともあろうに多数の機動隊が歩道を占拠してわれわれを通せんぼした。被拘留者には接見禁止はつけられておらず、外部との交流は権利であり、赤坂署に向かって整然と歩道を歩いていたわれわれを物理的に制限し、赤坂署裏の青山公園の一角に閉じ込める法的根拠も示さず、警察手帳の提示を求めてもそれに応じず、1時間以上に渡ってわれわれを閉じ込め、拘留されている仲間への差し入れをさせなかった違法に次ぐ違法を重ねた赤坂署および警視庁機動隊の暴力に抗議する。

差し入れ激励にあつまった数十名の参加者は、弁護士が到着するまでのなか、押し込められた青山公園から赤坂署に拘留されていた仲間に向けて激励アピールを行った。アピールでは、アメリカ大使館前から高江、辺野古、そしてWSFダカールからチュニジア、エジプトにつながるラジカルな平和と民主主義を作り上げるさまざまな発言が続いた。参加者たちは最後に不当逮捕された仲間を奪還し、辺野古、高江での基地建設を断念させるたたかいを誓って解散した。

救援会が立ち上がっている。支援を!

アメ大救―2・20アメリカ大使館前弾圧救援会
http://d.hatena.ne.jp/ametaiQ/20110220


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 2月11日、「領土ナショナリズムをはねかえせ!反「紀元節」行動(主催:実行委)が東京・千駄ヶ谷区民会館で行われ、101人が集まった。

 「尖閣諸島」沖での中国漁船と海上保安庁の巡視船衝突やメドベージェフ・ロシア大統領の「北方領土」訪問を契機にした新たな「領土ナショナリズム」と差別・排外主義が吹き荒れるなか、神話をもとにした侵略戦争を美化し天皇を賛美する「建国記念の日」を迎えた。戦前の「紀元節」を引きついで1967年に自民党政権が制定した「祝日」だ。

 象徴天皇制延命のために政府式典は2006年から中止したが、神社本庁、日本会議などが賛美式典を繰り返してきた。この日も神社本庁系の「日本の建国を祝う会」が「建国記念の日奉祝中央式典」(明治神宮会館)、街宣右翼らが「第27回紀元節奉祝式典」(星陵会館)を行い、改憲と天皇制強化を意志一致した。

 この右翼勢力と連動して西岡武夫参院議長が政府主催の祝賀式典を行うべきだとする書簡を菅直人首相あてに出し、「いやしくも国家の基本精神に関する国の祝日である以上、政府が率先してこの日を祝うことは、極めて当然のことであると思われる」などと圧力をかけていた。つまり、改憲勢力とともに天皇制の侵略と戦争を推し進める装置としての再編、植民地主義と差別排外主義の強化を現在の時代的状況のなかで打ち固めていこうとする策動なのだ。

 菅政権は、天皇制の戦争責任・植民地被害者への補償を無視し続け、一方で天皇賛美行事を駆使しながら天皇制統合力を利用し、「動的防衛力」と称したグローバル派兵国家建設を押し進めようとしている。沖縄基地撤去・日米安保破棄、天皇制廃止をかちとるために2.11反「紀元節」行動が闘われた。

植民地主義を克服するために

 集会は、実行委の基調報告から始まり、①「紀元節」と「領土ナショナリズム」②「安保」・「沖縄」・「基地問題」③「植民地支配責任」と象徴天皇制について分析したうえで、「政府主導の草の根的な領土ナショナリズムの台頭を、私たちはまのあたりにしているのだ。自ら天皇に跪きそれを他人に強要する、天皇は神聖かつ絶対というナショナリズムと、戦争でしか解決を見ないと思い込ませる「領土ナショナリズム」を、なんとしても跳ね返していくような言論と運動を作り出していこう」と強調した。

 集会講演が太田昌国さん(編集者、民族問題研究)から「植民地主義は継続している」というテーマから問題提起した。

 太田さんは、植民地主義を克服する例の一つとして井上清(歴史家)を取り上げ、「昨年から尖閣列島問題で発生した。井上清(歴史家)が一九七〇年代に尖閣問題の著書を明らかにしていたので再度取り上げられた。だが井上は、中国文化革命時、毛沢東派として共産党を除名され、単一民族国家論の認識、中国べったりの立場だった。尖閣諸島分析は、そのようなバイアスが、当時なかったろうか。文明国家を高度から低度の段階に分けて比較し優劣をつける歴史観、文明観から断絶することが植民地主義を克服するためには必要だ」と強調した。

 尖閣問題へのアプローチとして、「二国間で領土・領海紛争に関しては、十九世紀後半から形作られた国民国家の枠の中では解決できない。国家次元を外した形で、紛争地域を共同開発・共同利用する智恵が求められている」と問題提起した。

 また、中国問題にも触れ、「中国は軍事のレベルで大国主義的な勢いが出ている。歴史学者が沖縄返還論まで言い出している。どのように解決していったらいいか。長く時間はかかるが、政治や軍事の言葉で物事を語らないで試みていく必要がある。日本・韓国・中国の文学者たちが言うように文学の言葉を通して国境を隔てられている者同士が語り合い、打開される局面が生み出されるのではないか。ナショナリズムに収斂されない方法を考えていこう」と呼びかけた。

 連帯発言が次々と行われた。

 日韓民衆連帯全国ネットワークから「3・1朝鮮独立運動92周年 朝鮮半島の準戦時状態に終止符を!2・26集会━日米韓軍事同盟の強化反対━」の呼びかけた。

  さらに「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会から「2・26『日の丸・君が代』強制をはね返す!2月集会とデモ」、「沖縄・高江にヘリパッドはいらない!連続アクション」が2・20アメリカ大使館デモ、辺野古への基地建設を許さない実行委員会、立川自衛隊監視テント村からアピールがあった。

渋谷一帯に反天皇、「建国記念の日」反対が響きわたる

  集会終了後、渋谷に向けてデモに移った。みぞれ混じりの雪が降る悪天候だったが、元気よく「『建国記念の日』反対!天皇神話を押しつけるな!「日の丸・君が代」はやめてくれ!天皇制の戦争責任を追及しよう!」のシュプレヒコールを行った。

 なお天皇主義右翼は、十数台の街宣車で会場周辺を徘徊し、明治神宮前で挑発してきたが毅然とデモを貫徹した。

(Y)

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NPA(仏反資本主義新党)第2回大会に参加した諸組織の声明
 
                      2011年2月11日 
 
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ベンアリとムバラクの打倒は、マグレブ(サハラ以北の北アフリカ地域)だけではなく国際規模で政治情勢を変化させている。

米国と欧州帝国主義が数十年にわたって支援してきた独裁体制を終わらせた民衆革命は、すべてのアラブ民衆に自信を取り戻させ、この地域の帝国主義とシオニストの秩序に破滅的な打撃を与えている。

ヨルダン、イエーメン、イラク、アルジェリア、そしてパレスチナの人びとは、すでに街頭に出て政治的変革を求めている。

こうした革命は、国際経済危機ならびにIMFと世界銀行の指令に直接的影響を及ぼしている。この指令は、すでに数十年にわたって社会的不公正と腐敗に満ちた政策をこうむってきた民衆に厳しい社会的攻撃と貧困化を強制するものだった。

この二つの革命は、独裁を打ち破る民主主義的要求に道を開いただけではなく、かくも多くの不正の原因である資本主義経済システムへの疑問を引き起こしている。

帝国主義はこの地域での自らの位置を守り、すでに作動している反帝国主義的発展とその伝播を押しとどめるために、あらゆることをやっている。

それは、自らの国で反帝国主義と社会主義への道を切り開こうと望んでいるチュニジアとエジプトの民衆にとって、全世界の反帝国主義運動、社会運動と労働組合運動の革命家たちからの連帯と積極的な支援が必要であることを意味する。われわれすべてはそれぞれの国、それぞれの地域において、こうした連帯運動、とりわけすでに国際機関や資本家集団たちが発動している攻撃と闘うことに責任を持っている。かれらは新たに姿を現した革命の社会的・経済的深化を阻止するために、そしてこの素晴らしい模範を債務やIMFの要求に対決する動員を図るために活用する試みを阻止するために攻撃を開始しているのだ。
 
チュニジアとエジプトの革命万歳!
 
国際連帯を!


追記:世界社会フォーラム(WSF)ダカールの社会運動総会は、3月20日を世界規模の連帯デーとするアピールを発表した。
 
 

署名組織

チュニジア:チュニジア労働者左翼同盟、PCOT

イラク:イラク自由会議、共産主義者連合―イラク

イングランド:社会主義労働者党、カウンターファイヤー

ベルギー:LCR―SAP(革命的共産主義者同盟―社会主義労働者党)

ポルトガル:左翼ブロック

コルシカ:A Manca

イタリア:批判的左翼

スペイン:反資本主義左翼、POR(革命的労働者党)

カタルーニャ:En Lluita(闘争)

エウスカディ(バスク):Askapena

アイルランド:社会主義労働者党

ポーランド:PPP(ポーランド労働者党)

ギリシャ:SEK、DEA

フランス:NPA(反資本主義新党)

米国:ISO(国際主義労働者組織)

カナダ:新民主党・社会主義コーカス

メキシコ:PRT(労働者革命党)

マルティニク:GRS(社会主義革命グループ)

ベネズエラ:マレア・ソシアリスタ

ブラジル:PSOL(社会主義と自由党)

アルゼンチン:MST(労働者社会主義運動)

ペルー:PRT(労働者革命党)

インドネシア:KPRM―PRD(民主人民党―貧困者委員会)、PRP

スリランカ:NSSP(ナバサマサマジャ党)

韓国:進歩新党、21世紀韓国調査研究所、民主労働党パリ委員会

オーストラリア:社会主義連盟

レユニオン:NPAR(レユニオン反資本主義新党)

スイス:MPS

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 2月11日、ついにエジプトの独裁者ホスニ・ムバラクは30年にわたる大統領職を辞任し、紅海に面した保養地シャルムエルシャイクに身を隠した。前日の10日、事前の情報では辞任と報じられていたものの、TV演説では「即時辞任」を拒否したムバラクに対する民衆の怒りは頂点に達していた。

 2月1日、4日につづき11日にカイロのタハリール広場は数十万にのぼる民衆で埋め尽くされていた。スレイマン副大統領の演説で「ムバラク退陣」が明らかになると、民衆の怒りは歓喜に変わった。人びとは肩を抱き合い、国旗をうちふり、この闘いが始まった1月25日には想像することもできなかった独裁者打倒の歴史的事件の喜びを分かち合った。「自由になった。われわれが勝った!」。

 私たちもまた、この勝利を勝ち取ったエジプトの民衆に心からの連帯のあいさつを送る。そして同時にこの勝利が1月25日以後だけでも治安部隊の弾圧によって二百人に達する死者を生み出したことを決して忘れないだろう。

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▲ムバラク辞任の報に歓喜に沸くタハリール広場


 しかし、エジプト民衆が真の自由を勝ち取るためには、いまだ多くの難関が待ち受けているに違いない。何よりもムバラクの辞任後、全権を掌握したのは軍最高評議会である。これは超立憲的事態である。そして、民衆の闘いを鎮静させるためにムバラクの退陣に向けて圧力をかけてきた米国やEUなど帝国主義諸国は、ただちに軍の政権掌握を歓迎する態度を明らかにしている。米国はエジプトが中東戦略の要衝であり続けることを強く期待している。こうした状況の中で全権を掌握した軍最高評議会は、「すべての国際条約を今まで通り守る」と声明し、イスラエルのパレスチナ占領支配にエジプトが協力する立場を明らかにしている。

 このような経過全体からして、今回の「ムバラク辞任」が米国やEUなど帝国主義諸国に支援された「古典的な軍のクーデター」だという評価も出されている(カイロ発AP電、ジャパンタイムス2月13日付)。そしてこの軍の暫定政権は、民衆運動があらたな段階に発展するとき、武力弾圧に打って出る可能性に十分な注意をはらう必要がある。
 
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 ベンアリ独裁打倒を実現したチュニジアの労働者民衆は、旧政権残党の一掃を通じて民主的・社会的革命の水路を歩んでいる。チュニジアで燃えさかった革命の炎は、エジプトの独裁者を追放した巨万の民衆決起へとつながった。今、その炎はヨルダン、イエメン、アルジェリアなど中東・北アフリカ全体に広がり、欧州、北米、アジアでも連帯の広がりを見せている。2月上旬、西アフリカ・セネガルのダカールで開催された世界社会フォーラムでは、チュニジア・エジプトの民衆革命の発展への連帯の声がこだまし、ATTACチュニジアの仲間は満場の歓呼で迎えられた。

 すでに3月20日をチュニジア・エジプト民衆への「連帯デー」とする行動呼びかけが発せられている。チュニジア、エジプト、そして北アフリカ、パレスチナを始めとする中東の労働者民衆が直面する新たな試練を乗り越えるためには、国際的連帯の力が不可欠なのだ。グローバル資本主義の深まる危機の中で、帝国主義と植民地主義の支配を突破する道を切り開きつつある北アフリカ・中東の民衆とともに闘おう!

(2月13日 K)

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インターナショナル・ビューポイント IV Online magazine : IV433 - February 2011

 エジプト情勢のスリリングな展開の説明に資するために、二月四日にファルーク・スレーリアがすぐれたアラブ学者・活動家のジルベール・アシュカルにインタビューした。
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article1985

――二月一日にムバラクが行った次の選挙に立候補しないという確約は、運動の勝利を示すものだと思いますか。それとも、翌日タハリール広場にいたデモ参加者が親ムバラク勢力に暴力的に襲撃されたことに示されるように、大衆を鎮静化させるためのたんなるトリックなのでしょうか。

 エジプトの民衆的な反体制運動の高揚は二月一日に最初の頂点に達し、その夜のムバラクの譲歩声明を引き出しました。それは民衆の抗議の力を認識したためであり、野党勢力と交渉する政府の意向を示した声明で示されたように、独裁者の側の明白な後退です。これらは、まさしくこうした権威主義的体制の重大な譲歩であり、民衆動員の重要性を証拠づけるものでした。ムバラクは、昨年の議会選挙での不正行為に対する現在の法的調査をスピードアップするとさえ確約しました。

 彼ははっきりそう述べましたが、それ以上のことをしようとはしていません。軍を自分の側にしっかりと立たせた上で彼は大衆運動を鎮めようとしており、ムバラクに政治システム改革を訴えている西側諸国もそうです。彼は、辞任という点を除けば、エジプトの抗議運動が一月二五日に始まった時に最初に定式化した中心的要求項目の一部を受け入れました。しかし運動はそれ以後ラディカル化し、ムバラクの辞任を外したいかなる要求も満足できるものではないという点にまで達し、運動に参加する多くの人びとは彼を裁判にかけることまで要求しました。

 さらに体制のあらゆる機関が今や運動によって正統性を欠いたものとして非難されています――行政機関とともに立法機関、つまり議会も非難されているのです。その結果、野党勢力の一部は、制憲議会選挙を主催するために憲法裁判所長官を暫定大統領に任命するよう求めています。別の者は、野党勢力の全国委員会がこの移行期を監督することまで望んでいます。もちろんこうした要求は、ラディカルな民主主義的展望を構成するものです。こうした全面的変革を強制するためには、大衆運動が体制の根幹である軍を解体、あるいは不安定化させる必要があります。

 

――エジプト軍はムバラクを支援しているのですか。

 エジプトは、パキスタンやトルコのような類似の諸国よりも、本質的なところでは文民的外観を持った軍事独裁なのです、この文民的外観も軍出身者によって作られています。問題は、ムスリム同胞団をはじめとするエジプトの反政府派のほとんどが、軍とその「善意」とは言わないまでも表向きの「中立性」という幻想を織り上げていることです。かれらは軍が誠実な仲介者だと描き出してきました。

しかし制度としての軍は、まったく「中立」ではありません。軍がいまだ運動を弾圧するために利用されていないのは、ムバラクとのその幕僚たちが、そうした方法に訴えるのは適切ではないと考えてきたというだけの理由によります。おそらくかれらは、兵士たちが弾圧に乗り気にならないことを恐れたのでしょう。体制側が、抗議運動に対して軍ではなく、仕組まれた対抗デモとゴロツキによる襲撃に依拠したのはそのためです。政権は、市民間の衝突を作り出してエジプトが二つの陣営に引き裂かれていると見せつけ、軍がこの情勢の「調停役」として介入することを正当化しようとしているのです。

 もし政権側がかなりの対抗的運動を動員して大規模な激突を引き起こすことになれば、軍は一歩踏み出し、ムバラクの確約が実行されるよう約束しながら「ゲームは終わった。みんなすぐに家に帰れ」と語るでしょう。多くの識者と同様に、私はこの二日間、こうした策略が抗議運動を弱めることに成功するのではないかと恐れてきましたが、今日(二月四日)の「追放の日」の大動員で取り戻しができています。軍は民衆決起にたいしてさらに重要な譲歩をすることが必要となるでしょう。

――あなたが野党と言う時、どのような勢力がふくまれているのでしょうか。もちろん、私たちはムスリム同胞団やエルバラダイについては聞いています。左翼勢力や労働組合といった別の勢力もいるのでしょうか。

 エジプトの反対派勢力には広範な隊列が含まれています。ワフド党などの諸政党があり、これらはリベラル野党と呼ばれるものを構成しています。それからムスリム同胞団が占めるグレーゾーンがあります。ムスリム同胞団は合法的地位を持ってはいませんが、政権によって寛大に取り扱われています。その全組織構造は目にすることができるものであり、地下勢力ではありません。

 ムスリム同胞団は、たしかにこれまでのところ野党の最大勢力です。ムバラク政権が米国の圧力により、二〇〇五年の議会選挙で野党に一定のスペースを与えた時、「無所属」として立候補したムスリム同胞団は、あらゆる障害にもかかわらず八八人の議員を当選させ、全議席の二〇%を獲得しました。ムバラク政権が二〇〇五年に開いた限定されたスペースを閉じる決定を行った後、昨年一一月と一二月に行われた直近の選挙では、ムスリム同胞団は一人を除いてすべての議席を失い、議会からはほとんど消え去りました。

 左翼の中で最大のものはタガンマア党で、かれらは合法的地位を享受して五人の議員を持っています。かれらはナセル主義の遺産に言及しています。その隊伍の中では共産党員が抜きんでた存在でした。同党は基本的には改良主義左翼政党であり、政権への脅威とは見なされていません。それどころか、いくつかの場合においてきわめて体制に従順でした。エジプトには小さいけれども活力のある左翼ナセル主義者やラディカル左翼も存在しており、かれらは大衆運動にきわめて強く関わっています。

 それからキファーヤなどの「市民社会」運動があります。キファーヤは二〇〇〇年のパレスチナ第二次インティファーダへの連帯運動を主導したさまざまな反対派勢力の活動家たちの連合です。かれらはその後イラク侵略に反対し、後にムバラク政権に反対する民主主義キャンペーン運動として有名になりました。

エジプトでは二〇〇六年から二〇〇九年にかけて、いくつかのきわめてすばらしい大衆的労働者ストライキをふくむ産業労働者の行動が広がりました。社会的急進化の結果として生まれた直近の一、二の例外を除けばエジプトには独立労組が存在しません。労働者階級の多くは、自主的代表や組織がもたらす利益を持っていません。労働者に連帯する二〇〇八年四月六日のゼネストの呼びかけの試みは、四月六日青年運動の結成をもたらしました。こうした自主的組織(アソシエーション)やキファーヤは、キャンペーンを軸にしたグループであり政党ではありません。そしてこれらは、どの組織にも所属していない活動家とともに、さまざまな政治組織に加わっている人びとを含んでいます。

 エルバラダイがIAEA(国際原子力機関)事務局長としての三期目の任務を終えて二〇〇九年にエジプトに帰ってきた時、二〇〇五年のノーベル平和賞受賞者である彼の名声によって、リベラル派と左派の連合が彼を中心に結集し、ムスリム同胞団は消極的な留保の立場をとりました。野党の多くは、エルバラダイを国際的評価とコネクションを持った強力な候補であり、したがってムバラクあるいは彼の息子に対する信頼できる大統領候補だと見なしたのです。こうしてエルバラダイは、反対派の多くを結集し、政治勢力と個人の再編を進めうる人物になりました。かれらは、変革のための全国協会を結成しました。

 こうした勢力の全隊伍が、現在の決起に参加しています。しかし、街頭を埋めた民衆の圧倒的多数はどのような政治組織にも属してはいません。それは、専制的体制の下で暮らしてきた巨万の大衆の怒りの噴出であり、まとわりつく失業の中での食料、石油、電気など基礎的必需品価格の急激な高騰に示される、経済的条件の悪化によって培養されたものです。こうした事態はエジプトだけではなく中東地域のどこでも同様であり、チュニジアで始まった反乱の火が多くのアラブ諸国にこれほど速やかに広がったのはそのためです。

――エルバラダイは本当に人気があるのでしょうか、それとも彼は、体制を保持しつつその顔を変えようとする、エジプト人の運動にとってのミール・ホセイン・ムーサヴィ(訳注:イランの元首相で二〇〇九年の大統領選挙に改革派として立候補)にどこか似通った存在なのでしょうか。

 最初に、私はあなたが述べられたようなムーサヴィの性格づけには同意しません。確かにミール・ホセイン・ムーサヴィは、その言葉が社会革命を意味するのならば「体制の変革」を望んでいませんでした。しかし、そこには明確に、パサダラン(革命防衛隊)とアフマディネジャドに代表される勢力と、ムーサヴィが代表するリベラル改革派的展望で合体した別の勢力が先頭に立つ、権威主義的社会勢力間の激突が存在していました。それは政治的統治のパターンという意味において、実にある種の「体制」に関する衝突だったのです。

 ムハンマド・エルバラダイは、彼の国エジプトを、現在の独裁から自由選挙・政治的自由を持った自由民主主義体制に移行させようと願う真のリベラル派です。かくも広範な政治勢力の隊伍が彼と協力しようと願うのは、エルバラダイは現存体制に対する最も信頼しうるオルタナティブであり、彼は彼自身の組織された選挙民に命令したりするような人物ではなく、したがって民主主義的変革にふさわしい表看板だと、かれらが考えているからです。

 あなたのアナロジーに立ち返るならば、エルバラダイを、イラン政権の一員であり一九七九年のイスラム革命を指導した男の一人だったムーサヴィになぞらえることはできません。ムーサヴィは、二〇〇九年の大衆的抗議運動の指導者として登場する以前からイランに彼自身の追随者を持っていました。エジプトでは、エルバラダイは同様な役割を果たすことができないし、そのように振る舞うふりをすることもしていません。彼は諸勢力の広範な隊伍から支持されていますが、誰も彼を指導者としては見ていません。

 はじめのうちムスリム同胞団がエルバラダイに対して保留的態度を取っていたのは、エルバラダイが宗教的志向を持たず、かれらの嗜好からすれば余りにも政教分離的色彩が強いという事実と部分的に関係しています。さらにムスリム同胞団は、何年にもわたって政権との間で不明瞭な関係を育んできました。彼らがエルバラダイを全面的に支援するならば、きわめて長い期間にわたって取り引きしてきたムバラク政権との交渉の余地を狭めてしまいます。政権は社会・文化的側面でかれらイスラム同胞団に多くのことを認めてきました。一例をあげればイスラム的検閲を強化したことです。同胞団をなだめるために政権がそうしたことをするのは、とてもたやすいことです。その結果エジプトは、一九五〇年代、六〇年代にガマル・アブドゥル・ナセルの下で確立してきた政教分離から大きく後退しました。

 ムスリム同胞団の目標は、議会選挙と大統領選挙の双方で自由選挙に参加することをかれらに認める民主主義的変革を確保することです。かれらがエジプトで再生産することを切望しているモデルはトルコです。トルコでは陸軍が政治システムの主要な支柱であり続け、民主化プロセスは軍部によって統制されたものでした。それにもかかわらず、このプロセスはイスラム主義保守政党であるAKPが選挙で勝利することを許容するスペースを作りだしました。かれらは政府打倒に熱中していません。こうしてかれらは、軍の機嫌をとり、軍の敵対をもたらすようなジェスチャーを避けるよう注意しているのです。かれらは権力の漸次的獲得戦略に固執しています。かれらは漸進主義者であってラディカル派ではありません。

――西側メディアは、中東における民主主義はイスラム原理主義者の政権獲得をもたらすという事態をほのめかしています。私たちは、長年亡命していたラシェド・ガンヌーシのチュニジアへの凱旋帰国を見てきました。ムスリム同胞団もエジプトの選挙で勝利しそうです。この点についてのあなたの意見は?

 すべての問題に立ち返ってみましょう。私が言いたいのは、宗教的原理主義がこうした空間を埋めるのは民主主義の欠如による、ということです。弾圧や政治的自由の欠如は、社会的不正の悪化と経済の低迷という環境の中で左翼、労働者階級やフェミニストの運動が発展する可能性を大きく切り縮めます。こうした条件の下では、大衆的抗議の表現の最も簡単な場は、最も手頃でオープンに使える回路ということになります。このようにして反対派が、宗教的イデオロギーと綱領に固執する勢力によって支配されることになります。

 私はこうした諸勢力が自由に自らの見解を擁護できる社会を切望していますが、それは同時に、すべての政治潮流間のオープンで民主主義的なイデオロギー競争ができる社会でもあります。中東社会が政教分離の道に戻り、一九五〇年代、六〇年代に広がっていた宗教の政治的利用への民衆的批判・不信に立ち返るためには、長期にわたる民主主義の実践によってのみ可能となる、ある種の政治的教育を獲得することが必要です。

 そうは言っても、宗教政党の役割は国ごとに違っています。確かにラシェド・ガンヌーシはチュニス空港に到着したとき数万人もの民衆に歓迎されました。しかし彼のナフダ運動のチュニジアでの影響力は、エジプトでのムスリム同胞団よりもはるかに小さいのです。もちろんこれは部分的には、アルナフダが一九九〇年代以来厳しい弾圧を受けてきたためです。しかしそれは、チュニジア社会がエジプトよりも宗教的原理主義思想への傾斜が少ないためでもあります。それは西欧化と教育の度合いが高いためであり、またこの国の歴史によるものです。

 しかしこの地域全体を通じて、イスラム主義政党が現存体制に反対する主要勢力になったことは疑いないことです。三〇年以上にわたって優勢になっていた風向きを変えるには長期におよぶ民主主義の経験が必要でしょう。オルタナティブへの教訓となるのはアルジェリアのシナリオです。アルジェリアでは選挙のプロセスが一九九二年の軍事クーデターによって妨げられ、アルジェリアが依然としてその対価を支払っている破滅的な内戦をもたらしました。

 ここ数週間のアラブ民衆の目を見張るような民主主義的大望の大波は、きわめて励ましとなる出来事です。チュニジアでもエジプトでもどこでも、民衆の抗議は宗教的綱領によるものではなく、主要に宗教勢力によって指導されたものでもありませんでした。これらは民主主義的運動であり、民主主義への強い意思を示したものです。中東諸国での世論調査では、ムスリム諸国と民主主義は「両立しない」という通常の「オリエンタリスト」的偏見とはうらはらに、長年にわたって民主主義が価値として高率の支持を集めています。現在進行している事態は、自由を剥奪されたあらゆる人びとは、かれらがどのような「文化的領域」に属していようとも、ついには民主主義を求めて立ち上がるということを、再び立証するものです。

 将来における中東の自由選挙において誰が立候補し、誰が勝利しようとも、民主主義への要求がきわめて強まった社会に直面しなければならないでしょう。どのような政党――その綱領がどのようなものであれ――であれ、こうした大望をハイジャックすることはきわめて難しくなるでしょう。私はそうした策謀が不可能だと言いたいのではありません。現在の出来事の主要な成果の一つは、民衆の民主主義への大望が勢いよく押し上げられたことです。それは、左翼がオルタナティブとして自らを再建する上で理想的な条件を作り出しているのです。

 

▼ファルーク・スレーリアは著名なラディカル派ジャーナリストで、パキスタン労働党(LPP)の指導的メンバー。LPPのブックレット『政治的イスラムの高揚』の著者で、タリク・アリ著『原理主義の衝突』ウルドゥ語版訳者。

▼ジルベール・アシュカルはレバノン出身でロンドンのオリエント・アフリカ研究スクール政治学教員。彼のベストセラー『野蛮の衝突』(邦訳・作品社刊)の増補改訂版が二〇〇六年に刊行された。ノーム・チョムスキーとの中東問題に関する対話‘Perilous
Power’(『危険なパワー』)、彼は’The 33-Day War: Israel’s War on
Hezbollah and It’s Consequence’

(「レバノンでのイスラエルの対ヒズボラ33日間戦争とその結果」)の共著者。彼の最新の著書は’The Arabs and the Holocaust: Arab-Israel War of Narratives’
,Metropolitan Books, New York, 2010.

 

(「インターナショナルビューポイント」2011年2月号)
 

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待ちに待った『私の西域、君の東トルキスタン』がついに日本で出版された。著者は『黄禍』『ダライラマとの対話』『天葬:チベットの運命』『逓進民主』などの話題作を国外で出版してきた漢民族の作家、王力雄さん。

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『私の西域、君の東トルキスタン』
発行日/2011年01月24日
著/王力雄 訳/馬場裕之
監修+解説/劉燕子
発行/集広舎
A5判/並製/472頁
定価/3,486円(税込)

王氏は『天葬:チベットの運命』が出版された翌年の1999年1月、次期作品の資料収集のために新疆ウィグル自治区を取材中に国家機密窃取の容疑で40日間拘束された。本書の第一部はこの事件の一連の顛末が描かれている。中国の国家安全機関による尋問やスパイ強要など、下手なスパイ小説など比べ物にならないくらい、読者をぐいぐいとストーリーに引き込む。だが本書の本題は、拘置所で同房となったウィグル青年、ムフタルとのウィグル民族と漢民族の関係性をめぐるさまざまな「対話」にある。

ムフタルとの「対話」は、王氏が拘置所から釈放された後も続く。釈放後の2003年から2006年の間に4回、新疆ウィグル自治区にムフタルを訪ね「対話」を重ねた。第二部はその訪問記、そして第三部はムフタルへのインタビュー形式で構成されている。訪問記や対話の間にも、「まさに典型的な植民地の形態」と王氏が描写する新疆ウィグル自治区の現状をえぐりだす王氏の鋭い観察などが描かれている。

第四部は、「ムフタルへの手紙」という形式をとった王氏による「新疆問題考察」である。

王氏やムフタル氏の主張については、いろいろと意見があるだろう。だが、形骸化した「民族自治」の名の下にウィグル人がどのような抑圧下にあるのか、そして新疆ウィグル自治区においては「抑圧民族」である漢民族の間においても経済的・政治的不平等がどのように広がっているのかなど、なかなか日本語の文献では紹介されない現実を王氏の深い描写を通じて知ることができるだろう。

本書の日本での出版に尽力した劉燕子さんが解説を寄せている。新疆の歴史や現状をコンパクトにまとめ、王力雄氏の業績などを紹介し、2009年7月のウルムチ事件などにも触れている。新疆やウィグル問題に初めて接する人にも親切な解説になっている。

日刊ベリタではウルムチ事件後のインタビュー翻訳記事が掲載されている。

(H)

◎2009年7月のウルムチ事件については以下も参照してください。
抑圧に抗議するウィグル人民への暴力的弾圧を許さない! 週刊かけはし2009.7.20号
中国  二重の抑圧――新疆短評(上) 週刊かけはし2009.9.7号
中国  二重の抑圧――新疆短評(下) 週刊かけはし2009.9.14号

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インターナショナル・ビューポイント-IV Online magazine : IV432 - January 2011

チュニジア――革命は進行している
 http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article1978
 

アトールフォ・リエラ

 
 ベンアリ政権の崩壊に続く一週間を通じて、彼の党であるRCD(立憲民主党)の解散を求めるデモがますます頻繁に繰り広げられ、チュニジアのすべての都市で党事務所への侵入・徹底捜索がなされるまでに至っている。大衆の圧力の下で、同党は事実上自ら解散したが、その主要なカードルたちは依然として行政、生産、警察、そしてもちろんのこと政府のレベルで国家機構の中心的位置を保持したままである。
 
 

弱体化した暫定政権
 
 

 チュニスでのデモには、昨年一二月に反乱が始まったシジブジドを含む国内の中部から、暫定政権打倒を求めてキャラバンを組んでやってきた幾千人もの失業青年たちが加わった。

幾千人ものデモ参加者たちは夜間外出禁止令をはねのけ、恒常的に街頭を占拠している。ここにはまがうことなき時代のしるしが存在する。軍や警察の指揮官はかれらに丁重に解散を求めているが、それはムダなことである。

 一月二一日の金曜日、ムハンマド・ガヌーシ首相はこうした圧力によってますます困難に陥り、選挙の後に政治の場から退くと約束したが、それはベンアリが倒される直前に行ったことと同じだった! また彼は、反テロ法や報道基準などすべての反民主主義的法律を法令集から除去すると声明した。野党は合法化された。また刑務所内での反乱に直面して幾千人もの囚人が特赦となった。しかしこれでは不十分だ。街頭の大衆は、根本的かつ即時の変革を求めている。そしてファティ・チャムキ同志が強調しているように(本紙一月二四日号掲載記事参照)、今日、正統性は街頭にあるのであって制度の中に存在しているのではない。

 こうした中で暫定政権は、学校と大学の再開を一月二四日の月曜日に決定したが、小学校教員組合総連合はただちに「政府打倒」までゼネストを行う呼びかけを発した。同労組は「われわれ民衆の要求への責任の完全な履行とは、現在の政権をベンアリ体制の継続であると見なして打倒することを意味する」と再確認し、「われわれ民衆の敵を排除した暫定政権の形成」を求めている。

 実際、チュニジア民衆の多数――かれらはユーモアを持って「われわれはアリババを追放したが四〇人の盗賊はまだ残っている」と昔話を思い起こしている――にとって、一つのことが明らかである。依然として要職にあるベンアリ体制の政治家を「国民統一政権」だけからではなく、完全に追放しなければならない。かれらはこの場から消え失せなければならないし、かれらの中の最も罪深い連中の犯罪を裁き、有罪判決を言い渡さなければならない。さらに事態がそこにとどまらないことは言うまでもない。大衆は深部からの変革、すなわち民主主義的変革のみならず、経済政策、国の富への統制と分配における社会的変革を求めているのだからである。

 ブルジョアジーは、帝国主義、とりわけフランスとアメリカの支援を受けて模様替え作戦を絶望的に試みている。現在、西側諸国では、資本主義メディアは、みずから長きにわたってその犯罪を隠ぺいしてきた専制支配者を嘲笑している。ベンアリと彼の妻は、今や独裁体制が実業から受けてきた支援から目をそらせるためのスケープゴートとして使われている。そしてチュニジア民衆から勝利の果実をだまし取るために、後ろ暗い策謀を弄している。こうしたやり方で、とりわけ「市場」がダンスを始めたのである。一人の独裁者に対しでだけではなく彼の新自由主義政策に対して反乱するという、耐えがたいまでの大胆不敵さを持つ大衆に対して、チュニジアへの神聖不可侵の「格付け」に下方修正を施し、罰を加えようとしている。大衆の動員が続く限りこうした企ての危険性は残りつづけるし、情勢はきわめて不安定でありつづけるだろう。

 
労働者管理
 

 一月二二日、二三日のデモの中で、聞いたこともないことが起こった。二〇〇〇人の警察官――その一部は赤い腕章をつけていた――がデモ参加者と一緒に歩き、デモに加わったのである。しかし、ここ数週間にわたる恐るべき弾圧の後では、民衆にとってそれが自己弁明と名誉回復の目論見に見えたことは明らかだった。それは政治意識の発展の真のプロセスが進んでいるようにも見える。こうした警察官たちは労働組合の創設を求めており、そのうちの一人はちょっとの間ではあったが、「われわれも労働者だ。すべての人びとのための革命を。われわれも権利を求める。とりわけ賃上げだ」と語った。

 それほど「目立つ」わけではないが、疑いなくもっと根本的なことがある。国営企業と省庁、中央行政機関の従業員や公務員が彼らの職場を占拠し、指導的立場にいた連中――そのほとんどが悪名高いRCD(立憲民主連合、ベンアリ与党の党員)――の、追放・解雇を要求している。幾つかの場合、この要求は全国社会保障庁、スター保険会社、BNA銀行などで成功裏に実行され、これらの事業体・企業の経営者は労働者のヤジを浴びて追放された。

 労働者管理の形態も発展している。とりわけ企業の帳簿に関してであり、それはベンアリ体制と結びついていた多くの経営者の腐敗を暴露するためである。中央国税庁の従業員は管理責任者の辞職を要求し、エリートたちの脱税を調査するために帳簿を管理下に置いている。

 人口の約七〇%が都市住民である国において五〇万人の組合員を擁し、デモにも多くの活動家が参加しているチュニジア労働総連合(UGTT)の役割は、一般組合員、そして左派によって掌握されているおかげで、このプロセスにおいてますます中心的要素として現れている。旧体制と結びついていた官僚指導部は脇に追いやられ、暫定政権からUGTTの閣僚が辞任させられた後、労働組合の一般活動家は、公式に暫定政権の辞任を支持する立場を取り、この要求を支持して反対派政治勢力による「革命政権」のための連続ストを呼びかけるよう指導部に圧力をかけた。
 

すべての権力を革命的民衆に 労働者政府のために
 

 職場における自主防衛、供給、労働者管理の委員会を通じて、二重権力の現象が現れており、他方、国家機構の弾圧部隊は民衆の側にいる部分を分裂させる活動を開始した。民衆委員会と密接に結びついた兵士・警察官委員会が姿を現わせば、こうした勢力を分解させることは可能である。

 チュニジア情勢はレーニンが革命情勢に与えた伝統的規定に完全に一致している。上層は以前のように統治することがもはやできず、下層はもはや以前のように統治されることを望んでいない。この民衆的プロセスは、あらゆる本物の革命情勢に特有なその力学によって、公然と権力の問題を提起しており、社会主義革命へと向かう永続的発展の展望をたどっている。こうした結果はあらかじめ保障されているわけではない。しかしそれは可能なのだ。

 基礎的な民主主義の要求――国家機構の一新、憲法制定議会の招集、真に民主主義的な選挙の組織化――以外にも、チュニジアの労働者が勝ち取った地位の維持、拡張、集権化/明確化が、来るべき数週間の中心的問題になるだろう。支配階級は、全力をつくして取り戻しを図るだろう。

 当面――しかしほんの当面――のところ、独裁の主要な支柱だったチュニジアのブルジョアジーは信用を失っており、帝国主義が民衆的決起の広がりと深さによってバランスを失った状況の中で、不安定な状況にある。穏健派野党はきわめて弱体であり、イスラム主義者については、大衆がかれらを民主主義的プロセスに正統に組み入れられるべき政治潮流だと認めているにも関わらず。かれらイスラム主義者は真の大衆的影響力を持ってはいない。

 こうした情勢の中で、現在UGTTは民衆の信頼を得ている唯一の大衆的労働者組織である。UGTTは、体制の共犯者あるいは体制に従順な存在だった官僚層を完全に排除することができれば、革命的活動家、チュニジアのラディカル左派の積極的支援を受けて、そして国際的連帯の支援を得て、決定的な役割を果たすことができるだろう。民衆委員会に基礎を置くUGTTの労働者政府という要求を提出することは、すみやかに完全な重要性を得ることになる。まさに出発したばかりのUGTT指導部を「革命政権」を構成するために引き入れることは、この方向に進むものだが、その呼びかけはブルジョア的翼をふくむすべての野党政治勢力に向けられている。したがって新たな明確化が必要なのである。

 最後にフランスの反資本主義政党(NPA)マグレブ委員会の同志たちは次のように強調している。

 「資本主義の世界的危機に直面したチュニジアの労働者・民衆は、われわれに唯一可能な出口、最も決然たる闘争の道を示している。この場で資本主義世界秩序ならびにその核心である帝国主義に対するオルタナティブをめざして組織し、闘うことは、かれらの闘いがわれわれへの真の励ましであるのと同様に、すべての被抑圧民衆への支援でもある」。



▼アトールフォ・リエラはベルギーのLCR―SAP(革命的共産主義者同盟―社会主義労働者党、第四インターナショナル・ベルギー支部の指導部メンバー)

(「インターナショナルビューポイント」2011年1月号)
 

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 エジプトでは二月一日の「一〇〇万人行進」に続き、四日にも「追放の金曜日」と名付けられた「ムバラク大統領即時退陣」を求める大規模な民衆行動が全国で繰り広げられた。この行動には一日と同規模の人びとが参加した。


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 独裁者ムバラクは、米国の中東戦略が瓦解することを恐れるオバマ米大統領の辞任に向けた圧力もあり、「九月大統領選不出馬」の声明を出した。しかしそれは時間稼ぎでしかない。「即時退陣」の声はさらに強まっている。翌二日にムバラク政権与党の国民民主党と治安機関が動員し、多数の情報機関員も混じった「ムバラク支持派」が、カイロ市内の広場に集まった「即時退陣」を訴える民衆を襲撃し多くの死傷者を出した事件は、人びとの怒りをさらにかきたてている。

 二月五日、恵比寿公園で行われた在日エジプト人の集会・デモと連帯し、有志の呼びかけで東京・目黒区のエジプト大使館前でも緊急の「ムバラクはすぐやめろ。民衆弾圧を許さない」と訴える行動が行われ、三五人が参加した。

 最初に反安保実の国富建治さんが「チュニジアの民衆決起によるベンアリ追放に続き、エジプトでも三〇年にわたるムバラク独裁体制崩壊の日が近づいている。同時に米国・イスラエルと結託するムバラク体制を支えてきた日本政府に対して、中東政策の根本的見直しを求めよう」と訴えた。核とミサイル防衛にNO!キャンペーンの杉原浩司さんは、米国にとってイラク、イスラエルに続いてエジプトが世界で三番目の軍事援助供国であったことを紹介し、武器輸出に支えられた独裁政権の腐敗した構造を糾弾した。さらに前原外相がムバラクの即時退陣は望ましくない、と語ったことも批判した。

 「無印良品」のイスラエルへの出店計画に抗議して中止を勝ち取った「STOP!無印良品」キャンペーンを展開してきた大富亮さん、「ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉」の岡田剛士さんは、エジプト民衆の闘いを支持するとともにイスラエルによるパレスチナへの不法占領と人権侵害の強まりを厳しく糾弾した。

 また参加した在日チュニジア人が「チュニジアに続き、エジプトにも自由を」と訴え、大きな拍手を受けた。さらに恵比寿公園での在日エジプト人の集会から駆けつけたATTAC japanの稲垣豊さんなどからも発言を受けて、最後にエジプト大使館に向けて「弾圧をやめろ」「ムバラクは即自退陣せよ」のシュプレヒコールを上げた。(K)

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220人を超える在日エジプト人会が
ムバラクの退陣を求めて渋谷をデモ

 
 チュニジア独裁政権を打倒した北アフリカ人民の闘いはアラブ諸国の独裁体制を揺るがす闘いに発展している。特に、エジプトにおいて三〇年にわたり独裁政権を続けるムバラク退陣の闘いは一〇日間連続で続けられている。ムバラクは九月の大統領選挙には出馬しないと言いつつ、政権の座を守るために側近政治を続けている。そして、首都カイロにおける座り込みに対して、武装したムバラク派を登場させ、流血の惨事にいたっている。すでに、数百人の市民たちが殺されている。二月四日の金曜礼拝の後、全土で百万人を超える決起によって、最後的にムバラクを追放する闘いにエジプト人民は決起した。

 そうした本国の闘いに呼応するために、在日エジプト人会が二月五日午後一時から恵比寿公園に集まった。思い思いのプラカードや国旗を持っている。プラカードには次のようなスローガンが掲げられた。

「ムバラクはエジプトから出ていけ」「人権を尊重せよ」「社会正義の実現を」「エジプトに自由を」「腐敗に立ち向かう」「自由を!自由を!」「パンを 自由を 尊厳を」。

日本式の集会ではなく、「ムバラクは出て行け」などの掛け声を全体で唱和することが何度も繰り返された。そして、アラビア語、英語、日本語で要求が読み上げられた。

「エジプトはいつでも自由の国だ。ムバラク体制の即時退陣を求めるためにデモを行う。人権の実現、腐敗・貧困・不正義の撲滅、より自由・社会正義を求める。以下のような要求をする。一、ムバラクの即時の退陣。人民議会の解散。二、厳戒令・非常事態宣言の解除を求める。三、ムバラク退陣の後、早急な挙国内閣の実現。四、国際社会の監視の下、自由な選挙を。五、憲法の改正、国民による選挙を。六、暴力行為を調査する独立の調査委員会の設置を。七、大学における独立性の確保。八、国際社会の支持を求める。勇ましく闘っている国民に多くの支持を」。

二二〇人を超えるエジプト人が渋谷に向かってデモを行った。デモでは次のような呼びかけが行われた。「数百万人が命をかけて闘っている。エジプトの闘いに連帯して在日エジプト人は闘う。三〇年間に渡って、弾圧と腐敗、正義のないひどい目にあわされてきた。自らの力によって、自由を得ようとしている。国際社会の支援が必要だ。エジプトに民主化を」「反政府デモはエジプト各地に広がっている。このデモは単なる反政府デモではない。革命を起こしている」。

 なお、同時刻にアジア連帯講座をはじめ日本人のグループがエジプト大使館行動を行った。(M)


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緊急行動!

2.5 緊急エジプト大使館行動の呼びかけ

集合日時:2月5日(土)午後2時
東急東横線「代官山」駅(渋谷から1駅・急行は停車しません)正面口改札前
 

エジプトの民衆は30年続いたムバラク独裁政権の即時退場を求める運動に立ち上がりました。
1月25日以来、急速にエジプト全土に広がった自由・民主主義・人権を求め、失業・物価高・貧困に抗する運動を、ムバラク政権の警察部隊は厳しく弾圧し、すでに百数十人の死者が出ていると報じられています。

しかし、エジプトの人びとはさらに「ムバラク即時退陣」の声を強め、2月1日には全土で100万人もの人々がデモに参加しました。追い詰められたムバラクは、9月の大統領選挙には出馬しない、との声明を発表しました。しかしカイロの広場を埋めた民衆の多くは、「私たちの求めていたのは即時退陣だ」と、強く批判しました。

翌2月2日、明らかに政権の側が組織したとしか思えない「大統領支持派」が、広場を襲撃し、7人が死亡し数百人が負傷するという惨事が起こりました。ムバラク政権は、自ら作り出した「混乱」を利用して暴力的な巻き返しを強め、政権にしがみつこうとしているのではないでしょうか。
イスラエルのパレスチナ占領に協力し、莫大な軍事援助を米国から得ていたのがムバラク体制でした。

私たちは、今こそ「ムバラク政権即時打倒」を訴える民衆に対する血の弾圧を許さず、民衆自身が自らの手で自由をかちとろうとする闘いに連帯したいと思います。

エジプトでは現地時間の2月4日には、再び多くの人びとが「ムバラク即時退陣」を求めて集会・デモを計画しています。

私たちは2月5日(土)午後に東京都目黒区のエジプト大使館前で、「弾圧反対・独裁者は去れ」の声を上げることを皆さんに緊急に呼びかけます。なおこの日は午前中からエジプト人留学生の方々が、大使館前で抗議行動を予定していると聞いています。そうした留学生とつながることができれば幸いです。

皆さんそれぞれのメッセージ、申し入れ文、プラカードなどを持ち寄って集まってください。
 
 
呼びかけ 国富 建治(反安保実行委員会)
       杉原 浩司(核とミサイル防衛にNO! キャンペーン)

連絡先:090-1705-1297(国冨)

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