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アジア連帯講座のBLOGです
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 7月4日、参院選のラストサンデーで各党・候補者の訴えが最高潮に達したこの日、東京・新宿駅東口アルタ前で「沖縄差別をやめろ」「普天間基地即時返還」「辺野古に新しい基地をつくるな」「高江にヘリパッドを作るな」「徳之島への訓練移転反対」「日米共同声明撤回」「日米安保破棄」の声が響き渡った。



 「沖縄を踏みにじるな!緊急アクション」と「辺野古への基地建設を許さない実行委(辺古実)」が共催した「沖縄に基地を押し付けるな!決着はついてないぞ! 新宿ど真ん中デモ」に集まった人びとの訴えだ。「反戦と抵抗のフェスタ実行委有志」が呼びかけた「新宿ど真ん中デモ」は4月24日、5月30日に次いで三回目。この日は辺野古実も共催して、あれほど連日メディアをにぎわしていた「普天間移設」問題が、波がひくように後景化していったことに異議を申し立てた。

 デモ出発前、午後二時から休日の人出でにぎわうアルタ前で始まった集会では、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの下地さん、この日岐阜県からかけつけたイラク派兵違憲訴訟の元原告の仲間などが次々に発言、ラップの演奏などで沖縄を切り捨てる「ヤマト」や米国への怒りが叩きつけられた。沖縄基地問題こそ参院選の争点だ、という訴えも行われた。

 午後三時からは400人以上が参加してアルタ前から歌舞伎町、そして新宿の中心部をめぐるデモが一時間半にわたって繰り広げられ、太鼓、ブブゼラ(南アの楽器で、ワールドカップの応援グッズ)の音を響かせながら、思う存分、沖縄を踏みにじる日米両政府を批判し、沖縄の人々とともに闘おうというアピールを道行く人々に伝えた。

 デモ終了後、再びアルタ前で開かれた路上の訴えでは沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの上原成信さん、辺野古実の仲間に続いて、ピープルズ・プラン研究所の山口響さんが発言。山口さんは、グアム島の先住民チャモロの人々の基地反対の運動を紹介しながら、「ヤマトの人々が基地をグアムに持って行け、と言うのは、日本軍のグアム占領の苦難の歴史を見ない責任放棄だ。グアムにもテニアンにも米軍基地はいらない」と強調した。

 続いて「うちなんちゅの怒りとともに三多摩市民の会」の古荘斗糸子さんは7月17日の横田基地反対集会への参加を訴え、沖縄現地から安次富浩さん(ヘリ基地反対協)が携帯電話で現地の状況を報告した。神奈川県座間のバスストップから基地ストップの会、米軍・自衛隊参加の東京都防災訓練に反対する実行委員
会2010、反安保実、反天連の発言の後に、鹿児島県徳之島・伊仙町の大久保町長が駆けつけ、「島民の九九%は基地・訓練移転に反対だ。必要なことは『抑止力』ではなく軍縮だ。沖縄の人々と心を一つにして基地反対を貫く」と語り、大きな共感の拍手を受けた。

 闘いはこれからだ。「日米共同声明・閣議決定」を撤回させ、「普天間無条件返還」のための対米交渉を菅政権につきつけよう。

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 六月六日、普天間基地即位時封鎖!軍事基地はいらない!10月自衛隊観閲式反対!6・6練馬駐屯地包囲デモが行われ、地域の労働者・市民約40人が結集した。

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 一時半より徳丸第二公園で行われた集会では実行委員会を代表して東水労の仲間が昨年の朝霞基地へのPAC3配備反対闘争など地域での闘いを振り返り、今年五月に沖縄を訪れ、十五日の平和行進、十六日の人間の鎖による基地包囲の闘いに参加した事を紹介し、沖縄現地の闘いに連帯して闘おうと訴えた。

 続いて連帯労働者組合の仲間が池袋の豊島産業プラザの会議室が監視カメラで撮影・録画されている事が発覚した問題で、前日五日に集会を行った事、豊島区生活産業課への抗議行動などによって区議会でもこの問題が取り上げられるに至った事などを報告した。

 次に千葉からパトリオットミサイルはいらない!習志野基地行動実行委が発言。習志野基地は普天間と並んで住宅密集地の中に基地があるという危険な場所でそこに大型の弾薬庫が建設されようとしている。来年三月の完成によって習志野基地は首都圏の治安出動基地へと本格的に生まれ変わることになるが、地域住民への説明会を行えという要求に対して自衛隊も地域の行政も全く答えようとしない中で四月には弾薬庫の建設が始まったと報告した。

 続いて朝鮮高校のみを無償化から外すという恥ずべき差別に対して幅広い闘いを行っている全ての高校に無償化を!練馬の会。東京都の防災訓練に反対する闘いについて南部交流会の仲間が発言し、デモに出発した。

 練馬駐屯地では申し入れ書を手渡し、シュプレヒコールを行った。

 解散地では北部共闘、北部労協、昨年十二月から毎月一回、沖縄での新基地建設に反対するデモを行っている埼玉の仲間からの発言を受け、東京都防災訓練反対、自衛隊観閲式反対の闘いへの結集を確認してこの日の行動を終えた。   (板)

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 「普天間移設問題の五月末決着」を「辺野古案回帰」の日米共同宣言と閣議決定という最悪の選択に帰結させた鳩山首相は、福島みずほ消費者・少子化問題担当相の罷免、社民党の政権離脱などによる支持率の加速度的低下の中で、ついに六月二日に辞任を表明した。鳩山・小沢の「ツートップ」体制の下では7月参院選の敗北は必至という、民主党内からの批判を抑えることができなかったのである。

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 6月4日、民主党の両院議員総会は後継代表に菅直人副総理を選出し、続く衆参両院本会議で菅直人民主党代表が新しい首相に指名された。

 この日、午後6時半から辺野古への基地建設に反対する実行委員会(辺野古実)が首相官邸前で、「沖縄に基地はいらない」全国同時アクションが衆院第二議員会館前でそれぞれ行動を行った。辺野古実の首相官邸前での行動では、「日米共同宣言」「閣議決定」の無効・白紙』撤回、「普天間即時返還」に向けた対米交渉のやり直しを菅新政権に求める声が渦巻いた。

「なぜ『共同宣言』や『閣議決定』という沖縄の民意を裏切る公約違反を強行してから辞任するのか。『五月決着』ができなかったのなら、すべて仕切り直しで対米交渉を新政権に委ねるのが当然だ」というのが多くの参加者の反応だ。

 「日米安保そのものの見直し・廃棄」を展望して闘うことが必要だ、という主張も参加者の多くの共通認識になっている。

 「全国同時アクション」の国会前集会では、社民党党首の福島みずほさん、軍事問題評論家の前田哲男さんなどが発言した。「全国同時アクション」の声明も「新政権に対し、鳩山政権の反省の上に立って、『5月末決着』の体裁を取り繕うために無理やり結んだ今回の日米合意を白紙に戻すことを求めます。どんな理由をつけようとも、辺野古に基地をつくることは絶対に許されませんし、現実に不可能です」「私たちは、普天間基地の移設先を探すのではなく、沖縄基地を存続させている日米安保条約および日米地位協定を含め、安全保障政策の根本を、国内はもちろんアメリカ政府や米軍も含めて開かれた形で徹底的に議論することを新政権に求めます」と訴えている。

 辺野古実の首相官邸行動の参加者も、国会前の集会に合流し、200人がともにキャンドルに灯をともし、「辺野古移設」の共同宣言、閣議決定の白紙撤回を訴えた。

 菅新首相は「国と国との合意をしっかりと踏まえることが、引き継いだ私たちの責任だ」と「辺野古移設」の「日米合意」継承を打ち出している。「共同宣言」「閣議決定」の白紙撤回と普天間即時無条件返還・新基地建設阻止の闘いの勝利へ、さらに邁進しよう。(K)

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 5月28日、鳩山内閣はオバマ米大統領との電話会談を経て普天間飛行場の「辺野古への移設」、訓練の移転先として徳之島を明記した「日米安全保障協議委員会」(日米の外務・防衛閣僚会合、いわゆる2+2)の共同声明を発表した。

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▲日米合意・共同声明に抗議(5.28 首相官邸前)

 同「共同声明」は、「日米安全保障条約の署名五十周年にあたる本年、日米同盟が日本の防衛のみならず、アジア太平洋地域の平和、安全及び繁栄にとっても引き続き不可欠であると再確認」した。さらに「北東アジアにおける安全保障情勢の最近の展開により、日米同盟の意義が再確認された」と述べて、韓国哨戒艦「天安」の爆沈事件などを念頭におき「沖縄を含む日本における米軍の堅固な前方のプレゼンスが、日本を防衛し、地域の安定を維持するために必要な抑止力と戦力を提供することを認識した」と述べている。

 すなわち、これは1996年のSACO合意による普天間基地の県内「移設」、さらに2005年の米軍再編中間報告や2006年の同最終報告(ロードマップ)の内容を無条件に踏襲・再確認するものである。鳩山内閣は同日夜の閣議で、日米共同声明の内容を閣議決定し、署名を拒否した社民党党首である福島みずほ消費者・少子化問題等担当相を解任した。鳩山首相の「五月決着」は、迷走に次ぐ迷走の末、最悪のみじめな結末を迎えた。

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 5月30日午後一時に新宿駅東口アルタ前に集まり、「沖縄を踏みにじるな!」の訴えと新宿駅の周辺の繁華街を一周するデモを行った。多くのプラカード、「怒」のポスターを持った多様な老若男女350人が集まった。

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 5月28日、日米共同声明で普天間基地の移設先を辺野古先地区周辺としたことに対して、次々に怒りの発言が続いた。「今回の決定が沖縄の切捨てであり差別である。基地は暴力、騒音・環境被害をもたらす。レイプ事件も相変わらず起こっている。基地被害を沖縄に押しつけるな」。

 「そもそも米海兵隊は日本本土にいたものが沖縄に移された。一万人の海兵隊が日本の防衛の抑止力になっていない。海兵隊を日本から撤去させなければならない」。

 

フリーランスジャーナリストの志葉玲さんが次のように自らの取材の経験を語り、海兵隊の実態を明らかにした。

 「つい最近も沖縄に行ってきた。抑止力が必要だと言うが、海兵隊はイラクやアフガンに攻め込む部隊であり、沖縄ではその訓練をしていてほとんど常駐していない。私はイラクのファルージャに取材に入ったことがある。海兵隊はそこで死者七千人、行方不明者三千人を出す大虐殺を行った。子どもを抱えていたお母さんを撃ち殺した。救急車を襲い皆殺しにした。農民を集めて建物ごと爆破した。証拠を隠すために戦車で生きている人もいたのに踏み潰した。これが彼らがやっている戦争だ。また、脳みそがない、頭が二つあるような子どもたちが生まれている。原因ははっきりしないが、劣化ウラン弾の使用の結果だと思われる」。

 「沖縄で起きている米軍の犯罪の八割が不起訴となっている。沖縄の人は米軍だけでなく、東京の人は冷たいという。われわれが何をするのかが問われている。仕分けないといけないのは六千億円もの思いやり予算という税金を使ってい
る米軍だ」。

 高江でのヘリパット建設が7月1日から再開されることに対する抗議と連帯のための連続企画が報告された。また、今年が安保条約締結五十年という節目にあたって、改めて米軍基地問題の根本的解決である安保条約破棄の闘いの重要性が訴えられた。

 アルタ前での訴えの後、デモ行進に出発した。警察官の執拗な並列規制をはねのけ、道行く人々に、沖縄米軍基地撤去と沖縄連帯を訴えた。日曜日の繁華街とあって歩道にはたくさんの人々がむらがっていたが、鳴り物やプラカードなど非常に解放的なデモに歩道から拍手がわく場面もあった。持続的な沖縄連帯行動が日本本土で求められている。(M)

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辺野古崎地区を明記した日米共同声明を撤回せよ

 5月28日午前中に、オバマと鳩山による電話会談によって共同声明が決定され、日米外務・防衛大臣の名によって、普天間基地の移設先を辺野古崎地区とする共同声明が発表された。これを閣議決定しようとする鳩山に対して、福島社民党党首は「沖縄の民意に反する」として、拒否を明らかにした。午後六時から与党三党基本政策閣僚会議が官邸で行われ、ギリギリの攻防が続いていた。先週は官邸でクリントン国務長官との会談が行われていた時であり、今週はまた沖縄基地問題にとってきわめて重大な会議の時の辺野古実の行動であった。行動にはいつもより多い140人が参加した。

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 司会者が「日米共同声明には普天間の移設先が入っている。重要な状況になっているので、官邸に圧力をかけていこう」と訴えた。辺野古実の木村さんが「新基地建設を止めようとする官邸前行動は三月から始め、十一回目の行動になる。それ以外にも国会前でのビラ配りなどできる限りの行動を行ってきた」と報告。

 次に古荘さん(うちなんちゅの怒りととともに!三多摩市民の会)は「アメリカに屈服して『沖縄・辺野古』ですって?!あんまりです!鳩山さん。あなたが沖縄で突きつけられた悲憤は、全国の私たちの悲憤です」と鳩山を痛烈に批判し。そして「共同声明の進め方が、日本が米国の植民地になっている、沖縄が日本の国内植民地であり続けたことを明らかにした。これは沖縄差別だ。アメリカに愚弄されたままでは絶対にいかない。安保の危機に発展させよう。基地建設は絶対に止められる」と固い決意を語った。

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五月十四日午後六時半から、「沖縄に基地はいらない国会を囲むヒューマンチェーン」が「沖縄に基地はいらない」全国同時アクションTokyoの主催、協賛:WORLD PEACE NOWで行われ、四百六十人が参加した。四月二十五日、九万五千人の沖縄県民大会と連帯し、明治公園で「NO BASE 沖縄」のキャンドルを成功させた「全国同時アクション」実行委が呼びかけたものだ。

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 キャンドルを掲げながら、参加者のアピールと国会に向けたシュプレヒコールを繰り広げた。最初に、五月十六日普天間基地包囲に参加するという赤嶺政賢さん(共産党、衆院議員)は沖縄県民大会と鳩山首相来沖に対する沖縄民衆の抗議の様子を報告した後、岡田外相が「広い場所を必要とする米軍基地は沖縄に置くしかないと国会で答弁した」ことを批判し、アメリカへの属国を拒否し、基地の無条件撤去を訴えた。

 WWFジャパンの花輪伸一さんが「辺野古沖に杭を打ち、滑走路を作る政府案が出されている。これをやれば海草や珊瑚も死んでしまい、生き物がいなくなる。そうすればジュゴンも棲めなくなる。ジュゴンは数頭から十数頭しかいない絶滅危惧種だ。今年十月名古屋でCOP10が開かれる。政府は海草の藻場を守ろうと提案している。これはダブルスタンダードだ。沖縄に基地を押しつける沖縄差別をやめろ。今日、私たちは六十七団体の共同声明を官邸に届けた」と報告した。

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結局、沖縄に基地を押し付けるのか!

 自ら幾度も繰り返して確認した米海兵隊普天間基地の「移設」先決定期限の五月末が目前に迫る中で、ついに鳩山首相は五月四日に航空自衛隊機で沖縄を訪問した。辺野古沖合に杭を打ち米軍基地を新設するための工作である。鳩山はまず摩文仁の丘の「沖縄戦没者墓苑」で献花し「平和の礎」を見た後、県庁を訪問して仲井間県知事との会談に臨んだ。次いで、県議会議長らと話した後、宜野湾市で伊波市長ら県内市町村長らと会談、普天間基地を視察した後、住民との「対話集会」に参加した。さらに名護市のキャンプ・シュワブを視察した後、名護市民会館で稲嶺名護市長と会談するという駆け足訪問だった。


▲沖縄県庁前に300人が結集して鳩山を糾弾した

 この一日だけの沖縄行きで鳩山首相は何を語ったのか。

 「普天間問題はパッケージとして解決することが大事だ。海外移設という話もなかったわけではないが、日米同盟関係を考えた時、抑止力という観点から難しいという思いになった。すべてを県外にという考えは現実問題として難しい。沖縄の皆さんにも負担をお願いしないといけない」(仲井間沖縄県知事との会談)。
 「将来的にはグアム、テニアンへの完全移設もありうると思っているが、現在の北東アジア情勢で日米同盟を維持していく中、抑止力の観点から沖縄やその周辺の皆さんに負担をお願いせざるをえない状況になっていることも政府の考え方として言わないわけにはいかない」(稲嶺名護市長との会談)。

 「新政権をつくる際に『最低でも県外』と、普天間の移設先に関して申し上げたことは事実だ。ただ、環境は容易ではないということは、政権を取ってから日々感じている」(県議会幹部との会談)。


▲鳩山と宜野湾住民の「説明会」に入りきれなかった人々が抗議の声を上げる

 さらに稲嶺市長との会談後に名護市で行われた報道各社とのインタビューでは「学べば学ぶほど、沖縄の米軍の存在自体の中での海兵隊の役割を考えた時、すべて連携している。その中で抑止力が維持できるという思いに至った」「海兵隊の抑止力は必ずしも沖縄に存在しなければならない理由にはならないと思っていた。浅かったと言われればそうかもしれない」と述べるとともに「最低でも県外移設という私自身の代表としての発言で、正式の民主党の公約ではなかった」としどろもどろの弁明までする始末だった。およそ「説得」などとはほど遠い、拒否されることが分かり切った上での辺野古沖浅瀬案強行のための布石である。

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 4月28日、文京区民センターで「天皇制と植民地主義を問う」4・28--29連続行動、「60年安保50年目の4月28日に「安保と沖縄」を考える」が新しい反安保行動をつくる実行委員会主催で開かれ、七十人が参加した。

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 最初に、加藤さんが主催者として集会の趣旨を次のように述べた。

 「反安保実は1995年、沖縄米兵による少女レイプ事件をきっかけに大きく盛り上がった基地撤去闘争に連帯するということで1996年につくられた。反安保闘争を何とかつくりあげようとしてきたが必ずしもそうなっていない。安保問題が普天間基地問題を通じて表に出てきた。今が最大のチャンスだ。1951年4月28日、日本は独立の回復と同時に沖縄の施政権を米国に委ねた日だ。明日は植民地支配を問うということで連続行動として本日の集会があり、行動につなげたい」。

 次に新崎盛暉さん(一坪反戦地主会・代表世話人、市民平和連絡会)が「日米安保体制の歴史と現在、そしてこれから--沖縄からヤマトに問う」と題した講演を行い(別掲)、それを受けて天野恵一さん(反安保実)が「ヤマトの立場から」から応答した。

 天野さんは、天皇・沖縄・安保問題をたくさんの研究的文献を紹介しながら、昭和天皇が沖縄をヤマトから切り離し米占領下にゆだね、日米安保体制によっていかに天皇制を維持したか明らかにした。

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4月25日に行われた「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し国外・県外へ移設を求める県民大会」に参加するために仲間とともに沖縄を訪れ、現地の仲間・友人と合流して会場の読谷村運動広場に向かう。

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嘉手納基地が見渡せる「嘉手納道の駅」で昼食をとると、そこには県民大会の「統一カラー」である黄色の鉢巻をした親子三代の家族連れが食事をしている。なぜ黄色かと言うと、「鳩山にイエローカード」ということであり、琉球時代からの伝統的な神聖な色でもあるということだ。

13時からの沖縄の若手アーティスト八組のプレイベントに間に合うように行こうと思っていたのだが、「道の駅」を出てすぐ渋滞で動かない。 まさか全部が県民大会に行く車だとは思わず、この時期沖縄で行われる清明(シーミー)祭(沖縄の墓参)の影響かと思っていたら、全部の車両が読谷の県民大会に行く車だった。県民大会に参加した沖縄人から聞いたところ、「墓参りは"オジー、オバー、今日だけはゴメン"と謝って大会に参加している人が多いでしょう。ご先祖様もいいよ、いいよ、と言っていることでしょうよ」ということだった。

会場に近づくにつれ、多くの車に黄色いリボンが括りつけられていて、沿道の歩行者たちのほとんどが黄色いTシャツやなんらかの黄色い布を身に着けていた。まさに「黄色い奔流」となって、人々が大会へ、大会へ、とむかっていくようだ。

会場の駐車場は返還された旧読谷飛行場の滑走路跡で、すでに滑走路の端から端まで車で埋まっていて、駐車場内も動かない。また、やっと車を停めてからも滑走路の端から端まで歩いて万単位の人混みを掻き分けて会場に辿り着いたので、15時の大会開始直前になんとか間に合ったのだった。もし、大会開始時刻の15時到着をめざしていたら、とてもじゃないが間に合わなかっただろう。

なぜ普天間基地のある宜野湾の海浜公園あたりで大会をやらないで読谷になったのか不思議だったのだが、昨年11月に起きた米兵によるひき逃げ殺人の現場が近いということとともに、駐車場として使われている滑走路も会場となった運動広場も、そして隣接する村役場も長い闘争の末に米軍からの返還を勝ち取った場所であるから、ということでもあるらしい。この「勝利の記憶」を呼び起こそうという主催者の意図に、今回の大会にかける意気込みをかんじせさせる。

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