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この日の大闘争は、6月5日に開始され、その三日目にはソウルで20万人を動員した「72時間連続闘争」に引き続いて、「6月10日、民主化運動の記念日に全国で百万人で米牛肉輸入再開阻止の叫びで埋め尽くそう」というBSE国民対策会議の呼びかけで実施されたものだ。この6月10日に先立って7日、李明博大統領はブッシュ米大統領と電話会談を行い、李は「生後30カ月以上の牛肉を輸出しない」ことをブッシュに求めた。これに対してブッシュは「韓国国民の不安を理解する」として「韓国に入ってはならないものが輸出されないようにする」と述べ、「具体的な措置」を約束した。また、10日当日の朝に韓国の全閣僚が辞意を表明するという事態に至った。
しかし、民衆が求めているのは小手先の「措置」などではなく、全閣僚および李明博の辞任である。6月10日、ソウル中心部は朝から巨万の老若男女の人々で埋め尽くされた。
「光の大河」となった巨万のキャンドル・デモ隊夕方には、ソウル都心である太平路と世宗路一帯で開催された牛肉輸入反対キャンドル集会に50万人余が結集、夜が深まるにつれてさらに続々とキャンドルを手にした市民が駆けつけた。延世大の学生たちは87年の民主化抗争で斃れた労働者を追悼して「李韓烈烈士追慕祭」を開催したのちに、ソウル市庁舎前のキャンドル文化祭に合流した。高麗大でも全学ストライキが決行され、学内で集会を行ってから街頭デモを実行した。その他、中央大、ソウル市立大など全国でストライキで決起した学生たちが、大学旗を先頭に闘争に合流していった。
この日の闘争への全力集中を決定した民主労総は、全国各地で「残業拒否闘争」を貫徹し、またはストライキ中のピケットから闘争に合流した。蔚山では韓米FTA阻止蔚山運動本部主催のキャンドル集会に、金属労組現代自動車動車支部組合員たちが「残業拒否闘争」で決起し、ストライキ中の貨物連帯傘下の労働者や建設プラント労組たちも合流した。民主労総蔚山地域本部ハ・ブヤング本部長は 「BSE牛肉だけでなく学校自由化措置など公営企業民営化措置、油価上昇による庶民経済悪化など、このすべてのものが労動者の生と直結される」「今日を基点にして労動者たちが公然とキャンドル文化祭に参加し、民営化反対の闘いと連携させていく」とあきらかにした。
一方、全斗煥時代の軍人らを中心とする親米保守派による「法秩序守護・韓米FTA批准要求国民大会」と銘打たれた対抗集会が同日にソウル市長広場で開催された。同集会は「米牛肉輸入再開賛成」「韓米FTA(自由貿易協定)早期批准」とともに「警察は違法デモ隊を撃ち殺せ」「鉄パイプのキャンドル・デモ隊を見て金正日は笑っているぞ」などのスローガンを掲げて、米国産牛肉で作られたソーセージとハンバーガーを振舞った。この「対抗集会」は李与党であるハンナラ党の組織動員を含む三千人を結集させキャンドル闘争に対して挑発を試みた。しかし、大きな混乱を引き起こして弾圧を呼び込む、という親米派の悪辣な目論見は、自制的なキャンドル・デモ隊によって失敗に終わり、「対抗集会」は深夜に(キャンドル集会より先に)解散することを余儀なくされた。
キャンドル・デモ隊は、ソウルの各所から、李明博の大統領府である青瓦台へ、青瓦台へ、と向かい、それはまさに70万の「キャンドルの大河」の様相となった。青瓦台周辺は戦闘警察のバスやコンテナ積み上げたバリケードによって、デモ隊の行く手を阻んだが、そのバリケードの前はまさに祝祭空間と化した。
ふたたび集会が持たれ、司会が午後8時30分に「持っている携帯から一斉に青瓦台ホームページにアクセスしよう」と呼びかけ参加者たちが実行すると、1分後青瓦台ホームページは一時ダウンし、すぐさま青瓦台ホームページのトップページは意味のないイメージ画像に差し替えられた。ステージやバリケード周辺では様々な歌手やミュージシャンが演奏し、参加者は思い思いに音楽を楽しみながら、「市民革命の長い夜」を楽しんだ。歌手のアン・チファンは “李明博はコンテナを積んで、自ら袋のネズミになった”と言って市民たちから喝采を浴び、引き続き自作曲 ‘遺言’を歌った。“私が狂牛病にかかって病院行けば、健保民営化で治療受けられず、そのまま死ぬはずだ。だけど墓を立てる土地もなくお金もないから骨を大運河に振り撤いてくれ”
朝の5時になってもなお数万の群集が、青瓦台周辺に留まっていた。デモ隊は「強行突破か、非暴力原則か」で論争になったが、くだされた結論はコンテナの上での「旗パフォーマンス」だった。太極旗、各団体の旗、自主的グループの即席の旗など、数十の旗が、「李明博のバリケート」の上に翻り、2時間に渡る討論でコンテナの上にのぼることに反対した市民たちも拍手を送った。市民たちは、コンテナの上を跳ね回り「疎通の政府(李のスローガン)。これがMB式疎通か」と書かれた10メートルの大横断幕が掲げられると、また数万のデモ隊が湧きかえった。
夜明けの「旗パフォーマンス」と大横断幕朝6時になっても、まだ1万の人々が残り、警察が ‘解散勧告放送’をがなったが、デモ隊は“警察が積んだコンテナが青瓦台への通行を阻んでいる。コンテナから撤去しなさい”と世宗路十字路のエリアを防衛した。市民と警察の対峙は午前8時30分頃まで続き、道路を占拠している市民が百名余となった時点で警察は襲撃を開始して、市民たちを排除。20数名を拘束して、この日の大闘争の一応の終結をみた。
一連の韓国民衆の大闘争は「街頭の民主主義」を復権させ、李政権を完全に追い詰めた。この一大大衆行動の展開を「反米民族主義の爆発」と評価するのは、あまりに一面的だろう。今回の大闘争は、むしろ盧武鉉政権時代から続く、新自由主義政策による生活・権利破壊に対する不満と怒りが一挙に爆発したものと考えるべきだろう。6月に入ってからの闘争は、「反米国牛肉再開阻止」から、「公営企業民営化阻止」や原油・物価高騰への抗議、または教育政策への抗議など、様々な要求が掲げられている。
それは、労働者市民の不満や怒りに対して有効な方針を持てず、内紛と分裂を繰り返してきた「運動圏」を、李の「米牛肉輸入再開」宣言を機に乗り越え、飛び越える形で爆発することになった。しかしそれはまた、韓米FTA反対闘争やWTO反対などの運動を地道に積み上げてきた民主労総を先頭とする労働者・農民・市民・貧民の闘いの延長線上にあることも、再確認されなければならないだろう。その経験は、私たち日本の「運動圏」に大きな示唆を与えてくれているように思える。
李が辞任するまで、韓国民衆の闘いは続く。そして、7月のG8洞爺湖サミット直前のブッシュの韓国訪問は、「輸入再開阻止」「韓米FTA批准阻止」とともに「米軍基地拡張反対・即時撤去」を掲げた民衆によって、再び巨万のデモがソウルの街頭を埋め尽くすだろう。この韓国民衆の決起と連帯する直近の課題として、6月28-29日のサミット直前東京行動への大結集を勝ちとり、北海道現地でのサミット包囲行動を成功させることで日本社会運動の底上げによる「街頭の民主主義」を確立する大きな契機を作り出そうではないか。
(F)