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 5月31日、「スピークアウト for  アクションイスラエルを変えるために」が東京・千代田区の在日韓国YMCAで開催された。主催は昨年末からのイスラエルによるガザ侵攻に抗議し、1月11日に「イスラエルは占領とガザ侵攻をやめろ!」を企画・実行した有志による実行委員会で、集会には120人が集まった。

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 最初に主催者から田浪亜央江さん(ミーダーン:パレスチナ・対話のための広場)が、「イスラエルの不法きわまる占領とガザ侵攻・住民虐殺に対してパレスチナ民衆との連帯はもちろんのこと、イスラエルを変えることが必要であり、そのためにも日本政府の政策を変え、日本社会を変えるための努力が必要だ。そのための方策をともに討論し、実行していきたい」との問題意識を提示した。


 第一部のシンポジウム「ガザ侵攻が明らかにしたもの」のパネラーは役重善洋さん(パレスチナの平和を考える会)、山崎久隆さん(たんぽぽ舎、劣化ウラン研究会)、東澤靖さん(弁護士、明治学院大学教授)、板垣雄三さん(東京経済大学名誉教授)の四人。

 役重さんは「対イスラエル・ボイコット運動」をテーマに報告した。イスラエルのガザ侵攻の目的を、二〇〇六年のパレスチナ議会選挙でのハマス圧勝の結果を無効化するためのガザ封鎖・民衆への集団懲罰との連続性で捉える役重さんは、「なぜ国際社会のイスラエルへの抑止機能が働かなかったのか」と問いかけた。

 「オスロ・プロセスに代わる中東和平の構想を国際社会は構想できていない。オスロ和平の破綻をどう克服するのかについてメディアも取り上げようとしていない」。一方で、米オバマ政権の誕生、イスラエルでのネタニヤフ政権の成立、ガザ復興国際会議などの政治プロセスを背景に、対イスラエル・ボイコット運動の広がり、国連による対イスラエル補償要求、ハマスへの国際的認知の兆しなど国際世論も変化している。対南ア・アパルトヘイト政権への国際的ボイコットの成功をもたらした状況とは違いがあるものの、ガザ封鎖・ハマスボイコットの解除、「中東和平」の仕切り直しを促進する展望の中でBDS(ボイコット、投資撤退、制裁)戦略を構想しよう、と役重さんは語った。

 山崎さんはイスラエルが使った残虐兵器への批判を焦点に提起した。イスラエルの公式見解は「国際法上違法とされる兵器は使用していない」と木で鼻をくくったような対応に終始している。湾岸戦争、コソボ戦争、イラク戦争などで使用された劣化ウラン弾については国際的な批判が高まり、対人地雷やクラスター爆弾など非人道的兵器禁止条約の制定など国際的な運動がもたらした成果も見られる。

 「しかしイスラエルはリン弾、DIME弾(高密度不活性金属弾)、フレシェット弾(矢弾)などの残虐兵器を次々に使用している。これは歴史の劣化だ」。こう述べた山崎さんは北朝鮮の核実験に触れながら「1996年の国際司法裁判所の、核兵器使用の違法性についての『勧告的意見』が、国家存亡の危機という極限的状況下における核兵器の使用が違法であるとは言い切れない、とした問題に立ち返ると、北朝鮮はまさに『国家存亡の危機』を利用して核兵器の開発に踏み込んだと捉えることもできる。イスラエルも『国家存亡』を核恫喝の口実にしている。私たちは間違ったスイッチを歴史をさかのぼって一つ一つ切り替え、核廃絶を目指す必要があるのではないか」と提起した。

 東澤さんは「パレスチナ攻撃と国際刑事裁判所(ICC)」をテーマに報告した。ICCは「不処罰の文化」を終わらせるために設立された、国際政治から独立した常設の刑事裁判所であり、ジェノサイド、人道に対する犯罪、戦争犯罪を国際犯罪として締約国に協力義務を課している。それは国家を基礎とする条約機関としての国際裁判所であり、裁く対象は個人である。2003年から活動を開始し日本は2007年に加盟したが米国、ロシア、中国、イスラエルは未加盟だ。

 ICCが捜査・訴追を進める条件は国連安保理による付託、締約国の付託、検察官の職権捜査が引き金となる。安保理の付託による場合は管轄権行使に条件は付されないが、締約国による付託の際は、その締約国が犯罪発生国、犯人国籍国であることが条件となる。また非締約国であっても管轄権受諾宣言を行った場合は、管轄権行使の条件が発生する。

 イスラエルとパレスチナはいずれも非締約国であるが、パレスチナ自治政府は1月29日に「管轄権受諾宣言」を行った。すでに2008年12月から2009年2月までに326件の通報が寄せられ、検察官による職権捜査開始の可能性もある。

 こうした中で、イスラエルの戦争犯罪をどう裁くかということが運動の面から言っても大きな課題になっていくだろう。

 板垣さんは、1983年の「イスラエルのレバノン侵略に関する国際民衆法廷・東京」の事務局として故小田実さん、故芝生瑞和さんと共に同法廷を成功させた経過を語りながら、状況の大きな変化について指摘した。

1973年の第四次中東戦争と第一次オイルショックにあたって当時の田中内閣の二階堂官房長官は「イスラエルが1967年の占領地から撤退しないかぎりイスラエルとの外交関係を考え直さざるをえない」との談話を発表し、アラブ諸国との関係改善に躍起となった。毎日新聞は中東・パレスチナ問題についての板垣さんとのインタビューを大きなスペースをとって連載した。一九七五年には国連総会で「シオニズムはレイシズムである」とする決議(日本は棄権)が採択された。

1982年のレバノン侵攻にあたってもNHKは特別報道番組を放映し、1983年には前述の「イスラエルのレバノン侵略に関する国際民衆法廷・東京」が、海外から十人の法律家や活動家、日本国内からも大学教員、弁護士、作家など十七人を陪審員として開催し、イスラエル政府を「有罪」と判断した。同民衆法廷の代表呼びかけ人には木村俊夫元外相なども入っていたのである。

しかし1986年で開催された東京サミットでは「国際テロとの戦い」が宣言され、「二階堂談話」は消えてしまい、1991年の国連総会では「シオニズム=レイシズム」決議の無効化が決議された(日本は提案国)。

板垣さんはこうした経過を振り返りながら、今回のイスラエルのレバノン侵攻にあったての「暴力の応酬」とか「パレスチナの分裂が問題」といった報道や、中東問題にたずさわっている学者のコメントを厳しく批判した。

第二部では「イスラエル製品/関連企業をボイコットする」「イスラエルの武器生産・取引・使用の実態を明らかにする」「指導者たちの戦争犯罪を裁かせる」「『歴史事実』の確認から始めよう」の四つの分科会にわかれて活発な討論が交わされた。

最後に、全体会で各分科会の討論を共有し、質疑討論を行った。

イスラエル・ボイコット、ICCでのイスラエルの戦争犯罪訴追、武器取引問題など、課題は多様だが日本でもこうした課題を広く討論の課題にのせ、運動として実践していく必要がある。それは「イスラエルを変える」とともに「日本を変える」という闘いなのだ。(K)

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