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ま

昨年末から続くイスラエル軍のガザ空爆・地上軍の侵攻に対する抗議の緊急行動が十三の市民団体の呼びかけで行われた。大阪市役所横の中之島河川敷で集会がもたれ、五百人を超える市民が参加した。この行動は昨年12月29日、1月5日の大阪領事館前で抗議行動に続いて行われたものである。

呼びかけ団体は、ATTAC関西、アムネスティ・インターナショナル日本、釜ヶ崎医療連絡会、釜ヶ崎パトロールの会、関西共同行動、「しないさせない!戦争協力」関西ネットワーク、ジュビリー滋賀、日本キリスト教団大阪教区社会委員会、パレスチナの平和のための関西連絡会、パレスチナの平和を考える会、反戦と生活のための表現解放行動、RAWAと連帯する会、リブ・イン・ピース☆9+25である。

初めにガザ在住のB・サーメドさんの携帯電話による現地からのレポートが紹介され、ガザの封鎖を解くよう国際的な圧力をかけてほしいと、生存のために闘っているガザの人々からの訴えがあった。

続いて、岡真理さん(京都大学教員)が基調的なアピールを行った(別掲)。

 岡さんのアピールに続いて呼びかけ団体が順に短いアピールをして集会を終え、米国領事館前を通って梅田の桜橋方面に向けデモを行いながらガザの即時停戦を訴えた。(T・T)


#岡真理さんのアピール

 封鎖・占領のガザは絶滅収容所だ

 空爆が始まって今日で15日目になる。世界の人々が見ている前で公然と行わ
れている。今朝のフランスのホームページによると死者は八百四人、うち子どもが二百三十人、女性が九十三人、負傷者は三千三百十人だ。これほど膨大な数の負傷者を治療する施設はガザにはない。医療・食糧スタッフが昼夜区別なく働いている姿を想像してほしい。


 1976年レバノンの難民キャンプがレバノンの右派軍事組織により封鎖され攻撃された。最後は食糧も医薬品も底をつく中、塩水を使って手当てしていた。1980年代半ばにも難民キャンプの封鎖・攻撃があった。このときキャンプにとどまって治療に当たっていた英国の女性医師の手記が翻訳されている。

 顔見知りの二人の青年が運び込まれた。どちらもただちに対応しないと死んでしまうという状況下で、彼女は一人を選ぶ。その時、もう片方の青年がつぶやいた、「そうか、死ぬのは僕か」。

 おそらくガザでも同じ状況になっているだろう。救急に携わっているパレスチナ人十人が殺されている。連日連夜爆撃されてがれきの山になっているガザの写真がインターネットを通じて世界に送られている。このグランドゼロの写真をわれわれは新聞やテレビで目にすることはない。百五十万の人間たちを狭い檻のようなガザに閉じこめて、空から海から陸からミサイルや砲弾の雨が浴びせかけられている。

 かってガザは巨大な難民キャンプだと言われたが、封鎖が始まって巨大な監獄になり、今絶滅収容所になっている。今ガザでおきていることは無差別大量テロだ。9・11だ。インドのムンバイのテロを大きく報じる日本のマスメディアは、あくまでもハマスに対するイスラエルの自衛の戦いだという立場だ。イスラム原理主義のテロに対する自衛戦争・対テロ戦争という枠組みの中に還元している。

 原因はイスラエルの封鎖・占領

 1月3日、イスラエル国内でも大規模な反戦デモが起きている。北部のカクニンではアラブ系市民十万人がガザで虐殺されている同胞に連帯してデモに参加した。テルアビブでもユダヤ系市民1万人がデモに参加した。一万人は人口比では日本の二十万人に相当する。このデモを組織したイスラエルの平和人権団体は、イスラエルの封鎖・占領こそがハマスのロケット攻撃の原因だと主張し、イスラエルの首相、国防相たちを戦争犯罪人として告発している。

 イスラエルの封鎖・占領こそが原因であるということが日本の報道では覆い隠されている。マスコミ関係者はこのことを報道してほしい。ガザのグランドゼロの写真を新聞に載せてほしい。これがガザの9・11だということを報じてほしい。六十年前の翼賛報道を真に反省しているかどうかが今問われている。

 ガザはこの三年間封鎖され、水・食糧・電気・ガス・燃料などすべてのライフラインをイスラエルにコントロールされ、百五十万の人びとがかろうじて生命だけを維持するという生活を強いられてきた。ガザを出れば適切な治療が受けられるのにイスラエルが出ることを許さない。それで亡くなった人が大勢いる。我々やマスメディアの人権感覚は相当間違っているのではないか。百五十万人の人たちが封鎖され尊厳を否定されていても報道されない。一度に数十人が殺されて初めて控えめに報道される。ナチの時代のポーランドのワルシャワゲットーと同じ状況なのに。我々はガザ空爆が始まって初めてこんなことがあってはならないと叫び始めた。

 ガザに自由を!パレスチナに公正な平和を!

 ガザの人々を殺しているのがイスラエル人で、米国製の兵器が使われているとしても、あのとき沈黙することでイスラエルの封鎖・占領を許容し、殺人者たちに攻撃のゴーサインを出していたのではないか。もう黙っていてはいけない。一刻も早く停戦が実現するように声を上げよう。

 停戦が実現しても占領が続く限り、60年前の主張が認められない限り根本は何一つ解決されない。停戦が実現しても、占領が終わるまで声を上げ続けよう。ガザの攻撃は私たちの人間性に対する攻撃だ。シュプレッヒコールは嫌いだが今は叫ばずにはおられない。ガザに自由を!、パレスチナに公正な平和を!、パレ
スチナ人とイスラエル人の共生の未来を!(発言要旨)

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