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チリのクーデターでピノチェトに虐殺されたヴィクトル・ハラによる革命キューバとゲバラへの賛歌


  キューバ革命を指導した一人であるチェ・ゲバラがCIAに指揮されたボリビア軍に虐殺されてから、今年で40年になる。その命日となる10月8日の前後には世界各地で、ゲバラの業績を称え、その死を悼むイベントがキューバをはじめ開催された。中南米では、キューバ革命の勝利を決定付けたサンタクララの地で記念式典が行われ、ゲバラ処刑の地であるボリビア南部バジェグランデでは、反米左派政権のモラレス大統領が「チェは生きている。残忍な資本主義が変わらない限り、彼の英雄的闘争と革命は続くだろう」と述べた。

  フランスでは第四インターナショナル・フランス支部である革命的共産主義者同盟(LCR)が、6日に『いま、再び燃え立つゲバラ-コンサートと討論集会』を開催し、千人の若者たちがHIP-HOPと討論で盛り上がったことを9日付の朝日新聞が集会の写真とともに伝えている(もっともLCRの名を挙げず「左翼の小政党の集会」という伝え方だったが)。

 TV討論番組でゲバラについて語るLCRの大統領候補・オリヴィエ・ブザンスノー

(ブザンスノーにはゲバラについての著作がある)

 その死後にTシャツなどに肖像が使われるゲバラだが、その存在が「商業主義のアイコン」として完全に取り込まれることにはならなかった。それどころか、そのTシャツさえ「小洒落た街のちょっとハードボイルドなファッション」というだけではなく、世界中のデモで「帝国に反抗<レジスタンス>する意思表示」としての一つのプラカードであり、一つの旗として着られている。その根拠は、ゲバラの国際主義に満ちた生き方そのものにある。

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 1928年にアルゼンチンで生まれたゲバラの父母の周囲には、スペイン革命の敗北によって亡命した多くの活動家・革命家たちが身近に存在し、ゲバラ少年に多大な影響を与えたという。中南米・南米はヨーロッパから圧制を逃れて亡命する革命家たちの避難所となっていた。この幼少期の環境として体験した「国際主義の息吹」が、ゲバラにアルゼンチンという「国=民族」を単位にするのではなく、中南米そして「帝国に抵抗する世界」を単位に思考し、行動するという「ゲバラ主義」の萌芽となったことは想像に難くない。

  そして、映画『モーターサイクルズ・ダイアリー』でも描かれた、中南米旅行での国境を超えた貧困と搾取の光景は、ゲバラの変革者としての決定的な体験となる。そして、その国境を超えた貧困と搾取をもたらす共通の敵としてアメリカ帝国と多国籍資本を発見するのである。

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 ゲバラの有名なスローガン「第二、第三、もっと多くのベトナムを」は、現在でも一部で信じられているような「世界に戦火を振りまこうとする戦闘好きな男」ゆえなどではなく、その原点は「ベトナム人の孤立について語る時われわれは人間として、不条理なこの時代の苦悩に襲われる。」(『ベトナムと自由のための闘争』1967年)というある意味においては素朴な正義心から発せられたものだった。そして、アメリカ帝国を包囲する世界的な反乱を自ら実践するために、キューバの大臣の地位を捨ててコンゴ、そしてボリビアの地に向かうことになる。

  その「人間としての苦悩」は、アメリカ帝国だけでなく、ベトナムを孤立させている「世界人民の友」を自称したソ連邦および革命中国にも怒りの矛先を向ける。「しかし、決定的な瞬間に動揺し、ベトナムを犯すことのできない社会主義の領域としなかった者も同様に犯罪者なのだ」…ゲバラは有名な1965年2月にソ連を「帝国主義的搾取の共犯者」として非難した「アルジェリア演説」によって、ソ連との関係を重視したキューバ政府と訣別することになる。

  ゲバラが選択したものは、スターリニズムの「閉ざされた一国社会主義国群の一員としてキューバの安泰」ではなく、「アメリカ帝国によるキューバの軍事的経済的包囲をベトナムと連帯し、世界的な反乱によって帝国を逆包囲することで孤立を突破する」という永続革命の道だった。キューバのジャングルで農民ゲリラたちにトロツキーを読み聞かせたゲバラは、そのボリビアの最後の戦闘の日々にもトロツキーの『ロシア革命史』を携行していた。

  そして、当時の第四インターナショナル日本支部は、この「第二、第三、もっと多くのベトナムを」の呼びかけに応え自らのスローガンとして掲げ、70年代を熾烈に闘った。(1968年 酒井与七『パリ会談とゲバラ』参照)日本支部の闘いが、ゲバラのスローガンを拝借しただけの「党派コマーシャル」に終わらせないものであったことは、1978年の三里塚闘争における管制塔占拠闘争で証明されているといっていいだろう。 

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  「国際主義者」であり続けることは、その「ヒューマニスト」としてのあり方を維持する資質の必要な条件であり、それは物事の本質を見抜く試金石であるということをゲバラの人生は教えてくれる。その一例は、革命キューバの通商相として来日したゲバラが、靖国神社と千鳥が渕に献花してほしいという日本政府の要望を「、「日本の兵士はアジアで多くの人びとを殺戮したから、献花はできない」と断り、代わりに広島を訪問して原爆資料館をつぶさに見て回って日本政府の案内に「君たちはアメリカにこんなひどいことをされているのに言いなりになっているのか?」と質問している。ゲバラは、その「国際主義の資質」ゆえに中南米から遠く離れたアジア-日本の戦争加害・被害の関係をここまで見通し、はっきりと態度表明することができたのだ。

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  志半ばでボリビア軍に捕らえられ虐殺されたゲバラだったが、「ソ連邦崩壊後」という時代状況によって、今日その人生・行動・思想に再びスポットが当てられることになったといえるだろう。アメリカのとりわけブッシュ政権の単独行動主義と一国覇権主義は、アメリカ帝国と戦ったゲバラに新たな正当性を与えてしまっている。キューバは、ソ連の崩壊によって、ふたたび中南米の民衆と革命との連帯に活路を見出そうとしている。そして、アメリカ帝国による中南米・南米に対する軍事的経済的支配は、堰を切ったような反米闘争によって、ベネズエラのチャベス政権を始め新たな左派政権を次々と生み出している。ゲバラが「都市労働者と地方農民の連携が革命の鍵」と語ったボリビアでは、その通りの状況によって初の先住民出身の大統領であるモラレス政権が誕生し、モラレスは就任式で「チェが夢見た正義と平等という理想が実現する時代がやってきた」と語った。これらの左派政権は、ベネズエラのチャベス政権を中心に「脱アメリカ帝国-IMF金融支配」をめざした「南米共同体」の模索を開始している。

  「ゲバラの旗」が掲げられるのは、中南米・南米だけではない。WTO(世界貿易機関)やIMF(国際通貨基金)そして、これらの貿易・金融世界支配体制の構築のための調整会議であるG8サミットやAPEC(アジア・太平洋経済協力会議)に反対するヨーロッパ、そしてアメリカの若者たちが、その「レジスタンスの旗」としてゲバラのポートレイトを掲げている。それは、ベトナム戦争に敗北したアメリカ帝国が小国・第三世界に対する軍事的支配よりも、貿易・金融による支配をさらに位置づけたことに対する若者たちの「政治的直感」によって、色あせない「反帝国の旗」として掲げられているのだ。そして、ゲバラ自身は1964年の段階でジュネーヴの国連貿易開発会議(UNCTAD)に出席して「IMFは資本家のためのドルの番犬であり、世界銀行は米国資本が発展途上国に進出するための露払いであり、米州開発銀行はそのアメリカ版である」(引用元)と激しく非難している。反グローバリズムのシンボルとしてゲバラが使われるのは、そういう必然性がある。

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  もちろん、「人間ゲバラ」にも「革命家ゲバラ」にも、欠点や限界をいくつも見出せるし、今日のキューバ政府が教科書に書くような「人間の模範としてのゲバラ」という描き方は批判しなければならない。男の子がほしかったゲバラは女児誕生の報に「赤子を窓から落としたくなった」と語っている。当のゲバラの娘であるイルディダさんが「それは父の限界だった」と語っている。あるいはコンゴにおいて、ゲバラは言う通りにならないコンゴのゲリラたちを罵り「女より始末が悪い。最初に女性の軍隊を組織した方がましだった」と語っている。その「男主義」とともに、コンゴ人たちの「白人が黒人を指導するのか?」という根底からの違和感をついに理解できなかったという限界を指摘することも出来るだろう。

  しかし、「ゲバラの旗」は、元々が「個人崇拝」などではなく、「正義と理想を実現するために闘う若者の旗」であり、「帝国へのレジスタンスの旗」である。不正に憤る若者がいるかぎりゲバラは生き続け、そしていま世界では数百万の「ゲバラ」が拳を上げている。この「ゲバラたち」はゲバラの限界を踏まえ、そして超えて闘おうとするだろう。

  最後にゲバラがイルディダさんに宛てた手紙の一節を紹介して、この小稿を締めたい。 

「世界のどこかで、誰かがこうむっている不正を、心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。それこそが革命家としての、一番美しい資質なのだから。」 (F) 

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