アジア連帯講座のBLOGです
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▲2月25日のチベット暦の元旦にキャンドル行進で貴南県人民
政府に向かうルツァン寺のチベット僧侶たち
今日、1959年3月10日のチベット・ラサ事件から50年を迎える。
昨年3月、チベット各地で中国政府の民族抑圧支配に抗う民衆の抵抗とそれに対する過酷な弾圧が吹き荒れた。この間も、戒厳下のチベット各地で僧侶などによる抗議行動と弾圧が繰り広げられている。アジア連帯口座では昨年9月に香港から丁実言さんを招いて公開講座を開催した。
【9.6アジ連公開講座報告】オリンピック・チベット・大衆の反乱 中国はどこへ─香港・先駆社の丁言實さんを迎えて─
在北京のチベット人作家、ウーセルさんのブログでは、昨年3月以降の中国政府の弾圧に抗議して、チベット暦の正月ロサを祝わない、というチベット民衆の動きが随時報告されている。中国政府は、チベット民主改革50周年にあたる今年のロサを盛大に演出することで、内外にチベット政策の成功をアピールしようとしている。
中国政府の日本語宣伝誌『人民中国』3月号の特集は、「チベットの真の姿を知ろう」である。「百万の農奴が主人公になった」「私の見たチベット民主改革」など、ダライラマ支配下のチベットの悲惨さと中国政府による民主改革以降の幸福をたたえる内容になっている。だがチベット人民にとって50年を経た今、「チベット人民が主人公となった」(『人民中国』)ことを実感するには程遠い状況である。
ウーセルさんのブログでは、昨年来の中国政府の弾圧に抗議し、今年のロサは、犠牲になった同胞を悼み、厳粛に過ごし、決して祝わないというチベット人民の闘争を伝えてきた。
「明日、ルツァン寺の109名の僧侶が誰も知らないところへ連れて行かれる」と題した記事は、ロサ第1日目(元旦)の2月25日の僧侶たちのキャンドル請願事件を伝えている。
==(以下、ウーセルさんのブログより訳出)==
明日、ルツァン寺の109名の僧侶が誰も知らないところへ連れて行かれる
ウーセル
原文
今日、3月8日、青海省海南チベット族自治州貴南県(チベット語でアムドマンラ)当局は、ルツァン寺での新年のキャンドルデモと座り込みに参加した109名の僧侶を、明日(3月9日)に連行すると発表した。当局からは、109名の僧侶をどこへ連れて行くのか、どのくらいの期間拘留するのかなどの説明はなく、109名の僧侶に対して非公開方式で、「愛国主義教育」と「法制教育」を含む思想教育を行うということだけを伝えた。今後の進展などについても全く分からない。このニュースを伝えられた109名の僧侶らの親族は、つぎつぎに嘆きながら寺院を訪れて、ハダ(チベット式の贈り物)を献上した。109名の僧侶が直面することになるのは監禁である。去年、ラサのデプン寺、セラ寺、ガンタン寺の僧侶700名近くが、ゴルムドの軍監獄に3~4ヶ月もの長期間の拘留を受けたものと同じである。
以下は、ルツァン寺の経過。
2月25日、ロサ(チベット暦正月)の第一日目に、ルツァン寺の百数名の僧侶が、キャンドルを持って寺院から市街地へ向かい、貴南県政府のゲート前で、平和的な請願を行い、30分後に寺院に帰った。
2月26日、貴南県公安局は、48時間以内に、キャンドル記念活動を組織した僧侶は出頭し、ダライラマ法王の肖像を持っているものは自主的に提出することを求めた。
2月27日、警察がルツァン寺にやってきて、13人の僧侶を連行して取調べ。翌日釈放される。取調べのなかで、恫喝と暴言、暴行を受ける。家族も呼び出され、しっかりと管理監督するように要求される。
3月2日、警察がルツァン寺にやってきて、取調べを受けた僧侶のうち11人を連行。ルツァン寺管理委員会は当局の命令に従って貴南県公安局に平和的請願に参加した109名の僧侶の名簿を提出。現在までに70数名が取調べを受けた。一部の僧侶は拷問を受け供述を強制された。
3月4日、警察がルツァン寺にやってきて、取調べを受けた僧侶のうち9名の僧侶を再度連行する。2日に連行された11名は釈放される。現在120数名の僧侶が取調べを受けており、一部の僧侶は拷問を受け供述を強制されている。役人、警官、武装警察からなる工作班が寺院に駐屯しており、僧侶の外出が禁止される。
ルツァン寺は貴南県の市街地から西北に二キロのハマイリ山麓にあり、1889年に建立され、仏学に深く、名声は遠くに及び、アムドチベット地域における著名な寺院である。現在300名の僧侶がいる。
==(以上、ウーセルさんのブログより訳出)==
ルツァン寺の僧侶たちは、(1)中国政府はチベット僧俗民衆、とりわけチベットの若い世代の願望を理解すること、(2)ロサを祝わないという平和的な抗議は去年の抗議行動よりも広範囲である、(3)キャンドル座り込みは内外すべてのチベット人への新年の贈り物である、(4)チベット問題の早期解決を祈念する、ことを訴えてキャンドルアクションを行った。
ロサ三日目には、チベット北部のアムド地方のアバ(四川省四川省アバ・チベット/チャン族自治州アバ県)で、24歳の僧侶が焼身の抗議を行い、治安警備の軍警察によって射撃されるという事件が起こった。以下、ウーセルさんのブログから。
===(以下、ウーセルさんのブログより訳出)===
アバの僧侶ジャバイ、街頭で焼身し銃で撃たれる
ウーセル
原文
西暦2月25日午後、北京の繁華街、王府井で、チベットナンバーの車の中で三人が焼身自殺するという事件が起こった。三名の身元などは不明だ。海外メディアの記者はチベット人ではないかと疑っている。なぜならその日はロサ(チベット暦正月)の第一日目だからだ。
しかるに、ロサの三日目、チベット人が焼身自殺を図った!
おそらく中国国内のチベット人では初めての焼身自殺による抗議だ!
このニュースを聞き、私はしばらく言葉を失い、心が痙攣した。痛い痛い……。眼前に燃え盛る一塊の炎が見えた。炎の中には若い僧侶がいる。彼は雪山獅子旗と尊者ダライラマの写真を高く掲げ、叫び、走っている。彼はガソリンをかけた袈裟に火をつけ、自らを一塊の炎にして大通りを突き進んだ。そして銃声が鳴り響いた!
この事件を、ニュース形式で述べてみよう。
2月27日、アムド地方アバ(現在の四川省アバ・チベット/チャン族自治州アバ県)で、アムド地方の著名な大寺、格爾登寺(チベット語でキルティ・ゴンパ)では、千人以上の僧侶が仏殿に集まり、祈祷法会を行おうとしたが、禁止された。寺院管理委員会が当局からの処罰を避けるために法会の中止を求めたことによるものだ。僧侶たちは仕方なく宿舎に戻った。ほどなくした午後1時40分、一人の若い僧侶が寺院から出て、寺院の近くにある市街地中心に向かった。そして、突然、雪山獅子旗と尊者ダライラマの写真を高く掲げ、ガソリンに浸した袈裟に火をつけ、叫びながら走り出した。市街地に展開していた軍警察は即座に彼に向けて銃を撃った。三発の弾丸が発射されたという。焼身を図った僧侶は銃弾が命中してその場に倒れ、軍警察が駆けつけて消火した後に、僧侶をどこかへ運んで行った。
この若い僧侶は名をジャバイといい、年のころは25~30才、実家はキルティ・ゴンパの近くの村落にある。ジャバイの生死は不明である。その日の午後、数百人の僧侶がジャバイの実家を訪れ、ジャバイのために済度法会をを行った。
昨年3月27日には、キルティ・ゴンパの32歳の僧侶ロサンジンパが遺書を遺して、宿舎で首を吊って自殺した。遺書には、当局が指摘したキルティ・ゴンパの罪状(抗議行動を組織した、中国軍警察に殺された被害者の遺体を保存した、外国メディアに情報を漏らした)は、すべて自分ひとりに責任があり、寺院や他の僧侶とは無関係であり、抗議行動を組織した責任は自らが負う、と書かれていた。遺書は「中国の抑圧のもとで生きることを望まない。1日どころか、1分たりとも望まない。」と締めくくられており、最後に彼の署名があった。
昨年4月16日には、キルティ・ゴンパの29歳の僧侶トゥソンが自ら命を絶った。トゥソンは目が見えず、自殺する前に家族に対してこう述べたという。「このような日常は、目が見えるみんなだけでなく、目の見えない私でさえも耐え難い」
2009年2月27日 記録
北京 2009年2月28日
===(以上、ウーセルさんのブログより訳出)===
戦争も搾取も抑圧もない社会主義の未来を展望するわれわれが、1959年3月10日のラサ蜂起と中国共産党の対応を、当時どのように考えていたのか。以下に、いくつかの討論材料を紹介しておこう。
●1959年の「チベット動乱」と第4インターナショナルの立場 2008年4月 かけはし編集委員会
●チベット事件 第四インターナショナル国際書記局決議 1959年7月
●チベット問題における社会主義の立場(抄訳) 1959年4月17日 向青
1951年9月にラサを制圧し、チベット政府に対する支配的地位を確立した中国政府・人民解放軍がその後実施した政策は、チベット支配階層に対する懐柔と一定の抑圧というスターリニズムによる「愛国人民戦線」であった。1951年に中央チベットに進駐した中国人民解放軍および中国政府は、その後、再三にわたって農奴・農地解放を含む民主改革を延期してきた。1956年末に中国共産党は今後6年間は「民主改革」を行わないことを宣言し、周恩来はダライラマに対して6年で準備が足りなければさらに50年延長してもよいとも語っている。そもそも他民族の軍隊に侵略された封建支配階級が、どれだけ懐柔されたとしても、支配と搾取の基盤を決定的に掘り崩す「民主改革」を、素直に受け入れるはずがない。政治的、経済的、軍事的力関係の決定的な敗北を喫せずとも支配階級が変化するだろう、と考えることができるのは、本質的な階級協調主義者であるスターリニスト官僚の特徴である。
スターリニスト官僚の階級協調の「幻想」は、階級闘争の鉄の法則によって打ち砕かれた。1959年3月10日、チベット支配層を中心に、中国政府の支配に対する反乱が起こった。中国トロツキスト、向青同志は、上でも紹介した1959年3月のラサ事件の一ヵ月後に書かれた「チベット問題における社会主義の立場」で次のように説明している。(原文より訳出したので抄訳とは異なる)
「中国がチベットを支配してから8年たつが、中国政府は、徹底した改革を呼びかけるのではなく、従来どおりの支配構造を維持することを宣伝することで、地元の支持を得ようとしてきた。1951年以来、チベットの支配グループは、中国の宗主権を承認せざるを得なかったが、現在、かれらは『改革は永久に実施しない』と公然と打ち出して独立を掲げた。チベットの支配層は情勢を見誤ったのであろうか。そうではない。かれらは中国国内の力関係については見誤ったかもしれないが、チベット民衆の革命的プレッシャーを感じてはいない。この点は彼らははっきりと理解している。」
民衆による下からの革命的攻勢を回避するために外国の侵略軍を受け入れる、という買弁的態度をとる民族支配階級は、これまでも何度も歴史のなかで反革命の役割を果たしてきた。1951年以降のチベットにおいては、その階級的な規定は180度逆であるにしても(外国の侵略軍=人民解放軍は反革命的な軍隊ではない)、枠組みとしてのチベット内部における支配階級と労農民衆という階級関係においては、この歴史的な類推を用いることは有効である。
「今日のチベット人民の革命的覚悟はいまだ成熟してはいない。これに議論の余地はない。(59年3月10日のラサ蜂起は)チベット人民が『ガシャ』(チベット政府)に反対して決起したのちに中国軍がチベット人民を支援したのではなく、安定支配を続けてきた『ガシャ』(チベットにおける合法的な政府でありチベット人民の指導者であることを中国政府も認めざるを得なかった)が蜂起して中国の占領軍を駆逐したことによって引き起こされた戦争である。中国の軍隊がラサに進駐してから8年が経つが、チベット人民を動員して中国の他の民族はすでに実施している改革を実施させることができていないだけでなく、まったく逆に、改革の時期はいまだ遠いことを宣言することで人びとを安心させてきたのである。」
「(59年3月のラサ蜂起)戦争が勃発し、反乱集団の首謀者たちが国外へ逃亡した後の現在においても、チベット人民が旧支配制度(訳注:農奴制)に反対して改革に立ち上がったという状況を見ることはできない。中国共産党が提示することのできる宣伝材料は、チベット人民が反乱平定を擁護しているという類の、空疎で信頼することが難しいニュースのみである。中国共産党は、パンチェンラマとガポ・アワンジグメ(元「ガシャ」の「ガロン」(大臣)の一人)などの態度を持ち出してチベット人民が労農中国を支持していることを証明しようと考えている。だが、第一に、彼らはチベットにおける支配階層の人物であり、第二に、パンチェンラマ一派のチベットにおける地位は完全に中国が与えたものであり、第三に、彼ら個々人が民主改革と社会主義改革に対して支持しているのかどうかは極めて疑わしいし、社会集団全体として見るのであれば、その支持は嘘偽りのものである」。
1951年以降の「愛国人民戦線」路線から、59年3月チベット支配層によるラサ反乱と、それに対する鎮圧、そしてそれに続く「民主改革」の実施は、スターリニスト官僚の民族政策のジグザグと破綻の現れであるとともに、官僚支配体制の利害を代表する。しかしそれは労働者国家における、そして世界革命の利害を著しく損なうものであった。向青同志は、「中国政府は、即時、独立含む自決権を認め、停戦し、反乱軍とのあいだで中国全軍の撤退の具体的方法について交渉を行うこと」を主張した。
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社会主義とは、その生産力だけでなく、思想、文化、芸術、人権、環境その他いっさいの人類の歴史が作り上げてきた財産を資本主義の時代を大きく凌駕した社会である。資本主義から社会主義への過渡期においては、それら人類の財産の全面的開花とともに、民族や宗教、家族、商品の流通などといった社会主義の未来においては廃棄されることが予想されるものさえもが、いきいきと活発に運動・開花しさえるする。民族においては民族自決権の実現がまさにそれにあたるだろう。レーニンが掲げた民族自決権は、プロレタリア革命の同盟軍としての被抑圧民族に向けられた戦術的なスローガンというだけに留まらず、資本主義から社会主義への過渡期において、被抑圧民族が自らその「止揚」に向けて歩み出す極めて重要かつ具体的な政策である。
中国において日本帝国主義を打ち負かし、国民党軍を台湾に追い詰め、資本主義を叩き出し、国土の独立と統一を実現した中国共産党・人民解放軍は、スターリニズム的に変質したソ連共産党、コミンテルンの影響、そして強いられた軍事的組織形態の恒常化のなかで、プロレタリア独裁における民族自決権や労働者民主主義の重要性を学び実践することができなかった。それは、チベットをはじめとする周縁民族地域の勤労人民に悲劇をもたらし、中国本土の労農人民との分断を拡大させた。
その後、中国共産党は大躍進や文化大革命という極左冒険主義と外交政策における右翼日和見主義のジグザグを繰り返しながら、80年代末から本格化する資本主義化のなかで、今日に至っている。世界的な階級闘争の状況は、大きく様変わりしたが、資本主義自身の未来はいまだ歴史のくずかごに向かって進んでいる。中国においても社会主義に向けた闘いの復権が長期的に必要になるだろうが、その過程で、チベットをはじめとする民族自決権の問題や民主主義、エコロジー、フェミニズムの問題は何度でも、われわれ左翼を試すだろう。
われわれは何度でも何度でもレーニンが掲げた民族自決権に立ち返るだろう。
中国政府は民族抑圧政策をやめろ!
チベットに民族自決権を!
すべての先住民族に権利を!
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