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6月28日、中国西南部の貴州省黔南プイ族ミャオ族自治州の甕安県で、地元の警察、政府、共産党委員会に対する大規模な抗議行動が行われた。



発端は、中学3年生の李樹芬さんが、21日に家を出たきり戻らず、近所の西門河で遺体で発見された。家族は暴行されて殺されたとして警察に訴え、容疑者が捕まったが、警察は「少女は自殺」として、この容疑者を釈放したことである。納得のいかない遺族は、警察署へ検死を行うよう要求しに行ったが、逆に暴力を振るわれ追い払われた。少女の叔父で中学の教師をつとめる李秀忠さんも、姪の死を知った直後に教育局へ事情を聞きに行った帰りに、正体不明の6人の暴漢に襲われ重傷を負っている。

不憫に思った住民支援者が、遺族が北京へ行き中央政府に直訴するための費用などをカンパで集めようとしたが、警察に妨害され、暴力を振るわれ、集まった人々は催涙弾で蹴散らされた。このとき複数の中学生も暴行に遭い入院した。

この対応に怒った住民数万人が警察署や県政府、共産党委員会の建物を包囲した。釈放された容疑者が副県長の親族であるといううわさが流れたことで、金と権力で腐敗しきった政府、そしてその体制を守り自らも利権の闇で腐り続けている暴力装置である警察当局に対する地元民衆の怒りが爆発した。警察と政府のビルになだれ込んだ民衆の一部が火を放ち、「人民公安」と「人民政府」は人民の怒りの炎に包まれた。多数のパトカーも焼き討ちにあった。この攻防で負傷者150人のうち、警察側の負傷者は100人に上るという。抗議行動は7時間も続けられた。わずか6万5千人の人口の貧しい小都市から上がった「火の手」に共産党政権は動揺を隠せない。

国営の新華社通信は29日、以下のような報道を配信した。

「28日午後、甕安県公安局による女子中学生の死因鑑定の結果に不満を持った一部の人間が、県政府と県公安局前に集まった。県政府の責任者が対応しているなかで、一部の人間が真相を知らない群衆を扇動して公安局、県政府、県共産党委員会の建物に襲撃を行った。そして、少数の不法分子が、事務所を破壊し、部屋や車輌に火を放った。事件の発生後、貴州省共産党委員会、貴州省政府の主要な指導者は、すぐに最善の措置を取るように指示を出した。貴州省共産党委員会常務委員、政法委員会書記、公安庁長の崔亜東は現場に急行し、現地の共産党委員会、政府を指導して事件収束をはかった。29日午前2時までに、観衆は徐々に解散し、事態は拡大せず、甕安県の秩序は基本的に正常に回復した」

「秩序」は周辺地域から集められた2000名以上の武装警察の棍棒と催涙弾によって「正常に回復した」。300人が逮捕され、警察の暴力で負傷し入院した住民も100名に上った。

一方、少女の遺体は遺族らによって冷凍処理され、警察当局による証拠隠滅から守るため遺族ら支援者の防衛体制のもと、発見された川辺に抗議の意味を込めて安置されている。遺族は、再度の検死を行うよう求めてきた。7月1日、貴州省人民政府新聞(報道)弁公室と警察当局などが合同で開いた記者会見で、検死官は「再度の検死の結果、少女が性的暴行を受けた痕跡は見られなかった」と発表した。容疑者のなかに、地元の権力者である同県県委員会書記の姪と警察派出所長の親戚がいたという報道に対しては「事実ではない」と述べ、「事件のもみ消し」を強く否定した。また遺族とは和解することで協議が進んでいることも明らかにした。

警察当局の調べでは、6月21日夜八時ごろ、3人の友人と西門河で話し込んでいた李樹芬が、突然、自殺したいと言い出したが友人たちに止められた。その後、橋の上で「腕立て伏せ」をしていたときに突然河に飛び込んだ。友人たちはすぐに110番して助けを求めた、というものだ。だが自殺の原因についてはまったく述べられていない。そしてこのような当局の言い分を信じるものは誰もいない。

ウェブサイトでは、当局に有利な報道(いかに襲撃事件がひどいものかなど)しか流れていない。事件の真相に迫ろうとするものや当局の対応を批判する書き込みなどはすべて削除されている。

7月2日、被害者の母親は警察で遺体受け取りの手続きを終え、埋葬の準備を進めているという報道があった。

弾圧はつづいている。甕安県に駐屯した武装警察などによって、襲撃事件に関与した住民の洗い出しのためのローラー作戦が展開されている。他の地域から同県へつながる高速道路のインターチェンジでは、厳しい検問体制が敷かれている。テレビでは繰り返し、襲撃事件に関与した人間を警察に通報するように呼びかける放送が流されている。

甕安事件で示された権力者とその暴力装置に対する民衆の抵抗は、氷山の一角である。全国各地で、一党独裁の末期的状況がもたらす腐敗と暴力に抵抗する闘いがおこなわれている。開発にともなう土地の取り上げであったり、地元権力者の犯罪告発であったり、冤罪の告発であったり、環境汚染企業の進出に対する抵抗であったり、リストラに対する闘いであったり、民族抑圧に対する抵抗であったり、課題は多様である。

2005年の時点で中国当局が把握している集団的陳情行動は1270万件に上る。この10年で3倍に増加したという。その多くは、地元では権力者の妨害によって解決できない上記のようなさまざまな事件を、より上級の行政機関や党機関に訴えることで、解決の道筋をはかろうという、民衆の抵抗形態のひとつである。

だが中国の「陳情」制度は、封建時代からつづく「皇帝」や中央政府による「慈悲」にすがるに過ぎないものだ。新中国ではそれを制度化したことで、地方の民衆のさまざまな不満がこの「陳情」を通じて提起されてきた。しかしこの「陳情」はあくまでお上の胸先三寸で事が決まってしまうし、物事の解決を「偉大な中央指導者」に委ねる意識を再生産するものである。一党独裁体制はその頭からつめ先に至るまで、民主主義の否定に染まり、近年では新自由主義グローバリゼーションによる貧富の格差と資本のあくなき搾取のエンジンと化している。そのような体制のトップに民衆の苦悩を解決することはできない。

北京オリンピックを控え、中央政府は、北京への陳情をゼロにするように全国へ指令をだしたといわれている。それは、地方からの陳情者に対して、地方政府や地方の警察が、陳情者の北京行きを暴力を使ってでも阻止し、阻止できない場合には、北京の陳情先や滞在先にまで政府関係者や警察を派遣して、無理やりつれて帰るという、これまで繰り返されてきたやり方をさらに暴力的に行うことを、中央政府自身が認めたということでもある。

だが一方で新しい動きもでている。地方政府や権力者の横暴の被害者に対して、さまざまな法的根拠やインターネットなどを用いて支援する活動家が登場している。当然、弾圧も厳しい。この間も、多くの人権活動家と呼ばれる人が、警察の妨害にあったり連行されたりしている。民主主義を求める人々の意識は、消え去るどころかますます激しさを増しているといえるだろう。希望は続いている。

北京オリンピックのスローガンは、「ひとつの同じ世界、ひとつの同じ夢」である。だが金と権力と棍棒にまみれた一党独裁政権の夢は長くは続かないだろう。(H)

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