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1989年「北京の春」とそれに対する弾圧(天安門事件)から20年目を迎えた。4月15日には「北京の春」のきっかけとなった胡耀邦元総書記の命日に当たる。胡氏の再評価など、民主化をめぐる動きは絶えることなく続いているが、中国政府は警戒と弾圧を強化している。
2008年12月10日にインターネットなどを通じて発表された「08憲章」もその一つである。中国国内の学者や弁護士、新聞記者ら303人の大半が「08憲章」に実名で署名し、その後、賛同者は国内外で数千人に達した。中国政府は、主要な提唱者の一人と見られる作家、劉暁波氏に対する拘束をはじめ、全国で署名の賛同者などへの締め付けを強化している。
社会主義は、人類の政治、経済、文化、環境に対する英知の上に築き上げられるものであり、そこには当然、言論の自由や結社の自由、民主主義、民族抑圧の廃絶、フェミニズム、エコロジーなどとともに、資本主義搾取や生産力の私的所有の廃絶のうえに築き上げられる連帯にもとづいた経済システムが含まれている。
中国における民主化闘争において、これらの観点から今後とも注目と連帯を継続しよう。
以下は、香港で活動する社会主義グループ、先駆社に掲載された08憲章に関する論評である。
08憲章にある民主主義一般の要求を擁護し、弾圧を強化する中国政府と弾圧を容認する国内左派を厳しく批判する一方、08憲章に含まれる資本主義への幻想に対してきっぱりと指摘している。中国における民主化運動および新たな社会主義運動は、理論の面だけでなく、戦略、戦術の面で今後とも論争と模索が続くだろう。
やや時期を逸した感があるが、今後の国際連帯を考える一助として翻訳・掲載する。(H)
◆08憲章の日本語の全文は中国の民主主義や民族問題などに関する貴重な論考の原文や訳文を掲載しているBlog「思いつくまま」を参照してください。
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/597ba5ce0aa3d216cfc15f464f68cfd2
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08憲章を評す
章泉
2009年1月30日
原文:先駆社ウェブサイト
http://www.xinmiao.com.hk/sim/chinafuture3/chifu3139.htm
全世界がオバマがブッシュに替わって大統領になったことに歓声を上げている。それはオバマがすばらしいからでは泣く、ブッシュがあまりにもひどすぎたからである。
任期期間中に貧富の格差を拡大し金融危機を引き起こした責任を問うまでもなく、虚偽情報を口実にイラクへ侵攻したという罪状だけでも、国債戦犯法廷に告発するに足るだろう。
アメリカの民主主義制度は、この「死の商人」を選出しただけに止まらず、戦争というビジネスを制止することさえできなかった。さらに彼の再選によって、複数政党による競争、独立したメディア、議会によるチェックも全く機能しなかった。
アメリカの民主主義制度はいわゆる「成熟した」民主主義制度であり、それは韓国や台湾など、学習途上にあるわけではないし、国際的な自由主義世界のリーダーであり、自由と平等を求める多くの中国人が理想とする国家である。
中国は、この三十年の改革開放政策において西側資本主義諸国、とりわけアメリカから多くのものを学んできた。そのうちの幾つかについては立派に学習してきた。
われわれは、中国がいずれの日にか、民主主義制度を実施しなければならない日が来ることを疑ってはいない。民主主義の名の下に民主主義なき現実という面については、すぐにでも遜色ないほどに習得することができるかもしれない。
昨年末、自由主義派の作家、劉暁波を中心とする知識分子が「08憲章」という宣言を起草し、後進的な中国の人権状況に不満を表明し、具体的な要求を提起した。
なかにはチェコの「77憲章」を比較する者もいた。「77憲章」の署名者の一人でのちに大統領に選出されたハベルは「08憲章」は「77憲章」と比較しても進化しており、その要求するところは広範囲にわたっていると語った。(ウォールストリートジャーナル2009年1月19日)
範囲だけでいえば、ハベルは間違ってはいない。「08憲章」の具体的な要求は19条にのぼっている。
第1条から13条までは、司法の独立、言論結社の自由、民主選挙などの類の伝統的要求であり、16条と17条は社会保障と環境保護について述べている。
これらの要求については何ら異論はない。
しかし「08憲章」はそれだけに止まらない。それは資本主義のさらなる発展を吹聴している。
第14条の全文は次のように述べている。
14 財産の保護:私有財産権を確立、保護し、自由で開放的な市場経済制度を実施し、就業の自由を保障し、行政独占を排除する。最高民意機関を設置し国有資産管理委員会に責任を持ち、合法的かつ秩序的に所有制改革を展開し、所有権の帰属と責任者を明確にする。土地改革を展開し、土地の私有化を推進し、公民とりわけ農民の土地所有権を適切に保障する。
中国の膨大な農村人口によって、農民一人が分配される土地は極めて限られている。多くの農民にとって、土地は生産資料から徐々に社会保障的機能に移っている。全面的な社会保障がない中で、土地を失うことは深刻な事態であり、容易に社会不安をつくりだすことにもなる。
グローバル金融危機のいま、人びとは春節(旧正月)明けの農民工の雇用状況を憂慮している。
幸いにも、農民工は故郷にわずかながらの土地をもっており、それが最低限のセーフティーネットとしての役割を果たしている。
一片の土地がもたらす障害の利益をどのように計算し、地価がいくらであれば合理的なのだろうか。
粉ミルクのような単純な商品でさえもみんなが騙される状況において、土地については言うまでもないだろう。
たとえ農民が騙されなかったとしても、受け取った金を使ってしまい、老後に頼る保障がなくなってはしまわないだろうか。
これらの問題は極めて現実的であり、緻密に考慮しなければならず、土地の私有化を軽々しく語るべきではないだろう。
もし「08憲章」の起草者が本当に農民の福祉に関心があるのであれば、なぜ農民自らの意見を聞こうとしないのか。
なぜ、農村における自治の実施や土地使用における集団的決定を主張しないのか。
そもそも憲章の起草者が代行的に主張する必要などないだろう。
憲章の第15条もはたと立ち止まって考えざるを得ない。全文は次のように述べている。
15 財政改革:民主的財政を確立し、納税者の権利を保障する。権限と責任を明確にした公共財政制度の枠組みと運営メカニズムを構築し、各級政府の合理的で効率的な財政分権体制を打ち立てる。税制の大改革を実施し、税率を引き下げ、税制を簡素化し、税負担の公平性を実現する。社会的公共選択の過程や民意機関の決議を経ずに、行政部門は増税や新税の導入を行ってはならない。所有制改革を通じて、多元的な市場アクターと競争メカニズムを導入し、金融規制を緩和し、民間金融の発展の条件を整え、金融システムの活力を存分に発揮させる。
納税者の権利を保護することは自明の理である。
だが、納税者は一人一人異なる。このような提起の仕方では、農政学の多いものほど権利も大きく、発言権も大きいということにはならないだろうか。
納税すらできない貧困層が納税者と自称できるだろうか。
納税者の権利と、これら納税すらできない者の権利が衝突するとき、憲章の起草者は、どちらの側に立つのだろうか。
「民意機関の決議」において、諸君らはどのような投票を行うのであろうか。
一体いつから、中華人民共和国は、公民全体の権利ではなく、納税能力のある者の権利のみを保護することになったのだろうか。
「税制の大改革を実施し、税率を引き下げ、税制を簡素化し、税負担の公平性を実現する。」中国共産党官僚の支配下において、過酷な諸税や汚職と浪費は普遍的に見られる状況であり、それらに反対することは当然であるが、だからといって「税率が高すぎる」という結論を導き出すことはできない。
「08憲章」は、納税者の懐を保護し、私的資本家の経営環境の改善を支援してはいるが(「所有制改革を通じて、多元的な市場アクターと競争メカニズムを導入」)、いかに十分な財政資源を確保して社会保障を改善するかについては全く述べられていない。
憲章の起草者が誰の利益を擁護しようとしているのかがはっきりと分かる。
◆中国の危機
中国経済は改革から30年が経過し、その経済成長は目を見張るほどである。しかし改革の成果は、すべての人に平等に及んでいるわけではないし、ある部分においては深刻な後退すら見受けることができる(医療、社会保障、商品の安全性など)。広大な農村の人々にとっては、生活保障がなく、環境破壊の程度も将来の世代に顔向けできないほどのレベルにまで達している。
中国が直面する問題は、自由と民主的法制という政治課題、および所有制度の明確化と自由競争という経済課題によって解決することはできないのである。
たとえ、これらの課題がすべて達成されたとしても、せいぜい中国共産党官僚による抑圧がなくなるだけであり、資本主義制度における貧富の格差の拡大と労働者の賃奴隷の地位を解決することはできない。
世界全体をカバーする制度として、無制限の成長と過度な消費を煽ることを特徴とする資本主義はすでにその極限にまで達している。それがもたらした自然資源の収奪と大自然の破壊は、この惑星が許容できる範囲を超えている。
一人当たりの生産力から見ると、中国は依然として後進国である。しかし巨大な人口と急速な経済成長、そして規模の巨大さ(二酸化炭素排出量はアメリカを越えている)ゆえに、その経済成長は全世界に危険を及ぼすレベルにまで達している。
過度に外国貿易に依存してきた発展モデルの危険性も広く知れ渡っている。これらはすべて中国が方向性を変更して、あらためて社会主義の道へ踏み出す潮時に来ていることを示している。
中国がふたたび社会主義への道を歩むにあたり、四つの有利な条件がある。
まず第一に、中国の国力が、アヘン戦争以来の力をつけていること。
第二に、国際環境は比較的有利であること。超大国アメリカの道徳的信頼は破綻し、自分のことで精一杯である。
第三に、中国共産党は一貫して社会主義を実施していると公言しており、各産業の筆頭企業の株式は依然として国家がその大半を保有している。中国共産党の支配を打倒した後に、大規模な国有化の必要はなく、それゆえ抵抗も比較的少ないだろう。中国共産党が社会主義を実施していると公言していることから、真の社会主義の復活という要求についても大きな困難をともなうことはないだろう。
第四に、20世紀の社会主義革命とその建設の経験を通じて、社会主義者は貴重な経験をつんできた。民主主義の重要性と事実に基づいた態度で市場を評価することである。
このような認識は、今後の政策にとって効果的であるだけでなく、国内外の支持を最大限得ることができる。
「08憲章」の起草者は、国内情勢および国際情勢を無視しているが、一体いつの時代のことをいっているのか、という感覚に陥る。
◆新しい社会主義運動へ
「08憲章」は2008年12月10日に公表された。その後、劉暁波は公安部に逮捕され、妻や子どもとも面会できない状態が続いている。そしてこの憲章に署名した全国各地の人士が取調べやさまざまな妨害を受けている。
劉暁波をはじめとする人々に対する迫害に対して、われわれはこの事件を知る多くの人びと同様に、この上ない怒りに燃えている。
かれらが行使した表現の自由は、基本的人権の一つに過ぎず、中国の憲法においても保障されたものである。われわれ社会主義者は、政治的見解が異なるからといって、彼らに対する迫害を見てみぬふりをしたり、これ幸いとばかりに喜んだりしてはならない。
「08憲章」は中国に一つの処方箋を与える。その一部は有害であるが、他の一部は有益である。それは具体的な病状に対して出される正しい処方箋に記載されているものである。
使い古された言い方をすれば、中国が今日直面する課題は、民主主義的任務と社会主義的任務のふたつに分けることができる。
前者には、現在の発達した資本主義諸国において許容されているさまざまな人権および民主的権利が含まれる(だが富の蓄積と経営権の無制限の権利は含まれない)。「08憲章」では第1条から第13条までの主張がそれに対応している。
後者の要領は、人民の利益を資本と官僚の利益よりも上位に位置づけ、人民のさまざまな諸利益を全面的かつ迅速に発展させる。民衆の生存に関わる重要な企業を国有化し、私的資本をその補助的な役割にのみ限定させるということを含んでいる。
この二つの要件は矛盾しないだけでなく、どちらも欠くことのできないものであると、われわれは考える。
民主的自由のみを主張し、民衆の前途を重視しないのであれば、広範な民衆の支持を得ることはできず、「書生、政治を論ずる」という状態に陥ることを避けがたく、ひいては無自覚のうちに外国勢力が中国に介入するために利用されることにもなりかねない。
逆に言えば、社会主義における経済的な平等のみを主張し、民主主義を重視せず、ひいては自由主義派を深刻な災厄と見なすのであれば、客観的に見て、中国共産党官僚が官僚資本主義を維持するための共犯者となるだろう。
このたびのグローバル危機の爆発を受けて、中国が世界経済を救済する役割を果たすことを期待する人は少なくない。
これに関して、中国としては為すべき事は積極的に取り組まなければならないだろう。だが為すべき事とは、多額の米国債を購入することではなく、「資本主義の補講」(※訳注)を終わらせ、ふたたび社会主義へ向かう道へと歩み出すことなのである。
中国共産党が自らこのような道を歩み始めると期待することはできない。だが、中国において民主主義と社会主義を同時に追求する社会運動の登場の可能性がないわけではない。
このような運動が登場するだけでも、海外の意識的な民衆にとっても大いなる激励となるだろう。
(以上)
(※訳注)資本主義の補講:中国が社会主義建設を実現した1950年代中期から社会主義現代化が基本的に実現するまでは、少なくとも100年の時間を必要とし、この間は資本主義がやり残した課題を「補講し補習する」時期である、とする理論。1987年に開かれた第13回党大会において趙紫陽が提起した。