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9月6日、文京区民センターで、〈まつろわない者たちの祭〉ハンテン展-私たちの20年とはどんなものであったのか〈展示〉と〈表現〉が天皇即位20年奉祝に異議あり!え~かげんにせーよ共同行動の主催で開催され、130人が参加した。
▲展示された反天皇制運動の歴史的なグッズや資料の数々
右翼が同じ階の会場を借りていることがわかり、中に入っての妨害も考えられるので、共同行動は午前11時半の開始であったが午前8時に集まり、妨害を許さない体制をつくった。そして、街宣右翼の会場前での外宣車を使ってのがなりたてる妨害、会場に入って妨害しようとする行動を毅然と跳ね返してハンテン展を成功させた。
多彩な展示
次のような展示が会場いっぱいに行われた。
●アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」--戦時性暴力の被害と加害を記録し続け、今の日本を変えていこう
●大浦作品を鑑賞する市民の会--昭和天皇の写真をコラージュした「遠近を抱えて」が富山県立近代美術館で非公開となる(1984)など、この作品を通じて「天皇制のタブー」について考える
●貝原浩鉛筆画展--天皇制を笑いとばす毒に満ちた表現
●狐の紙芝居-日系ブラジル人たちが日本の敗戦をめぐり熾烈に争った歴史を紹介しながら天皇制を考える●再録:「昭和天皇記念館・文京区民別館」
●たなかさとし:彫塑
●ビデオ塾:アジアの「慰安婦」証言記録と女性国際戦犯法廷」
●Xデーから20年、「国旗国歌法」から10年--まつろわぬものたち・神奈川
●フリーター全般労働組合
●「北方領土の日」反対!「アイヌ新法」実現!全国実行委員・関東グループ-展示:天皇制単一民族国家観を撃つ
●琉球センターどぅたっち。
午後から、トーク:まつろわぬ者の二十年、あるいはまつろわぬ宣言が行われた。
池田恵理子さん(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」)が次のように発言した。
「私たちにとっては慰安婦問題の二十年だった。戦争犯罪と理解したのは20年前。1990年、国会での質問に対して、政府は民間がやったものと答えた。それを知ったキム・ハクスンさんが韓国で『軍隊慰安婦』にされていたと名乗り出たのが最初だった。それから、中国、台湾、インドネシア、東チモール、オランダ人たちが名乗り出た。裁判は十に上ったが判決の出た九つでは敗訴した。そして2000年には女性戦犯法廷を開き、昭和天皇と軍上層部十人に対して有罪判決を下すことができた。また、これを報じたNHK教育テレビ番組の改ざんが行われ、裁判に訴えたが最高裁で逆転敗訴した。現在でも起こっている紛争で性暴力被害は起きている。責任者をはっきりさせ、謝罪させることが重要だ」とし、「『証言と沈黙』と題して加害者の証言を一年かけてやっているので、ぜひ資料館に来て欲しい」と池田さんは訴えた。
次の発言者から「シングルマザーはなぜ貧しいのか。性別役割分担によって、パートなど女性の賃金は低く抑えられている。男性優位社会のあり方は天皇制にまで貫かれている」、「子ども手当を捻出するために配偶者控除の廃止が民主党案として出されているが、こうしたことの実現や夫婦別姓選択制法案が出されていったら、男性優位社会を変えていくことができるのではないか」と提起した。
井上森さん(立川自衛隊監視テント村)が次のように自らの経験を提起した。
一橋大学生の時、天皇在位十年にあたった。それまで一橋大学と京大では学生たちが「日の丸」を掲揚したら、引きずり降ろしていた。在位十年の時は、文部省が建物を増設する予算を止めると強力な指導を大学にしたので、なんとしても大学は掲揚しようとした。それでも四学部の教授会と学生自治会が「学問の自由を守る」ということで反対の立場をとった。11月12日、掲揚されたが学生が引きずり降ろした。大学当局は半年かけ
て、教員と学生たちを切り崩し、掲揚台は別に立てて手を出せないようにした。自分たちはいつの間にか少数派になり、まつろわぬ者になっていた。「生活実感にあったまつろわぬ者」になろうと提案した。
K介さん(パペティスタ)が「悠仁の誕生に号外が出た。私は号外を勝手に作って反対した。8・15反靖国行動で皮肉にもヒロヒトのパペットを天皇主義右翼が壊した。やつらが即位を祝うのなら、こちらは反対する祭を盛り上げよう」と提起した。
小山和久さん(東京にオリンピックはいらないネット)が「二〇一六年のオリンピックを東京に招致しようと石原都知事がやっきになってきたが、全然盛り上がっていない。石原は国威発揚・民族の祭典とまでナショナリズムを盛り上げ、臨海開発のためと目的をあからさまにしている」と批判した。「長野オリンピックの名誉総裁となり開会式のあいさつをした天皇が東京招致が決まればふたたび登場してくる」として天皇制との結びつきも批判した。そして、2010年、カナダのバンクーバー冬のオリンピック開催に反対して人たち、2016年、シカゴに招致しようとするのに反対している人々と国際連帯で「世界どこでもオリンピックはいらない」と声をあげていきたいと訴えた。
次にビデオ&トークが行われた。沖縄での検問に抗議する展覧会に出品したビデオ作品「Departure and arrival 1994/2009」と反天皇制全国個人共闘〈秋の嵐〉が原宿ホコ天で行ったさまざまな形での反天皇制行動のビデオ映像を元メンバーの鹿島拾市さんが解説した。実にエネルギーに満ち、若者たちの心をつかみ、執拗な警察の妨害を跳ね返していった。
まつろわぬ宣言2
トーク:まつろわぬ者の二十年、あるいはまつろわぬ宣言の続き。
島袋陽子さん(在日琉球人/琉球センターどぅたっち&命どぅ宝ネットワーク)が「どぅたっちというのは、独立やひとり立ちという沖縄の言葉だ。軍事基地に頼らない沖縄・主権を取り戻す。アジアの人を殺さない、軍隊のない社会を作りたい」と提起した後、「薩摩侵略から400年、琉球処分から130年、非国民・国賊の道をこそ歩きたい」と思いを語った。なお、島袋さんはおいしい混ぜご飯のおにぎりを会場で作り、提供してくれた。
戦闘的ゴジラ主義者さん(靖国解体企画と戦時下の現在を考える講座・仮)がゴジラ映画の解説をした後、「ゴジラのぬいぐるみを着て靖国へ抗議に行ったのは、ゴジラが戦死者の怒り、無念を代行している、という意識があったからだ。しかし、現在はそうした意識はなく、ヒロヒトの戦争責任と生まれた時から支配者である王政の廃止を求めていく」と提起した。
田中宏さん(自由人権協会代表理事)は「強制連行、戦後補償の20年。1989年、中国人強制連行花岡事件の被害者たちが公開質問状を出し、90年、引き上げ船が爆破され大きな犠牲が出た浮島丸事件が韓国で問題にされる。91年、忘れられた皇軍の朝鮮人軍人・軍属が補償を求めて裁判を起こした」と経過を報告した。そして、1972年の日中共同声明以来の過去の戦争の歴史をどう認識していくかについて有名な戦争責任の発言を紹介し、いかに日本の政府・政治家がこうした問題で何ら反省することなく、戦争肯定をしていたかと批判した。そして、歴代天皇が日清・日露・第一次世界大戦での宣戦布告の中で、「国際法を遵守して」としたのに対し、昭和天皇の米英蘭「開戦詔書」ではそれを意図的にはずし、さらに中国との戦争では宣戦布告もしていないと、天皇の戦争責任を明らかにした。
田野新一さん(フリーター全般労組共同代表)は、自分はとてもかわいがられて育ったので、極度に自己中心的であったと紹介し、「ヒロヒトの下血によって、秋祭りが自粛されてしまったのを見て、自分が中心に世の中動いていると思っていたので邪魔をしたヒロヒトは早く死んで欲しいと思った」という。そんな田野さんは戦前の労働運動、小作人運動が戦争体制に組み込まれて敗北していった歴史を紹介し、自治的でまつろわないものとしての組合運動を、メーデーの復権をかけて抵抗していくと明らかにした。
渡辺厚子さん(「日の丸・君が代」にまつろわないために処分を受け続けている一教員)が自分の受けて処分の経過や10・23通達を出させてしまった運動の限界を指摘し、外との回路をきちっともつこと以外に勝つ方法がないと指摘した。そして、「一皮むけば暴力社会のこの社会を変えるために団結しなければならないこと、まつろわぬ人々が解放される社会を実現しよう」と訴えた。
この後、五十嵐正史とソウルブラザーズの音楽と森美音子さん(テント劇集団「野戦之月海筆子」)のパフォーマンスが行われた。午後七時までの長い企画は熱心に取り組まれ成功した。引き続き10月12日(月・休)、東京・文京区民センターで「え~かげんにせーよ!天皇在位20年フォーラムが開催される。参加を。