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4.21「裁判員制度実施をみんなで阻止しよう! 日比谷全国集会と銀座デモ」へ

 3月21日、救援連絡センターは、豊島区勤労福祉会館で「設立40周年 記念イベント&総会」を行い、約100人が参加した。

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 センターは、1969年3月29日、ベトナム戦争や安保反対闘争、全共闘運動の高揚に恐怖した国家権力の暴力的な不当弾圧に抗して各地各団体・グループの救援組織の相互連絡として発足した。センターは、「一、国家権力による、ただ一人の人民に対する基本的人権の侵害をも、全人民への弾圧であると見なす。一、国家権力による弾圧に対しては、犠牲者の思想的信条、政治的見解のいかんを問わず、これを救援する」の二大原則に立って救援運動の先頭で闘ってきた。発足から40年を一つの節目にして、新たな救援の取り組みにむけて総会が行われ、活動報告・運動方針が提案され、参加者全体で採択した。

 とりわけ5月21日、裁判員制度の実施強行を前に、「改憲攻撃の一環として、簡易、迅速、重罰という軍事裁判を先取りした戦時司法の現代版ともいうべき裁判員制度」であることを確認し、制度の欠陥、問題点を浮き彫りにした。そして、4月21日に開催される「裁判員制度実施をみんなで阻止しよう! 日比谷全国集会と銀座デモ」への取り組みを強めていくことを確認した。

 記念イベントでは、水族館劇場の芝居、さらに「裁判員制度はいらない!大運動」事務局の川村理弁護士から(1)刑事弁護と救援運動の立場から見た裁判員制度の問題点(2)裁判員制度のねらい(3)大運動の闘いをテーマに講演が行われた。4・21日比谷集会への参加、5・21制度実施強行に反対していくために川村講演要旨を以下掲載する。

講演 つぶせ!裁判員制度 
「裁判員制度はいらない!大運動」事務局 川村 理

 (1)刑事弁護と救援運動の立場から見た裁判員制度の問題点

 裁判員制度は、今日からちょうど二カ月後の5月21日に実施を強行されようとしている。しかし、国民の大半は、この制度に消極的であります。いろんな世論調査では、概ね八割が消極的です。

今日は、救援センターの集まりなので、被告人、弁護人の防御権との関係で、この制度はどうなのかについて主に論じていきたい。

■闘う弁護士の排除

 第一は、裁判員裁判の実施によって、これまでの被告人の立場にたって闘う弁護士のあり方が否定されるのではないかと指摘しておきたい。裁判員法の五一条の条文では、裁判員裁判における望ましい弁護士像について次のように規定しています。「弁護人は、裁判員の負担が加重なものにならないようにしつつ、裁判員がその職責を十分果たすことができるよう審理を迅速でわかりやすいものにすることに努めなければならない」。

 つまり、裁判員法において弁護人の役割として、被告人の利益の擁護に加えて、裁判員に対するサービス活動を義務づけているわけです。弁護士は、これまでのように被告人の利益だけに熱中していてはならない。弁護士は、裁判員がわかりやすく審理に努めるサービスを同時にしなければならないということになっています。


 裁判員裁判は、元々、被告人のための制度ではなく、規制緩和政策、新自由主義の流れの中で、市民に統治主体意識を持たせることを目的としています。この五一条は、弁護士に裁判員への奉仕義務を通じて同様の統治主体意識を持たせようとしているのです。この帰結は当然、闘う弁護士の排除です。被告人のための弁護活動は、時にはわかりにくい主張、立証をすることもあるわけですけれども、裁判員法によっては、このような活動は今後は許されないということになるのです。これ自体を見るだけで裁判員制度が、闘う刑事弁護の敵対物であるというのが、よくわかるのではないかと考えます。

 裁判員裁判は三日連日開廷すると言われています。しかし、一人、二~三人でやっているような弁護士事務所にとって公判手続きへの関与を著しく困難にすることは間違いない。以前、よくやっていたように複雑な刑事事件を一人で三つも、四つも抱えるということは、この規定を前提とすると、とてもできないことになります。

 裁判員裁判は、三日で終わるからいいんじゃないですかと言う人もいるかもしれませんが、三日で終わるような裁判が、被告人の防御権を守るような裁判とは言えません。仮に三日しかかからないとしても、事前準備は膨大なものとなります。江東区バラバラ殺人事件は、事実関係では全然争いがなかったと思いますが、それでも七日間かかっています。

 裁判員裁判の連日開廷を担うために法務大臣管轄下の司法支援センターがあります。しかし、司法支援センターの弁護士は、法務大臣の監督下にあっても、潔しとする人たちですから闘う刑事弁護を期待することはできません。

 裁判員裁判は、これまでのように証拠の細かい分析が論理に基づいた主張ではなくて、身振り手振り、アイコンタクト、あるいはパワーポイントを使ったビジュアルな立証が進むと言われています。今後の裁判が論理や分析、説得ではなくして、直感的な印象に訴える劇場裁判のようになってしまうことが明らかです。

 江東区の事件では、遺体損壊のシーンをマネキンでビジュアルで再現し、法廷にいた遺族の方や被告人が騒然となるという場面もあったようです。新聞やテレビで報じないようなグロテスクな場面もかなりあったと聞いています。

 さらにあの事件においては、検察官が感極まって論告の最中に泣き出したというようなことも報じられています。一昔前であれば、治安を司る検察官が法廷で泣くなどということは、普通、考えられないことだったわけですけれども、現在は検察庁は、そういうやり方を意識的に進めようとしている。

 聞いた話によると、最近の東京地検は、いろんな模型とか、紙芝居のためのボードなとが転がっていて演劇部の楽屋裏みたいな状態だと言う人もいました。そのうちに検察官にスタイリストみたいな人がついて、俳優養成所みたいになってしまうのではないかということも言う人もいます。

しかしながら刑事裁判は、人の生き死にを左右する場所です。全く冗談じゃないと思っています。

■黙秘権の破壊

 次に裁判員裁判が黙秘権の破壊に通じることを指摘したいと思います。

 裁判員制度では、かならず公判前整理手続が実施し、裁判争点を明らかにする義務というのがあります。従来型の裁判ですと、裁判の冒頭に起訴状に対する意見を言う機会において詳細に認否をする義務は全くなかったわけです。公安事件などでは、起訴状に対しては一切無視して自分の政治的な立場を主張するとか、あるいは裁判所の期日指定など、乱暴な訴訟指揮を弾劾することはできていました。この場面は裁判の冒頭における、弁護側の立場から言えばヤマ場として位置づけていました。また、事実関係について黙秘するという一言で起訴状に対する認否をしてもよかったわけです。

 しかしながら今後、公判前整理手続きで争点を明らかにせよという義務が課せられるので、このような方法を貫徹することが難しくなる場合が生じるかもしれません。なぜならば公判前整理手続きにおいて争点明示していない事柄は、後の裁判で弁護側の立証を制限されてしまうのです。

最近、最高裁が出した「模擬裁判の成果と課題」というパンフがあるのだけれども、例えば、共謀の事実を争うとか、すべて否認するとかなどという認否は認めないんだということを言い出している。要するに、共謀を否認するにしても、具体的にどういう趣旨で否認されているんですかということを冒頭で明らかにしなければならない。明らかにしなかった場合、法廷における立証を制限するということなのです。事前に争点を明らかにしないで黙秘ということを貫いてしまうと、公判で証言も立証もさせてくれないという危険が発生するわけです。つまり、黙秘権の破壊だ。したがって裁判員制度と黙秘権は、敵対関係にあることは明らかです。

■裁判支援闘争の排除

 裁判員裁判は、裁判支援闘争の排除にもつながる制度です。連日開廷されますので弁護士が大変だというのと同じで、被告の支援者も連日の法廷傍聴闘争を行うことが果たしてできるのかという問題がおきます。明らかに支援運動の破壊です。裁判員裁判を廃止しないかぎり、従来のような傍聴闘争をすることは難しいということになるのではないかと思います。

さらに裁判員法は、証拠を目的外に用いることを制限していますので裁判批判をするためにパンフやビラを作って、そこに証拠の中身を貼り付けるということをすれば刑事罰が予想されるということになっています。このように裁判員制度は、裁判支援闘争を排除することにつながるとんでもない制度である。

■統一公判の否定

次に裁判員制度は、統一公判の否定につながることです。統一公判は、裁判闘争を取り組むうえで重要な闘いです。しかし池田修裁判官の解説裁判員法には、多数被告人を併合して争点が複雑になると裁判員の負担が大変だからそれはできないよ、ということを主張しています。被告人の都合よりも、徹底して裁判員の都合を優先させた悪しき制度であることがよくわかると思います。裁判員法に書いてあることは、とりあえず裁判員裁判に向けたられたものであろうかと思うが、後に裁判員裁判の対象とならないような軽い事件にも拡大していくだろうと思います。

■伝聞法則の破壊

 次に公判における伝聞法則の破壊についてが生じます。最近は裁判員制度の実施を前に伝聞法則を空洞化させるような判決例があります。日弁連の主流派は、裁判員裁判が実施されると、直接主義や口頭主義が実現されると、手放しで喜んでいるんですが、とんでもない話です。伝聞法則というのは、要するに反対尋問できない証拠は、基本的には犯罪事実の立証には使えませんよということです。

 最近の公安事件では、作成者不明のメモ書き、これを伝聞の例外として扱うんだという判決があった。この判決は、従来の実務のようにメモ書きを単なる証拠物として扱うと、その記載内容から犯罪事実の立証には使えない。しかし、それでは社会常識に反するんだということを非常に強調しているわけです。この社会常識というキーワード自体が裁判員裁判を明らかに意識したものです。

従来、伝聞法則の原則に引っかかった証拠外とされたような証拠が、これからは証拠にどんどんなっていくかもしれない。裁判員裁判が直接主義、口頭主義の実現で被告人の利益に繋がることは全くまやかしです。

■被害者参加とセットとなった重刑化

 被害者参加とセットとなった重刑化について。先日の東京地裁の裁判では、被害者の遺族が三人、代理人弁護士が三人、合計六人の被害者が公判に立ち会うという例があった。こういう裁判のあり方を、例えば、三菱重工爆破事件などに適応するとどうなるか。あの事件は、八人の死者を出した事件です。これに六人の被害者関係者が出てくると、それけだけで四十八人の被害者側が法廷に出てくることになるわけです。

 さらに三菱事件は、負傷者が百五十人ぐらいいますので、プラス二百人以上も被害者が公判に参加してきて、「死刑だ!死刑だ!」となったらどうなるでしょうか。二百人以上の死刑の声に影響を受けない裁判員はいるんでしょうか。私は絶対にいないと思います。

裁判員裁判が被害者参加とセットとなって厳罰化をさらに進める方向にあることは確実であります。裁判員制度の定着が死刑廃止をますます遅らせるものであることは明白であります。

■三審制の破壊

 三審制の実質的破壊(原審尊重義務)についての問題です。

 最近、最高裁の司法研修所は、裁判員裁判においては原則的に一審を重視するということを打ち出している。客観的証拠に反するなど明らかに不当なことを除いては、原審を尊重するんだと言い出している。

 しかしながら、さすがに客観証拠と矛盾するような判決は、そんなに多くはないわけです。しかもこのように言い始めると、供述の信用性だけを問題になるような事案では、客観証拠はそんなに矛盾しないから、それを争って控訴することもできない。被告人に認められた上訴して争う権利を破壊するものになりかねない。

 いくつか裁判員裁判の被告人の側から言いましたけれど、どうしょうもない制度だと言える。これに技術的に対応したり、制度の一部を直して実施するなどということでは到底カバーできません。裁判員裁判は、つぶす以外に解決しようがない制度だ。

 (2)裁判員制度の狙いはなにか

 日弁連は、裁判員制度を推進し、法務省や最高裁と一体化しているわけです。実に情けない。推進派弁護士の言い分を聞いてみますと、結局、裁判員制度で国民が司法に参加すると、司法に国民の常識が反映されて、従来の官僚司法が崩れるんだと、その結果、証拠開示や人質司法がよくなるだろうと言っております。

 しかしながらこの説明は、全くのウソであります。そもそも最高裁の当局者自身が裁判員裁判を、これまでの司法基盤に国民の信頼を補強するものとして見ていたわけです。このことは、解説裁判員法で池田修裁判官は、長期審理裁判が問題なんだと、それを克服するものとして裁判員制度の意義を見いだしているわけです。日弁連の方々が言うように陪審員制度への橋渡しの発想は一切ない。

 樋渡検事総長は、奈良の講演会で規制緩和による競争社会によって治安悪化を止めるために、国民一人一人に取り締まる側の気持をわかっていただく、法を守る意識を持っていただくということを言っているわけです。

 さらに裁判員制度の直接の生みの親と言われている松尾浩也東大名誉教授は、裁判員制度を国鉄改革、郵政民営化の延長、規制緩和の延長として位置づけているわけです。

 このようにいろいろな人の発言を見てみますと、日弁連がなんと言おうが裁判員制度の実体というのは、新自由主義路線の貫徹です。すなわちこの国の形を変える改憲攻撃の一環であることは明らかです。そもそも司法改革自体が政治改革や行政改革に続く、最後の要だと言われて始まったわけですから、裁判員制度反対に全力で闘っていきましょう。

(3)「裁判員制度はいらない!大運動」の闘い

 大運動は、二〇〇七年四月発足しました。六月には、最初の大集会を四谷で実施し「美しい国の裁判員時代」という裁判員劇を行い、制度の問題点を問いかけました。一定の報道がなされまして法務省や最高裁に非常に波紋を投げかけました。その後、各地で集会を積み重ねまして、毎月一回、有楽町のマリオン前でビラ撒き、街宣を行っています。

 〇八年六月には、日比谷公会堂で千五百人人の集会を行いました。十一月には、全国一斉行動、数十箇所で集会・デモを行った。十二月は、裁判員候補者に対する通知に抗議して実名記者会見を実施しました。通知を受けた方は、そのことを公にしてはならないという禁止規定を打ち破って行ったのです。これに対して森法務大臣が「弁護士の本分は法律を守ることではないか」という消耗したコメントを出しました。敵に痛打を与えたと言えます。

 この四月二十一日に日比谷野音で集会、銀座デモを行います。この集会にむけて街宣活動を強化している。裁判員制度反対運動は、とりわけ下からの大衆運動の盛り上がりによって帰趨を決するわけです。私たちの運動は、裁判員制度反対の一点において、いろんな立場の人が集まってやっています。当日の集会参加をお願いします。

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