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6.12「東峰の森」高裁棄却決定に対する東峰住民の抗議声明が届きましたので配信します。

(三里塚・暫定滑走路に反対する連絡会)







私たちは東峰の森に入会い続ける



東京高裁の抗告棄却決定への抗議声明




成田市東峰区(東峰の森保全仮処分訴訟原告団)

仮処分訴訟弁護団






私たちは怒っている。憤っている。

「切ったらもう取り返しがつかない。せめて高裁の決定を待つべきではないか」。私たちの再三の申し入れを蹴って、四月下旬から、空港会社は森の伐採を開始した。数千万数万の木々や竹がなぎ倒され、森の中心部分はぽっかりと空に穴をあけた。何ヘクタールもの大地が削られ裸のままうめいている。残余の森もすべてがフェンスと網で囲われ、私たちは立ち入りを拒まれている。

この腹立たしい現実、国と空港会社の蛮行に対して、東京高裁は、敢然と司法としての役割を果たすのではなく、空港会社のだまし・詭弁を積極的に擁護、追認し、六月十二日になって私たちの即時抗告を棄却した。

 一審千葉地裁の決定は、重大な事実認定の誤りの上に成立っていた。それは、 「本件森林の存在する本件土地が空港建設の当初の計画段階から空港施設の建設予定地に含まれていた」と認定し、だから、「東峰区と相談することなしに、森について一方的に計画を策定し進めていくことはしない」などという部落との重大な約束を空港会社(旧空港公団)が本気で結ぶはずがないというものであった。東京高裁は、私たちの抗告理由を認め、その認定部分二行を削除した。が、おかしなことに、その誤った事実認定の上にできた、「森林保全の契約が成立したとは認めがたい」という判断と理由については全文を維持したのだった。 



そして事実認定の破綻をとり繕うために、部落との約束や謝罪の内容を破ったとしても、それは「新たな事情変更によるもので、これをもって相手型の違約ということはできない」と強調した。それも「(空港側に)何らかの変更が生じた場合には当然見直される余地があることは、事柄の性質上、当事者間において暗黙の内に予定されていたというべきである」など、斟酌できるはずもない私たちの暗黙の内面をでっちあげてまで誤った決定を支持したのである。



約束や契約は両者が了解しあって成立するもので、『一方に不都合が生じれば独断でそれを破ってよい』ということは、世間では通らない。これが通るなら、いかなる約束や契約も後では強者の都合のいいようにされる仮のものにすぎなくなる。司法がそのような言い分を認め擁護するとすれば、法の下の平等や正義は、いったい誰が保障するというのか。

二千五百メートル滑走路の成否とは別に、空港周辺緑化計画の一部として東峰の森が残されるということがあって初めて、部落と空港公団との共同管理が成立ったのだった。そうでなければ、誰が十年もかけ私財や労働力を投入して荒れ藪を少しずつ刈り、人が通れるようにし堆肥用落ち葉がたまる場所にしたりするものか。 



そもそも、滑走路の北伸、元来の空港計画地外の滑走路や誘導路の策定は、まったく一方的な国や空港会社の都合によるもので、最低限必要とされる「地元との話合いや合意形成の努力」を投げ出して強行されたものである。新誘導路の必要性も、それがどうしても東峰の森を通らねばならないという必然性についても、私たちには何の説明もなく、裁判で立証されたわけでもない。国と会社で新誘導路を決めた、決まったというだけではないか。



さらに私たちを腹立たしくさせるのは、事情変更を強調するために、この十年来積み重ねられた部落との約束や、黒野匡彦社長名の謝罪(「東峰区の皆様へ」二〇〇五年五月四日)などについても、ただただ住民を慰撫するためのものでしかなく、空港建設のためにはいかなる嘘や欺まんも許されるかのような主張を空港会社が公然と行い、裁判所もそれを追認したことである。そこまで言うか。そこまで言っていいのか。目先をとりつくろおうとする余り、国と空港会社はその本質的な部分を露呈し居直りをきめこもうとしている。

しかし、そうした国や空港会社の無責任で行き当たりばったりの事情変更の被害は、彼らにではなく、私たち部落住民の側にふりそそぐのだ。あの広大な森の約半分が伐採されれば、雨は濁流となって流れ、のちには渇水状態となって周辺の土地や井戸が枯らされることは目に見えている。様々な影響や被害は、非道悪政を行う側ではなく、弱者住民の側が否も応もなく引き受けるのである。当初計画にはありえようも無かった「暫定B滑走路」のために、私たち東峰部落住民は頭上四十メートルを飛ぶジェット機の轟音と墜落の不安に日夜さらされている。



しかし、そのような理不尽な現実に私たちは決して屈しない。理不尽な決定を私たちは決して許さない。私たちはこの地に暮らし続けている。森と私たちの暮らしは、どんなに切ろうとしても切り離されることはない。六十年前、私たちの父母先達が開墾した土地の隣に森が有ったのではない。森を開墾しその中に東峰部落が生まれたのだ。 



 私たちは東峰の森に入会い続ける。



 右、声明する。 二〇〇七年(平成十九年)六月二三日

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