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▲イラン・パペ/ミーダーン<パレスチナ・対話のための広場>編訳/
柘植書房新社/2800円+税


 本書は昨年、イスラエルの建国が引き起こした「ナクバ」(イスラエルによるパレスチナ人の追放がもたらしたパレスチナ人にとっての「大災厄」)の年に刊行された。本書のもとになったイスラエル生まれのユダヤ人歴史家であるイラン・パペの来日と講演は、さらにその一年前の2007年3月のことだ。私はこの本を刊行直後に読み、大きな感銘を受けた。

 刊行から一年以上たってからこの本を紹介するのは、昨年末のイスラエル軍によるガザ侵攻と住民虐殺の中で、イスラエル・パレスチナ問題に大きな関心がかきたてられたこと、そして、イスラエル・パレスチナの「暴力の応酬」とかというあまりにも現象的で没歴史的なメディアの言説が横行し、オスロ合意に基づく中東和平プロセスの破綻という現実にもかかわらず、「イスラエル国家」のありかたを問わない「二国家方式」による解決といった図式から一歩も出ない「国際社会」のあり方にあらためて強い危機感を持ったためである。

 イラン・パペは1954年にイスラエルで生まれ、その地で育ったユダヤ人の歴史家として、イスラエルの「ユダヤ人国家」としての「建国神話」に根本的な異を唱える稀有の存在であるがゆえに、「ユダヤ人国家」と「パレスチナ人国家」というエスニック的に区分された二つの国家の樹立がいかなる意味でも中東問題の真の解決にはつながらないことを主張している。


 イラン・パペを招聘したのは東京大学21世紀COE「共生のための国際哲学交流センター(UTCP)」だが、2007年3月8日から10日まで三日間連続で、それぞれ異なったテーマと異なった参加者を対象に三カ所で行われた講演と質疑応答は、いずれもとても興味深いものであり、この三つの講演をまとめて一冊にした本書を読むことによってイラン・パペの基本的な考え方を総合的に理解する手掛かりを得ることになるだろう。

 本書は「第1章 パレスチナの『民族浄化』」、「第2章 イスラエルの歴史認識」、「第3章 『橋渡しのナラティヴ』」の三章建てで三日間の講演を収録している。

 イラン・パペはイスラエル―パレスチナ問題の起源が1967年の第三次中東戦争による占領にあるのではなく、1948年のイスラエル建国そのもの、つまりパレスチナ人にとっての「ナクバ」にあったことを繰り返し強調している。

 彼は述べる。「戦争(第一次中東戦争)によってパレスチナ人が難民になったのではありません。イスラエルがパレスチナ人に対する民族浄化を企図したことによって彼らは難民になったのであり、戦争はパレスチナ人の難民の原因なのではなく、そうした結果を生み出すための手段だったのです」。

 この「民族浄化」は周到な計画と国際的同意を取りつけながら実行されたものだった。民族浄化は一九四八年のイスラエル建国=「ナクバ」の時点に限られたものではない。それは西岸やガザの占領地において現に遂行されている。しかもオスロ合意と呼ばれる和平プロセスの下において。著者はこの和平プロセスが「イスラエルが政策としての民族浄化、占領、入植、略奪を続けることを可能にした」と述べる。「二国家解決」こそ、この民族浄化のプログラムを裏打ちしているのだ、とイラン・パペは強調する。

 イスラエルの問題とは、シオニストイデオロギーによる「建国」そのものに内在している。「イスラエルの問題は、占領や何らかの政策にあるのではありません。問題は、イスラエルが人種差別的なイデオロギーに、そして二一世紀にはとても受け入れがたい、とりわけ民主的で文明的な世界の一員であろうとする国には受け入れがたいイデオロギーに依拠しているということです」。

 それでは「二国家方式」=つまり、パレスチナの圧倒的な部分を「ユダヤ人」のために排他的に確保し、パレスチナ人に対しては相互に分断された、バラバラの狭小な土地をイスラエルの監視下で与えるだけのアパルトヘイト的「解決策」に代わる方策はどのようなものであるべきか。

 イラン・パペは「オスロ合意が失敗に終わった理由の一つは、パレスチナ人の二つのグループ――一方は難民、もう一方はイスラエルにおけるパレスチナ人――を完全に無視したことにあります。パレスチナ人難民の問題、そしてイスラエルにおけるパレスチナ人マイノリティの問題を解決すること抜きに、包括的なパレスチナ問題の解決などありえないでしょう」と語る。

 この「包括的解決」に至る道として、著者が模索の末にたどりついた一つの結論は「橋渡しのナラティヴ」という相互理解の方法を通じた「一国家」案である。

 「パレスチナという小さな土地を二つの国民国家に分けるという考えでは、現状にある不正義をすべからく永続させてしまうだろうという認識がありました。二国家案は実際なにも解決しないのです。そうではなく、一国家案に、しかもたんなる一国家ではなく、ナショナリズムに基づかない、ポスト・ナショナルな一国家を支持する立場へと私たちは変わったのです」。

 それではそこに向かう「橋渡しのナラティヴ」とは。「ナラティヴ」とは一般的には「語り」である。国民国家はその歴史を正当化し、「国民」を創出するために「物語」としての歴史を必要とする。「新しい歴史教科書をつくる会」のイデオローグたちが主張していたのはそうした「物語」としての「歴史教科書」であった。

 イラン・パペが主張しているのはそのような「国家的ナラティヴ」を覆すことであり、パレスチナで何が起きたのかについて見解の一致を通して、共生を求める流れを浮上させるための「橋渡し」が意識的に追求されなければならない。

 このように見ていくと、イスラエルのオルタナティヴ情報センターの創設者ミシェル・ワルシャウスキーの「民族共生国家」の主張と同一の軌跡を描いていることが理解できるだろう(M・ワルシャウスキー『イスラエル=パレスチナ 民族共生国家への挑戦』(柘植書房新社刊)。実際、イラン・パペはオルタナティヴ情報センターのメンバーではないもののその出版物「ニュース・フロム・ウイズイン」にしばしば寄稿している。

 こうしたイラン・パペの主張がイスラエル国内では圧倒的に孤立していることはある意味で当然だろう。1990年代、「建国」当初の公文書の公開を通じて、シオニズムによって正当化された「建国神話」を相対化しようとする「ニュー・ヒストリアン」という一群の歴史家たちが登場した(例えば、立山良司『揺れるユダヤ人国家』文春新書参照)。それは「ポスト・シオニズム」と言われたイデオロギー・文化状況の一部と見なされた。イラン・パペは「ニュー・ヒストリアン」の一人として登場した。

 しかし「ポスト・シオニズム」状況は急速に影をひそめ、「ニュー・ヒストリアン」もイラン・パペを除くほとんどが、再びシオニスト・イデオロギーへと回帰した。イラン・パペ自身、現在はイスラエルのハイファ大学からイギリスのエクゼター大学に場を移して精力的な研究・執筆活動を続けている。この本の中で、彼は日本や世界の人びとに「ボイコット・投資引き上げ、制裁」(BDS)などの運動を通じてイスラエル政府に圧力をかけるよう訴えている。パレスチナ民衆への持続的連帯のために、ぜひ本書の熟読をお勧めする。(K)

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