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1989年6月4日の天安門事件から20年目を迎えた香港では、中国国内で唯一、当時の民主化運動と天安門事件の犠牲者を記念する行事がおこなわれた。去年の参加者の三倍を上回る15万人が参加した。会場の最寄り駅の地下鉄の出口からも人があふれ、およそ5万人が会場に入りきれず、会場周辺にまで犠牲者を追悼するキャンドルの明かりが広がった。

集会では、天安門事件で17歳の息子を殺された丁子霖が「天安門の母親」運動を代表してビデオ出演した。丁子霖は事件の真相究明と名誉回復を求め続けているが、毎年6月4日は息子を追悼するための外出さえ許可されず中国政府によって軟禁状態におかれている。

中国国内では「天安門事件」や「6月4日」というキーワードでインターネットを検索した時点で接続をシャットダウンさせる技術を政府監視当局が開発し、導入を進めていることから、当時を知らない青年たちが天安門事件の真相を知ることは極めて困難である。当時の真相を伝えようとするあらゆる試みは厳しい監視と弾圧にさらされる。このような状況において、香港の民衆15万人がキャンドルを掲げて、ビクトリアパーク一帯を悲しみと怒りの炎で染め抜いたことは極めて大きな意義があるだろう。


天安門事件から20年。中国共産党による一党独裁は、資本主義的搾取と環境破壊の全面的拡大とあいまって、いっそうの暴力性をみせている。言論、出版、集会、デモ、結社、表現の自由、そして一党独裁の廃止といった民主化を求める運動を、当時天安門で最も果敢にたたかい、もっとも厳しい弾圧を蒙り、そして現在は官僚の鉄拳と資本主義の劫火にさらされながらも依然として社会変革の主体である労働者人民こそが担わなければならない。

抑圧も搾取もないもうひとつの中国の実現のためには、そのような政治手未民主主義の要求と、労働者民衆がもとめる組合結成、ストライキ、雇用や生活の保障、民営化反対などの社会・経済的な民主化要求を切り離すことはできないだろう。変革の主体としての労働者階級による民主化要求は中国における変革の道筋にとって決定的に重要である。民族自決権の要求とエコロジーに対するオルタナティブについても同様である。

海を隔てたわれわれ日本の青年、労働者も、天安門で開花した学生・労働者たちの民主主義への熱望を忘れることなく、抑圧も搾取もないもうひとつの日本、アジア、世界を手繰り寄せる努力を続けなければならない。

以下は、天安門事件20周年に寄せて公表された香港・先駆社の同志による論評である。

(H)

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民主化運動20年の回顧と展望

畢南山

一九八九年の中国民主化運動とその結末である6月4日の血の弾圧(以下、天安門事件)から20年が経過した。今日の中国は多くの面で20年前とは大きく異なっている。しかし重要な事柄については基本的な変化、とりわけ進歩といえるものは何もない。だからこそ、20年前の事件がいまだに関心を集め、かつ大きな議論を呼んでいるのである。

一般的に、89年の民主化運動(とりわけ天安門事件)に対する考えは、大きく二つに分けることができるだろう。一つは、当時の大衆運動を肯定し、それに対する弾圧を非難するものである。もう一つは、逆に、大衆運動が「黒幕」によって操られ、「反革命動乱」となったがゆえに、6月4日の弾圧は必要かつ正当なものであったというものである。後者は中国政府が今に至るも固執している立場であり、前者は中国内外のさまざまな民主派の共通の認識である。

■現在の経済成長を理由に当時の弾圧を正当化?

天安門事件の直後は、国内の民心が悲憤を極めただけでなく、全世界の人民と政府がこぞって中国政府を非難し、制裁を発動した。それによって中国経済も大きな困難に直面することになった。だがその後、トウ小平は中国を資本主義世界に融合させる政策、とりわけ労働者を厳しく押さえつける鉄腕政策を粘り強く推進し、国際ブルジョアジーの信頼を勝ち取り、世界で最も寵愛される新興投資市場へ中国を転換させた。トウ小平の後継者である江沢民と胡錦濤もその道を遵守した。そして高度の官僚独裁の特色ある中国資本主義経済は世界の注目を集めるほどのスピードで発展した。そして経済危機が爆発したいま、中国の貿易黒字、外貨準備、財政黒字および民間の「先ず豊かになった」者たちの個人資産などが、世界の羨望の的になっている。中国は新興大国として仰ぎ見られ、ひいては世界の救世主になるかのように考える人びともいる。

こうしたなか、中国共産党およびその擁護者は、もっともらしく次のように主張する。「あのとき強硬手段によって『騒ぎ』(原文:「風波」)を平定し、20年間の安定を実現したからこそ、今日の経済的発展を獲得することができたのだ」と。しかるに、このような弁解が根拠とするのは、当時の政府による事実の歪曲に立脚したものに他ならない。かれらはこう主張する。「当時の大衆運動は正当な社会秩序と経済発展を破壊することを目的とし、その破壊行動はさらに拡大し続けたので、政府は強行的な弾圧に訴えるほかなかった。」

■大衆運動に対する政府の敵視政策が天安門事件を招いた

一九八九年の民主化運動の始まりは、その二年前に不当な責任追及によって権力の座から引きずりおろされた胡耀邦・前総書記の急逝に対する民衆による深い哀悼と不公平への憤慨(「死んでほしいやつは死なず、死んでほしくない人が死んだ!」)と、一九八六年末に弾圧された学生運動が掲げた官僚独裁と汚職腐敗に反対するというスローガンを再提起することによって、必要に迫られた改良的政策を開始したいというものにすぎなかった。大衆の行動は全体的に平和的で建設的なものであった。トウ小平による「垂簾の政」(院政)をおおやけに批判し政府首脳の辞職を要求する主張もあったが、それは一種の具体的な政治的改良の要求に過ぎない。主要には、政府による一貫した大衆運動に対する敵視、そして時間が経過するごとに悪化していった対応が、民衆を刺激しその行動を急進化させ、天安門広場を占拠させつづけたのである。

たとえば個別の警官が学生に暴力を振るった事件を政府の新聞では逆に学生が警官に暴力を振るったと報道させたり、胡耀邦の公式追悼会の当日に天安門広場でも行われた数万の学生による追悼集会に対して、政府は極端とも言える敵視と軽蔑をもって応えたり、四月二十六日の「人民日報」社説において民主主義的自由を要求する行動を「陰謀」「動乱」と規定し、そして最後には多数の部隊を動員し、戒厳令と武力鎮圧を行った。それに引き換え、民衆の行動は終始一貫して破壊的な行動になることはなかったのである。

■いったい誰の経済発展なのか

一部の民主派は「経済発展が実現できたからといって虐殺を許すことはできない」と問いかける。この問いかけは、厳粛で正当なもののように聞こえる。しかし実際には力ない叫びでしかない。かれらは中国政府と同じく、過去20年のいわゆる経済成長を肯定しているのだから。労働者人民の利益に立脚した民主派はこのような評価に同意することはできない。

20年前のあの壮大な民主化運動において、学生と市民は民主主義一般を要求していただけでなく、官僚による経済的な腐敗(いわゆる官僚ブローカー。職権を利用して投機や横流しで利益を上げていた)の禁止を要求していた。民主化運動の弾圧の後、経済上の腐敗現象は停止するどころか更に勢いを増し、官僚(一族)資本家を中核とする公共財産の私有化が蔓延し、労働者の所有物であるはずの国有財産が簒奪され、労働者人民に対する搾取は残酷を極めていった。官僚の蹄鉄と資本の鞭は肩を並べて進み、互いに補完しあっている。驚異的な経済発展の水面下には、労働者と農民の血と涙が充満している。このような経済発展は労働者人民を幸福にする発展ではない。こうして経済大国として台頭した中国は人民の共和国ではない。

■社会主義の防衛?

当時のトウ小平など中国共産党の長老たちは、学生運動がブルジョア的自由化を目指しており、武力でそれを弾圧したことは社会主義の発展を防衛するためであったと主張した。この一言を中国の現状と照らし合わせてみるならば、社会主義が何たるか資本主義が何たるかを少しでも知っているものにとっては極めて風刺的な意味を持つだろう。今日の地球上で、中国ほど労働者を搾取し自然環境を破壊する自由を資本家に与えている国家が他にあるだろうか。多くの工場での環境基準や労働安全衛生が明らかに法的の基準を下回り、労働者の宿舎もまるで官憲の護送車のようである。だが政府の所管部門は見てみぬふりを決め込んでいる。労災や事故が発生した場合、まず事件の真相を隠蔽し、できるだけ被害を小さく報告する。死亡事故でもはした金しか賠償として支払われない。

官僚や自治体の首長はだれもが「三つの代表」論(※訳注)を良く知っている。資本家と企業家を「先進的な生産力」の化身とみなし、できる限りかれらの利益を代表しようとする。しかし労働者は生産要素の一つとしてしか見なされず、資本のなすがままである。我慢の限度を超えたとき労働者は「騒ぎを起す」が、官僚は労働者に対して「指導」を行う。大局が重視され、社会の「調和」と「安定」を維持が優先される。

■一党独裁はあいかわらず

以上、20年前の事実について語ったが、20年後でも最も変わっていないものは、中国の政治機構であろう。中国共産党は依然として一党独裁であり、人民には言論、出版、集会、デモ、ストライキ、結社などの自由や権利はないままだ。なんら隠し事する必要のない国家情報や社会問題なども、中国の公民は知る権利を持っていない。ひいては最も基本的な権利である人身の自由さえも事実上侵害されている。これらの権利の実現については、中国のさまざまな民主派が一致して要求しており、われわれも同じ立場であることから、ここでは重複を避ける。

■労働者人民自身のオルタナティブを準備しよう

ここで指摘しておきたいのは、言論、集会などの自由と権利は、人民が享受すべき民主的権利であり、中国においてそれが実現されれば、それは大きな進歩であることに違いないが、そのような基本的な政治的自由が実現されても、社会経済制度が依然として変わらないままであれば、すなわち官僚資本主義が依然として維持されるのであれば、労働者人民に本当の幸福が訪れることはないだろう、ということである。人民は依然として抑圧され搾取される状況から脱することはできないであろう。基本的自由が実現されたとしても、労働と生活に追われその権利を行使することは難しいだろう。

それゆえ、労働者人民にとって、一党独裁を廃止し、民主的政治を実現するだけでなく、同時に官僚と資産階級による経済命脈の掌握を打破し、社会と経済の資源を人民が管理しなければならない。もし誰かが、基本的自由だけでなく、土地の私有化と資本家の私有財産の保護を要求したとすれば、それは明らかに労働者人民の利益と相反することだといわなければならない。もし労働者人民がこの類の民主派(政治的自由と同時に資本の搾取の自由を要求する民主派=「自由派」といえるだろう)の主張を受け入れ、その実現に尽力したとしても、結局のところ何ら得るものはないであろう。労働者人民は、自らの階級の独立した利益に立脚し、オルタナティブを準備しなければならない。

■新しい革命を準備しよう

中国における新たな民主革命は、労働者人民による自己解放の革命でなければならない。組織した労働者人民が直接政治と経済の権限を掌握し、官僚と搾取者の特権を廃止し、まず労働者人民に奪われた富を返還し、労働者人民の基本的な生活を保障しなければならない。そして社会経済の構造を変革し、民主的で合理的な計画経済と農業の集団化を推し進め、人民の生活レベルを引き上げ、平等で豊かで自由で調和ある新しい社会を建設しなければならない。

民衆がこの革命の道を突き進むために、われわれは以下のいくつかの主要なスローガンを提起する。

労働者農民の生活を保障し、貧富の格差をなくせ!
戸籍制度を廃止し、移動と就業の自由を保障せよ!
公的資産の私有化に反対し、奪われた全民衆の集団的資産を取り戻そう!
一党独裁を廃止し、金権支配を打倒し、労働者人民が権力を握ろう!

2009年6月4日

香港・先駆社のウェブサイト「労働民主網」より訳出

(訳注)
※三つの代表:2000年2月に広東省を視察した当時の江沢民総書記は、中国共産党が「先進的な社会生産力の発展要求」「先進的文化の進むべき方向」「広範囲の人民の根本的利益」という三点を代表しなければならないと演説し、2002年11月に開かれた中国共産党第十六回全国代表大会で「三つの代表」を「行動の指針、長期に堅持すべき指導思想」とする党規約改正案を行い、2004年3月に開かれた第十期全国人民代表大会では、憲法を改正し、「三つの代表」を、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、トウ小平理論と並ぶ「重要思想」として位置付けられるようになった。憲法改正の際にはすでに「三つの代表」論が「先進生産力を代表する」民営企業家の共産党への入党の理論的根拠となっていた。

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