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中国政府によるチベット地域への監視と弾圧の強化が続いている。
チベット自治区人民代表大会(議会)は、1月19日に、毎年3月28日を「チベット100万人農奴解放記念日」とする議案を382人の代表の全員一致で採択した。1959年3月28日、ダライラマを首班とするチベット地方政府内の一部が武装蜂起したことを理由に中国国務院が同政府の解散を宣言し、チベット自治区準備委員会による統治を発表した日である。
08年3月のチベット反乱
◎チベット自治区、農奴解放記念日を決定(「チャイナネット」2009年1月20日)
http://peopleschina.com/xinwen/txt/2009-01/20/content_175354.htm
自治区人民代表大会常務委員会のガマ副主任は閉会後の記者会見で、「この50年来、チベットの政治や経済、文化など各分野で天地が覆されるほどの変化が起こり、広範な人民大衆が真の主人公になった。しかし、分裂主義グループは分裂活動を絶えず画策し、チベットの発展を妨げようとしている。こうしたことから、広範な大衆は『チベット百万農奴解放記念日』を指定し、チベットの各民族特に青少年に50年前のチベット反乱の平定と民主改革という歴史的な出来事を永遠に覚え、今日の幸せな生活を大切にしてほしいと強く要望するようになった」と述べた。
だが、昨年3月のチベットにおける「反乱」で決起し弾圧された多くは、50年前に「解放」された元「農奴」=チベットの庶民たちである。北京在住のチベット人作家ウーセルは、自身のブログで次のように語っている。
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農奴解放記念日を特別に制定した理由は誰もが分かっている。去年チベット各地に燃え広がり、いまだ燃え続けている血と炎を対象にしたものである。確かにその意義は大きいだろう。50年間といわずとも、2008年だけでも、全チベット地域(アムド、ウツァン、カム)の村落、牧場、都市において、いったいどのくらいのチベット人が逮捕され、射殺されたのか。チベット地域を厳しく統制する官僚だけがこの数字を知っているだろうが、私たちが知っているのは、これらのチベット人の圧倒的大多数が、普通の僧侶であり、農民と放牧民であり、都市部の貧困層であるということだ。かれらこそが、中国共産党が好んで使う「農奴」なのであり、決して当時の「旧チベット」の「三大領主」(旧チベット地方政府、世襲活仏、荘園領主)およびその末裔ではないのである。「三大領主」の末裔はすでにチベットにおける既得権益者であり、昨年三月以降ラサではこんなざれ歌が流行っている。「解放された農奴が立ち上がり、三大領主は非難して、国家幹部はただ傍観…」
著名なチベット人学者のTsering Shakyaはまさに次のように述べている。「もし中国政府の主張に何らかの根拠があるとすれば、こう問いかけるだけでよい。五十年後のいま、なぜ『解放された農奴』が、その解放者に反乱を起しているのか、と。今回の抗議は、チベット人は解放者による支配を拒絶しており、五十年たっても中国政府は依然としてチベット人の民心を掌握できておらず、チベット人はやはり中国による支配に断固反対しているのだという明確なシグナルである。」
この事実がこれほど明らかであるにもかかわらず、こっけいなほど厳粛に農奴解放記念日を制定する様は、解放者を自認する中国共産党に対する大いなる風刺ではないだろうか。
原文:風刺に満ちた「記念日」
http://woeser.middle-way.net/2009/01/blog-post_17.html
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中国政府は、チベット解放50年目に当たる今年を「民族融和」で盛大に粉飾しようとしている。チベット暦の正月(ロサール)である2月25日を、「農奴解放50年」として盛大に祝賀することをチベット人たちに強制しようとしている。それに対して、チベットでは50年の間に犠牲になった人びとを悼みながら厳粛にロサールを過ごそうという呼びかけが内外から発せられている。
前出のウーセルはこう語っている。
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新年を祝うかどうかというのは権利である。もっとも基本的な権利である。しかるに当局の反応は、ひとつには、行政の指令的方法で、各地のチベット人が盛大に、喜ばしく年越しを行うことを要求している。ふたつには、暴力的手段を用いて、「年越しを祝わない」行為を深刻な「分裂」策動だと見なして、盛大で喜ばしい年越しに抵抗するチベット人を逮捕している。最近ではラサで摘発捜査が展開されている。チベット人を仮想敵とみなし、毎日のように「敵の動向を注意深く監視し、終始臨戦状態を維持している」などの類を宣伝している。それによって非暴力による抵抗の代償は、鮮血、拘禁、そして生命にまで及ぶ! カム地区ゾゴンでは、スローガンを叫んでいたバイマツァイファ(音訳)は、先月軍警察による暴行によって亡くなった。これ以上残酷な結末はない。彼の青春と活力に満ちた写真を前に心をえぐられるようである。
原文:悪法がのさばる時には
http://woeser.middle-way.net/2009/02/blog-post_09.html
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チベット自治区政府人民代表大会常務委員会のニマツレン副主任は、2月10日の記者会見で、昨年の3.14事件で検挙された容疑者は953人に上り、すでに76人が判決を受けていると発表した。事件を処理する過程において、最大限の自制を図り、殺傷性のある武器の使用はなかったとも述べた。だがこのような報道を信じるものは誰もいない。
ダラムサラに拠点を置くチベット人権民主センターが1月に発表した2008年チベット人権年鑑では、3.14事件では120名のチベット人が殺害され、1000名が失踪、すくなくとも190人が判決を受けたとしている。
今年は、新中国建国60周年(10月1日)、ダライラマ亡命・「農奴解放」50周年(3月28日)、天安門事件20周年(6月4日)にあたる。
1959年3月10日のチベット蜂起および3月28日のチベット政府解体は、一国主義と官僚主義、大ロシア民族主義で武装したスターリニズムに支配されたコミンテルンおよび大漢民族主義的イデオロギーから完全に自立することができなかった中国共産党の民族政策の敗北が明らかになった日であり、何ら積極的な意義をもった「解放」を意味するものではない。そしてこの50年は、「民主改革」や「民族融和」が成功した50年ではなく、さまざまな政策的ジグザグを経ながらスターリニズム官僚主義による民族抑圧が拡大されてきた50年であったということである。官僚支配体制は資本主義復活のベルトコンベアーであり、民族抑圧と分裂を加速させるプレスマシーンである。
当局からの相当な圧力を受けながらも積極的に発言している北京在住の漢民族作家の王力雄は、昨年のチベット反乱を引き起こした最大の要因は官僚支配体制にあると述べている。
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もし「チベット独立」に論功行賞を行うのであれば、最大の功績は勿論チベット人と中国人を民族対立に追いやった中国の「反分裂」官僚集団である。
日本語訳:チベット独立ロードマップ http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/2ef1cc767204f12eabb9cbd727d91548
※上記の王力雄の論文が掲載されている「思いつくまま」ブログでは、王力雄などのチベット論考が精力的に翻訳・掲載されている。たくさんの友人がアクセスし、関連文章を精読することを呼びかける。
思いつくまま
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki
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「農奴解放記念日」からチベットを解放しよう
中国政府はチベット民衆への弾圧をやめ、民族政策を根本から改めよ
民族自決に基づく自由で平等な連邦制を
チベット解放・民族解放運動から一切の右翼排外主義を追い出そう
(H)