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〈天皇即位20年奉祝〉に異議あり!政府式典反対11.12集会とデモは、平日闘争であるにもかかわらず、200人の参加を勝ち取り、「11.12祝日化」にも「奉祝」ムードの盛り上げにも失敗した天皇主義政治勢力に、痛烈な一矢を放った。

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京橋プラザで行われた集会は、北海道からアイヌ民族の仲間、沖縄からまよなかしんやさん・靖国訴訟の仲間、長野の反天運動、福岡こころの裁判運動、神戸、静岡、兵庫、大阪、立川テント、茨城の仲間たちから取り組みと決意表明が行われた。

とりわけ神奈川の京極さんは、勤務する小学校の「日の丸」掲揚を校長との直接交渉によって降ろさせたことを報告。松沢県知事の反動化・横浜市教委の「つくる会」教科書採用強行などの流れに抗して痛烈な楔を打ち込んだことを「闘いの成果」として報告し、全体で確認した。

いずれも各地各地域の取り組みを、粘り強く積み上げ、本日の奉祝反対闘争に参加した仲間たちは200人に達した。



デモは、足長男やガイコツゴーストを先頭に、「天皇制はいらない」と訴える様々な横断幕、40枚以上のプラカードなどを掲げてデモ。「即位20年なんか祝わないぞ!天皇制は廃止だ!警察は不当なデモ規制をやめろ!」などのシュプレヒコールを銀座一帯に響き渡らせた。
 
とりわけ式典開催中の国立劇場、皇居に向けて繰り返しシュプレヒコールをたたきつけた。新橋・桜田公園の解散地点に到着後、参加者全体でシュプレヒコールをあげて、機動隊・公安・極右の介入を許さず、デモを成功させたことを確認して解散した。


▲NHKの報道

なお街宣右翼車6台が遠くで「反天連は解散せよ、ばかやろう、このやろう」と口汚く連呼するのみ。「在特会」などのレイシスト集団は、登場すらしなかった。

昨日の天皇会見では、アキヒトはヌケヌケと「心配なのは、歴史が忘れられていくこと」などと発言、一方で、「昭和天皇にとって誠に不本意な歴史であったのではないか」などとも語り、噴飯物の「歴史歪曲」を自ら行ったことは特記されるべきだろう。

天皇自身が戦争責任・戦後責任、天皇制犯罪を隠蔽する目的意識的発言を強行し、メディアもそのまま報道。共犯関係によって賛美演出した。しかし、やはり「祝日法」制定が破綻し、賛美強制ができないなかでの「奉祝」演出ということなのだろう。

 
▲ロイターでも報道された
http://jp.reuters.com/news/video?videoId=114704&videoChannel=200


天皇制は延命していくために必死だ。同時に、天皇家のゴタゴタ・ドタバタも含めて迷走・危機は続く。天皇制危機と矛盾を拡大させる反天皇制運動の新たな展開をつくりだそう。

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なお国際声明は、英語、中国語、ハングル、スペイン語等に訳され、世界に発信された。

              ●……集会宣言……●

 本日、11月12日、このクニでは大きなフィクションが行われている。欺瞞といってもいいし、ペテンと呼んでもいい。むろん、天皇・明仁の即位20年を「奉祝」するいくつかの催しである。皇居内では朝9時からすでに「記帳」が始まっており、午後からは政府主催の「記念式典」(天皇夫妻出席/国立劇場)が、同時にまた、財界主導の「奉祝委員会」と与野党合同の「奉祝議連」とが主催する、皇居外苑と皇居前広場を使った「国民祭典」(第一部/奉祝まつり、第二部/祝賀祭典)が行われている。──昨秋から今年いっぱいにかけて各都道府県では「奉祝」の行事が執り行われ(東京都は12月25日)、地方議会では続々と「賀詞決議」が採択されてもいる。

 政権党交代のゴタゴタのなかで、この日を「臨時祝日」として休日にすることはできなかったけれど、それでも政府は「各府省においては、式典当日国旗を掲揚するとともに、各公署、学校、会社、その他一般においても国旗を掲揚するよう」お達しを出すのを忘れなかった。休日にして「国民こぞってお祝いする」ムードを盛り上げるよりも、むしろよりハードな「祝いの強制」が行われている可能性もある。

 わたしたちは、しかし、その手の嘘八百にはもうがまんならない者たちなのだ。この場に集まった者たちは、ひとりひとりが名前を持ち、友人たちと固有の関係を結び、20年といわず現在ただいまという歴史を生きる生活者であって、天皇個人とは何のゆかりもない(はずだ)。天皇を祝うコトバなどはなから持ち合わせてはいないのだ。
                * * *
 1989年1月7日、天皇・裕仁は死去した。自らの戦争責任には口を噤み、問いかけには白を切り通してきたうえで。自身の保身と天皇制の維持のために、占領軍(米軍)に基地を提供し、安保を導入し、沖縄を差し出したことは、いまではよく知られている。1989年1月7日、そのように存続した天皇制を、明仁は丸ごと継いだ。皇位継承という皇室神道の宗教儀式を「国事行為」と言いくるめてのことだ。この明確な違憲行為のすぐ後に、明仁は「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い……云々」とぬけぬけと言っている(1月9日/朝見の儀)。これが出発点で、それから20年。この20年間は、わたしたちにとってどんな時代であり、明仁天皇はその中でどのような役割を果たしてきたのか。

 わたしたちが直面している問題に限ってみても、この20年間は、資本の国際競争の名のもとに、儲けるものは限りなく儲け、人を資材として使い捨てにしてきた20年であり、湾岸戦争以来、海外派兵が公然と行われ、ついには立派な「参戦国」となった時代であった。また、国旗・国歌法の成立とその強制、教育基本法の改悪など、人を一方向に規定し、「国家に役立つ人間づくり」を、権力が人びとに強いてきた20年でもある。このような20年を、誰がどうやったら祝えるというのか?

 ましてや明仁は、戦地に派遣された自衛官らを皇居に招き、その労を多とする「お言葉」をかけている。こうした天皇の慰労行為は侵略戦争加担に「正当性」を与えるものであり、戦争国家の士気昂揚や動機づけとなっている。また彼は、その同じ口で「平和」をつねづね語り、被災者や社会的「弱者」を「気遣う」発言もしている。けれどもその「平和」は、天皇制にまとい付いた戦前・戦中・戦後の責任を曖昧にした、ただムードだけの「平和」にすぎない。つまりはゴマカシなのだ。それはまた「弱者」を「気遣う」素振りも同様だろう。いまある「格差社会」は、むろん新自由主義と称する政策によって拡大されてきた。しかしその根底には、天皇制という社会的序列を固定化し再生産してゆく制度があることは明白だ。それが今日もまた、差別や排除をうみだしている。

 だから、わたしたちは、どんなに美しいコトバであったとしても、「天皇、キミだけには言われたくない」と思っている。まただから、本日、皇居方面や三宅坂、あるいはマス・メディアのなかで飛び交っているであろう、大袈裟なお追従の言動をペテンであり欺瞞でありくだらないフィクションであると、わたしたちは思うのだ。

 しかし、この「フィクション」が現実の実体としてわたしたちの前に立ち現れてきたのもまたこの「20年」であった。わたしたちは「え~かげんにしてほしい」と思うと同時に、この事態を「え~かげん」のままに済ますことはできない。わたしたちは、天皇制とそれを強化しようという一切の言動に反対し行動する。天皇などいらないの
だ。

2009年11月12日
<天皇即位20年奉祝>に異議あり!政府式典反対全国集会 参加者一同

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平成天皇20年奉祝に反対する国際声明

 今日の日本は、世界中の若い世代の人々にとってまずアニメーションによって知られた国だろう。そして多くの場合ジャパニメーションの作家たちによって描き出された未来は、「ヨーロッパとアジア」という二つのファンタジーがない交ぜになった社会である。そこは、遠い過去と未来が一緒になった時間の中から現れた族長たちが、日夜_みどろの戦いを繰り広げているような世界なのだ。アニメーション映像が21世紀の日本で有力な輸出商品のひとつとなったことは、誰しも認めることだろう。

 だが同時に、そうした映像の詩人たちが育った日本は、憲法上は象徴symbolでありながら暴力によって支えられた王が君臨する国なのである。天皇emperorなどと自称しても、彼はもはや地球上でも数少ない王たちの中の一人にすぎない。

 私たちは以下のことを世界の人々に伝えたい。たしかに選挙された議会はあるが、この国で王制をはっきりと批判する者には、治安警察と王制主義者たちによる隠微で激しい嫌がらせか、あるいは秘めやかな死さえ用意されているのだ──と。これらの事実が報道されることは国内でも国外でもきわめて稀なことである。新聞もテレビも政治家たちも堅く口を閉ざす。そのかわりに優雅な王族たちを彩る各種の映像があらゆるところで振りまかれているのである。

 奇妙なことに、世界中のファンたちに向けられたアニメ詩人たちのファンタジーには、熱烈な王制信奉者たちが紀元前7世紀から続くと主張する夢幻のような大君たちの影さえ現れない。ディズニー映画におけるアーサー王伝説など6世紀だから、つい最近のお話にすぎないというのに。これはいったいどういうことだろうか? 無意識の恐怖か、戦争の傷痕が乾ききらない世界の市場動向への配慮なのか、あるいはどこか分からない遠い世界へのはるかな逃走なのか。

 現在の王である明仁は前王だった裕仁の紛れもない嫡子である。裕仁こそ、ヒトラーやスターリンと並ぶ20世紀の戦争と虐殺を主導した独裁者の一人だった。そして彼以外の誰も、まったく裁かれることもなく今日まで自らの「王朝」を存続させている者などいないのである。むしろ明仁とその一族は、その優美で曖昧な言動や仕草の数々によって、日本の王制が少なくとも140年にわたって犯してきた侵略戦争や再軍事化、そして経済膨張と秘かな強圧の歴史を覆い隠す。王族たちの物語とはそういうスクリーン(映写幕/遮蔽物)なのである。ジャパニメーションにも、日王による殺戮を讃える物語が登場する日がいつか来るというのだろうか?

 私たちはそんな映像を観たくない。「平成」と名づけられた現王明仁の治世が始まって20年の時を讃える祭りを、私たちは祝わない。今年の11月12日、政府によって行われる大きな宴に反対する。私たちは私たち自身の祭りを楽しみたいのである。日本という国にそういう人間たちがいることを、今私たちは世界中の人々に伝えたい。  

anti20共同行動@japan 参加者一同(2009年11月12日)

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