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「10・24免状等不実記載弾圧を許さない!国家賠償請求裁判」の第三回公判が七月二十四日、横浜地裁第6民事部(三代川俊一郎裁判長)503号で行われる。
この国賠裁判は、Aさんが免状等不実記載罪(運転免許証に記載されている住所〈実家〉と現住所が違っていた)で神奈川県警察公安三課に逮捕(06年10月24日、)され、10日間の勾留と人権侵害の取り調べを行ったことに対して、Aさんらが国家権力の犯罪を許さず、責任追及していくために横浜地方裁判所民事部に起こした(06年12月25日)。原告代理人は、川村理弁護士、内田雅敏弁護士。
この国賠裁判は、Aさんが免状等不実記載罪(運転免許証に記載されている住所〈実家〉と現住所が違っていた)で神奈川県警察公安三課に逮捕(06年10月24日、)され、10日間の勾留と人権侵害の取り調べを行ったことに対して、Aさんらが国家権力の犯罪を許さず、責任追及していくために横浜地方裁判所民事部に起こした(06年12月25日)。原告代理人は、川村理弁護士、内田雅敏弁護士。
この裁判闘争は、安倍政権が推し進めるグローバル派兵大国と治安弾圧体制作りの一環である微罪弾圧の拡大を許さない取り組みでもある。
第三回裁判は、被告・神奈川県の準備書面(「極左暴力集団」と日本革命的共産主義者同盟(JRCL)の歴史と説明が七割を占め、本件に関することがたったの三割でしかないずさんな内容)に対する原告の反論書面の提出だ。
反論の第一は、県が階級的憎悪むき出しでAさんが所属するJRCLが「極左暴力集団」だから強制捜査・逮捕が適法であったなどという強引な自己正当化を厳しく批判する。
さらに成田闘争、反天皇制運動、反戦闘争の取り組みでさえも、「その『対抗』や『反撃』の手段・方法には、武装闘争を意味することも『否定できない』」などと決め付け、何ら根拠のない憶測と論理の飛躍に貫かれたものだと反論し、それらによって違憲・違法捜査が適法だったなどとは言えないと厳しく批判している。
第二は、内ゲバ党派とJRCLを「極左暴力集団」として一緒くたにし、強制捜査を正当化していることの論理破綻を暴き出している。そのうえで組織的背景や逃亡ないし罪証隠滅のおそれがまったくなかったことなども明らかにしている。
多くの仲間たちに裁判支援を呼びかけていくために、原告の反論の土台となった被弾圧者Aさんの陳述書要旨を掲載する。(Y)
神奈川県の準備書面を批判する(要旨)
10・24免状等不実記載被弾圧者A
一、JRCL(日本革命的共産主義者同盟)の目的と活動内容
県の準備書面は、「極左暴力集団」を「平和で自由な民主主義社会を暴力で破壊・転覆しようと企てている反社会的な集団」であり、「極左的革命理論の下に暴力的な闘争を進めている集団」であると規定する。このような県が描き出す「極左暴力集団」を根拠にして、公安警察が私に強行した違憲・違法捜査・逮捕を自己正当化している。こんな暴論は絶対に許されない。憲法第二一条の集会、結社および言論、出版などの表現の自由、第二十条の信教の自由、第一三条の個人の尊重・生命・自由・幸福追求の権利保障を否定するものだ。
県は、JRCLが取り組む成田闘争、反天皇闘争、反戦闘争などの取り組みを、「暴力的な闘争」「武装闘争」を堅持しているなどと乱暴に規定し、否定する。そして、「JRCLの本質は、自派が行った過去の多数の犯罪行為について肯定し、むしろ自画自賛するなど、武装闘争路線を堅持していることが、明らかであると判断された」などと述べ、正当な政党活動への不当な弾圧、破壊を目的とした違法捜査・不当逮捕を強引に適法だとする主張でしかない。
事実、県警公安三課は「JRCLによる成田闘争、反皇室闘争、反戦・反基地闘争及び反核・反原発闘争等に向けた同組織の活動家の動向に着目していた」と自認し、不当な弾圧を強行するために虎視眈々と狙っていた。憲法で保障された表現の自由、生存権、思想・信条・良心の自由を否定し、居直り続ける公安警察を許さない。
二、「極左暴力集団」の特徴?
県は、「極左暴力集団」の特徴の一つとして、免状不実記載等の事件を取り上げているが、いずれもその事件例は内ゲバ党派のケースであり、非公然活動家への不当逮捕事例を取り上げているものでしかない。免状不実記載等の事件は、「極左暴力集団」の特徴の一つであり、JRCLも同様の目的と特徴を持ったあり方として描き出そうとしているにすぎない。
免状不実記載が「武装闘争路線」を堅持し、その実現のための「前段階的行為」などと手前勝手に描き出し、「当然捜査の必要性が高いことは明らかである。」などと結びつけて自己正当化するところにねらいがある。
県警公安は、組織的指令があって、私が免状不実記載を行ったのだというシナリオを実証すると称して越境社、関西新時代社への不当な家宅捜索をしたが、その家宅捜査によって免状不実記載を指示し、組織的な背景によって実行されたという証拠は何一つ「強奪」できなかった。否、そんな指令も組織的な背景など一切ないわけだから提示することは絶対にできない。
さらに、「極左暴力集団」の特徴として、県内の免状不実記載等の事件の新聞切り抜きを提出しているが、そこにはJRCLによる事件記事はない。公安警察は、内ゲバ党派への弾圧手法の一つとして免状不実記載事件をでっち上げて不当逮捕を繰り返してきたが、今度は公然と市民運動展開を推し進めているJRCLへの見せしめ的な恫喝として私への強制捜査・逮捕を強行したのである。JRCLの構成員への免状不実記載等事件でっち上げが、今回初めてであるところに示されている。
三、私のライフスタイル
県は、私の事情(親が高齢で一人であることから、将来、介護問題も発生することもあり、住所は実家だった)が、「極左暴力集団」活動家の特徴ではないため県のフィルターにインプットせず、たとえ私の事情を熟知していたとしても、県の違法・不当捜査を証明してしまうために自己に都合が悪い私の諸事情を排除、無視し、「極左暴力集団」活動家像を描き出そうとした。
私は、一九九〇年半ば以降、過去2回の免許更新をしている。新事務所を設置してからも、従来通りにJRCLとして公然と諸運動を展開し、毎日出社していた。この生活と活動パターンを当然、公安は「掌握」していたはずだ。それにもかかわらずこの間は、なんら免状不実記載を口実にして不当逮捕を強行しなかった。今回の不当逮捕は、こういった経過からすれば、免状不実記載を口実にした別の意図と目的にもとづいて逮捕を強行したと判断せざるをえない。
事実、県は、「原告が他の一般JRCL構成員と比較しても、同組織において中心的役割を担っているものと認めていた」から不当逮捕をしたのだと本当の目的を自ら明らかにしている。すなわちJRCLという政治団体の組織破壊、成田闘争、反天皇闘争、反戦闘争などの市民運動に対する破壊と打撃こそが目的だった。私の政治運動参加を阻止するところに最大のねらいがあったのである。
県は、姓名の「秘匿性」の事例として集合郵便ポストの「表札欄には、いずれも姓などが記載されていないことを確認した」などと大袈裟に取り上げているが、「ボックスの表札欄」に姓を記載していないボックスは多数存在していることを意図的に隠蔽し、この事実をもって「極左暴力集団」活動家の特徴の一つである姓名の「秘匿」なんだと言いたいらしい。ならば郵便ボックスに姓を記載してない者は、全て「極左暴力集団」活動家だと言うのか。こんな稚拙な手法によって「極左暴力集団」活動家の特徴の一つだと証明しようとしているのだ。ちなみに郵便ボックスだけではなく、多くの住民が玄関表札にも姓名を出していない。なによりも多くの姓名を記載していない他の郵便ボックスの存在をどのように説明するのだ。
「極左暴力集団」活動家の特徴という偏向フィルターから極左活動家像を描きだす手法を「こじつけ」というのだ。こんな稚拙な手法によって、なんでも正当化することは絶対に許されない。
四、「組織的かつ計画的に行われた犯罪」では全くない
私が公然と市民運動を担い、展開していることをわざわざその事例を取り上げて、「JRCLが賛同する集会やデモに、他のJRCL構成員とともに、組織的に参加した事実が確認されるなど、JRCLの構成員として活発な活動が認められた」などと評価する。
逆に言えば、私が公然と政治運動をやっていることを認めているが、なぜこのことと「極左暴力集団」の非公然活動家の特徴を照らし合わすことをしないのか、論証しようとしないのか。ここにおいても「極左暴力集団」活動家の特徴と私のあり方が同一でなく、自己矛盾、論証の破綻を示してしまっている。
あげくのはてに私が「JRCLの専従かつ指導的役割を担っていると認められ、活発に組織活動を行っていることが強く窺われた」と認定している。このように明記しているにもかかわらずが、「極左暴力集団」構成員の特徴から、なぜ比較分析しないのだ。できないところに明確な矛盾が露呈してしまっている。県が取り上げた「極左暴力集団」の特徴と、ことごとく私の生活、市民運動、活動パターンと矛盾しているではないか。
そのうえで県は、本件が「個人的かつ偶発的に敢行された犯行などではなく、背景にはJRCLという極左暴力集団の組織的方針、指示、命令、連絡等に忠実に従って行われたと認識した」と言うが、いったいいつ、どこで、どのような目的で、誰が、どのようにして指示して免状不実記載を計画し、実行したというのか。全く具体的に提示することができないではないか。
県が持ち出してきた理由の一つが、なんとJRCLの規約でしかない。しかもその「規約」に「民主主義的集中制にもとづいて運営され」ると書いてあるから、「組織的方針、指示、命令、連絡等」によって免状不実記載事件が起こったのだと描き出すという乱暴なレッテル張りのレベルでしかない。主観主義に満ちた自己に都合がいいように解釈・適用するという手法は、公安警察の常套手段である。このような違憲・違法なことをやりたい放題でできると思いこんでいるのだろうが、こういうあり方そのものが問題なのだ。
要するに県の違憲・違法に満ちた逮捕・勾留を必死でぼやかそうとしている姿が浮かび上がってしまっている。何一つ立証することもできず、具体的な事実を取り上げることもなく、安易に「組織的かつ計画的に行われた犯罪」だと規定しているだけでしかない。
このような独善的な姿勢を明らかに自己暴露してしまっているにもかかわらず、「任意捜査ではなく、強制捜査の正当性」など述べ、その根拠を提示することができないにもかかわらず、強引にあてはめてしまっている。
県は、具体的に説明できないことの現れとして、「武装闘争路線の一環として、組織活動を推進する目的のために行われた」ことを理由とすればなんでもできると勘違いしている。その延長において、「本件事件の真相を解明するに際しても、こうした組織的、計画的な犯罪であることを十分に認識した捜査の必要性は極めて高いと認められた」と自己判断し、「仮に任意手段によって捜査を行っても、これに応じる可能性は皆無であり」などと一方的な思いこみを行い、「極左暴力集団の特殊性に照らせば、殊更組織防衛を図ることは確実であった」と推測して、かなり飛躍しているにもかかわらず乱暴に断定してしまっている。
さらに、「極左暴力集団であるJRCLの組織的性格からも、捜査が原告ら組織関係者の身辺に及んだことを察知すれば、逃走、罪証湮滅が図られることは明白であり」などと断定してしまっている。
しかし私は、なぜ逃走しなければならないのか。いったいどんな罪証湮滅をするというのか。「極左暴力集団」の特徴からすれば、「逃走」「罪証湮滅」をするのだと直結させ、推測で結論づけているにすぎない。公安警察は、私が毎日、定刻どおり通勤していたことまで把握していた。この生活パターンを中止して、どこへ逃げるというのか。「逃走、罪証湮滅が図られる」とする説得力ある根拠を提示することをせず、自ら推定による判断で逮捕を
強行したことを自白しているではないか。
このように終始一貫して、「任意捜査」をしなかった正当化の根拠を全て推論、主観的判断、非科学的な認識のうえで認定し、違憲・違法捜査を強行してしまったことを自己証明してしまっているのが県の主張の全実態なのである。このような事実だけでも、大きな破綻に到達していることが明白ではないか。
五、実家の住所は、私の住所
県は、運転免許証の住所欄に対して原告の「住所複数性」という主張を、「道路交通法上の「住所」の解釈を曲解した独自の見解に過ぎない」と断定している。しかし、記載された住所は、実家であり、そこは私の「生活に最も関係が深い」場所である。「単なる連絡場所」ではなく、生家であり、将来、母親の介護も射程に入れながら定期的に帰宅していたのである。
つまり、実家の住所も、己の住所であり、真実の住所である。これは客観的事実であり、罪証湮滅する必
要性が全くない事実だ。
一体どこへ逃亡するというのか。このような事実を全く無視し、単純に「生活の本拠」ではないと規定することによって自己正当化しているにすぎないのだ。いったいこのような理由だけで「強制捜査の必要性が強く存在していた」ということができるのか。いったいどこに「合理的根拠を有する」と言えるのか。このような稚拙な論理によって私のみでなく、母親、兄弟姉妹、そしてパートナーに対しても甚大な被害を与え、人権侵害という暴力を行使したのである。
県の主張は、いずれも説得性がある具体的な根拠を提示することもできず、主観、手前勝手な判断による非科学的な認識と断定によって構成されているものでしかない。要するに県の主張は失敗しており、自らの違憲・違法な強制捜査、私に対する違法逮捕・勾留、人権侵害の強行であったことを素直に認め、真剣に直視し、反省すべきなのだ。原告の損害賠償請求を認め、違憲・違法捜査の犯罪性を検証し、繰り返さないために社会的に明らかにすべきなのである。
第三回裁判は、被告・神奈川県の準備書面(「極左暴力集団」と日本革命的共産主義者同盟(JRCL)の歴史と説明が七割を占め、本件に関することがたったの三割でしかないずさんな内容)に対する原告の反論書面の提出だ。
反論の第一は、県が階級的憎悪むき出しでAさんが所属するJRCLが「極左暴力集団」だから強制捜査・逮捕が適法であったなどという強引な自己正当化を厳しく批判する。
さらに成田闘争、反天皇制運動、反戦闘争の取り組みでさえも、「その『対抗』や『反撃』の手段・方法には、武装闘争を意味することも『否定できない』」などと決め付け、何ら根拠のない憶測と論理の飛躍に貫かれたものだと反論し、それらによって違憲・違法捜査が適法だったなどとは言えないと厳しく批判している。
第二は、内ゲバ党派とJRCLを「極左暴力集団」として一緒くたにし、強制捜査を正当化していることの論理破綻を暴き出している。そのうえで組織的背景や逃亡ないし罪証隠滅のおそれがまったくなかったことなども明らかにしている。
多くの仲間たちに裁判支援を呼びかけていくために、原告の反論の土台となった被弾圧者Aさんの陳述書要旨を掲載する。(Y)
神奈川県の準備書面を批判する(要旨)
10・24免状等不実記載被弾圧者A
一、JRCL(日本革命的共産主義者同盟)の目的と活動内容
県の準備書面は、「極左暴力集団」を「平和で自由な民主主義社会を暴力で破壊・転覆しようと企てている反社会的な集団」であり、「極左的革命理論の下に暴力的な闘争を進めている集団」であると規定する。このような県が描き出す「極左暴力集団」を根拠にして、公安警察が私に強行した違憲・違法捜査・逮捕を自己正当化している。こんな暴論は絶対に許されない。憲法第二一条の集会、結社および言論、出版などの表現の自由、第二十条の信教の自由、第一三条の個人の尊重・生命・自由・幸福追求の権利保障を否定するものだ。
県は、JRCLが取り組む成田闘争、反天皇闘争、反戦闘争などの取り組みを、「暴力的な闘争」「武装闘争」を堅持しているなどと乱暴に規定し、否定する。そして、「JRCLの本質は、自派が行った過去の多数の犯罪行為について肯定し、むしろ自画自賛するなど、武装闘争路線を堅持していることが、明らかであると判断された」などと述べ、正当な政党活動への不当な弾圧、破壊を目的とした違法捜査・不当逮捕を強引に適法だとする主張でしかない。
事実、県警公安三課は「JRCLによる成田闘争、反皇室闘争、反戦・反基地闘争及び反核・反原発闘争等に向けた同組織の活動家の動向に着目していた」と自認し、不当な弾圧を強行するために虎視眈々と狙っていた。憲法で保障された表現の自由、生存権、思想・信条・良心の自由を否定し、居直り続ける公安警察を許さない。
二、「極左暴力集団」の特徴?
県は、「極左暴力集団」の特徴の一つとして、免状不実記載等の事件を取り上げているが、いずれもその事件例は内ゲバ党派のケースであり、非公然活動家への不当逮捕事例を取り上げているものでしかない。免状不実記載等の事件は、「極左暴力集団」の特徴の一つであり、JRCLも同様の目的と特徴を持ったあり方として描き出そうとしているにすぎない。
免状不実記載が「武装闘争路線」を堅持し、その実現のための「前段階的行為」などと手前勝手に描き出し、「当然捜査の必要性が高いことは明らかである。」などと結びつけて自己正当化するところにねらいがある。
県警公安は、組織的指令があって、私が免状不実記載を行ったのだというシナリオを実証すると称して越境社、関西新時代社への不当な家宅捜索をしたが、その家宅捜査によって免状不実記載を指示し、組織的な背景によって実行されたという証拠は何一つ「強奪」できなかった。否、そんな指令も組織的な背景など一切ないわけだから提示することは絶対にできない。
さらに、「極左暴力集団」の特徴として、県内の免状不実記載等の事件の新聞切り抜きを提出しているが、そこにはJRCLによる事件記事はない。公安警察は、内ゲバ党派への弾圧手法の一つとして免状不実記載事件をでっち上げて不当逮捕を繰り返してきたが、今度は公然と市民運動展開を推し進めているJRCLへの見せしめ的な恫喝として私への強制捜査・逮捕を強行したのである。JRCLの構成員への免状不実記載等事件でっち上げが、今回初めてであるところに示されている。
三、私のライフスタイル
県は、私の事情(親が高齢で一人であることから、将来、介護問題も発生することもあり、住所は実家だった)が、「極左暴力集団」活動家の特徴ではないため県のフィルターにインプットせず、たとえ私の事情を熟知していたとしても、県の違法・不当捜査を証明してしまうために自己に都合が悪い私の諸事情を排除、無視し、「極左暴力集団」活動家像を描き出そうとした。
私は、一九九〇年半ば以降、過去2回の免許更新をしている。新事務所を設置してからも、従来通りにJRCLとして公然と諸運動を展開し、毎日出社していた。この生活と活動パターンを当然、公安は「掌握」していたはずだ。それにもかかわらずこの間は、なんら免状不実記載を口実にして不当逮捕を強行しなかった。今回の不当逮捕は、こういった経過からすれば、免状不実記載を口実にした別の意図と目的にもとづいて逮捕を強行したと判断せざるをえない。
事実、県は、「原告が他の一般JRCL構成員と比較しても、同組織において中心的役割を担っているものと認めていた」から不当逮捕をしたのだと本当の目的を自ら明らかにしている。すなわちJRCLという政治団体の組織破壊、成田闘争、反天皇闘争、反戦闘争などの市民運動に対する破壊と打撃こそが目的だった。私の政治運動参加を阻止するところに最大のねらいがあったのである。
県は、姓名の「秘匿性」の事例として集合郵便ポストの「表札欄には、いずれも姓などが記載されていないことを確認した」などと大袈裟に取り上げているが、「ボックスの表札欄」に姓を記載していないボックスは多数存在していることを意図的に隠蔽し、この事実をもって「極左暴力集団」活動家の特徴の一つである姓名の「秘匿」なんだと言いたいらしい。ならば郵便ボックスに姓を記載してない者は、全て「極左暴力集団」活動家だと言うのか。こんな稚拙な手法によって「極左暴力集団」活動家の特徴の一つだと証明しようとしているのだ。ちなみに郵便ボックスだけではなく、多くの住民が玄関表札にも姓名を出していない。なによりも多くの姓名を記載していない他の郵便ボックスの存在をどのように説明するのだ。
「極左暴力集団」活動家の特徴という偏向フィルターから極左活動家像を描きだす手法を「こじつけ」というのだ。こんな稚拙な手法によって、なんでも正当化することは絶対に許されない。
四、「組織的かつ計画的に行われた犯罪」では全くない
私が公然と市民運動を担い、展開していることをわざわざその事例を取り上げて、「JRCLが賛同する集会やデモに、他のJRCL構成員とともに、組織的に参加した事実が確認されるなど、JRCLの構成員として活発な活動が認められた」などと評価する。
逆に言えば、私が公然と政治運動をやっていることを認めているが、なぜこのことと「極左暴力集団」の非公然活動家の特徴を照らし合わすことをしないのか、論証しようとしないのか。ここにおいても「極左暴力集団」活動家の特徴と私のあり方が同一でなく、自己矛盾、論証の破綻を示してしまっている。
あげくのはてに私が「JRCLの専従かつ指導的役割を担っていると認められ、活発に組織活動を行っていることが強く窺われた」と認定している。このように明記しているにもかかわらずが、「極左暴力集団」構成員の特徴から、なぜ比較分析しないのだ。できないところに明確な矛盾が露呈してしまっている。県が取り上げた「極左暴力集団」の特徴と、ことごとく私の生活、市民運動、活動パターンと矛盾しているではないか。
そのうえで県は、本件が「個人的かつ偶発的に敢行された犯行などではなく、背景にはJRCLという極左暴力集団の組織的方針、指示、命令、連絡等に忠実に従って行われたと認識した」と言うが、いったいいつ、どこで、どのような目的で、誰が、どのようにして指示して免状不実記載を計画し、実行したというのか。全く具体的に提示することができないではないか。
県が持ち出してきた理由の一つが、なんとJRCLの規約でしかない。しかもその「規約」に「民主主義的集中制にもとづいて運営され」ると書いてあるから、「組織的方針、指示、命令、連絡等」によって免状不実記載事件が起こったのだと描き出すという乱暴なレッテル張りのレベルでしかない。主観主義に満ちた自己に都合がいいように解釈・適用するという手法は、公安警察の常套手段である。このような違憲・違法なことをやりたい放題でできると思いこんでいるのだろうが、こういうあり方そのものが問題なのだ。
要するに県の違憲・違法に満ちた逮捕・勾留を必死でぼやかそうとしている姿が浮かび上がってしまっている。何一つ立証することもできず、具体的な事実を取り上げることもなく、安易に「組織的かつ計画的に行われた犯罪」だと規定しているだけでしかない。
このような独善的な姿勢を明らかに自己暴露してしまっているにもかかわらず、「任意捜査ではなく、強制捜査の正当性」など述べ、その根拠を提示することができないにもかかわらず、強引にあてはめてしまっている。
県は、具体的に説明できないことの現れとして、「武装闘争路線の一環として、組織活動を推進する目的のために行われた」ことを理由とすればなんでもできると勘違いしている。その延長において、「本件事件の真相を解明するに際しても、こうした組織的、計画的な犯罪であることを十分に認識した捜査の必要性は極めて高いと認められた」と自己判断し、「仮に任意手段によって捜査を行っても、これに応じる可能性は皆無であり」などと一方的な思いこみを行い、「極左暴力集団の特殊性に照らせば、殊更組織防衛を図ることは確実であった」と推測して、かなり飛躍しているにもかかわらず乱暴に断定してしまっている。
さらに、「極左暴力集団であるJRCLの組織的性格からも、捜査が原告ら組織関係者の身辺に及んだことを察知すれば、逃走、罪証湮滅が図られることは明白であり」などと断定してしまっている。
しかし私は、なぜ逃走しなければならないのか。いったいどんな罪証湮滅をするというのか。「極左暴力集団」の特徴からすれば、「逃走」「罪証湮滅」をするのだと直結させ、推測で結論づけているにすぎない。公安警察は、私が毎日、定刻どおり通勤していたことまで把握していた。この生活パターンを中止して、どこへ逃げるというのか。「逃走、罪証湮滅が図られる」とする説得力ある根拠を提示することをせず、自ら推定による判断で逮捕を
強行したことを自白しているではないか。
このように終始一貫して、「任意捜査」をしなかった正当化の根拠を全て推論、主観的判断、非科学的な認識のうえで認定し、違憲・違法捜査を強行してしまったことを自己証明してしまっているのが県の主張の全実態なのである。このような事実だけでも、大きな破綻に到達していることが明白ではないか。
五、実家の住所は、私の住所
県は、運転免許証の住所欄に対して原告の「住所複数性」という主張を、「道路交通法上の「住所」の解釈を曲解した独自の見解に過ぎない」と断定している。しかし、記載された住所は、実家であり、そこは私の「生活に最も関係が深い」場所である。「単なる連絡場所」ではなく、生家であり、将来、母親の介護も射程に入れながら定期的に帰宅していたのである。
つまり、実家の住所も、己の住所であり、真実の住所である。これは客観的事実であり、罪証湮滅する必
要性が全くない事実だ。
一体どこへ逃亡するというのか。このような事実を全く無視し、単純に「生活の本拠」ではないと規定することによって自己正当化しているにすぎないのだ。いったいこのような理由だけで「強制捜査の必要性が強く存在していた」ということができるのか。いったいどこに「合理的根拠を有する」と言えるのか。このような稚拙な論理によって私のみでなく、母親、兄弟姉妹、そしてパートナーに対しても甚大な被害を与え、人権侵害という暴力を行使したのである。
県の主張は、いずれも説得性がある具体的な根拠を提示することもできず、主観、手前勝手な判断による非科学的な認識と断定によって構成されているものでしかない。要するに県の主張は失敗しており、自らの違憲・違法な強制捜査、私に対する違法逮捕・勾留、人権侵害の強行であったことを素直に認め、真剣に直視し、反省すべきなのだ。原告の損害賠償請求を認め、違憲・違法捜査の犯罪性を検証し、繰り返さないために社会的に明らかにすべきなのである。
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