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ついに自公政権を打倒した
8.30総選挙
自民・公明の歴史的大敗北と「政権交代」
新自由主義に終止符を!改憲・派兵阻止へ反転攻勢の準備を
ひとり勝ちした民主党
8月30日投票の第45回総選挙は、選挙戦本番に入ってからのメディアの世論調査の結果がそのまま反映され、前回を上回る69%以上の投票率の中で、民主党の圧勝、自公政権与党の完敗という結果となった。民主党はとりわけ小選挙区で300の定数のうち221を獲得し、比例区を含めて308、議席占有率64.2%という一政党としては空前の圧倒的多数の議席を手に入れた。民主党の比例区獲得票は42.4%、2984万票に達した。この票数も前回の小泉「郵政」解散で自民党が得た2580万票を上回るこれまでで最高の数字である。
自民党は小選挙区で敗れ比例復活した町村元官房長官、与謝野財務相、小池元外相、中川秀直元幹事長などを除いても、海部元首相、笹川総務会長、山崎元副総裁、久間元防衛相、中川昭一元財務・金融相らの有力ベテラン議員が落選し、選挙前の300議席の半数以下の119議席に転落した。公明党も太田代表、北側幹事長、冬柴元幹事長(元国交相)らが落選し、小選挙区議席をすべて失うなど致命的敗北を喫した。
前回の2005年9月の小泉「郵政解散」での自民圧勝を裏返しにしたような民主党の「一人勝ち」の中で、われわれが投票を呼び掛けた共産、社民などの「護憲」派野党は埋没してしまったが、比例区全体で共産党は7%、4943000票、社民党は4.3%、306000票を獲得し、現有議席を維持した。それは労働者・市民の運動にとっても重要な足場となりうるものである。
自公支持基盤の地殻変動
新自由主義的グローバル化の下で「民営化」と「規制緩和」、「自己責任」という名の「底辺への競争」を促進する「構造改革」路線を通じて格差・貧困社会を作り出し、ブッシュ前米大統領の「対テロ」戦争に追随して改憲・「戦争ができる国家」づくりを推進してきた自公政権は打倒された。
前回、政治と社会への怒りのはけ口を小泉元首相のデマゴギックな「改革」に託した人びとは、今回の総選挙では民主党による「政権交代」に希望の光を求めた。2007年の参院選で小沢・民主党が打ち出した「国民の生活が第一」というスローガンと政策は、地方や業界団体をはじめとした伝統的基盤を自民党から引きはがし、民主党の大勝をもたらしたが、今回の総選挙ではその趨勢はさらに奔流となって「利益配分」に依拠して成立してきた自民党の支持基盤を解体的状況に叩きこんだ。地方でも都市でも、農漁民、商工業者や医師会などの利益団体の中から、自民党から民主党への投票移動が大規模に発生した。
無内容で抽象的な一つ一つの政策「マニフェスト」への問いではなく、有権者はまさに自公政権そのものにノーを突きつけ、自らの手で自公を政権の座から引きずり下ろしたのである。自公政権への怒りは、2007年参院選でもそうであったように、新自由主義的「改革」政策による雇用の流動・不安定化と解体、医療・社会福祉の破壊や地方の切り捨てへの怒りであり、「生存」そのものが困難となる貧困・格差・不公正、「万人の万人に対する競争」による権利の破壊が引き起こした社会的絶望への不信であった。それはまた労働者・市民、とりわけ女性、高齢者、若者の貧困化の対極に莫大な利益をため込んだ大企業への怒りであった。
そして昨年来の世界的な金融・経済危機の爆発と企業の生産縮小による解雇・非正規切りが、こうした生きていくことそのものの困難をいっそう厳しいものにさせたことで、人びとの政治への不信はいっそう高まった。自公政権は、安倍から福田、福田から麻生へ、一年足らずの間に政権を投げ出した上に、自公政権の延命に汲々とするだけだった。政権支持率は急速に低下したが、麻生首相は国会解散を引き伸ばし政権の座にしがみつき続けた。その結果が、今回の「政権交代」だったのである。
筆者は東京都議選の結果についての文章で「(都議選結果)は既成政治への不満と閉塞感の突破を、『改革者』として現れた小泉元首相に託した『郵政選挙』の裏返しという構造を持っている」ものの、「民主党への投票は熱にうかされたような『小泉劇場』への擬似的な『参加』意識よりも、もう少し『醒めた』有権者の感覚を表現しているのではないだろうか」と述べた。それは「生活の苦しさ、厳しさを少しでも変えようとする多くの人びとの
『現実感覚』を示したものであり、したがってきわめて根深いものである」と。
そして筆者はそうした有権者の意識は「現実に進行する資本主義の危機に対する抵抗が、いまだ労働者・市民自身の主体的な参加に基づく大衆的運動としては形成されていないことの表れでもある」と書いた。いまここで積極的要素として付け加えるとすれば、その深層では、自公政権による改憲・戦争国家づくりを規定した米国の「対テロ」戦争が完全に破綻して米国の「一極覇権」が崩壊し、オバマ政権が誕生したという国際情勢の変化が、有権者の心理に大きな影響を与えていることだろう。
言うまでもなくわれわれは、オバマ政権を肯定的に評価するわけではない。その反対である。しかし彼の「チェンジ」のメッセージが、日本の有権者に与えた効果についても客観的に評価することは重要である。それは「北朝鮮脅威」キャンペーンに同調する意識とも矛盾的に併存するものなのではあるが。
民主党政権と労働者・市民
次期内閣の首班となる鳩山由紀夫民主党代表は、公示後初の街頭演説において「今回の選挙は革命的なものとなる」とぶち上げた。もちろんわれわれは総選挙の結果が「革命的」なものだとは言わないが、その歴史的な重大さについて過小評価すべきではない。何よりも労働者・市民は、戦後初めて自らの選択で「政権交代」を実現し、細川政権下の短期間を除いて1955年の「保守合同」以後万年政権党だった自民党を、少数野党の位置に引きずり下ろしたのだからである。
しかも戦後最大の危機がグローバル資本主義を襲い、経済・金融のみならず環境・エネルギー・食糧など複合的な危機が資本主義システムの限界を突きつけ、冷戦後の米国の一極覇権の危機が進行する国際的な激動の中で、民主党政権のみならず、あらゆる政党、政治潮流が厳しい選択を突きつけられている。それは、労働者・市民が厳しい対立の中で、自らを否応なくテストしなければならない時代でもある。
民主党政権は「国家戦略局」を設置し、「政治主導」で「官の支配」を打破し、外交・安保・行政改革・地方主権・経済財政などの課題に取り組むとしている。それが新自由主義的「改革」路線の下での「強力な国家」を築き上げようとする点で、ブルジョワ支配階級の根本的な利害に合致するものであることは明白である。
また民主党は「新時代の日米同盟」という枠組みの中で、「主体的な外交戦略」「対等なパートナーシップ」を強調し、「日米地位協定の改定を提起」し、「米軍再編や在日米軍基地のあり方」の「見直し」を提起している。その一方で民主党は「国連平和活動」への自衛隊の積極的参加、「海賊」対策への関与についても主張してい
る。
改憲問題については「国民の皆さんとの自由闊達な憲法論議を行い、国民の多くの皆さんが改正を求め、かつ、国会内の広範かつ円満な合意形成ができる事項があるかどうか、慎重かつ積極的に検討していきます」(「民主党政策集」INDEX2009)としている。しかし民主党の「憲法提言」(2005年)は、九条改憲による自
衛隊保持を明記しており、鳩山の改憲論は、「天皇元首化」と集団的自衛権容認に基礎を置いたものである。
当面これらの問題は、インド洋への海自による給油活動、辺野古への新基地建設、憲法審査会の起動などの諸問題において鋭く問われることになる。
新しい左翼潮流形成のために
民主党は、参院で野党共同提案として「派遣法抜本改正案」を作成し、また政権公約として生活保護「母子家庭加算」打ち切り撤回、高校授業料の無料化、中学生までの子どもへの実費支援、障害者自立支援法の凍結、農家への戸別所得補償などを打ち出した。またアンケートによれば民主党の新議員の中では、永住外国籍住民への地方参政権付与への賛成が過半数となり、女性議員を中心に「軍隊慰安婦」への謝罪と補償の国会決議と立法化に賛成する人も少なくない。もちろん民主党は、極右の日本会議国会議員連盟に属する議員も存在しており、こうした問題の焦点化を避けようとする力学が強く働くことも予想される。
こうした一連の問題を通して労働者・市民の運動に問われていることは、改めて自らの主張・要求を政党間の思惑から独立して堅持し、大衆的な運動を形成することを通じて要求を実現していく努力をいっそう強化しなければならないということである。それは、与野党間の駆け引きなどからは独立した運動の確立と、自らのオルタナティブを練り上げていく努力を、すべての左派勢力に提起する。そしてこの期間は、民主党政権への批判と対抗的オルタナティブの提起の中から、労働運動、市民運動、社会運動に根ざした反資本主義左派勢力の現実化を手繰り寄せるための試練ともなるだろう。
最後に、民主党政権の下での新たな政治再編はどのような形態をとるだろうか。「連立交渉」の帰趨がいまだ明らかではない現段階では確定的なことは言えない。しかし惨敗した自民党が選挙キャンペーンの中で前面に出した極右排外主義的批判を強めて、民主党にゆさぶりをかけようとすること、それと連動して極右勢力の策動が強まること、また同じく惨敗した公明党が、民主党との「関係回復」に走ろうとすることは十分に予測できる。
こうした情勢の展開に対応し、新しい左翼勢力の再編成に向けた原則的な論議を進めていくことが、われわれに求められている。
(9月1日、K)