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8月8日、上野水上音楽堂にて、今年も『平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動』が、韓国・台湾原住民そして中国の強制連行被害者家族などとの国際共同行動で成功させた。

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この日は、各国のスピーチの合い間に沖縄や韓国、台湾原住民の「飛魚雲豹音楽公団」などのミュージシャンたちが、豊かな音楽で集会に彩りを添えた。600人の参加者は、コンサート集会後、キャンドルやプラカードを手に持って、賑やかにデモ行進に出発。もはや恒例となったレイシスト集団の沿道からの妨害すら一種の「賑やかし」だ。



デモは、差別的言辞を投げかけるだけのレイシストを尻目に、沿道の人々に国際色豊かに「YASUKUNI NO!」「無断合祀を許さない!」と存分にアピールして、解散した。

この前日の8月7日には、「東アジアからヤスクニを見る」国際シンポが行われた。



▲キャンドル・デモ-日本人の隊列

8・7「東アジアからヤスクニを見る」国際シンポに320人

 2006年、08年に続き、今年も「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」が8月7日、8日の両日にわたって開催された。今年のテーマは、「東アジアからヤスクニを見る」。韓国からは学生を中心に50人、台湾からは立法院議員の高金素梅(チワス・アリ)さんを中心に原住民族の人びと50人が「還我祖霊」(靖国に合祀されている祖先の魂を取り戻そう)をスローガンに結集した。さらに今年は、強制連行され命を奪われた中国人の遺骨が発見されてから60年にあたり、追悼行動のために中国本土から来日した強制連行の生存者、殺された被害者の遺族も多数参加した。

 8月7日夜には霞ケ関の日本弁護士会館クレオ大会議室で、320人が参加してシンポジウムが行われた。最初の報告者は韓国の東北アジア歴史財団研究員の南相九さん。

 南さんは、「創氏改名」によって伝統・文化・生活を破壊された韓国人にとって、靖国神社とは神社参拝強制の記憶をよみがえらせるものであり軍国主義の象徴に他ならないことを指摘し、かつ祀られたくないのに無理やり「神」として祀られる人権剥奪であることを訴えた。南さんはさらに、「差別なく祀られている」という靖国神社側の説明が嘘であることを明らかにすると共に、韓国人の合祀への関与を否定する日本政府の答弁、見解にもかかわらず、靖国神社側は「合祀の選考基準」が「国の認定」によるものであると主張していることを挙げ、日本政府の言い逃れを批判した。


▲キャンドル・デモ-台湾原住民の隊列

 次に、台湾の高金素梅(チワス・アリ)さんが、日本の植民地支配、とりわけ原住民族への「討伐」という名の大虐殺の実態を数々の写真を映し出しながら厳しく告発した。

 「台湾の原住民族は日本軍国主義の侵略と植民地支配を受けてきた。台湾総督府の資料でも1896年から1920年までに138回の『討伐作戦』が行われ7080人が殺され、4123人が負傷した。1905年の調査では原住民の総人口は約83000人だから、そこから計算すれば人口の八分の一が死傷させられたことになる。私たちは民族の恨みを呼び覚まそうとしているのではない。原住民族の歴史を問い返すことが目的だ。台湾政府はこうした植民支配の歴史を教えようとしていない。日本政府は歴史に正面から向き合うべきだ。それこそが東アジアの平和を作り出す道だ」。

 「私たちは2005年9月の大阪高裁判決で小泉首相の靖国参拝違憲判決を引きだしたが、その数日後に彼は参拝を強行した。小泉の参拝は日本政府の意向であり、日本政府に謝罪の意図は全くない。またこの違憲判決は原住民族の権利が侵害されたことへの判断を下したわけではない。そこに大きな矛盾がある」。

 「私たちはそこで2006年8月に『高砂義勇隊』という台湾原住民戦死者への合祀取り消しを求める訴訟を行った。靖国神社は『英霊』はすでに神になっているので分離できないと言っている。しかし原住民族は神道とは関係ない。一人でも合祀が嫌だと主張すれば、合祀などすべきではない」。

 「靖国は加害者と被害者を一緒にする過ちを行っている。原住民を殺した兵隊が靖国に祀られ、その兵隊によって親を殺された子どもが日本軍兵士として同じ靖国に祀られるということなど許せるものではない」。

 高金素梅さんは、戦時中の統計で16万人に達する原住民族のうち1万人が『高砂義勇隊』として動員され、約半数が戦死し残りの多くも負傷したことを紹介し、合祀も1977年になってから知らされた事実を怒りをこめて糾弾した。


▲キャンドル・デモ-韓国人学生の隊列

 次に「戦死者の追悼――その日独比較」をテーマにシュテファン・ゼーベルさん(東大総合文化研究科博士課程)が報告した。ゼーベルさんは、第二次大戦後の西ドイツでは、戦死者が「英雄」としてではなくナチスによる「戦争と暴力支配の犠牲者」として追悼されてきた経過を説明した。一九世紀に「戦死者追悼の場」として建設され、戦後は東ドイツの下で「ファシズムと軍国主義の犠牲者」を追悼するために使用されてきた「新衛兵所」は一九九三年以後、統一ドイツの中央追悼所として改築された。しかしその銘文では、「加害者」と「被害者」の関係があいまいであり、「戦争犯罪者とホロコーストなどの犠牲者が同等に扱われている」という批判も多い。

 とりわけドイツ統一後、ドイツ連邦国防軍は旧ユーゴ、アフガニスタンなどに派兵され事故や「テロ」攻撃によって約70人が死亡している。新しい「ドイツ連邦国防軍栄誉の碑」の除幕式が今年9月7日に行われる。ここではこの新たな戦死者の評価をめぐって論議が白熱化していくだろう。ゼーベルさんは、このように説明した。

 このシンポジウムに沖縄から報告者として参加する予定だったが台風八号による航空便の欠航のため参加できなくなった石原昌家さん(沖縄国際大教授)からの報告が読み上げられた。

 石原さんは、1952年4月30日(すなわち講和・安保条約発効の2日後)に制定された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が翌年沖縄にも適用されることで、沖縄の遺族の靖国参拝が誘導されていった、と述べた。さらに「援護法」をすべての戦争被害住民に対して適用するために、「準軍属」の概念を、日本軍によって壕から追い出されて死亡した人びとにも拡大したこと、そのためゼロ歳児からお年寄りまで「英霊」として靖国に合祀されることになった、と語った。

 「日本軍の指導・誘導・説得・強制・命令などによって、親子・友人・知人同士で殺しあう形を取らされて『集団死』した場合も、『壕提供』同様に『集団自決』という軍事行動による『戦闘参加者』という身分が与えられ、ゼロ歳児でも『準軍属』扱いされて、靖国神社の祭神になっています。つまりそれによって遺族は、『遺族給与金』という経済的援助を受け、無惨に死んだ赤ちゃんでさえ、名誉ある戦死者、殉国死した者として、靖国神社で『天皇の親拝』を受け、『精神的癒し』を受ける形になっているのです」。

 石原さんはこの中で取り組まれている「沖縄靖国合祀取消訴訟」の意味を強調した。

 最後に実行委員会共同代表の内田雅敏さんが1995年の「村山談話」を引用しつつ、最低限の出発点として「村山談話」からの後退の流れに抗して闘うことを提起し、同じく共同代表の徐勝さんから来年のドイツ行動の計画を含めた提起があった。(K)

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