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夏淑琴さん勝訴

 十一月二日東京地裁で、ある「損害賠償」訴訟の判決が行われた。一九三七年十二月十三日、南京を占領した日本軍によって家族七人を殺害され、自らも銃剣で刺され瀕死の重傷を負った夏淑琴さん(78歳)が起こした訴訟だ。「南京大虐殺はなかった」派の中心的論客である東中野修道・亜細亜大教授が著書『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社刊)の中で、夏さんを「ニセ証言者」として誹謗したことに対し、夏さんが名誉棄損だとして著者・東中野と出版社に損害賠償を求め、夏さんが勝訴したのである。東京地裁は「原告の名誉を棄損し、名誉感情を著しく侵害」したとの理由で、被告の著者と出版社に四百万円の支払いを命じた。

   nan


 東中野が「夏さんを南京大虐殺のニセ証言者」だとして誹謗した根拠は、「英語文献によれば夏淑琴さんにあたる八歳の少女は殺されて存在しないはずだから、生きて証言している夏さんはニセ者」ということだ。しかし東中野の論拠は「銃剣で刺した」と訳すべきところを「銃剣で突き殺した」と誤訳したことに基づいている。判決文は東中野の「誤訳」について「被告東中野の原資料解釈はおよそ妥当なものとはいえず、学問研究の成果に値しない」と批判した。

●大虐殺の戦争犯罪を誰も否定できない

 七十年前の一九三七年十二月十三日、当時の中華民国の首都南京を占領した日本軍によって、投降した中国軍捕虜、一般市民への大規模で組織的な虐殺、強かん、略奪が行われたことは絶対に否定できない事実である。その具体的な証拠は、笠原十九司の『南京事件』(岩波新書 1997年)、藤原彰の『南京の日本軍』(大月書店 1997年)のみならず、右派の論客として祭り上げられている秦郁彦の『南京事件』(中公新書 1986年)に掲載されている、当時の日本軍の各部隊自身による「戦闘詳報」などの諸記録文書、将官・兵士自身の数多くの日記や証言などによって明白である。

 秦はこの書において「日本軍が満州事変いらい十数年にわたって中国を侵略し、南京事件をふくめ中国国民に多大の苦痛と損害を与えたのは、厳たる歴史的事実である。……」「それを失念してか、第一次資料を改竄してまで、。『南京“大虐殺”はなかった』といい張り、中国政府が堅持する『三十万人』や『四十万人』という象徴的数字をあげつらう心ない人びとがいる」「数字の幅に諸論があるとはいえ、南京で日本軍による大量の『虐殺』と各種の非行事件が起きたことは動かせぬ事実であり、筆者も同じ日本人の一人として、中国国民に心からお詫びしたい。そして、この認識なしに、今後の日中友好はありえない、と確信する」(あとがき)とまっとうな歴史認識を開陳していた。彼は南京での虐殺の死者数を中国側の主張する「三十万人」ではなく、「三・八万人~四・二万人」としていた。だがそれでも、彼の批判は主要に「南京大虐殺『まぼろし』説」に向けられていたのである。

秦郁彦の自説変更

 しかし、今年発行された同書の増補版に付け加えられた「南京事件論争史」の中で、秦の姿勢は大きく変化した。彼は山川出版の高校用教科書『詳説日本史』の南京大虐殺の項で「犠牲者数については数万人~四〇万人に及ぶ説がある」と書かれていることについて「出所不明の『四〇万』にはおどろかされた」と嘲笑し、「理科の教科書に〈月に兎がいるという説もある〉と書くに似ている」という上杉千年の評に同意しているのである。

 秦はまた、「新しい歴史教科書をつくる会」の中から派生した東中野修道らの「日本〈南京〉学会」の「大虐殺はなかった」とする主張についてもいささかの批判を交えることなく言及するとともに、「慰安婦問題をめぐる米下院の対日非難決議事件の背後にやはり中国系アメリカ人の反日組織が動いている」「南京事件をふくむ中国の反日政策」(増補版あとがき)など、「大虐殺」問題に関しては「中間派」として自己規定しながら、実際にはそのスタンスを大きく極右の「大虐殺は虚構」派に移している。

 安倍晋三・前首相や中川昭一・前自民党政調会長らの圧力によるNHK「女性国際戦犯法廷」番組の改ざんにあたって、急きょ挿入された同法廷の意義を否定する発言の当事者である秦による「増補版」は、一九九〇年代以後の極右国家主義の流れに彼が乗っかってきたことを示している。

 極右の「大虐殺はなかった」派は、「正論」、「WILL」などの臨時増刊号(07年11月発行)で「南京大虐殺虚構」論を改めて繰り返している。しかし「正論」増刊号がほとんど以前の同誌に掲載された東中野修道らの文章の再録であることからも示されるように、そこには新しい「主張」はまったく見られない。

 「大虐殺はなかった」論の要点は、「大虐殺は国民党国際宣伝処の反日宣伝・情報戦の結果として広まったもので写真は偽造されたもの」「南京市内で殺された『捕虜』や市民は平服の『便衣兵』で、彼らを殺害することは戦争法規に反するものではない」などということに尽きる。後者の「便衣兵は戦争法規によって保護される対象ではない」論は当時すでに日本も批准していた「ハーグ陸戦法規」によって明確に否定されていることを指摘した吉田裕の論文にによって決着がついている(それは後述する北村稔の著書によっても、しぶしぶながら認められている)。

 したがって「大虐殺否定」論の主要な論拠となっているのは、「国民党の謀略宣伝」論だろう。歴史学者の中で東中野とならぶ「大虐殺否定派」の論客の一人である北村稔・立命館大教授は、「歴史研究の基本に立ち戻る」と客観性を装いながら、そのためには「『南京での大虐殺』が〈在った〉か〈無かった〉かを性急に議論せず、『南京で大虐殺があった』という認識がどのような経緯で出現したかを順序だてて確認する」ことが必要などと述べている(北村『「南京事件」の探究』文春新書 2001年)。

 これが詐術であることは誰にも明らかだろう。「在ったか無かったか」は歴史学的な議論としては、公平性を装って「決着」を先送りするべきテーマなのではない。「大虐殺」の存否は、数多くの証人・証言とともに先述した日本軍自身の「戦闘詳報」などの公式文書ですでに明白なのだからである。彼は問題を「大虐殺があったという認識」にすり替えて、この認識が中国国民党の宣伝戦・情報戦によって広げられた、というところに集約する。そして「大虐殺」を「三十万人の犠牲者という大虐殺」に絞り上げて「三十万人」という数字の根拠に疑問を投げかけることで、あたかも「大虐殺」そのものが存在しなかったというところに世論を操作的に誘導するのだ。

なぜ詐術は繰り返されるのか

 笠原十九司は次のように批判している。
 「否定論には二重構造があります。すなわち、〈南京事件はまったくなかった〉という全面否定と、〈三〇万人の虐殺はなかった〉という部分否定を意図的に混同させて用いる『論理』構造です。……否定派は、〈三〇万〉という数字を否定してみせることで、全面
否定に向けた印象操作を行なうとともに、南京事件が中国の〈プロパガンダ〉によって構築されているというイメージを造成しようとしているのです」(「南京事件論争の過去と現在」、『世界』08年1月号)。

 デマゴギッシュな「印象操作」によって「南京大虐殺」を否定する極右派の主張は、学問的に受け入れられることはありえない。しかしそれにもかかわらず、彼らの歴史偽造は、軽視されるべきものではない。安倍首相の無様な退陣によって「靖国派」に示される極右国家主義の政治路線が重大な後退を余儀なくされたにもかかわらず、依然として世論の中に影響力を持っている。

 「政治路線」としての「大東亜戦争肯定」論の非現実性にもかかわらず、いやそうであるがゆえに、天皇制日本帝国主義の侵略史をまるごと肯定し、「国家としての誇り」を歴史の中に幻想的に見いだそうとする動きは、これからも繰り返し登場するだろう。この「幻想」自身、新自由主義的な「底辺への競争」がもたらす貧困、社会的不安、絶望の中に物質的基盤を持っているからだ。

 「日本会議」に代表される極右「靖国派」は、自民党、そして民主党の中にもいまだ強力なイデオロギー的潮流として存在している。この潮流との対決は、労働者・市民の強力な政治運動によってのみ前進しうる。そして現実の変革をめざす強力な政治運動は、日本帝国主義の侵略と植民地主義の加害の「記憶」をよみがえらせ、それを主体的に克服するための歴史認識を現在に生きるわれわれが獲得していく作業を必要とするのである。(K)

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