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報告・丁言實さん 
テーマ「オリンピック後の中国、そしてチベットについて」


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はじめに

 中国の問題について論じるのですから、本来であれば、中国国内の左翼がこの場に来て、日本の皆さんと交流することが一番望ましいと思っています。じつはここ3、4年のことですが、中国国内では若い社会主義者の人達が登場しています。しかし、中国は非常に独裁的な体制であり、政治的な問題について自由な意見交換ができないですし、またこのような場で中国政府を批判すると、弾圧されてしまうという状況です。

 ですので、今日は、そのような中国の若い社会主義者にかわって、比較的言論と政治活動の自由が保障されている香港を活動拠点にしている先駆社のメンバーであるわたしから、いま中国国内で起きている事態について報告したいと思います。

 一つは、中国の民族主義の発展、現状についてです。オリンピックを契機にチベット問題が浮上しましたが、それにからめてお話したい。二つめは、中国支配体制、権力者の胡錦濤主席や温家宝首相を中心とする新しい指導部の動向について。三つめが中国国内の知識人の中で思想的論争について紹介します。


オリンピックと民族主義

 最近、終了したばかりのオリンピックのスローガンは、「同じ世界、同じ夢」でしたが、これが本当に国内の人、すべての心に響き、それほどまでにオリンピックが美しい世界をもたらしたのかについて疑問があります。

 国内では住民、労働者は、様々な不満を持っている。なかでも政府に陳情して、問題の解決を図るということがあります。北京でも同じように全国から人々がやってきて、寝泊まりし、政府機関に陳情することがありました。そういう人たちが一つの場所に集まり、コミュニティーを作りましたが、オリンピックを前にそこは強制的に撤
去されてしまいました。

 政府は、オリンピックの前に民主的ポーズをとるということで、デモ・抗議行動を行う特別な空間を北京市内に設置しました。そして、オリンピックの開催期間中には、77件のデモ申請、抗議行動の申請がありましたが、そのうちの一つも認めなかった。

 例えば、抗議行動をしたいということで、ある女性がデモの申請をしたが、却下されてしまった。しかし、この機会に自分の問題を訴えたいということで抗議行動をやろうとしたんですが、弾圧され、後に実刑の判決を受けた。

 このように強権的なことをしてまで、なぜ不評をかいながらも中国は、オリンピック開催をしようとしたのか。オリンピックを成功させることによって中国が一つの大国であるということを内外に示す目的があったからです。

 こういう形で中国が大国になっていることを内外に示そうと思ったのは、政府だけではなく、オリンピックを観ていた市民の人たち、若い人たちも含めて、大国の仲間入りすることについて一体感を持つということもありました。

 普通の中国の人たちと話せばわかるかと思いますが、庶民の人たちは政府に対して不満を持っている。政府に対する厳しい意見をする人でも、台湾の問題、チベットの問題、ウィグルの問題に対しては、態度が百八十度変わったかのように中国政府と同じような主張を行うことがたびたびあります。

 これは一つの民族主義だと思いますが、中国における民族主義は、歴史的にみれば、19世紀、アヘン戦争以降から明確になったと思います。様々な帝国主義諸国が侵略し、日本も中国を侵略しましたが、その侵略者を跳ね返した、追い出したというのも中国の民族主義です。

 しかし、これは当時の民族主義です。今は、中国が置かれている国際的な状況を重ね合わせてしまう人もいます。例えば、台湾問題では、アメリカは台湾問題を利用して中国国内の政治を揺さぶろうとしていると考える中国の人たちがたくさんいます。

 3月、チベットで発生した抵抗運動を中国政府は暴乱と規定していますが、チベットの抵抗が漢民族の人たちの同情を得ることができなかったというのも民族主義に根ざしている。

 今、席巻している民族主義と、かつての民族主義とは分けることができます。かつての民族主義は、やはり進歩的であった。新しい民族主義は、同じように進歩的だと言えない。

 中国の主流メディアは、チベットに対する論評として、3月に起こったチベット民衆の抵抗を亡命政府ダライ・ラマが主犯として背後で操っている、亡命政府の背後にはアメリカ帝国主義がいるという主張が一般的な認識となっています。民衆でも、そのように感じている人たちが多いです。

 しかし、残念なのは、中国国内にいる左翼の人たち、あるいは毛沢東主義者の人たち、それ以外のラジカル左翼の人たちにも、今回の問題を中国政府対ダライ・ラマ、背後にいるのがアメリカ帝国主義と考える人たちが多い。

 なぜこの対立構造が残念かというと、チベット民衆に対する大漢民族主義が問題であるということではなく、この問題を非常に軽視するというところの意識から中国政府対ダライ・ラマを描き出しているのではないかと思うからです。

 大漢民族主義は、実際に存在する。例えば、学校教育で、小学校、中学校においてチベット民族が自分たちの言葉で学ぶことができるという政策はありますが、高校や大学では、自分たちの言葉で学び続けることができません。

 もう一つの例として、中国政府はチベット、その他少数民族地区で民族自治を実施していると言っている。確かにチベット自治区の行政の長は、チベット人です。しかし中国共産党チベット地区委員会の最高指導者は、一貫して漢民族でした。そして中国は自治体の権力よりも、党の権力のほうが強い。一番権力を持っているのが、漢民族出身の人間であったということです。

 例えば、今の国家主席の胡錦濤は、1989年ラサで大きな抵抗運動があった際にはチベット自治区の党委員会のトップだった。民衆の抵抗に対して苛酷な弾圧を加えた人物でもあります。

 3月14日、ラサで大きな反乱がありました。それについては、もちろん中国国内で報道はされていますが、なぜこのような大きな騒乱があったのかということについては、中国政府はあまり国内では積極的に述べていません。

 3月10日は、1959年にダライ・ラマが中国からインドに亡命した日にあたるわけですが、3月10日を記念するということでラサのお寺の僧侶が平和的なデモ行進をすると準備をしていた。当局は、その日に僧侶をお寺から一切出さないことを決定し、実行しました。それに対する反乱として3月14日、ラサであのような事件が起こっ
たのが始まりです。

 もし仮に、当初から僧侶たちのデモを許可していれば、その後の大きな反乱は起きていなかったのではないかと私は思ってます。

 なぜ中国共産党が、これほどまでに厳しい弾圧を行うのか。イデオロギー的根拠として、二つある。そのうちの一つは、中華民族の統一という思想が中国には一貫してあります。チベット民族、その他の少数民族と漢民族含めて一緒に中華民族であるという考えがあるからです。

 もう一つのイデオロギー的根拠として、スターリニズムではないかと思います。国家のシステムの中で、このスターリニズムは、下から上への様々な力を一切認めない。上から下への指令しか認めない。あるいは民衆の民主的権利を認めない。これらがスターリニズムに内包されているからです。

 しかし少し歴史を遡ると、中国共産党の初期の民族政策を見てみますと、1920年代、40年代にかけては、今のようなものではなかった。

 初期共産党の党綱領の中には、各民族は自決する権利があると明記されていました。中国共産党が山の中に逃げ込む1931年に江西省で中華ソビエト政府を建設した際の綱領の中にも、同じく民族の自決権が明確に述べられていました。

 しかし、その後、毛沢東が権力を握っていく中で、1940年代の延安の時代では、当初あった民族政策の中の自決権を少しずつ後景に追いやり、歴史の中に埋めてしまいました。

 このようなチベット問題について、私たちの立場は、二つあります。チベットもそうですし、台湾においてもそうですが、その地域の民衆の自決権をまず認めるということです。自決権の中には、分離・独立をして国を作る権利も、もちろん含まれているということは言うまでもありません。

 とはいえ私は、なにも独立せよと言っているわけではなく、独立する権利はある、そしてその地区の人たちが独立を選んだのであれば、それを尊重する。そうではなく統一をしたいと、一緒になりたいと言うのであれば、それを積極的に進めるというのが私たちの立場です。

 もう一つの立場は、例えば、漢民族、チベットの人たち、台湾の人たち、それぞれが民族や、あるいは国境を隔てることなく政治的な自由と社会的な平等を一緒に求める取り組みをするべきだと私は思います。

胡錦濤-温家宝体制の最近の動きについて

 最近の中国政府のスローガンは、「調和ある社会を作る」です。このような中国政府の立場を援護射撃するかのように政府系の知識人は、「調和ある社会」、すなわち社会主義のことなんだと言っています。

 なぜこれほどまでに中国政府が、やっきになって「調和ある社会を作る」と呼びかけているのか。それは今の中国があまりにも調和がなく、混乱して大きな矛盾を抱え込んだ社会になっているからです。

 今、中国のメディアの中で様々なニュース、例えば、社会的な騒乱が報道される時に使われる用語が「具体的に関わりがない人たちが騒乱に参加した」と使われています。

 これは中国のいろんな都市部で、町中で何人か固まっていると、その周りの人たち、通行人は、なにかもめている時は、なにか事件があったのだと野次馬が増えるのですが、それは単なる野次馬ではなく、政府役人やお金持ちが庶民をいじめて暴力事件が発生したのだというふうな想像を働かせて、たくさんの人たちが取り囲むのが日常茶飯事です。集まる人たちのほとんどは、被害者の怒りを代弁しようとする。

 中国南西部の貴州省で暴動事件がありました。ある女性が殺されたが、その犯人は地元政府の役人の息子だった。その噂が広まり、人々の怒りが爆発した。

 この事件からも、今の中国社会における社会的矛盾が蔓延し、危機的な状態になっていると思いますが、しかしこれはすぐに人々が立ち上がって、社会を変える力につながることではありません。

 なぜそれが非常にそうならないのかというと、今の中国では、基本的人権、自由がないからです。報道の自由もありません。自分たちでメディアを作ることもできません。また、結社の自由も制限されている。自立的な労働組合を作るとか、政府に批判的なNGOを作ることも極めて難しい状態です。

 しかし毛沢東時代と比べて、ほんの少しですが、進歩的な状態になってきた。毛沢東の時代は、政府から独立、自立した考えを持つことですら許されなかったからです。今は、自分で物事を考えることについては、批判はされませんし、問題視はされません。

 例えば、私もそうですが、自分はトロツキストだと、今の中国共産党主流とは違う人間だと言っても、言うだけなら弾圧はされません。

 しかし、そのような個人の考えについては、厳しい弾圧はありませんが、組織的な活動になりますと、話はがらっと変わって、すぐに取締りの弾圧対象となってしまいます。

 例えば、数年前、インターネットのウェブサイト上で毛沢東思想ネットワークを立ち上げた人たちがいた。たくさんの人たちが登録し、メンバーになりたいという人が200人ほどいました。それを見た中国政府は、すぐにそのウェブサイトを規制し、ネットワークの呼びかけ人を弾圧しました。

 インターネット上のネットワークですから、具体的に何かをやるのではないのに、それさえも認めないのが中国共産党の姿勢です。

 これが人々の抵抗をなかなか組織しづらい理由です。

都市部の労働者の状態

 都市部の労働者階級は、二つのカテゴリーに分けることができます。一つは国有企業で勤めていた労働者、もう一つは地方から出稼ぎにきた人たちです。

 国有企業は、1997年から民営化が本格的に進められました。その過程で国有企業に勤めていたたくさんの労働者が抵抗運動をくり広げたことは事実です。その中で民営化反対運動は、2000年、東北地方の黒龍江省大慶の国有企業、遼寧省遼陽という都市で民営化反対の大きな闘いがありました。二〇〇四年~二〇〇五年にかけては、四川省重慶市で大きな民営化反対の闘いがありました。

 しかし、このような民営化反対闘争は、2005年以降は、あまり見られなくなりました。私の評価としては、二〇〇五年を契機とし民営化闘争は、敗北したのではないかと思います。敗北の原因は簡単に言えば、国有企業の労働者の中に新中国建国以降、官僚体制に依存するようなことがあったからではないかと思います。その官僚支配体制が国有化ではなく、民営化を進めるという事態になった時、これまで依存してきたために、官僚体制に効果的な抵抗運動をくり広げることができなかったわけです。

 遼寧省遼陽、四川省重慶であった抵抗闘争では、参加した労働者たちは毛沢東の肖像を掲げてデモ行進をしたり、抗議行動をしました。それによって政府からの弾圧を免れることができるのではないかと判断していた。政府は、全く配慮することもなく、労働者を粉砕してしまった。

 もう一つの労働者のカテゴリーとして、出稼ぎにきた労働者があります。出稼ぎ労働者が始まってから20数年たっている。だから労働者の権利意識など様々な自信が高まっていると思います。

 例えば、香港の近く、広東省には、たくさんの工場があり、たくさんの出稼ぎ労働者が働いています。そこでは毎日、少なくとも一件のストライキが起きています。

 しかし、毎日のように起こっているストライキが、なぜ拡大していかないのかというと、一つは中国にはストライキを法律的に許していないことがあり、さらに政府系労働組合があるが、自立的な労働組合の結成を認めていない。出稼ぎ労働者も労働組合は自分たちを弾圧するものだと考える人たちもいる。さらに労働組合とは何なんだと、知らない人たちもいます。

 ですからストライキに関する法律を作ることが求められています。自立的な労働組合の結成を認めさせることが必要です。たくさんの抗議行動が発生しているにもかかわらず、広がっていかない。

中国知識人たちのイデオロギー論争について

 10年前から始まったことですが、知識人の中に二つの大きな流れができました。一つは、自由主義を信奉する知識人。もう一つは、新左派と言われる人たちの流れです。

 自由主義派は、言論の自由、結社の自由等々について主張するわけですが、その一方で新自由主義を主張しています。それは中国のWTO加盟、経済政策において政府が進めている新自由主義政策を支持しています。

 新左派の潮流は、かつての1968年、ヨーロッパを中心としたニューレフトの流れとは、なんら関係がない人たちです。

 この潮流は、幅広い。例えば、民族主義新左派、毛沢東主義者、社会民主主義者などの知識人たちを新左派と言われています。

 新左派の中で大きな潮流なのが民族主義新左派です。この人たちは、政府が進めている新自由主義に反対をする。だがその理由は外資等が中国民族資本のライバルになるからだというのです。必要なのは民族資本発展であるという主張です。

 10年前からこのように論争が行われてきたが、中国資本主義発展の矛盾にしたがって新左派の中でも、新しい人たちが登場しています。

 革命的な左翼を目指す知識人で、外資が中国の中で荒稼ぎすることに反対し、だからといって中国民族資本の発展を支持するわけではない。このような原則的なマルクス主義者は、おそらく私が知っている中では20人にも満たないのではないかと思います。この人たちは、非常に若いという特徴があります。高校生もいます。新自由主義に反対し、民族主義、民族資本にも反対しています。かつてのような毛沢東主義の体制に戻ることも反対しています。新しい自立的な社会主義の社会を目指しています。

 若い人たちの中には、かつて毛沢東主義からチュチェ思想へと思想的に模索した人もいます。彼の場合は、2005年に重慶での民営化反対闘争に支援する活動に飛び込んだが、すぐに政府の弾圧にあった。一ヶ月間、勾留された。

 今後、中国の資本主義の発展によって深まる矛盾、新自由主義であろうと、民族主義であろうと、解決することはできない。どのようにこの問題を解決するかということは、ほんとうのオルタナティブを探すのか。このような若い人たち、酷い労働現場で直面している労働者たちが、新しい道を求めているのだと思います。

 中国は情報が統制され、自由な言論もない状態です。新しく登場してきた若い人たちが、今後、どのように活動をしていけばいいのか。歴史的経験、国際的な情報もない状態になっている。香港では、まだ自由な言論が認められている。日本でも、自由な経験もあり、左翼の伝統もあり、様々な経験を中国国内の新しく登場してきた人たちに伝えていくことが、中国の外にいる私たちの役割です。

 ぜひ皆さんとも情報を交換しながら一緒に活動を行っていきたいと思います。

最後に

 今後も中国の実態について伝えていくし、もっと知ってほしい。日本の左翼運動が中国の左翼運動に果たすことができる役割は、たくさんあるだろうと思います。

 中国の左翼は、すでに話しましたが限られた情報の中で、限られた社会の中で活動をしていて、非常に狭い知識しか持っていません。しかも毛沢東という偉大な共産主義者が登場した国であるということで毛沢東主義、中国の革命こそが一番だというイデオロギーで固まっている人たちもいるからです。

 様々な海外の左翼の経験を中国に伝えることによって、マルクス主義は新しいステージにはいることができます。

丁言實さん報告に対する質疑応答

質問
 現在、民族主義が強いのか。どのくらい浸透しているのか。


 紹介してきた民族主義は、中華思想のような世界の中心が中国だというものではないと思います。

 今の中国の経済発展と世界的台頭の中で、全ての人民は努力して、この中国の経済発展に貢献するべきだというものです。そして、経済発展を阻害する様々な要因については、反対をしようというのが、現在の民族主義です。

 また、このような民族主義に一番染まっているのは、都市部の若い青年たちであることも事実です。労働者、農民たちは、若い人たちが抱いている民族主義を持ってはいません。政府が主張する安定した社会、安定した社会を作るために努力すべきだという考え方が影響力を持っています。

質問
 農民反乱はどのように起こっているか。今後どうなっていくか。


 1980年代初めは、中国の農民が一番政府に対して信頼を置き、満足していた。

しかし90年代に入って、様々な名目で農民からの徴収が強化されていった。農民は政府に不満を抱き、九〇年代初め頃、たくさんの農民反乱が起こった。

 1993年、四川省で大規模な農民反乱が起きました。もちろんその後、鎮圧されてしまった。八〇年代の当初と違って、今は農業で生活をしていくことは厳しい状態になっていますし、それが背景となって、たくさんの人たちが都市に出稼ぎに行っている事態になっている。だからかつてほどの農民反乱は起きていない。

 胡錦濤体制になって農村に対して、わずかばかりの譲歩をした。改良的な政策を導入した。

 一つは農業税があって、農民にとっては非常に厳しいものだったが、税金をなくした。農村における義務教育を実現した。最後は農村地方に対する財政出動、投資を行った。しかし多額の資金が投資されたが、本当に現場まで降りているかというとたくさんの疑問符が付きます。

 私が農村の中で一つ注目しているのは、農村において資本主義的な大規模な農業が実施されているということです。ですから今後、資本主義における農業の危機というものが、世界と同じように中国でも発生すると思います。毛沢東の時代と違って、若い人たちは出稼ぎにでかけてしまって農村に残っていない状態です。新たな毛沢東が農村で出現することは難しいのではないかと思います。

質問
 労働契約法は、労働者にとっていかなる意味を持つのか。


 胡錦濤体制が労働契約法を2008年1月1日に施行したことは、一つの法律にのっとった労使関係を中国の中で作りたいという意図があるからです。しかし、政府の思惑と実際の労働現場における状況の発展というのは、一致はしていません。

 この労働契約法が施行される前に、労働現場では、本来は労働契約法によって権利が守られたであろう労働者たちを解雇してしまった。労働契約法では、長年の労働者に対しては従来通りの労働条件を適用するべきだという決まりがあったのだけれども、法律が施行される直前に、一度解雇して、労働条件を切り下げて、再度雇用することは日常茶飯事でした。

 当初、中国政府は期待した、この労働契約法の実施による労働者の権利を守るという期待が実現される前に、たくさんの労働者たちの労働条件が切り下げられて、なかには解雇されるという事態になっているのが現状です。

 契約法の施行直前に首切りが蔓延するというのは、個別の案件ではなく、小さな企業、大企業の中でも当たり前のように起こっていました。

 ですからどれだけ民主的で、しっかりした法律ができていたとしても、中国では自立した労働運動、労働組合の結成がなければ、それを実現するのは難しい。

質問
 労働組合とストライキは、どのような状況なのか


 外資企業ではたくさんのストライキが起こっています。文化革命後、もともとあったストライキ権が削除された。ですから今、たくさんのところで発生しているストライキは、山猫スト、非合法のストライキということです。

 しかし厳しい状況下の中でも、高い要求を求めるストライキもあります。それは労働組合の結成を要求したストライキです。例えば、2006年に深センという香港と接する沿海地区の開発区にある日本の企業、工場では、労働組合の結成の要求を掲げたストライキが行われました。

 去年には、山東省にあるデンマーク企業でストライキを通して労働組合を結成しました。しかしその後、それを指導した六人を解雇してしまいました。

 様々なところで発生しているストライキは、自発的ストライキと言える。さらに幹線道路に座り込んで、労働条件・待遇改善を要求したいりもしている。しかし、これらはバラバラで、長く継続することが難しい。このような自発的な労働者の闘いを、どのように組織化するのかが非常に重要になっています。

質問
 香港では中国民衆の抵抗運動の情報は、どの程度入ってくるのか。


 情報は国内から不断にたくさん、香港に流れてきます。香港で生活していれば、上海、中国各都市よりもストライキなどの情報を得ることができます。香港では中国政府系の新聞があり、台湾独立派の新聞もある。民主派の影響力が強い新聞もあります。

様々な新聞がありますから、自分の好みにあった情報を得ようとすれば、それは容易に得ることができます。

 出版の自由は、中国にはありませんが、国内で出版できない出版物を香港で出版することもたくさんあります。

 例えば、私たちが香港で出版した本は、北京の学者が書いた本ですが、中国では出版できないということで香港で出版のお手伝いをしました。タイトルは「スターリンがレーニンを殺した」でした。この研究者は、公式の研究機関から退職している人ですが、かつては中国共産党編集翻訳局という党直属機関で働いていた人です。こういう人も内容によっては、国内で出版できないのです。

質問
 香港でのWTO抗議行動など、どれだけ中国国内に伝わっているのか。


 あまり中国国内に伝わっていないのが実情です。中国政府は、インターネットを管理し、トップクラスにあります。

 2005年、香港でのWTO反対闘争では、韓国から来た農民団体の人たちが大変力強い包囲行動を行ったのですが、抗議行動があった事実については、報道はされたが、なぜ抗議行動があったのかなどの詳しい情報は伝わっていないと思います。韓国の農民の闘いは、新自由主義がもたらす韓国の農業破壊に抗議したことですが、もし中国に自由に報道されていれば中国の農民は香港に駆け付けたでしょう。

質問
 チベット、ウイグルなど少数民族に対する考え方を教えてください。


 海外で広がっているチベットの運動については、私たちはもっと知るべきだと考えています。原則的な立場は、もちろんチベット民衆の民族自決権支持です。中国政府のチベットに対する言論、活動に対する弾圧に反対しています。

 しかし、ダライ・ラマの立場を支持するということではありません。ダライ・ラマの亡命政権は、中国政府が言うように奴隷制度の政権であると、私たちは考えていません。だが、政教一致、宗教と政治が一体となった政策を続けることに対して、違う見解です。

 亡命政権の憲法と憲章があるが、その中で政教一致の政治を行い、ダライ・ラマが最高権力者であるということが明記されています。ですから政治的民主主義を支持する立場からこのようなスタンスを支持することはできないと考えています。

 もちろんチベットの中で私たちと同じように社会主義の立場の人たちが登場したという話は聞いてはいません。私たちはチベット民衆が自発的に運動に参加して、その中で左翼の登場を望んでいます。

 中国・漢民族政府によるチベット民衆に対する弾圧には、断固反対しますが、ダライ・ラマ政権をそのままストレートに支持することはできません。

質問
 中国の若者たちの愛国主義、民族主義が、何を契機に変わると思うか。


 転換の契機は、やはり中国社会がどのように発展していくのかが重要だと思います。さまざまな社会階層、階級の力関係が、どのように変化していくのかということから判断するべきではないかと思います。

 中国共産党が、今後、共産主義、社会主義という言葉を使って宣伝していくことは、あまりないでしょう。そのように主張しても、誰も信用しないことがわかっているからです。

 しかし政府、官僚の一部、民族資本家は、民族主義を宣伝に利用することは考えられます。

 しかし、政府、資本家から自立・独立した大衆運動の盛り上がりが、かつ組織的な取り組みである場合、あるいは労働者運動が拡大した場合、民衆がどのように影響を受けるのかは、また違うものがあると思います。

質問
 三峡ダム反対の闘いについて、国内で支持する部分はいるのか。

丁 
 私たちは、三峡ダム建設に反対でした。1980年代の末には、国内の学者、記者が山峡ダムの問題点を告発した本を出版したり、学習会、会議を行ったことがありました。しかし、それも政府によって弾圧されてしまいました。

 当時、李鵬首相が三峡ダムの責任者でした。今、李鵬の娘さんが国内の独占的な電力会社の経営者です。

 現在、国内でこの問題を追い続けている人は、ほとんどいないでしょう。しかし海外のNGO団体は、この問題を追い続けていると思います。

 国外に国際河川ネットワークがありますが、三峡ダムのその後について追い続けています。国内の研究者と協力しながら活動を続けているそうです。

質問
 民主主義をいかに実現していくのか。中国共産党内部において民主主義派が拡大することは可能か。


 共産党内部には、二つの流れがある。民主主義を尊重する開明派が存在している。さらに、非常に強権的なかつての立場を支持する左翼と呼ばれている流れがあります。開明派、左翼も実権は握っていません。この人たちは、第一線から退き、退職しています。

 実権派は、自由、民主主義を言ってますが、それらを実行していません。民主主義を実現していくためには、現実の階級闘争、大衆闘争によって決するだろうと思います。

 しかし、中国の資本主義化で登場している新しい資本家は、決して民主主義を支持することはないでしょう。なぜならば官僚と癒着することによって資本家になれたわけですから、官僚の既得権を脅かす民主主義を支持することないでしょう。また新しく登場した資本家は、官僚から資本家になった人たちもたくさんいる。李鵬の娘さんはその典型です。

 1989年に天安門事件がありましたが、これを分岐として知識人の考えを見てみると、事件以降のほうが保守的になっている。というのも経済発展の中で政府は、そのような知識人に対して手厚い手当をした。大学教員の給料を高く引き上げたりして、政府に逆らえないことをしてきた。

 ですから知識人が運動を引っ張っていくことは難しいと思います。やはり一番厳しい状態にある労働者、農民たちが立ち上がった時には、非常に断固とした闘争にはなると思います。

(了)

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