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 最近「ベーシック・インカム」という言葉を目にしたり聞いたりすることが多くなった。『インパクション』168号には著者の山森も参加した二十八頁分もの座談会「ベーシック・インカムとジェンダー」が掲載されており、「週刊朝日」の緊急増刊としてこの四月に単発的に復刊された「朝日ジャーナル」でも山森は「ベーシック・インカムの手前で……」という一文を寄せている。大手メディアの書評欄でも本書は好意的に取り上げられている。


 『ベーシック・インカム入門』 山森亮 著 光文社新書 840円+税

「ベーシック・インカム」とは、すべての人間が生きていくために必要な金額を定期的に個人単位で公的に保証するシステムのことである。それが各種の年金・保険給付やそこから外れた人への「生活保護」などの旧来の社会保障と異なるのは、給付の無条件性にある。給付にあたっては、何の「審査」も必要ではない。


 日本の「生活保護」が「セーフティーネット」として機能していない現実は、すでに明らかになっている。そして「派遣村」が衝撃的に示したことは、ひとたび職を奪われた人びとがそのまま食も住も喪失し、寒風の中に放り出される無慈悲な実態だった。「貧困・格差社会」は人間の生存権を根本的に否定する社会であることが鮮明になった。それは以前から、母子家庭に日常そのものとして最も厳しく降りかかってきたあり方である。

 新自由主義的グローバル化は、そうした社会の構造を急速に押し広げたが、著者は「働かざるもの食うべからず」という理念とセットになった「完全雇用」や、「働けない者」への補完的な「生活保障」をそこに組み込んだ福祉国家の考え方にも問題があったと指摘する。「賃金労働に従事して生活できる者たちを標準として、高齢者、障害者など労働できないとされる人々や、賃金労働はしているが、それだけでは生活できない人々を、それより一段劣るものとして、そして労働可能と看做されながら賃金労働に従事していない人々を最も劣るものとして序列化していく、そうした仕掛けを福祉国家は内在化しているのである」と。

 いま旧来の「福祉国家」の理念が新自由主義のイデオロギーに沿って全面的な攻撃を受けている。それは「福祉」への税負担を切り捨て、労働者の「雇用可能性」を高め(つまり企業にとっての雇用の規制緩和)ることで「就労支援」し、「福祉の重荷」を軽減しようという「ワークフェア」論である。著者はこの「ベーシック・インカム」を、新自由主義や旧来の「福祉国家」に代わるオルタナティブとして磨き上げていくことを提起している。それは国家と社会の仕組みそのものの根本的な作り替えだと主張する。

 「ベーシック・インカム」の考え方は決して新奇なものではない。著者は一九六〇年代からのアメリカの福祉権運動、イタリアのフェミニスト運動と「アウトノミア」運動、イギリスの要求者組合運動の歩みの中に今日の「ベーシック・インカム」運動の源流を見ている。それはフェミニスト運動が提起した「性別役割分業」への批判や、「労働概念」の根本的見直しの主張ともからみあっており、戦後の「福祉国家」のあり方への鋭角的な問題提起であった。それだけではない。著者は、一八世紀末からの経済学思想の中から「ベーシック・インカム」につながる主張を見出している。著者はミルの『経済学原理』、ギルド社会主義、ケインズ、さらにはガルブレイスやフリードマンの中にも「ベーシック・インカム」論との関連を見出しているのである。

 今日的な「ベーシック・インカム」論は、さらに新自由主義的グローバリゼーションへのアンチテーゼとして、ジェンダー、エコロジーなどのテーマとも密接な関連をもって取りあげられようとしている。

 この個人への無条件給付の基本所得という考え方については、「労働へのインセンティブがなくなり、人は働かなくなるのではないか」「そのための財政措置・税負担をどうするのか」という疑問が当然出てくるだろう。もちろんそうした懐疑的見解について著者は簡潔・明快に答えている。著者の回答の基本思想は「衣食足りて礼節を知る」であるが、本書の末尾に記された「ベーシック・インカムに関するQ&A」でも大概のところは了解できる。

 一九九〇年代の初め、エコロジー運動などとも結びついて「失業なきゼロ成長社会をめざす」という主張について論議されたこともある。これに対する反論として「なぜ失業なき社会なのか。失業になってもいいのではないか」という意見が出されたことがあった。当時の私は、むしろ「ゼロ成長」論に対して批判的な立場だったので、思いもつかないところから反論が出たという印象だった。考えてみれば「失業」イコール「食」も「住」も奪われるという既成観念自体に異議を唱えたこの意見は、「労働」と「所得」を不可分のものとする主張への根底的な批判だったのだろう。

 私たちは、今、「底辺への競争」を強いる市場主義の極致としての新自由主義の社会編成に抗し、「反貧困」と生存権の保障をどのように貫くのかをめぐるオルタナティブな戦略を実践的に論議していく段階に否が応でも入っている。「ベーシック・インカム」の構想は、その一つの重要な素材となりうる。

 一つだけ疑問を提起しよう。最初に紹介した『インパクション』168号の座談会で、著者・山森は派遣法に反対する労働運動の主張を批判して次のように述べている。

 「今、規制緩和に反対していて、派遣の問題に反対していて、対案は何かといったら、みんな正社員になることだと。人々の生活を保障するのは企業責任だという議論ですね。完全雇用に戻れと。……それは、要は男性が働き手で女性は家にいるというジェンダー規範とセットだったわけですから、それに戻れという労働派の言説と、いわゆるジェンダー・バッシングをしているような人の言説というのは実は政策提言的には同じことを言っていると僕は思っている。むしろ僕らが働きかけるのは、完全雇用をと言っている人たちにどいうふうに働きかけて、その人たちの言っている議論が、ジェンダーとの絡みでもはや無理だし、望ましくもないんだけれども、別のことを考えましょうよという議論に引き込めるか、そのほうが僕にとっては大事です」。

 かつてフランスの極右派であるルペン率いる国民戦線(FN)の選挙綱領に「主婦の家事労働に賃金を支給して女性を職場から家庭に戻し、男性の雇用を保障する」というスローガンがあった。イタリアのフェミニスト、ダラ=コスタの主張を歪曲的・擬似的に盗用してジェンダー・バックラッシュを推進した国民戦線のスローガンと、「派遣労働の正規雇用化」を訴える主張は果たして同じなのか? 

 この問題は、雇用の不安定化・非正規化を推進する資本の新自由主義的戦略との闘いの上で重大な分岐点とならざるをえないだろう。(K)

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