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アジア連帯講座のBLOGです
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(ナレーションを訳しました。取材時の誤解からか事実と違う部分もありますが、そのまま翻訳・掲載します)

ドイツの公共テレビ局が最近の三里塚の様子を放送しました。

ドイツ公共放送連盟(ARD)のテレビ局“Das Erste”の海外レポート番組Welt Spiegel(ヴェルト シュピーゲル,世界を写す鏡)で、3月1日に放送、6分弱のレポートでした。

レポートのタイトルは、
「Japan: Mit Spinat gegen den Flughafenausbau」
「日本:ほうれん草で空港拡張に反対」

取材は、昨年の12月。アジア連帯講座も参加している暫定滑走路反対連絡会の12月7日に行われたデモの様子も紹介されています。レポートの後半部分では、横風用滑走路用地の真ん中に立つ横堀鉄塔や、一坪共有地のある木の根ペンションなどを紹介しています。レポートの最後の場面は、滑走路に針のよう突き刺さる開拓組合道路でのデモの様子です。



前半部分では、暫定滑走路の誘導路をへの字に曲げている市東さんの畑や、ジェット機が
頭上を飛ぶ、小泉さんの家、東峰神社などが紹介されています。

フェンスや誘導路に囲まれているものの、追い出し攻撃に抗して生きる人々の姿がわかる映像です。

 4月12日、三里塚・東峰現地行動に参加し、空港会社による追い出し攻撃を跳ね返そう。

 ★放送内容へのリンク、ドイツ語と写真で表示されます。
http://www.daserste.de/weltspiegel/beitrag_dyn~uid,ld1d2yhukxcy6avy~cm.asp

:::::::::::::::::::::::::::::::::::

【日本】

ほうれん草で空港拡張に反対
2009年3月1日、日曜日

 東京:首都圏には3000万人を超える人々が暮らしている。とても巨大だ。だが、日本の首都国際空港だけは、ふさわしくない。計画は3本なのに、滑走路は2本しかない。しかも新世代の大きな航空機には短い。それはなぜか? 農民・市東(しとう)と一握りの農民が40年間、頑固にしているからだ。農民がこの土地を空港に売らないので、ジェット機の操縦士は、カーブで通常ではありえないようなブレーキを必死になってかけなければならない。巨大なターミナルの代わりに、野菜の友人・市東のセロリ畑を眺めながら。


 毎朝6時半、農民・市東の土地の上で航空機のラッシュが始まる。東京-成田国際空港の運行開始だ。飛行機は農民の抵抗拠点を避けてカーブしなければならない。40年間、馴染んだ土地を農民・市東が売らないために。「成田空港粉砕!」(という看板)が立っている。航空機の乗客によく読み取れるように。高い金属の壁の後ろで、農民・市東は有機農業のセロリ畑で草取りをしている。彼の鼻はなにか感じている。「はい、灯油のにおいです」市東孝雄は怒っている。「特に迷惑なのはタイヤの悪臭です。滑走路が短いので、ブレーキを強くする必要があるからです」。計画は4000メートルだが、この滑走路は2000メートルだ。市東のほかに、ここには5軒の農家がいる。その人たちは譲ることはない。

 牧歌的どころか高い安心感さえ、農民・市東はどうしても得られない。週に2回、協同組合に野菜を運ぶ。彼らのリーダー:空港反対派の年長の闘士。「私たちの野菜を買い、運動を支援する人々から、励ましの手紙をもらいます」と萩原進は説明する。「ある方は、私たちの有機野菜から反対運動を学びます。そして、変わっていきます」。農民・萩原はブルドーザーの前で身体を立ち木に縛りつけた。彼は4回逮捕された。長く。反対運動は以前、巨大で、急進的だった。70年代には何万人ものデモがあった。多くは過激派だ。7人が亡くなった。ある時、デモ隊は管制塔さえ襲撃した。最後の反対派農民の生活は楽ではない。また、こう考えることもできる、絶望的と。対する側は圧倒的な力で、農民の行動すべてを見張り、監視している。

 しかし、空港運営者は、暴力的追い出しを、すでに放棄している。「これは、かなり厄介ではないででしょうか。このように空港の真ん中に私有地があることは」と森中小三郎空港会社社長は言う。「しかし、私は農民の考えを尊重します。彼らの誇りを傷つけてはならない。交渉には忍耐が必要だ。」

 今、農民・市東のところに反対派グループの活動家がやってきた。40年間、毎日、宣伝のため車を運転している。拡声器からは:常に同じスローガン。多くの農民の土地はすでに失われている。最後の村跡への入り口、不気味だ。最初の目的地:古い神社、壁の向こうは、すべて空港。静かに祈ることができるような場所ではない。無人地帯では抗議の効果がないので、次は空港ターミナルに向かう。しかし、人々に聞かれる数百メートル手前で、止められた。警察官は興奮している。変装した警察官は、すべてを記録している。宣伝車は追い返された。

 無人地帯に戻った。空港の真ん中にある反対派の広い拠点に。そこはトンネルを通ってだけ行くことができる。トンネルは空港会社が作った。最後に、所有者はどうにかこの地にやってきた。ほとんど錆びた鉄塔に。農民・山崎は、農業にはあまりにも狭く小さな土地を私たちに案内する。今は荒廃した簡易な鉄塔は、反対派農民が何年も前に建てた。しかし、石を投げたりはしないと、山崎は断言する。「この鉄塔がある限り、滑走路は誘導路にしか使えない」。航空機は離陸する代わりに、この周辺で地上を移動するだけだ。すなわち、ここは40年前に、3番目の滑走路として計画された。そして今建っているのは監視塔だけだ。

 (鉄塔から)数百メートル離れた場所:多くの農民はトンネルを通ってしか行けない、またここにはセロリも無い、どんなホウレン草もない。その代わりに小さな旅館がある。「木の根ペンション」。その名前にふさわしい施設ではない。しかし、お客は何ができるか知っている。「どの窓からも、四方すべてで航空機をみることができる」と農民・山崎は言う。「このペンションは、どんな旅館名簿にも載っていない。だが、ここでは、空港反対派の人と会い、交流することができる」。

 時々、空港反対のデモがある。今日は50人。対する側は非常に強力だ。いたる所に警察官がいる。大部分の参加者は、最初からきている。したがって40年前から。空港との土地をめぐる争いでは、奪われようとするのは非常に小さな土地。彼らは、いま、守勢だ。「労働運動は弱くなった」と山崎宏は認める。「学生運動はほとんどなくなった」「われわれ農民だけは、まだここにいる」。

 デモの目的は、前方の滑走路だ。行き止まりだ。ここは、かつて水田に続いていた。農民は田畑を失ったが、道は失っていない。
 

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