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 9月20日、成田空港プロジェクト(「いま成田空港で何が起きているのか」プロジェクト)は、TOKYOメデフェス2009(東京ウィメンズプラザで開催)の分科会の一つとして「いま、成田空港で何が起きているのか─映画『三里塚 第二砦の人々』 上映&トーク」を行った。

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 成田プロジェクトは、成田空港会社がB滑走路を延伸し、供用を10月22日に強行することが東峰地区をはじめ三里塚住民に対する人権・生存権、環境・安全の破壊であるとして反対し、空港問題を広く市民に訴えていく活動を行っている。この企画とともに成田バスツアーを10月25日に行う。ツアーは、空港会社が一坪共有地を強奪するために千葉地裁に提訴しているが、その共有地、木の根ペンション、横堀鉄塔などの実態を調査し、傲慢な会社を包囲していく取り組みの準備だ。

「三里塚 第二砦の人々」が問いかけること

 第一部は映画「三里塚 第二砦の人々」(1971年製作、小川プロダクション)の上映。政府は、1966年7月、三里塚農民になんら相談することもなく一方的に空港建設を決定。カネの札束と機動隊の暴力によって叩き出すことをねらったが、農民たちは三里塚芝山連合空港反対同盟を立ち上げ反対運動を開始する。映画1971年2月22日から3月6日までの強制代執行との実力闘争を闘う農民たちの姿を内部から撮影したドキュメンタリー映画。農民たちは6カ所の地点に砦を築いて穴を掘って闘いぬいた。

 第二砦の農民たちの中には、今は亡き柳川のおっかぁなどの婦人行動隊、若き小川源さんたちが次々と登場。機動隊の暴力といかに対峙し、はね返していくかの熱い論議と激烈な戦闘シーンが迫ってくる。メデフェスに参加した仲間たちは、この映画を通して、「民衆のメディアとは何か」という問いかけを深めていった。会場からは、「このような闘いがあったことを世界に発信していく必要がある。ぜひDVDにして広めていけたらなと切望する」という発言があった。

成田空港で何が起きているのか

 第二部はトークセッションで大野和興さん(農業ジャーナリスト、地球的課題の実験村共同代表)が司会で柳川秀夫さん(三里塚の農民、地球的課題の実験村共同代表)、相川陽一さん(一橋大学大学院)、鎌田慧さん(ルポライター)が発言した。

 柳川さんは、三里塚闘争の歴史を振り返りながら空港が抱える問題点を提起し、とりわけ空港会社による10月22日B滑走路供用と東峰地区島村家に対する轟音追い出しなどを厳しく批判した。さらに一坪共有地強奪をねらった千葉地裁提訴を糾弾し、断固として闘いぬいていくことを表明した(発言要旨別掲)。

 相川さんは、「強制代執行の闘いの時はまだ生まれていなかったが、映画に出てきた人々はだいたい知っている人達だ。反対同盟の人達の思いを引き継ぎながら、現在の空港が抱える問題に対して発言し続けていきたい。とりわけ空港による過疎化が進行し、生活・環境が破壊されている。有機農法を通して若い人達が三里塚に参加しはじめている。新たな可能性を探っていきたい」と発言した。

 鎌田さんは、映画を通して三里塚闘争に関わってきた数々のエピソードを思い出しながら「やはり三里塚闘争をマスコミは農民の立場にたって報道してこなかった限界があった。それが『過激派』キャンペーンへとつながっていった。青森の六ヶ所村にも通ったが『過激派』を入れると三里塚のようになってしまうとキャンペーンをやられ、住民間で分断しあっていった。延伸されたB滑走路が供用されるが、ジャンボジェット機の轟音はすさまじい。島村家に対して『死ね』というものだ。人道問題として空港会社の暴挙を許してはならない」と強調した。

 大野さんは、三人の発言を集約しながら、「TOKYOメデフェ2009が民衆メディアの寄り合いとしてある。新たな時代と情勢下にあって民衆自身によるメディアを創造していくことの重要性を確認することができた」とまとめた。


 柳川秀夫さんの発言要旨

 

 空港会社の提訴は、形を変えた「強制代執行」だ。あいかわらず反省していない。

 映画を観て三里塚闘争が四十数年たつが人の思いと魂について再認識させられた。現在でも空港反対は間違っていないし、きちんと社会に訴えていきたい。

 空港による見た目の経済効果を優先するあまり、反対闘争が問いただしたことを隠蔽し、反対闘争の存在すら報道されていない。島村家の頭上40メートルをジェット機が飛んでいる。防音改築などをやってきたが、大型ジェット機が飛び始めれば想像を絶する状況が発生する。大変なことが起きる。そういう現実があることをぜひ皆さん体験してほしい。

 代執行によって多くの怪我人が出て血を流し、犠牲を払いました。1971年から72年に続く代執行は、人が住んでいる場所に向けられた。人が死ぬ闘いは避けて、いかに阻止していくのかという論議を続けた。反対同盟は、政府と話し合いをしないのが原則だった。しかしあらゆる方向で闘っていくということで1991年から政府とシンポジウムを開始した。そこではどんな状況でも強制的手段はとらないことを約束させた。

 当時の運輸大臣が文書で確認した。それがあって政府との話し合いに臨んだ。一方的に空港を決め、権力の力によって建設を強行したことについて反省した。その証として強制代執行ができる事業認定を法的に取り消した。だから現在は強制代執行をすることができない。

 ところが9月初め、空港会社は一坪共有地に対して仮処分の申請を裁判所に出して仮処分決定通知が届いた。所有者に対して権利移転禁止が突然きた。それ以前は、そんな動きはなかった。私のところは三カ所の権利を持っているから三通の通知書が届いた。さらに会社は、仮処分決定からお金による売却明け渡し申請を提訴した。これはお金を払って裁判所の許可が出れば、土地が空港会社の所有になるというのだ。これは形を変えた「強制代執行」だ。あいかわらず反省していない。

 本来ならば話し合いがなければならないはずだ。それがなければ実力闘争の方針で対応することになる。話し合いといっても、空港を一方的に作るための話し合いではなく、空港問題の本質的解決のための話し合いだ。それは地球的課題の実験村が提起してきたように巨大開発、人間社会の在り方、民主主義、環境問題だ。そういう課題から空港をどうしていくのかという討論が必要だ。空港問題は平和的な話し合いで解決していくことが政府と合意していることだ。

 今回、一方的に土地取上のための手段を行使してきた。今までの話し合い合意はどうなるのかという問題が発生した。どうして約束を破るような事態になったのか問いただしていきたい。成田空港問題は、新しい文明論の中で解決していくことが望ましい。

 ただ1966年から空港問題が始まったが、依然として新しい時代に入っていないのかもしれない。ならばこれまでのように闘わざるをえない。問題を時代的にはっきりさせ、次の新しい世代に引き継ぐために、うやむやにして白旗を掲げることはできない。そのように思った人などみんなで力を合わせていかなければならない。そのために呼びかけていくだろう。そのような重大な事態に入っていることは確かだ。譲れないところがある。だめなものはだめだとみんなで言うことは大事だ。世界的に見れば、「テロ」の一言で少数の闘いを排除している。世界の弱者の闘いと問いかけを深く掘り下げていく必要がある。成田空港の問題も同じだ。

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