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【ANTIFA!-NO PASARAN!】ドイツ・ケルンでのファシストの"9.19-21反イスラム会議"を全欧左翼が包囲・封鎖するで紹介したアクションの詳報
ドイツ・ケルンにて、極右ファシスト・ネオナチ・レイシストによって9月19~21日に開催が予定されていた「反イスラム化会議」に対する反ファシスト勢力(左翼・アナーキスト・労組・レズビアン-ゲイ解放・移民と支援者・ユダヤ人団体など)の「ファシスト集会包囲・封鎖行動」は、四万人以上の結集によって、ファシスト集会の開催を文字通り完全に粉砕した。
9月19日、極右ファシストの「反イスラム化会議」開催初日となる当日は、朝から全ドイツ・ヨーロッパ各地から結集した五千を超える反ファシスト勢力によってファシスト集会に通じる街路から鉄路に至るまで完全に封鎖された。鉄路は反ファシストの座り込み・占拠によってストップし、ケルンの街頭の各所で極右ファシストたちは通行を阻まれ、撃退された。極右ファシスト・レイシストたちは、ライン川からチャーターした大型船「モビー・ディック号」に乗って会場入りを試みたが、その河岸でも反ファシストの「不歓迎」によって上陸を阻まれ立ち往生する事態となった。
19日のニュース映像(ZDF)また、極右が予定していたケルンの大モスク建設予定地の「バス視察ツアー」も断念を余儀なくされた。(「反イスラム化会議」を呼びかけた市民政治グループを装った極右団体「プロ・ケルン」はケルンでの「モスク建設反対運動」を主導し、その一環として同集会をヨーロッパ各地の極右勢力に呼びかけていた。「プロ・ケルン」はモスク建設予定地を豚を連れて散歩して「穢す」などのイスラム教徒に対する侮辱行為に及んでいた)
19日夜は三千人以上による大デモンストレーションが、ケルンの街を席巻。サウンドカーも繰り出し、花火を打ち上げながら賑やかに、かつ圧倒的な迫力でデモを貫徹して極右ファシストは手出しすることも出来なかった。
19日の夜の大デモ20日朝も、徹夜で街路や鉄路を封鎖していた人々のもとに、続々と様々なグループが合流し、ケルンの街は反ファシストが制圧する格好となった。ドイツの警察権力は、この包囲行動に対して暴力的な規制・排除を試みるが、万余の人々を排除することなど出来ない。また、アウトノミア・アナキストなどのグループに対して拳銃を抜き、警官に発砲させまいとして拳銃を奪い取ろうとした人々を銃撃して、一人が負傷した。一連の行動で、反ファシスト側は500人が逮捕されている。
最終的にドイツ政府・警察権力は、「ケルン市の市民の安全を危険にさらす」としてファシスト集会を「禁止」措置にした。しかし、これはドイツ政府が「反ファッショ」だからなどではなく、反ファシスト勢力の包囲・封鎖行動の前に、機動隊をもってしても規制・排除が不可能だと判断した結果にすぎない。むしろ、権力による「禁止」措置は、「大衆行動によって集会がつぶされたわけではない」という形で極右ファシストの面目を守る役割を果たしていると言える。また、ケルン市民の中には、ファシストの宿泊を拒否するホテルが続出し、バーテンダーはスキンヘッズやファシストと思しき人物には酒を出さないなどの動きも見られた。
機動隊は反ファシストを襲撃した20日の午後には、ケルン大聖堂前で一万人を超える大集会が開かれ、アラブ系移民の歌や踊りなどを交えて反ファシスト-民主主義勢力の「多様性」を表現するものとなった。また、モスク建設プロジェクトに賛成していたケルン市のFritz Schramma-フリッツ・シュラマ市長は、ファシスト集会が阻止されたことを歓迎して「このケルンの街と民主主義の勢力が勝利した」とDPA通信に語った(ケルン市はファシスト集会に際して全公共施設の使用を拒否していた)。
20日の大集会 ニュース映像(ZDF)このファシスト集会包囲・封鎖行動は、昨年のハイリゲンダム・サミット反対アクション以来の一大大衆行動となった。また、ヨーロッパ各地でイスラム教徒とアラブ系移民の排斥と排外主義を煽る極右ファシスト・レイシストに対してどのように対決するべきか、を完全な勝利をもって示した。
日本でもまた、在日コリアンへの差別を煽り、「嫌韓」「嫌中」などの排外主義キャンペーンを繰り広げる極右レイシストを包囲し、社会的に孤立させる陣形をさらに広げていかなければならない。
(F)