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インターナショナル・ビューポイント オンライン・マガジン : IV407号 - December 2008

インド

 

テロリズムの地獄の連鎖 VS 連帯 http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article1569

ピエール・ルッセ Pierre Rousset 

 

11月26日から27日の夜に起きたムンバイ(ボンベイ)でのテロリストによる襲撃は、二百人近い死者と三百人の負傷者をもたらした。インドならびに国際メディアの注目は何よりも「タージマハル」と「オベロイ」の二つの豪華ホテルに集まり、2001年9月11日のニューヨークの「ツイン・タワー」を崩壊させた事件とのアナロジーとして描かれている。

 

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ムンバイGateway of Indiaでのピースマーチ

 確かに、軍と一握りのジハーディスト(聖戦主義者)との間で三日間にわたり最も激しい戦闘が行われたのはその二つのホテルだった。しかし、ここインドの経済的首都では、病院、レストラン、複合映画施設、ユダヤ文化センター、公衆市場、大鉄道ターミナルであるチャトラパティ・シバジ駅(CTS)など七カ所が攻撃されたのである。この中央駅では三十人を下らない死者を出したにもかかわらず、メディアはあまり多くを語らなかった。そこでの死者は、稀にしかニュースにならない普通のインド人だったからである(1)。死体は確認困難な身元不明の人びとだった。

 たった十人からなる部隊がこれほど多くの場所で攻撃が行ったという事実は、治安機構の失敗を浮かび上がらせた。警察署も襲撃され(犠牲者の中には11人の警察官がいた)、市のテロ対策部門の責任者が殺された。メディアの「視界」に入った観光業、ユダヤ人と外国人(米国と英国の市民)だけが標的だったわけではない。ジハーディストたちの目標はそれだけではなかった。この襲撃は、克服困難な共同体間の流血の憎悪を作りだすことをねらった、パキスタンとインドの間の関係正常化に対する打撃でもあった(2)。

 数多くのコメンテーターたちは、アルカイーダによってなされた形跡があると示唆している。この行動には彼らの特徴が記されているというのだ(しかしどの点においてか!)。インド政府当局は、襲撃参加者たちはすべてパキスタン人であると述べている。報道は、「ラシュカレ・タイバ」(LeT)(3)と関連づけようとしており、結局のところカラチから出発したグループによって行われたものであるとしている。


 こうした非難に十分な根拠があるのかどうかを判断するのは、いまだむずかしい。しかし計画した者が誰であれ、この作戦はすでに危険なまでに悪化している民族的・地域的文脈に適合している。アルカイーダというほのめかしは、根拠もないままに、地域的現実とはかけ離れてどこでも攻撃するという謎に包まれたテロリスト組織の幽霊を見せつけて、「反テロ」が唯一の治療法だとすることにより、政治的問題を空っぽにさせるやり方である。インド当局がインド自体の情勢の深刻さを語らないことを許容するために、パキスタンを指弾するのは、もうたくさんだ(4)。

 しかし、インドでは2002年に西部のグジャラート州でヒンズー原理主義者によって約二千人のムスリムが虐殺されて以来、共同体間の暴力とテロの連鎖が新たな転換を迎えた。こうしたポグロムを企画し、指令し、政治的に支持した人びとが、有罪判決を受けることはなかった。さらに悪いことに、グジャラート州知事のナレンドラ・モディは、この虐殺に重大な関わりがあったにもかかわらず知事に再選された。パキスタンの建国をもたらした一九四七年の分離にもかかわらず、インド連邦には今でも一億五千万人(人口の14%)という多くのムスリム人口がいることを考えれば、この問題はいっそう深刻である。不安と不公正という感覚は、幾つかの州でのムジャヒディン(イスラム戦士)グループの登場や、パキスタンやバングラデシュ出身のグループと多かれ少なかれ結びついた「土着」のイスラム主義テロリストの出現にとって有利な条件となった。

 極右民族主義のインド国民党(BJP)――彼らにとってヒンズー教徒だけが真のインド人である――の敵意と、国家の政教分離的性格ほ破壊しようという願望は、キリスト教徒への敵対をふくむ「共同体」間の緊張を増大させた。インドにおいて最も広がったテロリズムは、ヒンズー原理主義起源のものなのである。こうした環境の中で、イスラム主義者の攻撃はいっそう頻繁かつ殺人的なものになっていった。かくして駅や列車に置かれた爆弾によって、すでに2006年7月にはムンバイで百八十六人が死亡し、さる5月にはラジャスタン州の州都であるジャイプールで爆弾により六十三人が殺された。金持ちと外国人は助命が聞き入れられたが、伝えられている情報は少ない。

 アフガニスタンでの戦争とカシミールの未解決問題も、パキスタン情勢の悪化に大きく影響してきた。そうした状況は、ムスリム宗派間の流血の紛争をもたらす原理主義運動を発展させることになった。それは、民族的ないし地域的敵対(バルチスタン、部族地域など)によってすでに脆弱になっていた国家の解体をもたらしている。今や誰も軍や情報部(ISI)のさまざまな分派を統制できない。それはインドとのあらゆる和平プロセスを不確実にものにさせている。パキスタン領内で行われる米国の軍事作戦は、民族主義者と「過激派」の火に油を注ぎ、国家をいっそう不安定化させてきた。

 西はアフガニスタン、南はスリランカを経てビルマ国境にいたる南アジアを覆いつくす、さまざまな軍事紛争と正真正銘の危機的行為が作りだされている。それぞれの紛争は、スリランカでのタミール人への弾圧のように、地域的現実に根ざしたものである。しかし、とりわけ前後から挟み打ちになっているその地政学的位置、石油と「エネルギー回廊」ゆえに、大国(米国、ロシア、中国など)が中央アジアに介入している中で、これらすべてが全体的な情勢をいっそう爆発的なものにさせている。

 南アジアの多くの地域での社会的諸関係の暴力性も、人間の生命の価値が低められるためにテロリズムに有利な土台を提供している。土地所有者は農民指導者を殺してきた。「上位」カーストのメンバーは、ダリット(「不可触賤民」)やアディバシス(先住部族民のメンバー)の抹殺を命令している。長老評議会は、強制結婚を拒否した女性に死を宣告しているなどなど。無実の者の殺害が習慣的になされており、ありふれたことである。殺人者が心配することは稀である。

 インドとパキスタンの左翼は、ムンバイでの攻撃を非難した。彼らは連帯を呼びかけ、テロリズム――インドでのさまざまなヒンズー原理主義とパキスタンでのさまざまなイスラム主義をふくむ――の抑圧を求めている。しかしインドの組織の一部は、事態の衝撃の下で、治安部隊、軍と警察の強化を求めている(5)。それは将来に重大な結果をもたらす小さな発端である。国家にとってテロリズムは無縁ではない。それどころではないのだ。
 この地で呼び覚まされたあらゆるテロリスト運動は、国内ないし海外の体制的な経済・政治権力によって支持されていた(米国に支援されてソ連の占領に対して戦ったパキスタンやアフガニスタンのイスラム主義潮流のほとんどのように)し、もしくは現在も支持されている。インドのBJP(インド国民党)はヒンズー原理主義のテロリズムを擁護している。BJPは連邦政府を指導してきたし、現在でもさまざまな州を統治している。そのネットワークは国家治安機構に浸透している。その問題についての国民会議派の能力がどうかを見るためには、一九七五年~七七年に施行された戒厳令を思い起こすだけで十分である。

 また国家テロリズムはそれ自身、テロリズムの主要な構成要素の一つである。それは西側において事実である。たとえばフランスを例に取ろう。フランスは、植民地解放闘争への弾圧にあたって軍による大規模な拷問に依拠してきた。秘密警察はグリーンピースの船「レインボー・ウォーリアー」を沈めた。ツチ人によるルワンダでの虐殺はフランスの秘密警察が共謀した可能性がある、などなどである。

 反テロリズムの名において、国家は市民的自由を恒常的に侵害している。ある種の恒常的非常事態が、法とその内容を次々と空っぽにしていく傾向にある。社会運動は犯罪化される脅威にさらされている。二〇〇一年9・11以後の米国におけるこの状況の発展――欧州でもそうであるが――あるいはグアンタナモ収容所のような何年にも及ぶ法的・人道的スキャンダルの存在は、こうした流れの深刻さを疑いないものにしている。

 さらに資本主義的グローバリゼーションは、労働者を相互に競争させ、自己本位主義を復活させて、テロリズムからそこから生み出される排他的共同体主義(コミュナリズム)的対応、ゼノフォビア(外国人嫌悪)、レイシズム、「カースト主義」、宗教的原理主義に有利な状況をもたらしている。

 南アジアのすべての政府(そして世界のほとんどの政府)は、連帯を掘り崩す新自由主義政策を押しつけている。われわれがテロリズムに反対するためには、まさに連帯を強化することが必要である。気高い感情に訴えるだけでは不十分なのだ。

 寛容は確かに不寛容よりも望ましい。しかしそれはほとんど最小限綱領にもなりえない。共同体間の暴力とテロリズムの地獄の連鎖を阻止するためには、行動的連帯を擁護し、再建することが必要である。行政的・宗教的・文化的境界を超えて、普通の人びと、労働者の間で共通のものになっている事柄を価値づけることが必要である。それには、所有者、統治者、そして帝国の支配に抗して、彼らの社会的・民主主義的権利を擁護することが不可避的にふくまれる。このような共同体間、そして国際的な連帯は、闘争の中でのみ築き上げることができるのだ。

(ピエール・ルッセは「国境なき欧州連帯」のメンバー。彼は長年にわたってアジア連帯運動に関わってきた。)

 

NOTES

 

[注1] 1. See notably Gnani Sankaran, Hotel Taj : icon of whose India ? http://www.europe-solidaire.org/spip.php?article12193

[注2] 2. See notably Farooq Sulehria, Mumbai Attacks : An Al-Qaida attempt to provoke India-Pakistan War ? http://www.europe-solidaire.org/spip.php?article12256

[注3] The Army of the Good. See on this organisation Farooq Sulehria, op. cit.

[注4] 4. See Tariq Ali, The Assault on Mumbai : India’s Leaders Need to Look Closer to Home http://www.europe-solidaire.org/spip.php?article12157

[注5] 5. See Focus on the Global South, On the Mumbai Terror Attacks : Supporting the Human Chain in Mumbai on Dec. 10th http://www.europe-solidaire.org/spip.php?article12199

[注6] 6.See Biju Mathew, As the Fires Die : The Terror of the Aftermath http://www.europe-solidaire.org/spip.php?article12205

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