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220人を超える在日エジプト人会が
ムバラクの退陣を求めて渋谷をデモ

 
 チュニジア独裁政権を打倒した北アフリカ人民の闘いはアラブ諸国の独裁体制を揺るがす闘いに発展している。特に、エジプトにおいて三〇年にわたり独裁政権を続けるムバラク退陣の闘いは一〇日間連続で続けられている。ムバラクは九月の大統領選挙には出馬しないと言いつつ、政権の座を守るために側近政治を続けている。そして、首都カイロにおける座り込みに対して、武装したムバラク派を登場させ、流血の惨事にいたっている。すでに、数百人の市民たちが殺されている。二月四日の金曜礼拝の後、全土で百万人を超える決起によって、最後的にムバラクを追放する闘いにエジプト人民は決起した。

 そうした本国の闘いに呼応するために、在日エジプト人会が二月五日午後一時から恵比寿公園に集まった。思い思いのプラカードや国旗を持っている。プラカードには次のようなスローガンが掲げられた。

「ムバラクはエジプトから出ていけ」「人権を尊重せよ」「社会正義の実現を」「エジプトに自由を」「腐敗に立ち向かう」「自由を!自由を!」「パンを 自由を 尊厳を」。

日本式の集会ではなく、「ムバラクは出て行け」などの掛け声を全体で唱和することが何度も繰り返された。そして、アラビア語、英語、日本語で要求が読み上げられた。

「エジプトはいつでも自由の国だ。ムバラク体制の即時退陣を求めるためにデモを行う。人権の実現、腐敗・貧困・不正義の撲滅、より自由・社会正義を求める。以下のような要求をする。一、ムバラクの即時の退陣。人民議会の解散。二、厳戒令・非常事態宣言の解除を求める。三、ムバラク退陣の後、早急な挙国内閣の実現。四、国際社会の監視の下、自由な選挙を。五、憲法の改正、国民による選挙を。六、暴力行為を調査する独立の調査委員会の設置を。七、大学における独立性の確保。八、国際社会の支持を求める。勇ましく闘っている国民に多くの支持を」。

二二〇人を超えるエジプト人が渋谷に向かってデモを行った。デモでは次のような呼びかけが行われた。「数百万人が命をかけて闘っている。エジプトの闘いに連帯して在日エジプト人は闘う。三〇年間に渡って、弾圧と腐敗、正義のないひどい目にあわされてきた。自らの力によって、自由を得ようとしている。国際社会の支援が必要だ。エジプトに民主化を」「反政府デモはエジプト各地に広がっている。このデモは単なる反政府デモではない。革命を起こしている」。

 なお、同時刻にアジア連帯講座をはじめ日本人のグループがエジプト大使館行動を行った。(M)


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 【声明】チュニジアとエジプトで革命が進行している
第四インターナショナル書記局

アラビア語 「アル・ムナディル」(戦士)紙より
英語 International Viewpoint Online magazineより


zg01.jpg「革命の最も疑いない特徴は、大衆が歴史上の事件に直接関与することである。ふだんは、君主制国家たると民主主義国家たるとを問わず、国家が国民の上に君臨する。歴史を決定するのはその道の専門家たち、つまり君主、大臣、官僚、議員、ジャーナリストである。しかし、旧来の制度が大衆にとってしだいに耐えがたくなる転換期には、大衆が政治の舞台と自分たちとを隔てている障壁を打ちこわす。……革命の歴史は、われわれにとってはなによりもまず、大衆が自分自身の運命を左右する領域に力ずくで介入する歴史である」(レオン・トロツキー『ロシア革命史』序文)。


 どのような革命の情勢も時間ごとに変化する。どのような評価も数時間、数日のうちに事態によって乗り越えられることは疑いない。しかしわれわれは、すでにチュニジアとエジプトの民衆は二一世紀の革命の最初のページを書いている、と言うことができる。かれらはアルジェからラマッラーへ、アンマンからイエメンのサヌアへ、アラブ世界全体に衝撃波を発信している。こうした革命は、この社会の特定の歴史的諸条件の中で、世界資本主義システムを揺り動かしている危機からもたらされたものである。「貧困の暴動」は民主主義のための巨大な動員と結びついている。独裁体制による抑圧と結びついた世界経済危機の影響は、現在の情勢の中でこれらの諸国を帝国主義支配の弱い環にさせている。かれらは社会的・民主的革命のプロセスを開始する諸条件を作り出している。

 デモ、ストライキ、大衆集会、自衛委員会、労働組合と市民組織による動員、すべての民衆諸階級の動員、決起に向けて揺り動かされる「下層」「中層」の人びと、「もはや以前のように支配できない上層」、体制にラディカルに反対する諸政党の合流――こうしたことすべては、今日まさに爆発寸前になっている前革命的ないし革命的情勢の要素である。

 今日眼前にあるのは、数十万人の労働者、若者、失業者たちがムバラク独裁体制に対決して立ち上がっているエジプトの転換である。

 チュニジアでは、血まみれの独裁体制が倒された。独裁体制は全社会、民衆諸階級とりわけ青年たちの憎悪の的になっていた。ベンアリ体制、その抑圧、その腐敗、すべての帝国主義諸国、フランス、米国、欧州連合によって支持されていたそのシステムは、打倒されなければならなかった。

 現在エジプトで急速に広がっているのも、この同じ運動なのである。

 もちろん二つの国には歴史的な相違がある。エジプトはアラブ世界で最も人口の多い国である。エジプトは中東において決定的な地政学的重要性を持つ国である。国家の構造、制度、軍の役割は異なっている。しかし二つの国をつき動かしているのは同一の基層的民衆運動なのである。

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エジプトの民衆決起 ムバラク政権を打倒せよ!
チュニジアに続く北アフリカ革命の核心部への波及
 
チュニジアの民衆革命の炎は、中東の大国エジプトに波及した。前大統領サダトの暗殺後三〇年以上にわたって非常事態宣言を継続し、治安警察による独裁体制を敷いてきたムバラク政権に対する民衆の怒りが一挙に爆発した。一月二五日から始まった言論の自由を求め、腐敗追放・ムバラク独裁打倒を掲げたデモは全国に波及した。ムバラクは自由と権利、民主主義を求める民衆の怒りのうねりに対し、徹底的な弾圧で応え、一月三〇日までの死者は一五〇人以上に達している。 

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一月二八日には首都カイロ、アレクサンドリア、スエズなどの大都市をはじめ各地で警察部隊との衝突、道路やバリケードの封鎖、与党関係ビルの占拠、焼き討ちが行われた。発動された夜間外出禁止令は効果を持たなかった。ムバラクによって動員さされた軍の一部は民衆の側についた。

ムバラクは、全閣僚の更迭を発表して内閣改造を強行したが、自らは辞任せず大統領の座にとどまるとのテレビ演説を行ったが、それは民衆の怒りの火に油を注ぐだけだった。ムバラクはネットを遮断し、アルジャジーラなどのメディアのエジプト国内での活動をも禁止しているが、その運命はもはや風前のともしびである。

ムバラクは一月二九日、三〇年の統治において初めて副大統領を任命し、側近で軍出身の情報長官オマル・スレイマンをその職につけ「後継者」としたが、権力機構の崩壊が始まっている。

ムバラク体制は米国にとって「中東和平」戦略の最大の支えだった。イスラエルによるパレスチナ占領の恒久化はエジプト・ムバラク政権の支援抜きには不可能だった。米国のエジプトへの軍事援助額はイラク、イスラエルに次いで世界第三位である。ムバラクの崩壊は、帝国主義とイスラエルにとって深刻な打撃である。それは新自由主義と軍事主義が一体となったグローバル資本の新たな植民地主義への労働者・民衆の抵抗であり、チュニジア民衆の革命運動への大きな支援でもある。

ムバラク独裁政権打倒をめざす、エジプト民衆との連帯を! 北アフリカに広がる民主・社会革命の勝利を! 帝国主義・イスラエルの介入を許すな!(一月三一日 K)

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インターナショナル・ビューポイント
432号-IV Online magazine : IV432 - January 2011

チュニジア革命に勝利を!
北アフリカ・中東革命の最前線
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article1975


「アル・ムナディル(戦士)」


 アラブの暴君がついに民衆革命によって打倒された。独裁者ベン・アリは、二三年間におよぶ専制・略奪・弾圧の末に、革命的なチュニジア民衆の「ベン・アリ、出ていけ」の叫びの中で屈辱的に失格を宣告されて逃亡した。

 一九八七年以来、ベン・アリは腐敗し堕落したブルジョアを引き連れていた。とりわけ彼の妻、血縁者であるトラベルシ(妻の実兄)とマテレルは、警察・捜査の機構(軍や別の弾圧機構を勘定にいれずに警察官だけで一五万人いた。この数は二七人のチュニジア人あたり一人の警察官がいることになり、マグレブ地方[サハラ以北の北アフリカ]で第一位となる)だけで、ベン・アリがチュニジアの富を盗み、国民を侮辱し、人びとを飢えさせ続けるに十分だとつねに信じ込んでいた。

 ベン・アリ政権は、グローバル金融機関、そして基本的にはフランス帝国主義の輝かしい優等生だった。かれらはチュニジアの豊かなパイの分け前を手に入れるために、シニカルにもベン・アリ独裁を大目に見たうえに、「北アフリカの香港」として「チュニジアの奇跡」について多言を弄した。それは、ベン・アリと世界銀行の被害者たちがヒーローとなった本物の奇跡が目覚めるまでのことだった。

 チュニジア革命は一月一四日に起きた。その引き金となったのは、一カ月前にシディブジド(中部の都市)で起こった出来事だった。モハメド・エルブアジジという若者が、失業と侮辱に抗議して焼身自殺したのである。チュニジア全土にいっそうの勢いで広がり、支配の柱を激しく揺るがした民衆的炎になったのは、この若者の火であった。一つのデモからもう一つのデモへ、一つのバリケードからもう一つのバリケードへ、そして一つの「殉教」からもう一つの「殉教」へ、決起の波が発展・成長し、「老いた龍」の頭を求めてカルタゴの虐政者の宮殿に向かう道を切り開いた。

 求めていたことが獲得された。年老いた圧制者はパニックにおちいり逃亡した。それは、チュニジアの一般民衆、そして大マグレブ(全北アフリカ)、アラブ・アマジグ(先住民族のベルベル人)地域のすべての民衆、そして全世界のすべての被抑圧・被搾取民衆にとって重大かつ偉大な勝利である。それは民衆の意思は不屈であり、革命は時代遅れのラディカル派のたんなる幻想ではないという、アラブ、アマジグ、アフリカ人への証である。革命はチュニジアの街頭を血肉を持った存在として走り抜けている。革命の伝染は不可避であるため、すべての革命家はあらゆる場所を揺り動かそうではないか。



 チュニジア革命は巨大な前進を成し遂げた。しかし革命の運命は未だ決定されておらず、一掃すべき多くのゴミがなお残っている。革命の敵は、いまだ決定的敗北をこうむってはおらず、反革命の龍とは老いた暴君の頭以上のものである。それは世界のすべての反動的勢力に全面的に支持された政治システムなのである。それはよろめき、揺れ動くシステムだが、自らを締め上げた民衆の街頭制圧から抜け出る希望をいまだ失ってはいない。それは歴史上最も古臭い警察機構への命令権限を依然として保持している。それは腐敗したシステムであり、それが革命的民衆を代表する暫定政権によって機能をマヒさせられ置き換えられないのであれば、チュニジアの一般民衆の希望を達成することはできないだろう。すべてのレベルで国家を管理する規則を設定する憲法制定議会の選挙を監督するための、労働者・貧農・一般民衆の政府を。

 革命家と革命的民衆は暫定政権を待つのではなく、工場、居住地域、学校、さらに兵営においても労働者・民衆評議会の形成を追求しなければならない。評議会は地域から全国レベルにおいてまで存在するべきであり、あらゆる代議員をいつでも解任する可能性を持って選出されるべきである。それらは国を統治する革命的権力であるべきであり、反革命とそのプロパガンダ、弾圧、ゲームに対する革命的な盾である。そして革命の将来は、こうした労働者・民衆評議会、そして軍隊、あるいは少なくとも軍隊の一部の自らの側への獲得を基礎にしたものである。評議会に規制された革命的民衆の武装は、革命を前進させ、あらゆる外国の介入から防衛するための保障である。



●ベン・アリ一派の残党を信用するな! 民衆の勝利に必死に乗っかろうとするリベラル政治勢力を警戒せよ! すべての権力を革命的民衆へ!これがすべてのチュニジアの革命派を統一させるスローガンだ。

●第二、第三、第四、そして第五のチュニジアを! 分裂を策す虐政反対! 民主・統一・社会主義の大マグレブを! これらが大マグレブ地域の革命派を統一すべきスローガンだ。

●北アフリカ、中東における革命の最前線、チュニジア革命に勝利を!



二〇一〇年一月一四日



▼「アル・ムナディル(戦士)」は第四インターナショナルのアラビア語版ウェブサイトで、モロッコ支部が編集している。

(「インターナショナルビューポイント」一一年一月号)

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