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 八月十四日、東京永田町社会文化会館ホールで「平和の灯を!! ヤスクニの闇へ 2010キャンドル行動」が今年は「植民地支配とヤスクニ」をテーマにして行われ、七百人が参加した。午後二時から開始され、シンポジウム、被害者証言とコンサートが終了後、午後七時から赤坂、虎ノ門、霞ヶ関を通り日比谷公園までのキャンドル行進を行った。

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 デモ出発時に、在特会系右翼百五十人が社文会館の道路を挟んで、「日の丸」を林立させ、排外主義言辞を繰り返し敵対行動を繰り広げた。さらに、溜池や日比谷公園解散地点交差点で、街宣右翼が街宣車をデモ隊に突っ込ませたり、殴りかかる妨害行動を繰り返した。右翼の道路交通法違反やデモ行進に対する妨害行動に対して、警察は法的処置をきちんととることなく、右翼のやりたい放題を許す馴れ合い構造を示すものとなった。デモ隊はこうした挑発を毅然として跳ね返した。解散地点で行動呼びかけ人の徐勝さんと内田雅敏さんが「右翼の激しい妨害行動があったが、このことでヤスクニ問題の深さがより明らかになった。来年も四地域の連帯で、ヤスクニの責任追及をやりぬこう」とまとめた。
 
 司会者が集会の冒頭、「このキャンドル行動は二〇〇六年の小泉の靖国参拝に反対するために韓国、台湾、沖縄、日本の四つの地域の人々が集まり行動を起こしたもので、今年で五回目になる」と紹介した。

 次に李海学さん(「靖国反対共同行動韓国委員会」代表)が「靖国神社の無断合祀の取り消しを求めて四つの地域の人々が立ち上がった。それは侵略と戦争に反対するためだ。われわれは『ノーウォー、ノーヤスクニ』というスローガンを掲げた」と行動の意義を語り、「日本での六十年ぶりの政権交代に希望を抱いたが普天間問題での対応で失望した。菅政権による韓国併合百年に当たっての談話は政治ショーだ。なぜなら、ソウルの日本大使館前で『軍隊慰安婦』にされたハルモニたちは謝罪と補償を求めて、毎週水曜日集会を九百三十回も行っている。こうした人々に対して、日本政府は何も応えていないからだ。真実を直視しない日本のあり方に、終わりの見えない所に立っているような絶望感がある。しかし、それを崩す市民社会のつながりがある。具体的な解決を作り出していくために、いっしょに手を取って歩んでゆこう。希望を持とう」と開会のあいさつを行った。

 続いて、シンポジウム『植民地支配とヤスクニ』が行われた。報告一「植民地支配とヤスクニ」、高橋哲哉さん(東京大学大学院教授)。報告二「韓国強制併合百年とヤスクニ神社」、金承台さん(韓国・民族問題研究所研究委員)。報告三「日本の台湾支配とヤスクニ」、莫那能さん(台湾・原住民、詩人)。報告四「ヤマトの琉球支配--沖縄戦とヤスクニ」、石原昌家さん(沖縄国際大学名誉教授)。

 報告一「植民地支配とヤスクニ」。高橋さんは「フランスの極右組織国民戦線党首のル・ペンなどヨーロッパ極右が靖国神社参拝のためにやってきた。ヨーロッパ右翼は排外主義・歴史修正主義だ。靖国神社がネオナチと親和的であることがわかり、靖国の性格を露わにしている」と最初に発言し、報告に入った。

 高橋さんはまず、アイヌと琉球が日本の国内植民地としてあったこと、そうした支配のあり方は過去のことではないと注意を喚起した。そして、植民地支配とヤスクニとの関係を次のように明らかにした。

 第一点。日本軍の軍人・軍属として動員され戦死した植民地出身者を、靖国神社は「英霊」として祀っており、これを不服として合祀取り消しを求めたのに対して拒否し、合祀を続けている。靖国神社は植民地主義をまったく反省しておらず、戦死者を「植民地支配」し続けている。靖国神社は合祀を取り消すべきだ。

 第二点。靖国神社は植民地帝国を拡大するための戦争での戦死者と、植民地支配を維持するための軍事行動での戦死者を(原則として)すべて祀ってきたからだ。朝鮮半島への軍事侵略、義兵闘争や独立運動など、台湾領有のための武装鎮圧や先住民族の鎮圧戦争などの植民地支配の確立と維持のための戦死者を靖国神社は功績として顕彰してきた。

 そして、高橋さんは靖国神社と植民地主義の関係を象徴する人物として、北白川宮能久親王を紹介した。北白川宮は奥羽越列藩同盟に請われて「皇帝」として擁立されたが、明治新政府軍に負けた。皇族ゆえに赦され、その後陸軍に入り、台湾植民地戦争に際し、近衛師団長として武力鎮圧にあたり、その最中に病死し
た。日本がつくった台湾神社などに祀られることになった。そして日本の敗戦とともにこれら神社が消滅すると、「御霊」が日本に移され、一九五九年に靖国神社に祀られた。靖国神社は一般の合祀者と区別して、こうした皇族を特別に顕彰している。高橋さんは、帝国日本の植民地支配を肯定し続ける靖国神社の姿勢を明らかにした。

 報告二「韓国強制併合百年とヤスクニ神社」。
 
 李さんは、「敗戦後、日本人ないし日本政府は依然として過去との連続性をより強く持ち、それを維持・回復しようとしている。今日の靖国神社問題も、ここに起因する」と提起する。

 そして、「天皇制イデオロギーの最大の特徴は、天皇に宗教的な権威を付与したということだ。靖国神社は、このような天皇制イデオロギーを拡散する中心機関のうちの一つだった。日清戦争までは、国内の内戦などで天皇側に立って戦死した者の慰霊・追悼の性格が強かったが、一八九四年七月、日清戦争開始から一九四五年八月の敗戦まで、海外侵略戦争で死んだ人々を大挙靖国神社に合祀しながら、彼らをいわゆる『護国神』として、尊崇・顕彰する性格が徐々に強化された」と説明した。

 日清戦争以後、靖国神社が帝国主義ないし植民地主義と結合した。したがって、靖国神社合祀者の中には日本の朝鮮侵略に関連する人々も多数含まれていた。一八七六年「雲揚号事件」、一八八二年「壬午軍乱」、一八八五年「甲申政変」、一九〇九年「義兵鎮圧」など総計二百五人。その後も一九一九年三・一独立運動、満州地域における独立軍弾圧に関連した死亡者など。韓国人にとっては靖国神社は、国を侵略して先祖を虐殺した元凶たちを合祀した不愉快な機関でしかなかった。

 その後、日本は京城と羅南の二カ所に護国神社を建設した。日本人や朝鮮人にかかわらず、該当地域の護国神社と縁故がある場合に二重に合祀した。この点で靖国神社の地域拠点とされた。京城護国神社には一八八二年の壬午軍乱以降に死んだ軍人、軍属、警察官など七千四百七十四人が合祀された。国家のために生命を捨てるようにするための「軍国主義的国家宗教施設」だったことをよく示している。

 韓国人二万千百八十一人が合祀されている。一九四五年解放前は四百十五人だったに、八・一五以後、残りが合祀された。それも遺族たちには死亡事実すら通報しなかった。

 韓国人の合祀を取り消し、靖国神社と日本政府が遺族に対して謝罪することを要求する。

報告三「日本の台湾支配とヤスクニ」。

 台湾の先住民には自分の文化はあるが日本のような寺や廟はない。台湾出身者が靖国に神として祀られているが間違いだ。私たちは戦争に参加したものには罪があると考える。しかし、日本のために戦死した者たちは罪を負う者ではなく被害者だ。

 台湾の植民地支配に対して、先住民たちは百カ所で、八年間にわたり抵抗闘争を行った。日本軍は派出所を作り、その屋根に機関銃をおいて弾圧した。先住民の中に皇民家庭という親日派をつくり、警察官に取り立てたり、農業研修を行ったり、優遇措置をとって、先住民同士を対立させることによって支配を広げていった。ダムや橋の建設、森林の伐採など義務労働を課された。植民地政府は同化教育、蕃童教育、皇民化教育を行い、先住民の伝統文化を失わせ、死んでも天皇を守りぬく公民に作り上げようとした。

 一九四一年、皇民家庭から「先住民の神は太陽だ。日の丸も太陽を現していて同じだ。天皇のために命を捨ててくれ」と兵隊を集めた。今でも、高砂義勇隊は「志願」だったと言う人がいるが、植民地制度の構造的強制による「志願」だった。私の部落で、二十八人中帰ってきたのはたったの三人だった。

 軍隊慰安婦にされた人たちの聞き取り調査したことがある。皇民家庭に対して、看護婦が必要だと言われて海南島に行った。そこで看護婦ではなく、「娼婦・慰安婦」にされるという恐ろしい話が伝わり、逃げたら発見され銃殺された女性もいた。それで仕方なく「慰安婦」になった。

 こうした経過を見れば靖国神社に合祀されることがいかに許し難いことか。謝罪と賠償をすべきだ。闘いは始まったばかりだ。

報告四「ヤマトの琉球支配--沖縄戦とヤスクニ」。

 沖縄は日米政府による軍事植民地にある。ヤマト政府による精神的支配下にある。このことをこれまで沖縄研究者も気づかなかった。マッカーサーは戦前にあった軍人恩給法が軍国主義の温床であったとして停止させた。日本政府は一九五二年四月三十日、独立の回復とともに、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」を制
定させた。この援護法を沖縄戦被害者に適用・拡大してきた。

 五人の沖縄遺族が靖国合祀取り下げを求めて、二〇〇八年、国と靖国神社を提訴し、七月二十日に結審、十月二十六日判決となった。これは画期的なことだ。沖縄戦での一般民の死亡者を靖国に合祀していた。この仕組みを明らかにした。一九五〇年代、米軍政下であったが、日本の援護法を適用させた。沖縄戦が終
わった六月二十三日の追悼式は一九五二年から実施されている。一九五六年に米軍用地に取り上げられるに反対して島ぐるみ闘争が起きた。

 こうした運動の切り崩しのために、援護法を利用して、本来なら軍人・軍属しか適用されないものを、戦闘中に沖縄住民が、日本軍に積極的に協力したということであれば、戦闘参加者という身分を与えて準軍属扱いした。被害住民の遺族にも「遺族年金」が支給されるようになった。そして、本来は日本軍による被害者であるにも係わらず、「殉国死」した英霊として靖国神社に合祀された。一九七七年で、人口の約二七%が受給者であり、一九九二年までに、十万四百四十人が靖国合祀された。

 新聞によると、戦没者追悼式に、日本政府と琉球政府のみならず、靖国神社の宮司たちが参列している。一九五〇年代、援護法でもって靖国化されていった。靖国合祀訴訟が起こされるまで問題を意識化できなかった。

 沖縄靖国合祀取消訴訟は、有事法制下で、「国民保護法」による「県民保護計画」の下、沖縄戦の再定義をする歴史修正主義によって、戦争のための態勢つくりの動きが強まっているのを真っ向から阻止する役割を果たしていることだ。

 休憩をはさみ、社民党衆院議員の服部良一さんの連帯のあいさつの後、被害者の証言が行われた。台湾からは「生命の歌」と題するタイトルの映像によって、台湾先住民の住む美しい山々、そして侵略と抵抗の跡を追った。

 李煕子さん(韓国・遺族)の父親が一九四五年六月、中国戦線で戦病死した。一九九〇年以後に始めて戦死と靖国に合祀されていることを知った。二〇〇一年に在韓軍人軍属裁判の原告の一人として、初めて「靖国合祀」問題を提起して、大きな反響をよんだ。二〇〇七年に靖国を相手に訴訟を起こした。李さんは何回も日本で証言してことと証言が資料として出されていることもあり、「これからも皆様の力が必要だ。来年もあいましょうとあいさつした。

 熊田郁子さん(日本・遺族)の父親は四十五歳に召集年齢が引き上げられたことによって、敗戦の一カ月前に召集され戦死した。その父親は真珠湾攻撃の日、「この戦争は必ず負ける」と語っていたこと、戦地におもむく時、「これが見納めだ。負ける戦争なのに悔しい」と言っていたことを決して忘れない。熊田さんはキリスト者になって初めて、自分たちが一番の被害だと思っていたが、ヒロシマ・ナガサキ、朝鮮などアジアの人々の被害を知って、加害者の側面を持っていたことを理解した。

 熊田さんは、「戦争に行かなければ殺される時代だった。うれしくて靖国に祀られているわけではない。靖国から除名してほしいというのが遺族の本音だ」と証言した。

 我如古朋美さん(沖縄・遺族)は祖父の父と弟を沖縄戦で亡くし、靖国神社に合祀されている。彼女は七月十四日に、国連欧州本部で「第三回期国連先住民族の権利に関する専門家機構」という会議に参加し、歴史教科書問題や沖縄一般住民の靖国合祀問題について発表した。国連の「先住民族権利宣言」を使い国内の法律や政治の枠内で解決できないことでも、国際的な見地から沖縄内の問題が解決できないかと考えた。沖縄一般住民靖国合祀問題が被害者である一般住民を軍人同様に靖国に祀ることは、真実に反することであり、その事実を未来の世代に伝達する権利を有する、先住民族権利宣言に反している。また、沖縄には独自の信仰や宗教が存在する中で、靖国神社に祀ることは沖縄の人の持つ信仰とは別の宗教を強いていることになるので、これらも権利宣言に反することになると訴えた。

 若い世代の我如古さんの切々とした訴えは心を打つものだった。彫刻家の金城実さんが、「父親が靖国に祀られている。天皇・国のために死んだ戦死者を国が大事に祀るのが当たり前だ、という論理を突き崩すのはたいへんなことだ。母親と何度も衝突しながら、やっと母親が靖国訴訟の原告になった」と報告し、子や孫のために天皇制との闘いを続けると語った。

 八月二十二日の東京から、八月二十九日のソウルまで行われる日韓市民共同宣言大会の紹介と参加への呼びかけを日本側・韓国側実行委員会が行った。長崎から参加した韓国チームとサンミョン大学の学生たちもあいさつした。

 休憩の後、詩の朗読とコンサートが行われた。莫那能さんの詩の朗読、そして韓国のムン・ジンオさんとソン・ビョンフィさんの素晴らしく力強い韓国抵抗の歌が披露された。最後に韓国抵抗歌の「朝露」を韓国から参加した五十人の仲間たちが壇上に勢ぞろいし、会場と一体となり合唱した。

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 キャンドル行動共同代表の今村嗣夫さんが「自衛官合祀拒否の裁判を担当した。中谷さんは交通事故で夫を亡くした。彼女は夫をキリスト教で追悼していた。自衛隊は妻の反対を押し切って山口県の護国神社に合祀してしまった。裁判で自衛隊側は、『神として魂を移した。そうすることが自衛隊の士気が高まる。妻の宗教とは関係なく、そのことより公の宗教に祀ったのだ』と主張した。ここにも靖国精神は生きている。靖国を公の宗教とすることを拒否しよう」と閉会のあいさつを行った。この後、キャンドル行動を行った。

(M)

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