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 県が10・24弾圧を指揮した佐藤道男(県警本部警備部公安第三課課長補佐)を証人申請

十二月四日、横浜地裁第五民事部(三代川俊一郎裁判長)五〇三号で「10・24免状
等不実記載弾圧を許さない!国家賠償請求裁判」の第五回が行われた。 

第五回裁判で県は、証人として10・24弾圧を指揮した佐藤道男(県警本部警備部公
安第三課課長補佐)を申請し、佐藤陳述書を提出した。佐藤陳述書は、実質的に県準
備書面(1、2)を圧縮したものを繰り返しているだけでしかない。しかし、佐藤は、
現代版特別高等警察の姿を全面に押しだし、グローバル派兵大国化とセットである治
安弾圧体制の強化の一環として「微罪弾圧」対象を広げていくことを公言している。
県警公安警察の公然部隊指揮官として登場するのだ。
 
憲法第二一条の集会・結社および言論・出版などの表現の自由、第二十条の信教の
自由、第一三条の個人の尊重・生命・自由・幸福追求の権利保障の否定、基本的人権
破壊である逮捕権乱用の居直りに貫かれた県準備書面、佐藤証人を批判していかなけ
ればならない。

 県の準備書面(1)でAさんの免状等不実記載罪がJRCL(日本革命的共産主義
者同盟)の「武装闘争路線の一環として、組織活動を推進する目的のために行われた、
組織的、計画的な犯罪」だと決めつけ、いまだに「武装闘争路線を堅持」しているか
ら強制捜査・逮捕に違法性はないなどと主張している。ならば現在、いつどこでJR
CLが武装闘争などをやっているのだ。具体的に示してみろ! 
 
ただしこの「滑稽」さによって県を過小評価してはならない。なぜならば「組織的、
計画的な犯罪」だったとする根拠は、なんとJRCL規約でしかないからだ。こんな
暴論が通用するのであれば、公安警察の暴走は限りなくつづくことになってしまう。
 県は、「個人的かつ偶発的に敢行された犯行などではなく、背景にはJRCLとい
う極左暴力集団の組織的方針、指示、命令、連絡等に忠実に従って行われたと認識し
た」と言う。ならばいったいいつ、どこで、どのような目的で、誰が、どのようにし
て指示して免状不実記載を計画し、実行したというのか。全く具体的に提示すること
ができないではないか。県の違憲・違法に満ちた逮捕・勾留を必死でぼやかそうとし
ているのだ。 

 その延長において、「本件事件の真相を解明するに際しても、こうした組織的、計
画的な犯罪であることを十分に認識した捜査の必要性は極めて高いと認められた」と
判断し、「仮に任意手段によって捜査を行っても、これに応じる可能性は皆無であり」
などと一方的に決めつけ、「極左暴力集団の特殊性に照らせば、殊更組織防衛を図る
ことは確実であった」、「極左暴力集団であるJRCLの組織的性格からも、捜査が
原告Aら組織関係者の身辺に及んだことを察知すれば、逃走、罪証湮滅が図られるこ
とは明白であり」などと推測し、断定している。つまり、「極左暴力集団」の特徴か
らすれば、「逃走」「罪証湮滅」をするのだと直結させて断定しているにすぎない。
 そもそも公安警察は、過去一貫してJRCLの組織活動、数ヶ月前からAさんのの
日常生活と行動パターンを完全に「把握」していたと自慢していたではないか。なぜ
「逃走、罪証湮滅が図られる」とするのかの根拠については具体的に提示することが
できないのだ。唯一、JRCLの規約を押し出すことしかできないとは、なんと稚拙
な論理構成ではないか。具体的に提示できないところにAさんの不当逮捕の違法性が
如実に現れていることを自白してしまっている。

県は、原告と弁護団による準備書面(1)の弱点、欠陥に満ちた論証について厳し
く批判、指摘されたことに危機意識を持ち、準備書面(2)でこれまで以上に反動的
な主張を展開し出した。
準備書面(2)は、準備書面(1)と同様の手法でAさんが所属する日本共産青年
同盟(JCY)の規約までも引っ張り出してきた。すでに論理破綻に陥っているにも
かかわらず、県は「JRCL傘下組織『日本共産青年同盟(JCY)』の規約前文に
明示された武装闘争路線」などと描き出し、「公安第三課等は、暴力主義的破壊活動
等により我が国の社会全体制そのものを破壊したり、我が国の国益を侵害する行為を
取り締まり、またはその未然防止を図ることにより、公共の安全と秩序の維持を任務
としているのであって、JRCLが過去に暴力主義的破壊活動を敢行しながら一切こ
れを否定せず、かつ、傘下の人的供給基盤組織であるJCYの規約前文において、極
左的革命理論を堅持している」「JCY、JRCLが武装闘争路線を堅持し、依然と
して、将来は暴力主義的破壊行為による共産主義革命を企図している団体」だから強
制捜査、逮捕・勾留は当然だと言うしまつだ。 

あげくのはてに「公安第三課等は、単なる主義主張を対象としているのものではな
く、種々の暴力主義的破壊活動その他の違法行為及びその予備、教唆、せん動等をそ
の対象としているのである。よって、武装闘争路線を堅持していることが明白である
JRCLが、その組織の活動目的のために、原告Aをして組織的かつ計画的に敢行し
たと疑われる犯罪は当然捜査の対象となるのである」と居直るだけだ。
 「単なる主義主張を対象としているのものではなく」などと、よくもふざけたこと
を言えるものだ。県の準備書面、佐藤陳述書において「マルクス、レーニン、トロツ
キズム」を引用し、暴力主義的破壊活動の理論を支持し共産主義革命を目指している
集団の構成員だから継続した監視、必要ならば逮捕・勾留が必要なのだと主張してい
るではないか。革命思想を持ったものは弾圧されて当たり前だという論理こそ戦前の
特別高等警察であり、まさに現代版特高の再生だと言える。
 この発想は、すでに「話し合うだけで罪となる」「犯罪が実行されていなくても逮
捕できる」ことが可能な共謀罪新新設法案において現れていた。この論法は、「過激
派だから」「マルクス主義者だから」とレッテルを貼り、公安警察の恣意的判断によっ
て逮捕・勾留が可能となってしまうのだ。このように政治武装している公安政治警察
の本性を暴きだし、社会的に包囲し、解体しなければならない。

さらに準備書面(2)ではAさんの学生時代の不当逮捕・弾圧事件をも動員してき
た。当時のAさんの東京拘置所からのアピールをわざわざ引用し、「原告Aが日本共
産青年同盟の活動家としての検挙歴を有するとともに機関紙でこれを自認していたこ
と、……原告が所属するJRCLが傘下組織であるJCYの規約前文において、他の
極左暴力集団と同様に暴力革命論をその基本理念としている以上、これを念頭におき、
日常生活や各種活動を行うことが明らかであったこと……高い党派性が認められるこ
となどから、本件事件はAが個人的に敢行したものではなく、JRCLによる共産主
義革命の達成のため、個人防衛、さらにはその活動について、捜査機関などからの捜
査、追及を免れること、さらに、JRCLの活動家が、内ゲバ事件の被害者となった
こともあるという事情から、他の極左暴力集団から身を守ることを目的として、組織
的かつ計画的に行われた犯罪であると認められたものであり、これに対して公安第三
課等が行った原告Aの逮捕及び本件各捜索差押などの強制捜査に何ら違法性がないこ
とは明らかである」と結論づけ、拙いストーリー作文を土台にして自己正当化を強引
に組み立てているのだ。 

このように10・24弾圧を通して「過激派に人権なし」というキャンペーンを拡大さ
せ、市民運動破壊をもねっらていることは間違いない。公安警察のこのような暴挙を
徹底的に糾弾していこう。

 第五回裁判では、原告代理人の内田雅敏弁護士が国、県、公安警察の暴挙を厳しく
批判した陳述書を提出した(要旨・別掲)。内田陳述書は、公安警察が自ら不当弾圧
という「仕事」を作り出さなければ消滅してしまう存在であり、「被告Aらが極左暴
力集団の一員でないと困る公安警察」の本質を暴き出した。そして、「公安警察の暴
走を支える社会的風潮」をも対象にしながら「気がついたときには、すでに遅かった」
という歴史を繰り返さないために、警鐘乱打しているのが本裁判であることを強調し
ている。今後の裁判闘争にむけた重要な方向性を指し示している。 

裁判は、第六回で原告証人、被告証人の正式決定、証人出廷日時等を決める。国賠
裁判は、第七回以降、証人尋問の段階に入る。原告・弁護団・支援のスクラムを強化
し、国・県を圧倒していかなければならない。国賠ニュースを発行し、配布と発送の
充実化を実現していこう。裁判活動費もまだまだ必要だ。支援カンパを集中しよう。
(Y)

 第六回裁判/〇八年二月五日(火)午前十一時開廷/横浜地裁五〇三号 

 国賠カンパ(一口 二〇〇〇円)送り先 郵便振替口座 〇〇二九〇-六-六四四三〇 新時代社
 


 県準備書面に対する反論  陳述書 (要旨)

弁護士 内 田 雅 敏


1.憲法に保障された政治活動

 憲法第一三条は、個人の尊重と幸福追求の権利を、同一九条は思想及び良心の自由
を、同二一条は集会、結社、表現の自由を保障している。そして同一二条は「この憲
法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなけれ
ばならない。」と規定している、自由及び権利は、憲法典に書き込まれれば自動的に
実現するわけではなく、その実現のための闘争の義務を国民に呼びかけているのであ
る。
 原告Aらが学生時代以来続けている活動は、まさに権利のための闘争の義務の実践
である。
 原告Aらが実現しようとしている社会は、戦争のない平和な、そして個人が互いに
尊重され、或る少数の者が多数の者を支配したり、収奪することのない社会である。
 憲法前文に「われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のう
ちに生存する権利を有することを確認する。」とあるとおりである。
 具体的には、農民がその生活の基盤である農地を政府によって一方的に取り上げら
れることに反対し、農民と共に闘うことであり、憲法前文に「政府の行為によって再
び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、」とあるように、米国ブッシュ
大統領の行った国際法違反のイラク攻撃に日本が加担することに反対する等々の
活動である。
 原告Aらは、これらの活動を粛々と続けて来たのであり、非合法活動をしているわ
けではない。これら活動に対する公安警察の監視活動は、それが公安警察の組織を維
持するために必要であるとするのは格別、民主主義の社会では全く無用なものである。

 この点については後に詳述する。

2.普遍性を有していた三里塚闘争

 確かに、はるか昔の一九八〇年代に原告Aらが所属する「第4インター」のグルー
プが「違法な行動」をなしたことはあった。
 しかし、それはまず何も問題のないところで違法な活動がなされたわけでなく、
「国策」により個人の権利と自由を侵害した政府・権力に対する抵抗としてなされた
ものであり、そのことは例えば一九八一年五月二七日、東京高等裁判所第五刑事部
(新関雅夫裁判長)が、一九七八年三月二六日の成田開港阻止第8ゲート事件の被告
九人に対して、一審の実刑判決を破棄し、全員に執行猶予の判決を言渡した際、その
判決理由中で「被告らの行動は農民らへ…の共感に基づくものであって、私利私欲に
基づくものではない」「被告人らは、いずれもまじめな勤労学生である」「政府の側
にも問題があった」等々述べたことにも表われている。
 この一審実刑判決破棄、全員執行猶予判決に対して、札付きの反人権雑誌、週刊新
潮(1981年6月8日号)は、「死刑でないのがおかしいくらいだ」と口を極めて
罵ったことがあった。
 また同じく、三里塚管制塔事件、その後、被告らに対する巨額の賠償請求がなされ
たが、当時の関係者(弁護人を含む)や仲間達がカンパをし、一億四〇〇〇万円を公
団側に支払った事実もある。
 それぞれが決して楽ではない生活の中で、これだけの大金をカンパで集めるという
ことは並大抵のことではないことは、容易に推測するに難くないはずである。それは
三里塚闘争の大義、普遍性、逆に言えば政府の農地からの土地取上げがいかに乱暴な
ものであったかを物語るものである。
 米国ブッシュ大統領に対する先制予防攻撃が、これまで積み上げられてきた国際法、
そして国連憲章に反するものであることは今日、全世界共通の認識となっている。攻
撃の理由となった大量破壊兵器がイラクに存在していなかったこと、国際テロ組織ア
ルカイダとの関係を示す証拠も見つからなかった。これらの事実はブッシュ政権も認
めざるを得ないところとなっている。
 ブッシュ米大統領を支えた、スペイン・アスナール首相(当時)、イタリア・ベル
ルスコーニ首相(同)、英国ブレア首相らはいずれも既に退陣し、今般オーストラリ
アの総選挙でハワード首相も敗れた。ブッシュ米大統領は、「最後の盟友」も失うこ
とになった(二〇〇七年十一月二十五日付毎日新聞朝刊)。
 被告神奈川県提出の記事に見られる原告Aらの活動は、褒められこそすれ、警察に
よって監視の対象となるような類のものではない。
 本裁判では、これらの点については、これ以上述べる必要はないであろう。

3.学生運動

  被告神奈川県準備書面(2)において被告神奈川県は、原告Aの日大法学部時代
の活動についてるる述べている。
 原告Aとしては、4半世紀以上も前のことなのだが、「それが何か?」というのが
率直な気持だ。
 社会に政治に大学に様々な問題がある以上、それを解消したい、解決したいと若者
が熱意に燃え、行動するのは何時の時代にも自然なことである。そして行動の形態が
その時代背景によって異なってくるのは当然である。
 原告Aもそんな若者の一人だったのであり、決して特殊なものであったわけではな
い。
 日経新聞に「私の履歴書」というコラム欄がある。政財界などで名をなした人物
が一ヶ月間に亘って自分の生い立ち、仕事などについて連載するものである。事の性
質上、自己を正当化、自慢めいた内容のものになりがちとなることは避けられないと
ころが多々ある。
 二〇〇七年十月の私の履歴書欄の筆者は、経済学者の青木昌彦、米スタンフォード
大学名誉教授であるが、彼のコラムが少しばかり注目されている。
 というのは、青木氏は一九六〇年の「安保全学連」の理論的中心人物の一人で、姫
岡玲治のペンネームでトロツキー選集の翻訳を、もちろん…逮捕・勾留、小菅の拘置
所暮しも体験するという、これまでの「私の履歴書」の筆者とはやや毛色を異にした
人物だからである。
 もちろん青木氏は「安保闘争」の敗北後、運動から「離脱」し、学者としての途を
歩み、米スタンフォード大、ハーバード大、そして日本の京大で教授等を務めたので
あり、運動から「離脱」していない原告Aらとは違う。
 しかし、青木氏の前記コラム中には、学生運動をしたことについて「反省」めいた
記述は一切ないことに注目したい。
 前述したように、若者が学生運動、青年運動に身を投じることは、極めて自然なこ
とである。

4.被告Aらが極左暴力集団の一員でないと困る公安警察

 被告神奈川県準備書面(2)は、同準備書面(1)と同様、被告Aらが加入してい
る第4インターが暴力革命をも辞さない極左暴力集団であるとくり返し述べている。
 とりわけ、第4インターが、その規約で女性差別の禁止を盛り込んでおきながら、
「過去の暴力的破壊活動による犯罪行為については規約上何ら触れられていない」と
いうくだりについては笑止としか言い様のないものである。
 問題はそのような規約云々ではなく、現在の第4インターの活動である。この点に
ついては、すでに原告準備書面(2)において述べたのでくり返さない。
 公安警察は第4インターが暴力革命をも辞さない極左暴力集団でないと困るのであ
る。何故なら彼らが極左暴力集団でなければ極左暴力集団を監視し、対処するという
公安警察の存在意義がなくなるからである。
 公安警察は、前述したように憲法に保障された、そして憲法で義務付けられた原告
Aらの活動が非合法、違法なものでなくては困るのである。だから公安警察は貴重な
税金を無駄使いして原告Aらの行動を徹底的にマークし、違法行為を見つけようとす
る。
 見つけられなければ、本件のように原告Aの行為を無理矢理違法行為に創り上げ、
逮捕・勾留・家宅捜索を強行するのである。そして本件のような違法な逮捕・勾留・
家宅捜索を行って、「仕事」をしたことにするのである。
 後に違法捜査として多少問題になろうとも、やり得、つまり情報収集をしてしまえ
ば、それまでだというのであろう。
 この点に関し、元公安調査庁職員であった野田敬生氏は、「公安活動というのは、
事件化されるものの方が少なくて特殊なんですよね。事件は検事が指揮して、公判に
も立ち会って処分する。それ以外の公安活動は検察には分からないのです」(「創」
二〇〇五年六月号)と述べている。
 本来このような公安警察の暴走は、検察によって制御されなければならないもので
あるにもかかわらず、検察が劣化してこの制御をなし得ていない。

5.公安警察に勝てない検察――神奈川県警盗聴事件

 一九八六年一一月、神奈川県警の公安部が共産党の幹部宅を盗聴していた事実が発
覚した。検察庁は、この盗聴の実行者3名が現職警察官であったことを特定しながら、
起訴をせず、厳しく批判された。
 この盗聴事件について当時の検事総長伊藤栄樹氏は、「朝日新聞」に連載した回想
録「秋霜烈日」のなかで、「よその国のおとぎ話」と触れ、次のように述べている。
検察は捜査の結果、この違法な警察活動が「警察の一部門」により「継続的」になさ
れてきたものであることをつきとめた。
 しかし、「末端部隊の実行の裏には警察のトップ以下の指示ないし許可があると思
われ」、この問題を正面切って取り上げれば、警察全体が抵抗し、その場合検察は警
察に勝てないかもしれないし、仮に勝てたとしても双方に大きなしこりが残り、治安
維持上困る。そこで、(一)警察のトップが今後このような違法なことは一切しない
と誓った、(二)その保障手段が示された、のでこの件については事件にしなかった
――と。そしてその国の検察の幹部は、それが「国民のためのベストな」解決であっ
たと考えた、としている。
 このような処理は被害者側の視点を欠落させた、権力機関相互の馴れあいによる
「解決」だと言わざるを得ない。すなわち、(一)(二)がどのようなものであるか
は盗聴された被害者はもちろん、これまでに盗聴された可能性があり、また今後も盗
聴されるかもしれないわれわれ市民には一切知らされていない。
 したがって本当に氏の言う(一)(二)があったのか、またあったとして(二)の
保障手段が機能しているかどうか、われわれには検証する術がない。現に事件発覚当
時の山田警察庁長官は、参議院予算委員会で警察による盗聴の事実はないと答弁して
おり、伊藤氏の回想録発表後の現在でも「おとぎ話」ではコメントのしようがないと
うそぶいているという。国会での虚偽の答弁はそれ自体が犯罪の隠蔽として新たな犯
罪だ。権力機関による組織的な犯罪であるこの盗聴事件のような重大な違法事案の再
発を防ぐためには、何よりもまず、事の真実が被害者たる盗聴された側に対して明ら
かにされ、その責任者の処罰と、被害者に対する謝罪が不可欠だ。
 本件の原告Aらに対する逮捕・勾留・家宅捜索という強制捜査、或いは近年問題と
なっているビラ配りのような「微罪」を立件しておきながら、本来法を守らなければ
ならない警察の違法行為、権力犯罪をうやむやにしてしまうのは、許されないことで
あった。この処分の背景には、伊藤氏が「検察は警察に勝てないかもしれない」と正
直に告白しているように、公安警察と検察との力関係の差があった。

6.公安警察の暴走を支える社会的風潮

 前述したような「微罪」立件など、捜査における「現場の暴走」は、どのような背
景のもとに進行しているのであろうか。それは「テロ」の恐怖、北朝鮮拉致問題、相
次ぐ凶悪犯罪、幼児殺、あるいは警告にもかかわらず多発する「振り込め詐欺」被害
など、日本社会が「不安」で浮き足立ち――駅や電車内でくり返しなされている「テ
ロ警戒のため、警察の御指導・御助言による……」といったアナウンス――、「安全」
願望から個人の権利や表現の自由、とりわけ政府の施策を批判する自由などが制約さ
れてもやむを得ないという雰囲気が蔓延しているからではなかろうか。
 アルカイダのメンバーとされる人物がドイツで逮捕されたが、この人物が日本に数
回不法入国していたことが判明した。この逮捕に関連して二〇〇四年五月二六日、あ
る在日外国人が日本の公安警察によって逮捕され、アルカイダのメンバーと大々的に
――「米軍基地正面に事務所 逮捕のヒム容疑者」(読売新聞)、「米軍基地前で会
社経営 情報収集に利用か」(毎日新聞)――報じられた。
 ところが、その後の調べで、実は何の関係もないことが分かり、釈放されるという
事件もあった(公安情報をそのままタレ流したマスコミは、僅かな訂正報道しかなさ
ず、アルカイダ関係者と実名報道までされた当人は大きな被害を受けた)。
 「テロとの闘い」「北朝鮮拉致事件」、これらの語句は、人権侵害を合理化するオー
ルマイティの「呪文」の感すらある。「テロリスト」は姿を隠していて、どこにいる
かも分からない。どこにでもいる「テロリスト」との戦いは、相手との交渉はなく、
殲滅させるまで続くから終りがない。「『テロとの戦争』とは実は、『敵』を明示せ
ず市民社会を不断の臨戦体制あるいは非常事態に置くための空前の発明なのである」
(西谷修『「テロとの戦争」とは何か』)。そして「拉致事件」、この問題が日本の
安全保障問題に限らず、国内の治安問題にも大きな影を落としている。
 確かに、統計上はともかくとして、犯罪、とりわけ外国人の犯罪が増え、凶悪化し
ているという感があり、幼児などの弱者に対する痛ましい犯罪が多発しているように
も思われる。池田小のような悲惨な事件を経て、授業中小学校の正門には原則として
施錠をしておくと決定した自治体も出現するに至った。かつて、放課後の校庭は子ど
もたちにとって暗くなるまでの遊ぶことのできた「解放区」でもあった。その校庭に
入らせないために施錠をしなければならないほど、私たちの社会は病んでいることを
認めなければならない。この病に対し、正面から向き合い、その根本原因を突きとめ、
これを取り除くための努力を放棄し、ただ、ただ治安的な発想で対処しても事態は何
ら解決されないことに気付くべきである。
 本件Aらの「行為」で、逮捕・勾留・家宅捜索をしたり、ビラ配りなどの「微罪」
を逮捕・勾留・立件すれば、現代社会が抱える「不安」を取り除くことができるので
あろうか。事はそんなに単純、皮相的なものではない。
 公安警察の暴走による近年の一連の「微罪」逮捕・勾留・立件は、公安警察、公安
検察が前記「不安」に乗じ、組織の生存を賭して、あえて「仕事」を作り出している
というのが実態のようだ。日本赤軍、オウムなき今、公安警察は新たな「獲物」を求
め、必死になって「獲物」すなわち「事件」を作り出そうとしている。
 「微罪」や「別件」による逮捕・勾留・起訴あるいは家宅捜索は、これまでにもな
かったわけではない。そもそもこのような捜査手法は警備、公安警察の常套手段であっ
た。古くは一九七〇年代以降、日本赤軍あるいは「武装」ゲリラ闘争をしていた新左
翼諸党派に対する捜査がそれである。
 例えば日本赤軍のメンバーとされる人物が成田から飛び立つとき、前日に成田のホ
テルにペンネームで泊まったとする。それが旅館法違反ということで、海外から成田
に戻ってきたところを逮捕する。併せて身体捜索あるいは「関係者」宅の家宅捜索も
行われる。本名以外の名前でホテルに泊まった人が、すべてこのように逮捕されるの
か。とんでもない。彼が日本赤軍のメンバーと目されるからこのような捜査がなされ
るのだ。本名でなく、ペンネームで住居や事務所を借りたときも同様だ。運転免許証
の住所から引越しをした後、免許証の住所の記載を変更しておかなかったことも免状
不実記載ということで逮捕されてしまうのである。そしてオウム事件。信号無視で逮
捕、マンションの1階、開口部分の駐車場に車を入れて停車していたところ、住居侵
入罪で逮捕・勾留・起訴(有罪)されるなど、めちゃくちゃな捜査がなされた。オウ
ム信者に対しては、憲法第三一条が保障する適正手続(デュープロセス)条項の適用
はなかった。微罪逮捕、別件逮捕、何でもありだった。
 しかし、私たちはそれを、サリン事件のような凶悪事件を引き起こすオウムだから
仕方がないと容認してこなかったか。今、私たちは、そのことによる復讐を受けてい
るのではなかろうか。ドイツでナチが台頭し最初に共産主義者が投獄されたとき、人々
は共産主義者だから仕方がないと抗議の声を挙げなかった。
 次に社会主義者が投獄されたときも、社会主義者だから仕方がないと、やはり抗議
の声を挙げなかった。そして最後は自由主義者が投獄される番であった。気がついた
ときには、すでに遅かった。
 このような歴史を教訓とすべきである。
                           

以 上

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