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5.17麻生邸リアリティツアー事件国家賠償請求裁判が始まる
権力犯罪を糾弾し、勝利判決をかちとるために支援・連帯を
5月17日、東京地裁721法廷で麻生邸リアリティツアー事件国家賠償請求訴訟の第1回裁判が行われた。40人の傍聴席は埋め尽くされ、傍聴できなかった仲間たちもいた。
訴訟団は、2月26日、麻生邸リアリティツアーで起きた不当逮捕事件(2008年10月26日、東京都公安条例違反〔無届け集団示威運動〕、公務執行妨害罪の現行犯逮捕で10日の不当勾留)に対してその被弾圧者(園良太さん、渡邊洋一さん、Aさん)と違法な家宅捜索(コンピューターの強奪など)を受けたフリーター全般労組が原告となり、弾圧を強行した警視庁の責任機関である東京都、違法な勾留状及び捜索差押令状を発布した裁判所の国を相手にして、権力犯罪を許さず、路上の表現の自由を求め、公安条例の撤廃をかちとっていくために国賠訴訟の闘いに踏み出した。
訴訟団の代理人は、川村理弁護士、大口昭彦弁護士、小竹広子弁護士。
公安条例・公務執行妨害罪の構成要件に該当しない
麻生国賠の争点は、こうだ。
第1は、不当逮捕した根拠として東京都公安条例を適用しているが、そもそも条例自身が集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由を保障した憲法21条に違反しており、この違憲条例を適用すること自体が誤りだ。しかも被弾圧者の園良太さんは、麻生邸を見学に行くことを目的としたツアー参加者として渋谷駅を出発する際に、渋谷警察署警備課長の「プラカードや風船を下ろし人形の首を取った状態ならば麻生邸に行って良い」という指示のもとに歩道を歩いていただけであった。
さらに権力は、園さんたちになんら警告・制止もせず、突然、逮捕を強行したのである。被弾圧者の渡邊さん、Aさんは、園さんの直近にいただけであり、警察官らの過剰警備・逮捕強行によって被害を受けたのが本当の姿である。条例違反の構成要件に該当しないことは、権力の不当弾圧の一連のプロセスを撮影した長時間の映像によって完璧に証明されている。
権力犯罪を糾弾し、勝利判決をかちとるために支援・連帯を
5月17日、東京地裁721法廷で麻生邸リアリティツアー事件国家賠償請求訴訟の第1回裁判が行われた。40人の傍聴席は埋め尽くされ、傍聴できなかった仲間たちもいた。
訴訟団は、2月26日、麻生邸リアリティツアーで起きた不当逮捕事件(2008年10月26日、東京都公安条例違反〔無届け集団示威運動〕、公務執行妨害罪の現行犯逮捕で10日の不当勾留)に対してその被弾圧者(園良太さん、渡邊洋一さん、Aさん)と違法な家宅捜索(コンピューターの強奪など)を受けたフリーター全般労組が原告となり、弾圧を強行した警視庁の責任機関である東京都、違法な勾留状及び捜索差押令状を発布した裁判所の国を相手にして、権力犯罪を許さず、路上の表現の自由を求め、公安条例の撤廃をかちとっていくために国賠訴訟の闘いに踏み出した。
訴訟団の代理人は、川村理弁護士、大口昭彦弁護士、小竹広子弁護士。
公安条例・公務執行妨害罪の構成要件に該当しない
麻生国賠の争点は、こうだ。
第1は、不当逮捕した根拠として東京都公安条例を適用しているが、そもそも条例自身が集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由を保障した憲法21条に違反しており、この違憲条例を適用すること自体が誤りだ。しかも被弾圧者の園良太さんは、麻生邸を見学に行くことを目的としたツアー参加者として渋谷駅を出発する際に、渋谷警察署警備課長の「プラカードや風船を下ろし人形の首を取った状態ならば麻生邸に行って良い」という指示のもとに歩道を歩いていただけであった。
さらに権力は、園さんたちになんら警告・制止もせず、突然、逮捕を強行したのである。被弾圧者の渡邊さん、Aさんは、園さんの直近にいただけであり、警察官らの過剰警備・逮捕強行によって被害を受けたのが本当の姿である。条例違反の構成要件に該当しないことは、権力の不当弾圧の一連のプロセスを撮影した長時間の映像によって完璧に証明されている。
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タイ政府は、赤シャツ抗議隊に対して包囲を狭め、最後的な鎮圧作戦に向けて圧力を強めている。この直近の事態について、第四インターナショナル5月17日付声明を掲載します。
……………………
▲5月14日
声明:
「赤シャツ」への弾圧をただちにやめろ 暗殺をやめろ アピシットは辞任せよ!
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article1870
第四インターナショナル
兵士たちは五日間にわたって、タイにおける新たな「黒い五月」を組織してきた。アピシット・ヴェイジャジヴァ政権は非武装のデモ隊に実弾を撃つために軍を送りこみ、「サエ・ダン将軍」(訳注:「赤シャツ」側につき、狙撃されて死亡したカティヤ陸軍少将)のケースのように、政敵を待ち伏せ襲撃で暗殺する狙撃者を認可した。
政権は正当化できないことを正当化するために、デモ隊の一部を「テロリスト」だと非難し、ラチャプラソン地区への恥ずべき封鎖を行った。水や電気は使えなくなった。デモ隊への生活物資は届けられなくなっている。この地域へのラジオやTV放送は止まっている。政府がいう「テロリスト」たちとは、タイの支配階級たちの「正義」に反対し、民主主義を再建するために闘っている幾千・幾万もの男女、子ども、一般の人々のことである。かれらの合言葉はこうだ。「アピシットは退陣せよ。2008年12月に議会内連合が変わった時、軍によって政権につけられたアピシットには正統性がない」。
アピシットに正統性があるのだとしたならば、彼は「投票結果を尊重せよ」という「赤シャツ」の要求に同意したに違いない。彼はそのようにするのではなく、自らの政治的弱点を示している。彼は検閲と弾圧によって異論を沈黙させようとしている。彼が権力にとどまる唯一のチャンスは、赤シャツ運動を暴力と弾圧によって解体する軍の能力にかかっている。4月初め以来、65人以上が殺され、暴力はなお続いている。
アピシットはただちに辞任し、彼に第一の責任がある死亡事件に関して裁判にかけられなければならない。議会の解散とできるだけ早期の総選挙のために、赤シャツの代表との交渉を開始しなければならない。
数週間におよぶ見事な闘いを行い、いまや軍の攻撃にさらされている赤シャツの勇気に、第四インターナショナルは敬意を表明する。われわれは断固としてかれらの側にたつ。
第四インターナショナル執行ビューロー
2010年5月14日
……………………
▲5月14日
声明:
「赤シャツ」への弾圧をただちにやめろ 暗殺をやめろ アピシットは辞任せよ!
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article1870
第四インターナショナル
兵士たちは五日間にわたって、タイにおける新たな「黒い五月」を組織してきた。アピシット・ヴェイジャジヴァ政権は非武装のデモ隊に実弾を撃つために軍を送りこみ、「サエ・ダン将軍」(訳注:「赤シャツ」側につき、狙撃されて死亡したカティヤ陸軍少将)のケースのように、政敵を待ち伏せ襲撃で暗殺する狙撃者を認可した。
政権は正当化できないことを正当化するために、デモ隊の一部を「テロリスト」だと非難し、ラチャプラソン地区への恥ずべき封鎖を行った。水や電気は使えなくなった。デモ隊への生活物資は届けられなくなっている。この地域へのラジオやTV放送は止まっている。政府がいう「テロリスト」たちとは、タイの支配階級たちの「正義」に反対し、民主主義を再建するために闘っている幾千・幾万もの男女、子ども、一般の人々のことである。かれらの合言葉はこうだ。「アピシットは退陣せよ。2008年12月に議会内連合が変わった時、軍によって政権につけられたアピシットには正統性がない」。
アピシットに正統性があるのだとしたならば、彼は「投票結果を尊重せよ」という「赤シャツ」の要求に同意したに違いない。彼はそのようにするのではなく、自らの政治的弱点を示している。彼は検閲と弾圧によって異論を沈黙させようとしている。彼が権力にとどまる唯一のチャンスは、赤シャツ運動を暴力と弾圧によって解体する軍の能力にかかっている。4月初め以来、65人以上が殺され、暴力はなお続いている。
アピシットはただちに辞任し、彼に第一の責任がある死亡事件に関して裁判にかけられなければならない。議会の解散とできるだけ早期の総選挙のために、赤シャツの代表との交渉を開始しなければならない。
数週間におよぶ見事な闘いを行い、いまや軍の攻撃にさらされている赤シャツの勇気に、第四インターナショナルは敬意を表明する。われわれは断固としてかれらの側にたつ。
第四インターナショナル執行ビューロー
2010年5月14日
民主化を求める元旦デモに参加した中学生たち。
「劉暁波の釈放」「普通選挙がほしい」と書かれたプラカードを手に。
5月16日、香港では五つの選挙区で立法議員(国会議員にあたる)の補欠選挙が行われた。中国政府の意向を受けた香港政府が引き延ばす立法議員と行政長官(香港の首相にあたる)の直接選挙を2012年に実施することを求める民主派の議員ら5人が今年1月に辞職し、補欠選挙に再立候補した。(参考:香港元旦デモに3万人~直接選挙と民主化を求めて)
5月16日の選挙の結果は、全5選挙区において、辞職した5人の民主派候補全員が再選を果たした。
これに対して、親中派、体制派の政党はメディアをはじめとするさまざまな手段を用いて「ボイコット」を呼びかけてきた。選挙後、体制派政党やブルジョアメディアは、直近の2008年の立法会選挙の投票率45.2%、投票者数152万人だったのに対して、今回の補選は投票率17.1%、投票者数58万人という低投票率だったことを理由に「いわゆる『行政長官・立法議員の直接選挙を問う住民投票』を掲げて辞職・再出馬した議員らは世論から信任されなかった」というバッシングを繰り広げている。
◎普通選挙から逃亡した香港ブルジョアジーと中国共産党
だが実際はどうなのか。親中派政党、ブルジョア政党はどの選挙区からも立候補しなかった。いや、事実上立候補できなかったといったほうがいいだろう。直接対決で敗北することを恐れたからだ。さらに投票日の前日、自らの選出方法を問われている当の行政長官・曾蔭權は「明日の選挙は投票しない。政府の各局長クラスも投票しないことを自主的に決めた」などと発言し、香港ブルジョアジー、そして中国共産党の意向を代弁した。民主主義の破壊行為である。
今回の補選に対して後ろ向きなのは何も親中派だけではない。民主派最大の集団である民主党も、今回の選挙には非協力的で、事実上のボイコット戦術をとった。
だが得票結果を見れば、直接選挙にかけた香港市民の思いは明らかである。
五月十四日午後六時半から、「沖縄に基地はいらない国会を囲むヒューマンチェーン」が「沖縄に基地はいらない」全国同時アクションTokyoの主催、協賛:WORLD PEACE NOWで行われ、四百六十人が参加した。四月二十五日、九万五千人の沖縄県民大会と連帯し、明治公園で「NO BASE 沖縄」のキャンドルを成功させた「全国同時アクション」実行委が呼びかけたものだ。
キャンドルを掲げながら、参加者のアピールと国会に向けたシュプレヒコールを繰り広げた。最初に、五月十六日普天間基地包囲に参加するという赤嶺政賢さん(共産党、衆院議員)は沖縄県民大会と鳩山首相来沖に対する沖縄民衆の抗議の様子を報告した後、岡田外相が「広い場所を必要とする米軍基地は沖縄に置くしかないと国会で答弁した」ことを批判し、アメリカへの属国を拒否し、基地の無条件撤去を訴えた。
WWFジャパンの花輪伸一さんが「辺野古沖に杭を打ち、滑走路を作る政府案が出されている。これをやれば海草や珊瑚も死んでしまい、生き物がいなくなる。そうすればジュゴンも棲めなくなる。ジュゴンは数頭から十数頭しかいない絶滅危惧種だ。今年十月名古屋でCOP10が開かれる。政府は海草の藻場を守ろうと提案している。これはダブルスタンダードだ。沖縄に基地を押しつける沖縄差別をやめろ。今日、私たちは六十七団体の共同声明を官邸に届けた」と報告した。
キャンドルを掲げながら、参加者のアピールと国会に向けたシュプレヒコールを繰り広げた。最初に、五月十六日普天間基地包囲に参加するという赤嶺政賢さん(共産党、衆院議員)は沖縄県民大会と鳩山首相来沖に対する沖縄民衆の抗議の様子を報告した後、岡田外相が「広い場所を必要とする米軍基地は沖縄に置くしかないと国会で答弁した」ことを批判し、アメリカへの属国を拒否し、基地の無条件撤去を訴えた。
WWFジャパンの花輪伸一さんが「辺野古沖に杭を打ち、滑走路を作る政府案が出されている。これをやれば海草や珊瑚も死んでしまい、生き物がいなくなる。そうすればジュゴンも棲めなくなる。ジュゴンは数頭から十数頭しかいない絶滅危惧種だ。今年十月名古屋でCOP10が開かれる。政府は海草の藻場を守ろうと提案している。これはダブルスタンダードだ。沖縄に基地を押しつける沖縄差別をやめろ。今日、私たちは六十七団体の共同声明を官邸に届けた」と報告した。
「足利、布川から狭山へ 東京高検は証拠開示を!東京高裁は事実調べを!」
証拠開示と事実調べを求める緊急狭山集会
五月十二日、日比谷野外音楽堂で「足利、布川から狭山へ 東京高検は証拠開示を!東京高裁は事実調べを! 証拠開示と事実調べを求める緊急集会」が狭山事件の再審を求める市民集会実行委の主催で開かれた。狭山事件第三次再審請求で、十二月十六日の三者協議会(裁判所、検察側、弁護側)で、東京高裁は八項目にわたる証拠開示を東京高検に勧告した(別資料)。第三回三者協議会が五月十三日に開かれ、東京高検が証拠開示について回答する前日に緊急集会として開かれた。狭山闘争は再審の扉を開くことができるかどうかの最大の山場にさしかかっている。
チバリヨエイサー(埼玉)の前段コンサート後、講談師の神田香織さんのオープニングあいさつと組坂繁之さん(部落解放同盟中央本部委員長)の開会のあいさつが行われた。松野信夫さん(民主党参院議員)が「取り調べの可視化を求める議員連盟と差別を許さない議員連盟を立ち上げ、可視化と証拠の開示を求める法案の成立のためにがんばる」と報告した。福島みずほ社民党党首は「潮目が変わった。証拠開示を勝ち取り再審へつなげよう」と訴えた。そして福島さんは「内閣府や外務省に人権に関する室が作られ、人権状況改善に向けた歩みが始まっていること」を報告した。多くの国会議員も参加し、新党大地、国民新党からの連帯アピールが読み上げられた。
満場の拍手の中、石川一雄さんが登壇し、次のような発言を行った。
「風薫五月、権力と対峙した集大成がやがて来ようとしています。石川一雄にもうれしい涙が流されるのではないかと強く胸に刻み、今日皆さんの前で、ごあいさつをさせていただきます。石川一雄はもう七十歳だと言いません。まだ七十歳です。これからが私の本当の意味での人生であります」。
「権力を倒すことは容易ではありませんけれど、国民一人一人が心を一つにして闘えば必ず、権力を引きずり出し、そして私をえん罪に落としこめた、それを糾弾できる。私はそのように確信しつつ、この三次で勝利できるように精一杯闘っていく決意です」。
「無罪を勝ち取るためにも、皆さん方一人一人のご支援なくしてえん罪は晴れません。ぜひとも、この三次で無罪を勝ち取れるようにいっそうのご支援を心から願っております」と力強く訴えた。
証拠開示と事実調べを求める緊急狭山集会
五月十二日、日比谷野外音楽堂で「足利、布川から狭山へ 東京高検は証拠開示を!東京高裁は事実調べを! 証拠開示と事実調べを求める緊急集会」が狭山事件の再審を求める市民集会実行委の主催で開かれた。狭山事件第三次再審請求で、十二月十六日の三者協議会(裁判所、検察側、弁護側)で、東京高裁は八項目にわたる証拠開示を東京高検に勧告した(別資料)。第三回三者協議会が五月十三日に開かれ、東京高検が証拠開示について回答する前日に緊急集会として開かれた。狭山闘争は再審の扉を開くことができるかどうかの最大の山場にさしかかっている。
チバリヨエイサー(埼玉)の前段コンサート後、講談師の神田香織さんのオープニングあいさつと組坂繁之さん(部落解放同盟中央本部委員長)の開会のあいさつが行われた。松野信夫さん(民主党参院議員)が「取り調べの可視化を求める議員連盟と差別を許さない議員連盟を立ち上げ、可視化と証拠の開示を求める法案の成立のためにがんばる」と報告した。福島みずほ社民党党首は「潮目が変わった。証拠開示を勝ち取り再審へつなげよう」と訴えた。そして福島さんは「内閣府や外務省に人権に関する室が作られ、人権状況改善に向けた歩みが始まっていること」を報告した。多くの国会議員も参加し、新党大地、国民新党からの連帯アピールが読み上げられた。
満場の拍手の中、石川一雄さんが登壇し、次のような発言を行った。
「風薫五月、権力と対峙した集大成がやがて来ようとしています。石川一雄にもうれしい涙が流されるのではないかと強く胸に刻み、今日皆さんの前で、ごあいさつをさせていただきます。石川一雄はもう七十歳だと言いません。まだ七十歳です。これからが私の本当の意味での人生であります」。
「権力を倒すことは容易ではありませんけれど、国民一人一人が心を一つにして闘えば必ず、権力を引きずり出し、そして私をえん罪に落としこめた、それを糾弾できる。私はそのように確信しつつ、この三次で勝利できるように精一杯闘っていく決意です」。
「無罪を勝ち取るためにも、皆さん方一人一人のご支援なくしてえん罪は晴れません。ぜひとも、この三次で無罪を勝ち取れるようにいっそうのご支援を心から願っております」と力強く訴えた。
結局、沖縄に基地を押し付けるのか!
自ら幾度も繰り返して確認した米海兵隊普天間基地の「移設」先決定期限の五月末が目前に迫る中で、ついに鳩山首相は五月四日に航空自衛隊機で沖縄を訪問した。辺野古沖合に杭を打ち米軍基地を新設するための工作である。鳩山はまず摩文仁の丘の「沖縄戦没者墓苑」で献花し「平和の礎」を見た後、県庁を訪問して仲井間県知事との会談に臨んだ。次いで、県議会議長らと話した後、宜野湾市で伊波市長ら県内市町村長らと会談、普天間基地を視察した後、住民との「対話集会」に参加した。さらに名護市のキャンプ・シュワブを視察した後、名護市民会館で稲嶺名護市長と会談するという駆け足訪問だった。
▲沖縄県庁前に300人が結集して鳩山を糾弾した
この一日だけの沖縄行きで鳩山首相は何を語ったのか。
「普天間問題はパッケージとして解決することが大事だ。海外移設という話もなかったわけではないが、日米同盟関係を考えた時、抑止力という観点から難しいという思いになった。すべてを県外にという考えは現実問題として難しい。沖縄の皆さんにも負担をお願いしないといけない」(仲井間沖縄県知事との会談)。
「将来的にはグアム、テニアンへの完全移設もありうると思っているが、現在の北東アジア情勢で日米同盟を維持していく中、抑止力の観点から沖縄やその周辺の皆さんに負担をお願いせざるをえない状況になっていることも政府の考え方として言わないわけにはいかない」(稲嶺名護市長との会談)。
「新政権をつくる際に『最低でも県外』と、普天間の移設先に関して申し上げたことは事実だ。ただ、環境は容易ではないということは、政権を取ってから日々感じている」(県議会幹部との会談)。
▲鳩山と宜野湾住民の「説明会」に入りきれなかった人々が抗議の声を上げる
さらに稲嶺市長との会談後に名護市で行われた報道各社とのインタビューでは「学べば学ぶほど、沖縄の米軍の存在自体の中での海兵隊の役割を考えた時、すべて連携している。その中で抑止力が維持できるという思いに至った」「海兵隊の抑止力は必ずしも沖縄に存在しなければならない理由にはならないと思っていた。浅かったと言われればそうかもしれない」と述べるとともに「最低でも県外移設という私自身の代表としての発言で、正式の民主党の公約ではなかった」としどろもどろの弁明までする始末だった。およそ「説得」などとはほど遠い、拒否されることが分かり切った上での辺野古沖浅瀬案強行のための布石である。
自ら幾度も繰り返して確認した米海兵隊普天間基地の「移設」先決定期限の五月末が目前に迫る中で、ついに鳩山首相は五月四日に航空自衛隊機で沖縄を訪問した。辺野古沖合に杭を打ち米軍基地を新設するための工作である。鳩山はまず摩文仁の丘の「沖縄戦没者墓苑」で献花し「平和の礎」を見た後、県庁を訪問して仲井間県知事との会談に臨んだ。次いで、県議会議長らと話した後、宜野湾市で伊波市長ら県内市町村長らと会談、普天間基地を視察した後、住民との「対話集会」に参加した。さらに名護市のキャンプ・シュワブを視察した後、名護市民会館で稲嶺名護市長と会談するという駆け足訪問だった。
▲沖縄県庁前に300人が結集して鳩山を糾弾した
この一日だけの沖縄行きで鳩山首相は何を語ったのか。
「普天間問題はパッケージとして解決することが大事だ。海外移設という話もなかったわけではないが、日米同盟関係を考えた時、抑止力という観点から難しいという思いになった。すべてを県外にという考えは現実問題として難しい。沖縄の皆さんにも負担をお願いしないといけない」(仲井間沖縄県知事との会談)。
「将来的にはグアム、テニアンへの完全移設もありうると思っているが、現在の北東アジア情勢で日米同盟を維持していく中、抑止力の観点から沖縄やその周辺の皆さんに負担をお願いせざるをえない状況になっていることも政府の考え方として言わないわけにはいかない」(稲嶺名護市長との会談)。
「新政権をつくる際に『最低でも県外』と、普天間の移設先に関して申し上げたことは事実だ。ただ、環境は容易ではないということは、政権を取ってから日々感じている」(県議会幹部との会談)。
▲鳩山と宜野湾住民の「説明会」に入りきれなかった人々が抗議の声を上げる
さらに稲嶺市長との会談後に名護市で行われた報道各社とのインタビューでは「学べば学ぶほど、沖縄の米軍の存在自体の中での海兵隊の役割を考えた時、すべて連携している。その中で抑止力が維持できるという思いに至った」「海兵隊の抑止力は必ずしも沖縄に存在しなければならない理由にはならないと思っていた。浅かったと言われればそうかもしれない」と述べるとともに「最低でも県外移設という私自身の代表としての発言で、正式の民主党の公約ではなかった」としどろもどろの弁明までする始末だった。およそ「説得」などとはほど遠い、拒否されることが分かり切った上での辺野古沖浅瀬案強行のための布石である。
4月29日、「天皇制国家と植民地主義を問う」4・28―29連続行動の一環として、前日の反安保実の集会につづき「4・29反『昭和の日』行動」集会が東京・恵比寿区民会館で開催された。主催は同行動実行委員会。集会には百十人が集まった。
最初に主催者を代表して反天皇制運動連絡会の新孝一さんが発言。新さんは、昭和天皇裕仁の誕生日だった4月29日が2005年の祝日法改悪によって「みどりの日」から「昭和の日」になった経過を説明し、昭和天皇の戦争責任追及の声が決して小さなものではなかったために、いったん「みどりの日」というクッションを置いた形でないと、批判をかわせなかったのではないか、と語った。そして今こそ韓国併合百年・安保改定五十年の今年に、あらためて過去の植民地支配と今日の植民地主義を貫く批判の立場と行動が必要だ、と訴えた。
この日のメイン報告は立命館大教員(朝鮮近現代史)の庵逧(あんざこ)由香さん。庵逧さんは1997年から2006年まで韓国に留学していたが、その間の日本の韓国認識の大きな変化として「韓流」という形で日本の人々の韓国・朝鮮に対する無関心が大きく変化し、韓国の大衆文化が身近に受容されるようになったという歓迎すべき事態があること、他方では韓国がイメージアップした分だけ差別や偏見の意識が朝鮮民主主義人民共和国に向かい、さらに在特会に代表されるような在日外国人・朝鮮人の日本での生活権や生存権を否定するネオ・ファシズム的運動が登場していることを指摘した。
植民地主義の問題についてはどうか。庵逧さんは、日本帝国主義の植民地支配の研究の蓄積が進む一方で、植民地主義を批判する日本人の側に「いかに日本がひどいことをしてきたのか」という点でのみ問題を捉え、日本人の主体的責任を切開するという、それ自身は重要な課題にのみ集中する結果として朝鮮人の主体が見えなくなっていることがありはしないか、と提起した。その例として庵逧さんは、日本の朝鮮植民地支配はそれほど深く民衆の間に浸透していたわけではないこと、1045年8月15日の解放後わずか数日で地域レベルの建国準備委員会が結成され、人民委員会と名を変えたその組織は米軍占領下の南でも三カ月のうちに五割を超える自治体で作られていたことを紹介した。
庵逧さんは、さらに日本による「朝鮮総動員体制」の歴史を報告する中から、「愛国班」を基礎にした朝鮮半島の物的・人的・精神的・文化的な戦争動員体制の実情を分析した。しかしこの総動員体制によっても、朝鮮半島の民衆は解放されたとたんに独立国家形成に向かう動きを急速に開始していったのである。
集会ではこの後、反安保実、「韓国強制併合100年共同行動」日本実行委員会、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、立川自衛隊監視テント村、辺野古への基地建設を許さない実行委、アクティブミュージアム女たちの戦争と平和資料館(WAM)、2010安保連絡会のあいさつを受けてデモに出発。
デモは渋谷署の不当な規制を参加者一体となった抗議でやめさせ、さらに右翼街宣車の大音量での執拗な罵倒をはねのけて、渋谷ハチ公前広場を通って宮下公園までのデモを行った。(K)
最初に主催者を代表して反天皇制運動連絡会の新孝一さんが発言。新さんは、昭和天皇裕仁の誕生日だった4月29日が2005年の祝日法改悪によって「みどりの日」から「昭和の日」になった経過を説明し、昭和天皇の戦争責任追及の声が決して小さなものではなかったために、いったん「みどりの日」というクッションを置いた形でないと、批判をかわせなかったのではないか、と語った。そして今こそ韓国併合百年・安保改定五十年の今年に、あらためて過去の植民地支配と今日の植民地主義を貫く批判の立場と行動が必要だ、と訴えた。
この日のメイン報告は立命館大教員(朝鮮近現代史)の庵逧(あんざこ)由香さん。庵逧さんは1997年から2006年まで韓国に留学していたが、その間の日本の韓国認識の大きな変化として「韓流」という形で日本の人々の韓国・朝鮮に対する無関心が大きく変化し、韓国の大衆文化が身近に受容されるようになったという歓迎すべき事態があること、他方では韓国がイメージアップした分だけ差別や偏見の意識が朝鮮民主主義人民共和国に向かい、さらに在特会に代表されるような在日外国人・朝鮮人の日本での生活権や生存権を否定するネオ・ファシズム的運動が登場していることを指摘した。
植民地主義の問題についてはどうか。庵逧さんは、日本帝国主義の植民地支配の研究の蓄積が進む一方で、植民地主義を批判する日本人の側に「いかに日本がひどいことをしてきたのか」という点でのみ問題を捉え、日本人の主体的責任を切開するという、それ自身は重要な課題にのみ集中する結果として朝鮮人の主体が見えなくなっていることがありはしないか、と提起した。その例として庵逧さんは、日本の朝鮮植民地支配はそれほど深く民衆の間に浸透していたわけではないこと、1045年8月15日の解放後わずか数日で地域レベルの建国準備委員会が結成され、人民委員会と名を変えたその組織は米軍占領下の南でも三カ月のうちに五割を超える自治体で作られていたことを紹介した。
庵逧さんは、さらに日本による「朝鮮総動員体制」の歴史を報告する中から、「愛国班」を基礎にした朝鮮半島の物的・人的・精神的・文化的な戦争動員体制の実情を分析した。しかしこの総動員体制によっても、朝鮮半島の民衆は解放されたとたんに独立国家形成に向かう動きを急速に開始していったのである。
集会ではこの後、反安保実、「韓国強制併合100年共同行動」日本実行委員会、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、立川自衛隊監視テント村、辺野古への基地建設を許さない実行委、アクティブミュージアム女たちの戦争と平和資料館(WAM)、2010安保連絡会のあいさつを受けてデモに出発。
デモは渋谷署の不当な規制を参加者一体となった抗議でやめさせ、さらに右翼街宣車の大音量での執拗な罵倒をはねのけて、渋谷ハチ公前広場を通って宮下公園までのデモを行った。(K)
4月28日、文京区民センターで「天皇制と植民地主義を問う」4・28--29連続行動、「60年安保50年目の4月28日に「安保と沖縄」を考える」が新しい反安保行動をつくる実行委員会主催で開かれ、七十人が参加した。
最初に、加藤さんが主催者として集会の趣旨を次のように述べた。
「反安保実は1995年、沖縄米兵による少女レイプ事件をきっかけに大きく盛り上がった基地撤去闘争に連帯するということで1996年につくられた。反安保闘争を何とかつくりあげようとしてきたが必ずしもそうなっていない。安保問題が普天間基地問題を通じて表に出てきた。今が最大のチャンスだ。1951年4月28日、日本は独立の回復と同時に沖縄の施政権を米国に委ねた日だ。明日は植民地支配を問うということで連続行動として本日の集会があり、行動につなげたい」。
次に新崎盛暉さん(一坪反戦地主会・代表世話人、市民平和連絡会)が「日米安保体制の歴史と現在、そしてこれから--沖縄からヤマトに問う」と題した講演を行い(別掲)、それを受けて天野恵一さん(反安保実)が「ヤマトの立場から」から応答した。
天野さんは、天皇・沖縄・安保問題をたくさんの研究的文献を紹介しながら、昭和天皇が沖縄をヤマトから切り離し米占領下にゆだね、日米安保体制によっていかに天皇制を維持したか明らかにした。
最初に、加藤さんが主催者として集会の趣旨を次のように述べた。
「反安保実は1995年、沖縄米兵による少女レイプ事件をきっかけに大きく盛り上がった基地撤去闘争に連帯するということで1996年につくられた。反安保闘争を何とかつくりあげようとしてきたが必ずしもそうなっていない。安保問題が普天間基地問題を通じて表に出てきた。今が最大のチャンスだ。1951年4月28日、日本は独立の回復と同時に沖縄の施政権を米国に委ねた日だ。明日は植民地支配を問うということで連続行動として本日の集会があり、行動につなげたい」。
次に新崎盛暉さん(一坪反戦地主会・代表世話人、市民平和連絡会)が「日米安保体制の歴史と現在、そしてこれから--沖縄からヤマトに問う」と題した講演を行い(別掲)、それを受けて天野恵一さん(反安保実)が「ヤマトの立場から」から応答した。
天野さんは、天皇・沖縄・安保問題をたくさんの研究的文献を紹介しながら、昭和天皇が沖縄をヤマトから切り離し米占領下にゆだね、日米安保体制によっていかに天皇制を維持したか明らかにした。
5月3日、「いかそう憲法! 輝け9条! 歩みつづけて10年 2010年5.3憲法集会」が東京の日比谷公会堂で開催された。共産党と社会党の党首クラスが席をともにし、広範な市民団体や労働組合が結集する日比谷公会堂での5・3憲法集会は、小泉政権発足直後の2001年5月に開催されてから今年で十回目になる。この日も日比谷公会堂を満杯にしたうえに、会場内をうわまわる人々が外のオーロラビジョンで集会の模様を見る形で四千五百人が参加した。
集会では主催者を代表して「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の高田健さんがあいさつ。高田さんは、「この十年間で情勢は大きく変化した。小泉・安倍の改憲強行路線は破綻し、自公政権は打倒された。しかし自民党幹部の中には改憲案の中に徴兵制を盛り込もうという動きも見られ、与党にも改憲の動きがある。普天間問題は平和・人権・民主主義にとって最大の焦点であり、これ以上沖縄を安保の犠牲にしてはならない。5月18日の改憲手続き法の施行、憲法審査会始動の目論見を阻止しよう」と呼びかけた。
第一部のスピーチは江戸文化研究者で法政大学教員の田中優子さんと弁護士・伊藤塾塾長の伊藤真さん。
田中さんは憲法問題の現在の焦点として沖縄から米軍基地を完全になくすこと、「再軍備」を阻止すること、「中国脅威論」と対抗して東アジア共同体を実質的に作りあげること、を提起した。そして「憲法に一条から八条が存在するかぎり近代日本は身分制度を乗り越えたとはいえない」と天皇制の問題にも切りこんだ。田中さんは「九条を現実に合わせるべき」との主張に対し、「現実に合わせるような憲法に意味はない。憲法を政治家に合わせて変えるようでは憲法の意味はない」と訴え、「憲法を通してどういう世界を考えるのかが大事だ」と強調した。
伊藤さんは戦後の58年で駐日米軍兵士の事件事故が20万7千件、死者が1084人にも上るという統計を紹介して沖縄の基地問題・安保の問題にせまるとともに、「鳩山さんが『腹案』を次々に出してくれれば、反対の意見が次々に出て国民の意思は明確になるだろう」とユーモアを交えて語った。また衆参両院の選挙区定員格差=「一票の価値の不均衡」の是正に取り組む必要についても提起した。
つづいて女優の市原悦子さんが、戦争で亡くなった家族を悼む「ちいちゃんのかげおくり」を朗読し、あらゆる戦争の動きを繰り返すなと訴えた。
第2部は、社民党の福島みずほ党首と、NPT再検討会議出席のため訪米中の志位委員長に代わってこの集会に参加した共産党の市田忠義書記長の発言。福島社民党党首は「三党連立合意」の中に「憲法の理念を生かす」を盛り込んだことの意義を強調するとともに「貧困・核兵器廃絶・改憲手続き法・普天間基地」の問題に全力で取り組むと語った。福島さんは辺野古移設は埋め立て案も桟橋案もダメと確認し、グアム。テニアンへの移設を主張した。
市田共産党書記長は、明文改憲は頓挫したが解釈改憲による海外派兵を進めようとする小沢民主党幹事長の持論を批判。「政治主導の名目で、法制局長官の憲法解釈の縛りを取り払おうという目論見を阻止しよう」と語った。さらに沖縄の反基地のうねりの中から日本国憲法に根本的に矛盾する安保廃棄へ、と強調した。
集会終了後、参加者たちはジュゴンのバルーンを先頭に、東京駅近くまでの「銀座パレード」を行った。
(K)
集会では主催者を代表して「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の高田健さんがあいさつ。高田さんは、「この十年間で情勢は大きく変化した。小泉・安倍の改憲強行路線は破綻し、自公政権は打倒された。しかし自民党幹部の中には改憲案の中に徴兵制を盛り込もうという動きも見られ、与党にも改憲の動きがある。普天間問題は平和・人権・民主主義にとって最大の焦点であり、これ以上沖縄を安保の犠牲にしてはならない。5月18日の改憲手続き法の施行、憲法審査会始動の目論見を阻止しよう」と呼びかけた。
第一部のスピーチは江戸文化研究者で法政大学教員の田中優子さんと弁護士・伊藤塾塾長の伊藤真さん。
田中さんは憲法問題の現在の焦点として沖縄から米軍基地を完全になくすこと、「再軍備」を阻止すること、「中国脅威論」と対抗して東アジア共同体を実質的に作りあげること、を提起した。そして「憲法に一条から八条が存在するかぎり近代日本は身分制度を乗り越えたとはいえない」と天皇制の問題にも切りこんだ。田中さんは「九条を現実に合わせるべき」との主張に対し、「現実に合わせるような憲法に意味はない。憲法を政治家に合わせて変えるようでは憲法の意味はない」と訴え、「憲法を通してどういう世界を考えるのかが大事だ」と強調した。
伊藤さんは戦後の58年で駐日米軍兵士の事件事故が20万7千件、死者が1084人にも上るという統計を紹介して沖縄の基地問題・安保の問題にせまるとともに、「鳩山さんが『腹案』を次々に出してくれれば、反対の意見が次々に出て国民の意思は明確になるだろう」とユーモアを交えて語った。また衆参両院の選挙区定員格差=「一票の価値の不均衡」の是正に取り組む必要についても提起した。
つづいて女優の市原悦子さんが、戦争で亡くなった家族を悼む「ちいちゃんのかげおくり」を朗読し、あらゆる戦争の動きを繰り返すなと訴えた。
第2部は、社民党の福島みずほ党首と、NPT再検討会議出席のため訪米中の志位委員長に代わってこの集会に参加した共産党の市田忠義書記長の発言。福島社民党党首は「三党連立合意」の中に「憲法の理念を生かす」を盛り込んだことの意義を強調するとともに「貧困・核兵器廃絶・改憲手続き法・普天間基地」の問題に全力で取り組むと語った。福島さんは辺野古移設は埋め立て案も桟橋案もダメと確認し、グアム。テニアンへの移設を主張した。
市田共産党書記長は、明文改憲は頓挫したが解釈改憲による海外派兵を進めようとする小沢民主党幹事長の持論を批判。「政治主導の名目で、法制局長官の憲法解釈の縛りを取り払おうという目論見を阻止しよう」と語った。さらに沖縄の反基地のうねりの中から日本国憲法に根本的に矛盾する安保廃棄へ、と強調した。
集会終了後、参加者たちはジュゴンのバルーンを先頭に、東京駅近くまでの「銀座パレード」を行った。
(K)
宮下公園ナイキ化反対!排除を撃ち、公共を問う
野宿者・失業者・持たざる者のメーデー
5月2日「宮下公園ナイキ化反対!排除を撃ち、公共を問う野宿者・失業者・持たざる者のメーデー」が行われ、約170人が参加した。主催は実行委員会。今まで新宿で行われていた野宿者メーデーだが今年は恵比寿公園で行われた。
共同炊事でおなかを満たした後、一時から始まった集会ではまずメーデー宣言が読み上げられた。宣言ではこの間多くの人々が野宿に追い込まれ、各地の炊き出しの食数も増え続けている中で、宮下公園や、隅田川など行政による排除が激しさを増していることを糾弾し、宮下公園のナイキ化に見られるように街全体が市場原理の下に再構成されようとしており、三月に可決された東京都のネットカフェ規制条例は身分を確認しなければネットカフェを利用できなくするもので、「公が貧者の生存を危機にさらしているのです。」そして「このような状況の中、反排除の運動は、野宿者運動という枠を越え、公共圏の創出という性格をはらむようになってきています。」として宮下公園の闘いに見られるような「抵抗の基盤としての新たな公共圏の創出」を提起し、さらにすべての人々の生存を保証するための就労保証の要求をしていこう と訴えた。
続いて各地から集まった仲間たちの発言。まずは三多摩から。三多摩野宿者支援ネットワークの仲間は路上へと追い込まれる人が増えている中で、居宅での生活保護を求める闘いを昨年の春より開始していることを報告。
夜回り三鷹の中間は三鷹では野宿の仲間に使い捨てカメラを渡して写真を撮ってもらい、その写真を展示する写真展をやっていることを報告。
続いて西部圏の仲間を渋谷のじれんの仲間が紹介宮下公園の仲間は3月16日に予定されていた着工を阻止し続けていることを力強く報告した。
新宿の仲間は雨の日に限っては都庁第二庁舎の地下広場が解放され、寝れるようになっているが、カラーコーンが置かれるなどスペースが狭められていた、都議の福士敬子さんを通して申し入れを行ったことを報告。 続いて東武圏からは山谷の仲間が、隅田川では新東京タワーの建設が進行するとともに行政による排除が激しさを増していること、しかし、野宿の仲間たちによる、そのような追い出しとの闘いがねばり強く続いていることが報告された。
江東区の竪川河川敷公園の仲間は「生活保護だってみんなで行けば門前払いできない、みんなで団結してがんばろう。」と訴えた。
続いて連帯アピールに移る。
府中緊急派遣村の仲間はこの一年で約七〇人の居宅での生活保護を勝ち取ったことを報告した。
住まいと貧困ネットワークの仲間は保証人会社が、実体として大家の代わりに家賃の払えなくなった人からの取り立てをここなったり、それだけではなく滞納金と称して多額の金額を取ったりしと貧困ビジネス化していることなどを報告した。
ネットカフェ規制に反対する共同声明の仲間は、ネットカフェ規制条例が共産党、生活者ネット、自治市民93(福祉さんの会派)の三会派以外は反対せず、ろくに審議もされずに三月に成立した。身分証がないとネットカフェを利用できなくなった。路上に放り出される直前で、ネットカフェでなんとかしのぐといったことは出来なくなる可能性がある。
反対運動の中で身分証の範囲がかなり広がった、学生証や保険証、戸籍謄本の写しでもよくなった。しかし、身分証がなければ利用できない、そのコピーが警察に提出されるかもしれないなど問題の本質は変わっていない。
施行されるのは七月から、寒い冬を迎えていきなり路上に放り出される可能性が強まることは明白。反対運動を広げていきたいのでよろしくお願いします。と発言。
次に争議団連絡会議の仲間が、不当解雇には四〇年以上にわたって争議を続けていることなどを報告。
続いて渋谷までのデモに出発した。巨大なパペット「宮下さん」を先頭に渋谷を一周して宮下公園までにぎやかにデモを行った。
▲巨大パペット「みやしたさん」登場
宮下公園では工事を阻止して「アーチスト・イン・レジデンス」を行っている原宿側で集会を行った。
三鷹自由労組の仲間は今こそ「失対事業」を要求しようと訴え、自由と生存のメーデー実行委のフリーター労組の仲間は三日のデモでは全都実の新宿での共同炊事にみんなで参加してからメーデーのデモを行うことを報告。参加を呼びかけた。
みんなの宮下公園を守る会の仲間は、秋には工事が完成して宮下ナイキパークなっているという予定だったが、デモにも、監視行動にも多くの仲間が参加してくれて、工事のコの字も始まっていない。今日で工事を阻止して32日、明らかにナイキジャパンは動揺している。ナイキがあきらめるまでがんばりましょうと訴えた。
アーチスト・イン・レジデンスを行っている仲間はアーチストが作品を作ったり、パフォーマンスをしたり、ワークショップをしたりしながら、公園のあり方といったことを考える取り組みを行っていることを報告。巨大パペット「宮下さん」がみんなにナイキ化反対を呼びかけるというパフォーマンスを行って喝采を浴びた。
聖公会野宿者支援・渋谷(キリスト者)の仲間は渋谷区役所の地下での区による野宿者排除、炊き出しつぶしとそれとの闘いを報告した。渋谷区地下駐車場では毎日夕方設置したシャッターを閉めさせない闘いが続いている。
全体で団結がんばろう!を行ってこの日の行動を終えた。
(板)
野宿者・失業者・持たざる者のメーデー
5月2日「宮下公園ナイキ化反対!排除を撃ち、公共を問う野宿者・失業者・持たざる者のメーデー」が行われ、約170人が参加した。主催は実行委員会。今まで新宿で行われていた野宿者メーデーだが今年は恵比寿公園で行われた。
共同炊事でおなかを満たした後、一時から始まった集会ではまずメーデー宣言が読み上げられた。宣言ではこの間多くの人々が野宿に追い込まれ、各地の炊き出しの食数も増え続けている中で、宮下公園や、隅田川など行政による排除が激しさを増していることを糾弾し、宮下公園のナイキ化に見られるように街全体が市場原理の下に再構成されようとしており、三月に可決された東京都のネットカフェ規制条例は身分を確認しなければネットカフェを利用できなくするもので、「公が貧者の生存を危機にさらしているのです。」そして「このような状況の中、反排除の運動は、野宿者運動という枠を越え、公共圏の創出という性格をはらむようになってきています。」として宮下公園の闘いに見られるような「抵抗の基盤としての新たな公共圏の創出」を提起し、さらにすべての人々の生存を保証するための就労保証の要求をしていこう と訴えた。
続いて各地から集まった仲間たちの発言。まずは三多摩から。三多摩野宿者支援ネットワークの仲間は路上へと追い込まれる人が増えている中で、居宅での生活保護を求める闘いを昨年の春より開始していることを報告。
夜回り三鷹の中間は三鷹では野宿の仲間に使い捨てカメラを渡して写真を撮ってもらい、その写真を展示する写真展をやっていることを報告。
続いて西部圏の仲間を渋谷のじれんの仲間が紹介宮下公園の仲間は3月16日に予定されていた着工を阻止し続けていることを力強く報告した。
新宿の仲間は雨の日に限っては都庁第二庁舎の地下広場が解放され、寝れるようになっているが、カラーコーンが置かれるなどスペースが狭められていた、都議の福士敬子さんを通して申し入れを行ったことを報告。 続いて東武圏からは山谷の仲間が、隅田川では新東京タワーの建設が進行するとともに行政による排除が激しさを増していること、しかし、野宿の仲間たちによる、そのような追い出しとの闘いがねばり強く続いていることが報告された。
江東区の竪川河川敷公園の仲間は「生活保護だってみんなで行けば門前払いできない、みんなで団結してがんばろう。」と訴えた。
続いて連帯アピールに移る。
府中緊急派遣村の仲間はこの一年で約七〇人の居宅での生活保護を勝ち取ったことを報告した。
住まいと貧困ネットワークの仲間は保証人会社が、実体として大家の代わりに家賃の払えなくなった人からの取り立てをここなったり、それだけではなく滞納金と称して多額の金額を取ったりしと貧困ビジネス化していることなどを報告した。
ネットカフェ規制に反対する共同声明の仲間は、ネットカフェ規制条例が共産党、生活者ネット、自治市民93(福祉さんの会派)の三会派以外は反対せず、ろくに審議もされずに三月に成立した。身分証がないとネットカフェを利用できなくなった。路上に放り出される直前で、ネットカフェでなんとかしのぐといったことは出来なくなる可能性がある。
反対運動の中で身分証の範囲がかなり広がった、学生証や保険証、戸籍謄本の写しでもよくなった。しかし、身分証がなければ利用できない、そのコピーが警察に提出されるかもしれないなど問題の本質は変わっていない。
施行されるのは七月から、寒い冬を迎えていきなり路上に放り出される可能性が強まることは明白。反対運動を広げていきたいのでよろしくお願いします。と発言。
次に争議団連絡会議の仲間が、不当解雇には四〇年以上にわたって争議を続けていることなどを報告。
続いて渋谷までのデモに出発した。巨大なパペット「宮下さん」を先頭に渋谷を一周して宮下公園までにぎやかにデモを行った。
▲巨大パペット「みやしたさん」登場
宮下公園では工事を阻止して「アーチスト・イン・レジデンス」を行っている原宿側で集会を行った。
三鷹自由労組の仲間は今こそ「失対事業」を要求しようと訴え、自由と生存のメーデー実行委のフリーター労組の仲間は三日のデモでは全都実の新宿での共同炊事にみんなで参加してからメーデーのデモを行うことを報告。参加を呼びかけた。
みんなの宮下公園を守る会の仲間は、秋には工事が完成して宮下ナイキパークなっているという予定だったが、デモにも、監視行動にも多くの仲間が参加してくれて、工事のコの字も始まっていない。今日で工事を阻止して32日、明らかにナイキジャパンは動揺している。ナイキがあきらめるまでがんばりましょうと訴えた。
アーチスト・イン・レジデンスを行っている仲間はアーチストが作品を作ったり、パフォーマンスをしたり、ワークショップをしたりしながら、公園のあり方といったことを考える取り組みを行っていることを報告。巨大パペット「宮下さん」がみんなにナイキ化反対を呼びかけるというパフォーマンスを行って喝采を浴びた。
聖公会野宿者支援・渋谷(キリスト者)の仲間は渋谷区役所の地下での区による野宿者排除、炊き出しつぶしとそれとの闘いを報告した。渋谷区地下駐車場では毎日夕方設置したシャッターを閉めさせない闘いが続いている。
全体で団結がんばろう!を行ってこの日の行動を終えた。
(板)