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▲7月17日の金曜デモ
パレスチナ・ヨルダン川西岸でのイスラエル領とパレスチナ自治区を分ける分離帯での抗議行動は、毎週金曜日の老若男女のパレスチナ人とイスラエル人平和グループ、世界から来たパレスチナ連帯の活動家たちによって続けられている。
ビリン村では、「アパルトヘイトの壁」に対して、非暴力直接行動によるパレスチナ人とイスラエル人の共同闘争が2003年頃から開始され、2007年9月にはビリン村を分断する壁のルートを変更するようにとイスラエル最高裁の判決を勝ち取る成果を上げている。
▲7月24日の金曜デモ
しかし、村は分離帯によって分断されたままであり、またヨルダン川西岸でのイスラエル人入植地は現在も増殖され続け、この6月にはヨルダン川西岸だけで入植者が30万人を突破している。この入植地拡大に対する国際的非難に対して、イスラエルのネタニヤフ首相は「自然増だからとめられない」などとうそぶき、さらに入植地拡大を目論んでいる。
このような状況下で、ビリン村では毎週金曜日に分離帯での抗議行動が持続している。行動はあくまで非暴力であり、分離帯のフェンスをゴールに見立ててサッカーをするなどの形で分離帯の撤去と平和をアピールしている。イスラエルの治安部隊は、そのような平和的抗議行動にも悪臭を発する催涙弾を浴びせ、放水によって蹴散らしている。また、「アパルトヘイトの壁」のルートの変更先であるニリン村でも同様の闘いが巻き起こっている。
▲ニリン村での共同闘争(08年9月1日)
「アパルトヘイトの壁」は、シオニズム国家イスラエルのナチス・ドイツやアパルトヘイトの南アフリカ同様の人種差別政策を採っていることを世界に知らしめた。そして、ビリン村とニリン村の闘いは「イスラエル人とパレスチナ人が共に生きる未来」を体現する象徴となっている。
(F)