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民衆の戦いによって勝ち取られてきたマレーシアの民主主義がふたたび危機に瀕している。クーデター的に乗っ取られたマレーシア・ペレ州議会の召集に抗議する民衆への弾圧が広がっている。強権的支配をつづけてきた与党連合国民戦線は、昨年3月の選挙において全13州のうち5州で権力を、マレーシア・イスラム党(PAS)、人民正義党(PKR)、民主行動党(DAP)などによる「人民同盟」に明け渡した。
国民戦線が権力を失った州のひとつ、ペレ州では僅差の力関係を逆転させるありとあらゆる策謀が、この3月に首相に就任したばかりのナジブ・ラザクによって準備されてきた。そして2009年3月7日、ペラ州議会では人民同盟派の州議会議長が警察によって議場から連行され、議長および議席の多数が国民戦線によって握られた。5月7日、ペラ州議会再開に抗議する抗議行動が呼びかけられ、ペラ州政府ビル周辺には、抗議の意思をあらわす黒い衣装に見を包んだ人々が集まった。マレーシア警察は政府ビルに近づく人間を容赦なく逮捕し、すくなくとも80人が拘束された。そこには3月に国会議員に当選したマレーシア社会党のジェヤクマル博士も含まれている。
マレーシア政治情勢に関しては「マレーシア情勢の歴史的な転換」(「かけはし」2009年4月27日)を参照。
http://www.jrcl.net/frame090427f.html
以下は、マレーシア社会党の活動家、朱進佳のブログより。
(H)
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ナジブ・ザラクの真相:暗黒のワン・マレーシア
(原文)http://utopia.e-channel.info/read.php?1073
最新情報:2009年5月7日、夜11時30分、ペナン市民が開催していたペラ州の民主主義を支援するロウソク集会の解散後、1人が警察に逮捕された。クアラルンプールでは、三日前に逮捕され、ブリックフィールド警察署に拘留されている黄進発を支援するロウソク集会に弾圧が行われ、20人が逮捕されている。サラワク州の州都クチンでも逮捕者が出ている。
2009年5月7日、再びマレーシアの暗黒の日が訪れた。あらたに首相に就任したナジブ・ザラクが提起した「ワン・マレーシア」は、「暗黒のワン・マレーシア」「警察国家ワン・マレーシア」「民主主義を踏みにじるワン・マレーシア」「人民に背を向けるワン・マレーシア」に過ぎなかった。ナジブと連立与党国民戦線(BN)は刷新イメージで粉飾しようとしているが、それは今回の弾圧事件で完全に破綻した!
この二日間の警察による弾圧につづき、5月7日にペラ州州都のイボでも大弾圧が行われた。正当性に異議の出ているペラ州議会がこの日に招集されることを受けて、空前の大混乱に陥った。
インターナショナル・ビューポイント オンライン・マガジン : IV407号 - December 2008
インド
テロリズムの地獄の連鎖 VS 連帯 http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article1569
ピエール・ルッセ Pierre Rousset
11月26日から27日の夜に起きたムンバイ(ボンベイ)でのテロリストによる襲撃は、二百人近い死者と三百人の負傷者をもたらした。インドならびに国際メディアの注目は何よりも「タージマハル」と「オベロイ」の二つの豪華ホテルに集まり、2001年9月11日のニューヨークの「ツイン・タワー」を崩壊させた事件とのアナロジーとして描かれている。
確かに、軍と一握りのジハーディスト(聖戦主義者)との間で三日間にわたり最も激しい戦闘が行われたのはその二つのホテルだった。しかし、ここインドの経済的首都では、病院、レストラン、複合映画施設、ユダヤ文化センター、公衆市場、大鉄道ターミナルであるチャトラパティ・シバジ駅(CTS)など七カ所が攻撃されたのである。この中央駅では三十人を下らない死者を出したにもかかわらず、メディアはあまり多くを語らなかった。そこでの死者は、稀にしかニュースにならない普通のインド人だったからである(1)。死体は確認困難な身元不明の人びとだった。
たった十人からなる部隊がこれほど多くの場所で攻撃が行ったという事実は、治安機構の失敗を浮かび上がらせた。警察署も襲撃され(犠牲者の中には11人の警察官がいた)、市のテロ対策部門の責任者が殺された。メディアの「視界」に入った観光業、ユダヤ人と外国人(米国と英国の市民)だけが標的だったわけではない。ジハーディストたちの目標はそれだけではなかった。この襲撃は、克服困難な共同体間の流血の憎悪を作りだすことをねらった、パキスタンとインドの間の関係正常化に対する打撃でもあった(2)。
数多くのコメンテーターたちは、アルカイーダによってなされた形跡があると示唆している。この行動には彼らの特徴が記されているというのだ(しかしどの点においてか!)。インド政府当局は、襲撃参加者たちはすべてパキスタン人であると述べている。報道は、「ラシュカレ・タイバ」(LeT)(3)と関連づけようとしており、結局のところカラチから出発したグループによって行われたものであるとしている。
インターナショナルビューポイント08年10月号
ブッシュの戦争の危険な拡大 パキスタン国内での米国の越境軍事作戦
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article1538&var_recherche=tariq
タリク・アリ
さる七月、パキスタン政府の承認ぬきでパキスタン国内で米軍が攻撃作戦を展開することを正当化する大統領命令の決定が公表され、ブッシュ政権内およびその周辺での長期にわたる論争に終止符が打たれた。ヒラリー・クリントンとの長いバトルの中でこの進行中の議論を意識していたバラク・オバマ上院議員は、パキスタンへの米国の軍事攻撃という政策を支持し、ヒラリーを出し抜こうとしていた。ジョン・マケイン上院議員と副大統領候補のサラ・ペイリンは、この意見を繰り返し、今やそれは合意によって米国の公式政策になった。
その影響はパキスタンの軍内部そして国全体に深刻な危機を作りだし、破局的なものとなりうる。パキスタン人の圧倒的多数は、この地域での米軍のプレゼンスに反対しており、それが平和にとって最も深刻な脅威だと見ている。
それならば、米国はなぜ決定的に重要な同盟関係を不安定化する決定を行ったのか。パキスタンの中では、一部のアナリストたちは、これこそアフガニスタンとの国境の不毛の地を越えて危機を作りだす道を拡大し、パキスタン国家をさらにいっそう弱体化させるための注意深く調整された動きである、と主張している。彼らの意見によれば、その究極の目的はパキスタン軍から核の牙を抜き取ることにある。もしそれが事実だったとすれば、ワシントンがパキスタン国家の分裂を本気に決意したことを意味する。パキスタンはこれほどの災難を、単に生き延びることすらできないからである。
しかし私の意見では、戦争の拡大は、それよりもはるかに大きくブッシュ政権のアフガニスタンでの破滅的な占領と関連している。タリバンのゲリラがカブールに近づくほど、ハミド・カルザイ政権が日を追って孤立していることは秘密でも何でもない。
疑問が生じた時には戦争を拡大するというのが、古い帝国のモットーである。パキスタンへの軍事攻撃は、カンボジアを爆撃し侵攻するというリチャード・ニクソン大統領と彼の国家安全保障顧問であるヘンリー・キッシンジャーの決定(それは結局のところポル・ポトとその極悪の体制の権力掌握を導いた)と同様に、決してうまくいかず今やますます悪化している戦争を救い出すための絶望的な試みなのである。
8月18日、パキスタンの軍事独裁者ムシャラフが、大統領の座からの退陣を表明した。
しかし、パキスタン政府・連立政権は、大衆の「犯罪者ムシャラフの逮捕」を求める大きな世論に反して、ムシャラフの訴追回避と国内滞在の自由などを認めるという許しがたい決定を20日に下した。
この一連の経過と現情勢、そしてパキスタン左翼の任務と展望について、パキスタン労働党(LPP)のファルーク・タリクが同党のホームページに論評を寄せている。翻訳して掲載する。
ムシャラフは去った。次は?
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独裁者は去れども、その政治は終わっていない
8月19日 ファルーク・タリク
http://laborpakistan.org/latest%20news%2019.08.08.htm
2008年8月18日、独裁者ムシャラフの恥多き退場を数千の人々が街頭で祝福した。彼が、一時間にもわたって全国放送のテレビで予定外の演説で辞職を発表すると、民間のテレビ局は四つの州すべてで即時に辞任を歓迎する意思表示をしたと報じた。ムシャラフは、パキスタン人民党(PPP)が率いる四つの政党の与党同盟による弾劾の動きに直面して、パキスタンの大統領を辞任した。
初めてすべての政党が、連立与党による弾劾の動きの発表について、ムシャラフ将軍を擁護しなかった。彼は議会・政党政治の分野において、孤立に直面した。ムシャラフが長い間協力してきたムティヒダ・カウミ党(MQM)さえ、ムシャラフを公然と防衛しようとはしなかった。四つの地方議会はすべて、ムシャラフを問責する決議を可決した。シンド州議会とバルチスタン州議会は満場一致、パンジャブ州議会で90パーセント以上、北西辺境州(NWFP)で98パーセント以上がムシャラフに反対する投票を行った。
しかし実際の死者は10万人を超え、国連は救援の必要な被災者は150万人に達するとしている。ビルマの軍事独裁政権は、被害の実態を隠し、各国からの支援物資を要請する一方で、海外の支援要員、ジャーナリストなどの入国を拒否し、災害救援よりも憲法国民投票を強行するという民衆無視の本質をあらわにした。
以下に掲載するのは、災害発生当時ヤンゴン(ラングーン)にいた「インターナショナルビューポイント」通信員からの報道である。このレポートは、民衆の生命や安全をかえりみようともしない軍事政権を厳しく批判しつつ、同時に帝国主義の意図やアウンサン・スーチーをシンボルとする親欧米の反政府勢力をも批判している。この評価については、より正確な分析が必要だと思うが、今回の災害をとらえる一つの視点を提供するものとして検討していただきたい。(K)
INTERNATIONAL VIEWPOINTから翻訳
IV オンラインマガジン > IV400 - May 2008 >
ミャンマー (ビルマ)
援助と偽善
2008年5月3日にビルマを直撃した熱帯性サイクロン「ナルジス」への対応は、あらゆるサイドの既得権益によって乗っ取られ、アジアで最も貧しい数百万人の民衆は、いかなる効果的援助もないままに放置されている。
その最大の責任はビルマ軍事政権にある。彼らは住民に対してサイクロンの襲来を警告できず、いまだに効果的な災害対策プログラムを打ち立てていない。ビルマの巨大な軍と警察は、サイクロンが直撃してから二日後まで、ヤンゴン(旧ラングーン)の街頭に全く姿を見せておらず、市内の四百万人の住民は突然、電気、電話や飲料水を奪われ、膝までつかるる水の中を絶望的にさまよいながら、家族と連絡を取ろうとしたり、食べ物、飲み物を見つけようとしたりしている。
ヤンゴン市だけが、無料の飲料水の効率的な配給など、都市貧困層に対して一定のサービスを提供している。半政府組織であるミャンマー赤十字も、ある程度の支援やアドバイスを行っている。しかし全体として、今回の災害への対処は、ビルマ軍事政権の傲慢さ、連絡不能、寄生性、そして民衆の要求と権利にそぐわないことをまたも明らかにした。国際メディアや人道的支援組織は、政権が民衆を守ることができなかったことを正しくも非難した。
パキスタンでは、ここ二日間に見られたように、全土でこれほど多くの人びとが街頭で抗議の行動に立ち上がったことはなかった。人びとはすべて団結し、バキスタン中でベナジル・ブットの残酷な殺害を非難している。このニュースは大きな衝撃をもって聞かれ、ただちに大衆的怒りがパキスタンのすべての地域で爆発した。十二月二十八日は、政党からさまざまな職業グループにいたる多くのグループが呼びかけたゼネストの一日目だった。
パキスタンイスラム教徒連盟(PMLQ)の選挙ポスター、横断幕、旗、掲示板のほとんどが大衆的怒りの最初の犠牲となった。PMLQは一九九九年以後のムシャラフ将軍の創造物であり、パキスタンイスラム教徒連盟の大分裂によって作られた。残る部分は、元首相のナワズ・シャリフが率いている。PMLQは二〇〇二年以後、ムシャラフ将軍と権力を分有しており、最も腐敗した封建主義者、資本家、軍の前将軍、闇市場で儲けている連中などから構成されている。
PMLQは、こうした宣伝物に何十億ルピーもかけていたが、そのすべては大衆的反撃の数時間のうちになくなってしまった。それは念入りな準備でなされたと誇りをもって主張されている。これらすべての反民衆的選挙宣伝物を撤去する活動は、この上もなく手慣れたやり方で行われた。パキスタン人民党やバキスタンイスラム教徒連盟ナワズ派の選挙宣伝物は撤去されなかった。
われわれはベナジル・ブットが政権の座についていた時も最近でも、彼女の振る舞いや政策を鋭く批判してきた。そのわれわれでさえ、彼女の死に動転し、怒りをかきたてられている。再びパキスタン全土に怒りと恐怖が広がっている。軍事的専制と無政府の奇怪な共存が、昨日ラワルピンジで起こった彼女の暗殺を引き起こした諸条件を創り出したのである。かつて軍事支配は秩序を保全するものとされていた。そして数年間はそうであった。今やそんなことはない。今日では軍事支配は無秩序を創り出し、無法状態を促進している。法廷に対する政府の情報機関と警察の説明責任を確保するために、最高裁長官と八人の最高裁判事を解任するなどということを、それ以外にどのように説明できようか。
最高裁長官・判事らの首のすげ替えにより、注意深く組織された有力な政治的指導者の殺害の背後にある真実を暴露するために、政府関係者の悪事を厳密に審査することは言うまでもなく、あらゆる行動のための支えが欠けてしまっている。
ビルマでもそうだが、国境を越えた連帯行動が即日のうちに情報を発信し共有できる時代である。たとえ小さい行動であっても、その意義を国境を越えて共有できたならば、それは行動の規模以上の意味を持つだろう。また、行動の規模が大きければ大きいほど、互いにより勇気を共有することが出来るだろう。
平和を!自由を!民主主義を!
アジアの民衆と勇気を分かち合って帝国主義と独裁体制を打ち倒そう!
(F)
親愛なる同志
情報を送ってくれてありがとう。
私たちは、この情報を翻訳して私たちの週刊紙『労働者の闘争』に掲載するつもりだ。
写真もありがとう。
ファルーク・タリク
Dear comrades,
Thanks for sendind the information. We are translating and printing it in
our weekly Workers Struggle.
Thanks for fotoes,
Farooq Tariq
一方では「民主主義を拡大する戦い」などとしてイラクに侵攻しながら、民主主義を踏みにじり民衆抑圧を繰り返してきたムシャラフ一派を支援するというブッシュの「ダブル・スタンダード」を厳しく指摘する必要がある。
以下はジャパンタイムズ紙(11月7日)からの独自翻訳。アメリカ政府のパキスタン軍事政権への支援の実態をあきらかにしている。(F)
米国はパキスタンとの関係維持のために数十億ドルを費やしている
【ワシントン】(AP)米国とパキスタンは、米政府がテロとの闘いへの同盟国を買収し、このアジアの国に兵器から子どもの保健プログラムにいたる援助を提供するための、数十億ドルに上る関係で結び付けられている。
米国のパキスタンへの援助や支出は、米国務省によれば2001年9月11日のテロ攻撃以後の6予算年度の合計で96億ドルに達している。