アジア連帯講座のBLOGです
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わたしたちの友人である香港の社会主義派政治組織・先駆社のウェブサイトに、「左翼はチベット問題をどう見るか」という論文が掲載されました。要約をわかりやすく、問答形式でまとめてみました。厳しい現実の中、具体的な提起をしています。全文は今後『かけはし』に掲載する予定です。
5月6日、胡錦涛・中国国家主席が来日します。チベットへの弾圧をやめろ、オリンピックを口実とした民衆への弾圧をやめろ、の声を上げたいと思います。 (H)
+ + + + +
Q 中国政府は、ダライラマを「農奴制度の代表」として非難していますが。
A 中国外交部の報道官は「政教一致の農奴制度の総代表」と批判しています。前者は正しいですが、後者は言いすぎでしょう。政教分離についてですが、チベット亡命政権の憲章では、「将来のチベットの政治は、政教が結合した民主的連合の民衆国家となる」と規定されています。また最高権力はダライラマに帰属するとも明記されています。政教一致は、現代の民主主義とは相容れないでしょう。ダライラマが本当に民主主義を掲げるのであれば、政教一致は放棄されるべきです。
5月6日、胡錦涛・中国国家主席が来日します。チベットへの弾圧をやめろ、オリンピックを口実とした民衆への弾圧をやめろ、の声を上げたいと思います。 (H)
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Q 中国政府は、ダライラマを「農奴制度の代表」として非難していますが。
A 中国外交部の報道官は「政教一致の農奴制度の総代表」と批判しています。前者は正しいですが、後者は言いすぎでしょう。政教分離についてですが、チベット亡命政権の憲章では、「将来のチベットの政治は、政教が結合した民主的連合の民衆国家となる」と規定されています。また最高権力はダライラマに帰属するとも明記されています。政教一致は、現代の民主主義とは相容れないでしょう。ダライラマが本当に民主主義を掲げるのであれば、政教一致は放棄されるべきです。
Q 「農奴制度の総代表」についてはどうですか。
A チベットにおいてはすでに農奴制度は解体されています。ダライラマでも歴史を逆戻りさせることは不可能でしょう。チベットにおける農奴制度の解体は中国共産党がもっとも胸を張ってもいい歴史的な偉業です。にもかかわらず、いまでもダライラマに「農奴制度の総代表」というレッテルを張りつづける行為は間違っています。なぜ、ダライラマのほうが中国共産党よりも民主的に見えるのでしょうか。それは「絶対的権力は絶対に腐敗する」という歴史の発展法則によるものです。かつてのチベットは政教一致のダライラマ支配の絶対的権力のもとに農奴制がありました。しかしいま、中国共産党が、その絶対的権力ゆえに絶対的に腐敗しているのです。
Q 中国政府は、3月の暴動が「ダライ集団」による陰謀だと非難していますが。
A いまの中国に司法の公正や独立はありません。最近話題になった民主化活動家への弾圧でも、その思想信条だけで国家転覆罪という罪に問われているのです。封建時代を髣髴とさせるではありませんか。本当にダライラマによる陰謀があったのかどうかを知る余地は今のところはありませんが、すくなくとも中国政府の主張をそのまま信じることはできないでしょう。
Q 中国政府は、ダライラマが独立派であると非難していますが。
A ダライラマは、それを否定しています。しかし、独立急進派であるチベット青年大会による独立運動を支援あるいは黙認しているとも考えられます。しかし、もしそうであるなら、中国政府は率先して、ダライラマと会談をおこない、ダライラマにチベット独立派との境界線をはっきりと引くように圧力をかけることができるのではないでしょうか。チベットに対する民族的抑圧に対して、政治的な補償が行わなければならないでしょう。すくなくともチベット人による自治を認める必要があるでしょう。しかし中国政府は、ダライラマを交渉の舞台に引きずり込もうという努力もせず、一方的にダライラマを非難しています。それは、亡命政権の中でもっとも穏健な主張をしているダライラマと、その他の強硬派を一緒に批判するようなものです。それは、強硬派を活気付かせることにしかなりません。
Q 中国政府はチベットでは民族自治が守られていると主張していますが。
A 本当にそうでしょうか。多くのチベット人が政府の役職についていることをもって、民族自治が守られている理由の一つだとしています。しかしそれを民族自治とはいえません。中国政府はトウ小平の時代から、チベット人幹部の登用を進めてきました。しかしそれは、単に北京の言うことを聞くチベット出身の官僚グループの育成に成功した、ということでしかないでしょう。
Q しかし中国政府は多くの経済的優遇政策をチベットに対して実施しています。
A 自決、自治と優遇は違います。奴隷はどれだけ優遇されようが奴隷です。チベットに政治的自由はありません。中国全土で発生している労働者の抵抗と同じですが、労働者の要求にこたえて賃上げは行われますが、労働者の武器である団結権やストライキは決して認めようとはしません。チベット民衆の自決や自治の問題は、賃金が上がったから労働者の権利が守られている、とはいえないのと同じです。
Q しかし、「中華人民共和国民族区域自治法」では「大漢民族主義に反対し、地方民族主義にも反対する」という文言もあります。
A 支配的民族である漢民族と被抑圧民族の民族主義は同等ではないでしょう。それが同等だと考えるのは、まさに民族抑圧の考え方です。中国の民主化活動家の中には、チベット民衆に同情し、中国政府を批判する人たちもいます。しかしかれらは、問題が民族的抑圧にあるのではなく、独裁体制による民衆の抑圧にあると考えているのです。「チベット人も漢民族もみんな中国政府の被害者である」と。しかしチベットの人はこう言うでしょう。「漢民族の苦難はチベット人のせいではないが、チベット人の苦難は漢民族のせいだ」と。
Q 中国政府はチベットには信仰の自由があると主張していますが。
A 中国政府は79年から89年の期間、ダライラマとの交渉を模索してきた過去があります。しかし87~89年に発生したチベット動乱の後、それまでの対話路線は破棄され、強硬路線に取って代わりました。95年に、ダライラマに次ぐ政治宗教的指導者であるパンチェンラマ10世が死去、チベット仏教特有の「生まれ変わり」で、死去したパンチェンラマの生まれ変わりとされた子どもは中国政府に監禁され、中国政府は別の子どもが「生まれかわり」であると発表しました。こんな「信仰の自由」があるでしょうか? 清朝や中華民国も同じようなことをしましたが、中国共産党が同じことをする必要はありません。いま中国政府は、チベットにおけるダライラマ崇拝を厳しく禁じています。しかしダライラマのいないチベット仏教は、チベット仏教とはいえません。法王のいないカトリック教会がカトリック教会でないようにね。人々の間に根ざした宗教は弾圧されればされるほど強固になります。ダライラマを批判すればするほど、ダライラマの名声はあがっています。チベット仏教には四大宗派があるのですが、中国政府のあまりのダライラマ攻撃に、一般のチベット人はおろか、
他の三大宗派の僧侶にまで、ダライラマに対する崇拝がますます高まっているのです。中国政府は、これまでのチベット政策が失敗したことをはっきりと認め、方針を転換すべきです。
Q どのように方針転換をすればいいのでしょうか。
A ダライラマは政教一致という原則にこだわっていますが、中国政府もその土俵に乗って、ダライラマ批判を行っています。しかし、それは間違った方針です。立場的には圧倒的に有利である中国政府のほうから率先して対話提案するべきでしょう。ダライラマの宗教指導者としての地位を認め、信仰の自由を約束し、生まれ変わり行事には介入しない、その一方で政教分離の原則を貫く、ということです。チベットで一国二制度を実施し、チベット人による高度な自治を実現し、民主的選挙を実施し、チベット自治政府においては政教分離の原則を実施する、というものです。
Q いまの香港のようにですか?
A 現在の香港でも一国二制度が実施されています。しかしそれには大きなでたらめがあります。香港の行政の長は、最終的に中国の中央政府の承認が必要です。完全な自治ではありません。しかしそれでも、その程度の自治をチベットに認めることは不可能ではないでしょう。もしダライラマが真摯にチベット問題の解決を望むのであれば、この提案を受け入れる必要があるでしょう。政教分離とチベット人による自治によってダライラマの政治的指導者としての権威は後退するでしょう。世俗的な民主的選挙は、さまざまな階層の利益を代表する政治を作りだすからです。
Q 具体的には?
現在のチベットにおいてダライラマ一人だけがさまざまな階層の利益を体現することは不可能です。現在、チベットでは近代化によってさまざまな階級が並存し、資本主義が主導する社会が登場しています。小農、牧畜民、富農、商工小資本家、官僚集団、労働者などがいる社会です。これらの階層の利益は異なります。かつて農奴であったであろう小農や牧畜民の生産は依然として小規模生産ですが、昔に比べて自己の利益には敏感になっているでしょう。これらの階層は引き続きダライラマを崇拝するでしょうが、農奴にもう一度戻りたいとは思わないでしょう。政治的自由と民主的選挙が実施されれば、いくつもの政党が誕生するでしょう。もちろん中国共産党の影響下にある政党も誕生するでしょうし、ダライラマ派とも競合するでしょう。もしかしたら、労働者民衆に根ざした左翼政党も誕生するかもしれません。政治的に自由な空間を保障することで、宗教原理主義が民衆の心の奥深くに浸透することを避けることができるのです。トウ小平は、独立以外のことであれば何でも交渉は可能だ、と述べました。そこに戻るべきではないでしょうか。
Q しかしダライラマは人民解放軍の撤退を求めているのではないでしょうか。それは主権問題、独立問題ではないでしょうか。
A 本当にそうでしょうか。台湾には人民解放軍はいませんが、中国政府、台湾政府の間では「ひとつの中国」というコンセンサスを維持しています。台湾問題において軍隊という「主権」の問題は脇に置いているのに、なぜチベット問題でも同じように対応できないのでしょうか。台湾は実効支配していないから、だから牽強付会は許される、そんな横暴な態度は許されるのでしょうか。この横暴さこそが、チベット問題の核心でもあるのです。銃剣での支配は決して長続きはしないでしょう。
Q しかしいまの中国政府はそのような態度を転換させることができるでしょうか。
A 私たちは中国政府が、これまでの行為を反省し、独裁政治を放棄し、民主主義を実施し、チベット政策を転換することを望んでいます。そうすることで、中国政府はチベットに対する主権を放棄する必要はありません。チベット人の政治と信仰の自由を保障することで、和解への道を見出すことができるでしょう。そのような状況を作り出して初めて独立ではなくの中国への残留を望むチベットの人々が増えるでしょう。
しかし、私たちは、中国政府がこのような方針転換を率先して行うことは難しいと考えています。私たちは、中国政府へ訴えるのではなく、中国の一般民衆に訴えなくてはなりません。いまの中国政府による民族抑圧政策は破滅への道であり、すべての中国の公民、とりわけ漢民族は、そのような破滅への道に手を貸してはならない、と。
Q 民族自治は民族自決の概念とは異なると思いますが。
A その問題については、また別な機会にお話しなければならないでしょう。
(以上)
A チベットにおいてはすでに農奴制度は解体されています。ダライラマでも歴史を逆戻りさせることは不可能でしょう。チベットにおける農奴制度の解体は中国共産党がもっとも胸を張ってもいい歴史的な偉業です。にもかかわらず、いまでもダライラマに「農奴制度の総代表」というレッテルを張りつづける行為は間違っています。なぜ、ダライラマのほうが中国共産党よりも民主的に見えるのでしょうか。それは「絶対的権力は絶対に腐敗する」という歴史の発展法則によるものです。かつてのチベットは政教一致のダライラマ支配の絶対的権力のもとに農奴制がありました。しかしいま、中国共産党が、その絶対的権力ゆえに絶対的に腐敗しているのです。
Q 中国政府は、3月の暴動が「ダライ集団」による陰謀だと非難していますが。
A いまの中国に司法の公正や独立はありません。最近話題になった民主化活動家への弾圧でも、その思想信条だけで国家転覆罪という罪に問われているのです。封建時代を髣髴とさせるではありませんか。本当にダライラマによる陰謀があったのかどうかを知る余地は今のところはありませんが、すくなくとも中国政府の主張をそのまま信じることはできないでしょう。
Q 中国政府は、ダライラマが独立派であると非難していますが。
A ダライラマは、それを否定しています。しかし、独立急進派であるチベット青年大会による独立運動を支援あるいは黙認しているとも考えられます。しかし、もしそうであるなら、中国政府は率先して、ダライラマと会談をおこない、ダライラマにチベット独立派との境界線をはっきりと引くように圧力をかけることができるのではないでしょうか。チベットに対する民族的抑圧に対して、政治的な補償が行わなければならないでしょう。すくなくともチベット人による自治を認める必要があるでしょう。しかし中国政府は、ダライラマを交渉の舞台に引きずり込もうという努力もせず、一方的にダライラマを非難しています。それは、亡命政権の中でもっとも穏健な主張をしているダライラマと、その他の強硬派を一緒に批判するようなものです。それは、強硬派を活気付かせることにしかなりません。
Q 中国政府はチベットでは民族自治が守られていると主張していますが。
A 本当にそうでしょうか。多くのチベット人が政府の役職についていることをもって、民族自治が守られている理由の一つだとしています。しかしそれを民族自治とはいえません。中国政府はトウ小平の時代から、チベット人幹部の登用を進めてきました。しかしそれは、単に北京の言うことを聞くチベット出身の官僚グループの育成に成功した、ということでしかないでしょう。
Q しかし中国政府は多くの経済的優遇政策をチベットに対して実施しています。
A 自決、自治と優遇は違います。奴隷はどれだけ優遇されようが奴隷です。チベットに政治的自由はありません。中国全土で発生している労働者の抵抗と同じですが、労働者の要求にこたえて賃上げは行われますが、労働者の武器である団結権やストライキは決して認めようとはしません。チベット民衆の自決や自治の問題は、賃金が上がったから労働者の権利が守られている、とはいえないのと同じです。
Q しかし、「中華人民共和国民族区域自治法」では「大漢民族主義に反対し、地方民族主義にも反対する」という文言もあります。
A 支配的民族である漢民族と被抑圧民族の民族主義は同等ではないでしょう。それが同等だと考えるのは、まさに民族抑圧の考え方です。中国の民主化活動家の中には、チベット民衆に同情し、中国政府を批判する人たちもいます。しかしかれらは、問題が民族的抑圧にあるのではなく、独裁体制による民衆の抑圧にあると考えているのです。「チベット人も漢民族もみんな中国政府の被害者である」と。しかしチベットの人はこう言うでしょう。「漢民族の苦難はチベット人のせいではないが、チベット人の苦難は漢民族のせいだ」と。
Q 中国政府はチベットには信仰の自由があると主張していますが。
A 中国政府は79年から89年の期間、ダライラマとの交渉を模索してきた過去があります。しかし87~89年に発生したチベット動乱の後、それまでの対話路線は破棄され、強硬路線に取って代わりました。95年に、ダライラマに次ぐ政治宗教的指導者であるパンチェンラマ10世が死去、チベット仏教特有の「生まれ変わり」で、死去したパンチェンラマの生まれ変わりとされた子どもは中国政府に監禁され、中国政府は別の子どもが「生まれかわり」であると発表しました。こんな「信仰の自由」があるでしょうか? 清朝や中華民国も同じようなことをしましたが、中国共産党が同じことをする必要はありません。いま中国政府は、チベットにおけるダライラマ崇拝を厳しく禁じています。しかしダライラマのいないチベット仏教は、チベット仏教とはいえません。法王のいないカトリック教会がカトリック教会でないようにね。人々の間に根ざした宗教は弾圧されればされるほど強固になります。ダライラマを批判すればするほど、ダライラマの名声はあがっています。チベット仏教には四大宗派があるのですが、中国政府のあまりのダライラマ攻撃に、一般のチベット人はおろか、
他の三大宗派の僧侶にまで、ダライラマに対する崇拝がますます高まっているのです。中国政府は、これまでのチベット政策が失敗したことをはっきりと認め、方針を転換すべきです。
Q どのように方針転換をすればいいのでしょうか。
A ダライラマは政教一致という原則にこだわっていますが、中国政府もその土俵に乗って、ダライラマ批判を行っています。しかし、それは間違った方針です。立場的には圧倒的に有利である中国政府のほうから率先して対話提案するべきでしょう。ダライラマの宗教指導者としての地位を認め、信仰の自由を約束し、生まれ変わり行事には介入しない、その一方で政教分離の原則を貫く、ということです。チベットで一国二制度を実施し、チベット人による高度な自治を実現し、民主的選挙を実施し、チベット自治政府においては政教分離の原則を実施する、というものです。
Q いまの香港のようにですか?
A 現在の香港でも一国二制度が実施されています。しかしそれには大きなでたらめがあります。香港の行政の長は、最終的に中国の中央政府の承認が必要です。完全な自治ではありません。しかしそれでも、その程度の自治をチベットに認めることは不可能ではないでしょう。もしダライラマが真摯にチベット問題の解決を望むのであれば、この提案を受け入れる必要があるでしょう。政教分離とチベット人による自治によってダライラマの政治的指導者としての権威は後退するでしょう。世俗的な民主的選挙は、さまざまな階層の利益を代表する政治を作りだすからです。
Q 具体的には?
現在のチベットにおいてダライラマ一人だけがさまざまな階層の利益を体現することは不可能です。現在、チベットでは近代化によってさまざまな階級が並存し、資本主義が主導する社会が登場しています。小農、牧畜民、富農、商工小資本家、官僚集団、労働者などがいる社会です。これらの階層の利益は異なります。かつて農奴であったであろう小農や牧畜民の生産は依然として小規模生産ですが、昔に比べて自己の利益には敏感になっているでしょう。これらの階層は引き続きダライラマを崇拝するでしょうが、農奴にもう一度戻りたいとは思わないでしょう。政治的自由と民主的選挙が実施されれば、いくつもの政党が誕生するでしょう。もちろん中国共産党の影響下にある政党も誕生するでしょうし、ダライラマ派とも競合するでしょう。もしかしたら、労働者民衆に根ざした左翼政党も誕生するかもしれません。政治的に自由な空間を保障することで、宗教原理主義が民衆の心の奥深くに浸透することを避けることができるのです。トウ小平は、独立以外のことであれば何でも交渉は可能だ、と述べました。そこに戻るべきではないでしょうか。
Q しかしダライラマは人民解放軍の撤退を求めているのではないでしょうか。それは主権問題、独立問題ではないでしょうか。
A 本当にそうでしょうか。台湾には人民解放軍はいませんが、中国政府、台湾政府の間では「ひとつの中国」というコンセンサスを維持しています。台湾問題において軍隊という「主権」の問題は脇に置いているのに、なぜチベット問題でも同じように対応できないのでしょうか。台湾は実効支配していないから、だから牽強付会は許される、そんな横暴な態度は許されるのでしょうか。この横暴さこそが、チベット問題の核心でもあるのです。銃剣での支配は決して長続きはしないでしょう。
Q しかしいまの中国政府はそのような態度を転換させることができるでしょうか。
A 私たちは中国政府が、これまでの行為を反省し、独裁政治を放棄し、民主主義を実施し、チベット政策を転換することを望んでいます。そうすることで、中国政府はチベットに対する主権を放棄する必要はありません。チベット人の政治と信仰の自由を保障することで、和解への道を見出すことができるでしょう。そのような状況を作り出して初めて独立ではなくの中国への残留を望むチベットの人々が増えるでしょう。
しかし、私たちは、中国政府がこのような方針転換を率先して行うことは難しいと考えています。私たちは、中国政府へ訴えるのではなく、中国の一般民衆に訴えなくてはなりません。いまの中国政府による民族抑圧政策は破滅への道であり、すべての中国の公民、とりわけ漢民族は、そのような破滅への道に手を貸してはならない、と。
Q 民族自治は民族自決の概念とは異なると思いますが。
A その問題については、また別な機会にお話しなければならないでしょう。
(以上)
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