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北京在住のチベット人作家、ウーセルさんがオリンピック直前のチベットの状況を語ったものを翻訳・転載する。ウーセルさんは自身のBlogなどでチベット問題について積極的に発言をしている。
ウーセルさんについては
http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080506_woeser.html
看不見的西蔵~唯色博客(見えざるチベット~ウーセルのブログ:中国語)
http://woeser.middle-way.net/
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チベット人にNOを突きつける北京オリンピック
ウーセル
原文
http://woeser.middle-way.net/2008/08/blog-post_2834.html
3月以降、チベット人が自分たちの大地から発した声は世界を震撼させてきた。この声はチベット式の叫びであり、チベット人こそが、さらにはその中でも農村や牧場のチベット人のみが発することのできる叫びであったが、それは中国のメディアには「狼の遠吠え」と形容された。これは興味深い重要な細部の事柄である。
北京オリンピックの聖火がラサを通過する際には、特別の許可書のないチベット人はすべて外出を禁じられ、あまり多くは残っていない僧侶たちも寺院を離れることは許されなかった。容疑者とされるおよそ200人以上の人が拘束されている。ラサの友人は恨めしそうにこう語っている。「中国のほかの都市の聖火リレーの場合には市民は見学できるのに、なぜチベット人にはそれができないのか? わたしたちはこの国の公民ではないのか」
たくさんの僧侶の姿が見えない。ラサの三大寺の千人以上の僧侶達は今どこにいるのか? 若い2人の僧侶の友人はいまどこにいるのか? 去年までは僧侶の宿舎にはダライラマの肖像があった・・・。青海省ゴルムドのゴビ砂漠――そこは中国のグアンタナモ――には少なくとも千人の「テロ分子」とされる人々が拘束されており、オリンピックが終了するまでは釈放されないという。そこに拘束されているデプン寺の僧侶、ジンメイプンツォは虐待されてなくなったという。享年わずか22歳。
宗教行事はすべて目にすることができなくなっている。当局は影響力のある僧侶と敬虔な信者が一緒に集うことを非常に恐れている。おおくの伝統的な行事も中止させられてきた。北京オリンピックの聖火が青海を通過したときには、青海湖畔の牧人が山神を祭り、競走馬を郊外に連れ出す伝統的な行事も禁止された。今年7月末には、アムド地方の農業区での伝統的な「ライ」歌会も禁止された。カム地域の競馬まつりも不幸を免れなかった。ある長身のカムパ(カム地方の人)が山で放牧する駿馬を見ながら私にこういった。「オリンピック?それってぼくらの競馬まつりみたいなもんじゃないのか。たくさんの人々があちこちから集まるのか。だけど僕らの競馬まつりは中止させられてしまった」。
チベットのある地方では軍隊が増強された。たとえば甘粛省のラブラン(夏河)、マチュ、四川省のカンゼ、アバ(チベット人居住区は、チベット自治区だけでなくかつてのチベットの版図である周辺の四川省、青海省、甘粛省の一部などに広がっている。訳注)。関所は厳重で、軍や警察が多数配置されている。カンゼだけでも7万人以上の軍人がいる。これは1959年にチベット人の抵抗を弾圧したときに派遣された軍隊の数をはるかに上回っている。マチュには1万人以上の軍人が駐屯しており、住民の人口と同じ規模になっている。アムドのある友人は、新たにやってきた軍隊・警察を最近よく村で見かけるようになったという。カムの友人による、明日シャングリラの駐屯軍は「反テロ」軍事演習を行うという。ラサでは報復行われており、住民は態度表明を迫られているという。ダライ・ラマへの批判に対して賛同しないと別なリストに入れられる。
数千人のチベット人がいる北京ではどうか。チベット人大学生は実家に帰るようにいわれている。チベット人中学の学生は学校を離れるわけには行かないし、チベット学センターでは珍しく職員が長期休暇をもらっている。当局側と見られているチベット人ですら信頼されていない。ガイドをしているチベット人が一ヶ月も拘束された。警察は何の説明もしないという。あるチベット人画家は一日事情聴取をされた。彼の作品の中にチベット語で書かれたお経が描かれていたからだという。親友のデチンベンパ。彼女の両親は亡命チベット人で、彼女はロンドンで生まれた。彼女は北京で学んで仕事をしている。ビザの期間はまだ有効期間中なのにオリンピック前に国外退去を命じられた。
その翌日、中国外交部(外務省)は北京の外国メディアに対して、彼女は民族分裂組織の「チベット青年会議」の中心的メンバーであり、中国の法律に違反する行為を行った、と発表した。これはありもしない罪で陥れようとするものだ。もし私がオリンピック期間中に北京にいるのであれば軟禁され外出を禁止されるだろう。もしラサに帰ってたら・・・・・・ラサの親友はこうアドバイスしてくれた。「やっぱりオリンピックが終わってから帰ってきなさいよ」。
2008年7月25日 北京
(この文章は「ラジオフリーアジア」のチベット語テーマ番組のものであり、転載にあたってはそれを明記してください)