[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
7月28日、法務省・森英介法務大臣は死刑執行を命じて、三名の生命を奪い去った。
▲死刑廃止要求デモ(08.10.12 大阪)
二ヶ月に一度のハイペースで行われてきた死刑執行が、この5月に判明した「足利"冤罪"事件」に対する警察・検察捜査への世論の大きな批判や、足利事件と同時期に同様の「DNA鑑定」によって死刑が確定し、一貫して無実を訴え再審請求を準備していたにも関わらず死刑を執行・殺害された久間三千年さんの事例も取り沙汰される中で、「世論への配慮」として中断されていただろうことは想像に難くない。
しかし、もはや「恒例」と言うべきか、内閣総辞職を目前にして、「死刑執行にスパンを置かない」という、殺人制度の維持そのもののために、今年の1月29日以来ほぼ半年ぶりの死刑を執行したのだ。
また、8月3日に初の「裁判員裁判」が行われることを見越し、「死刑判決という選択肢」を薄れさせないという目的もあきらかだ。このような政治意図をもって、衆議院の解散中であり、職務も一ヶ月しか残されていない法相がまたも、「内閣総辞職前駆け込み死刑執行」を行ない、三名が「死刑制度存置」という政治目的のために殺害されたのだ。許しがたい犯罪だと言うほかない。
今回、死刑執行されたなかには中国籍の死刑囚も含まれていた。このことは、「外国人犯罪者に対する見せしめ」というよりも、昨今の「外国人犯罪脅威論」のフレームアップの補強と、それによる排外主義的世論のさらなる扇動と位置づけられていると考えるべきだろう。
「外国人」の検挙率はここ十年近く全体の2%台で、ここ数年は漸減している(大前提として「犯罪件数」と「検挙率」は別の事柄であり、当然「検挙」されたからと言って、起訴されない事案も少なくない。それでも警察は「検挙率」をもって「外国人犯罪」の統計を出し続けているのである)。また、「不法滞在」「不法入国」そのものも含め、そして「アジア系外国人を見たら犯罪者と思え」と言わんばかりの警官の外国人に対する職務質問の強化によっても、「外国人犯罪の増加」という数字をこれ以上でっち上げられないのである。
取調べにおいても、ろくに通訳もつけられない場合が少なくない外国人にとって、この国の司法制度がどれだけ「公平」と言えるものだろうか。差別によって作られた貧困ゆえに、まだ識字率の低かった被差別部落の人々を狙い撃ちした「狭山"冤罪"事件」の捜査に見られるように、この国の司法制度は貧しい者や社会的弱者にほど厳く不利になる構造を持っている。そして、取調べの「可視化」すら導入しない「暗黒捜査」と、その証拠に基づく「暗黒裁判」が、いつまた第二の「狭山"冤罪"事件」や「足利"冤罪"事件」を生み出すのだろうか。
死刑制度とは、殺人という究極の暴力を行使する権限を国家が独占し、恐怖による国家の絶対化を目的としたものでしかない。人を殺す権利・権限など、この世の誰にも与えてはならないのである。私たちは、「暴力のない世界」へと踏み出す重要な一歩として、死刑廃止を要求するのである。
死刑制度廃止!裁判員制度撤回!
を訴え続けよう!
(F)
死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90の声明
http://www.jca.apc.org/stop-shikei/
森英介法務大臣が、本日(7月28日)、陳徳通さん(41歳:東京拘置所)山地悠紀夫さん(25歳:大阪拘置所)、前上博さん(40歳:大阪拘置所)の死刑を執行したことに対し、強く抗議する。
今回の執行は、政権交代を前にして、今後の執行が困難になることを危惧して、駆け込み的に執行を行ったものであり、同時に、裁判員裁判実施を前にして、裁判員の死刑制度に対する疑念を強引に消し去ろうとするものであって、極めて政治的な色彩の強い恣意的な執行である。しかも、衆議院の解散・総選挙という、国会の監視・監督の全くない中での執行であり、また、退任を約1ヶ月後に控え、法務大臣としての責任を負うことのない時期における執行であって、極めて無責任というほかなく、厳しく非難されなければならない。
とりわけ、昨年の10月の執行にあっては、無実の久間三千年さんを、その無実の訴えを聞かずして無理矢理に死刑を執行するという大きな過ちを犯したにもかかわらず、その反省もせず、本年1月に続いて3度目の死刑執行を行うというのは、死刑に対する最後の歯止めとならなければならないとする法務大臣の法的責任の放棄であり、職権の濫用というほかない。
2006年12月25日の長勢元法務大臣の死刑執行に始まり、鳩山、保岡の各法務大臣へと続く連続的な大量の死刑の執行は、わずか2年7ヶ月の間に、11回、合計35名にのぼり、森英介法務大臣だけでも、在任10ヶ月の間に合計3回、9名の執行を行っており、過去30年間に類例がなく、死刑廃止に向かう国際的なすう勢に完全に逆行するものであって、強く非難されなければならない。
国家・個人を問わず、人の命を尊重し、如何なる理由があろうとも人の命を奪ってはならないことは、人類共通の倫理であり、民主主義の基本的な理念である。そして、それ故に、すでに世界の3分の2以上の国と地域が死刑を廃止しているし、国連は一昨年と昨年12月の2回にわたりすべての死刑存置国に対して死刑執行の停止を求めたのであり、これに応えて死刑存置国は死刑の執行を減少させてきたのである。
昨年10月ジュネーブで開かれた国際人権(自由権)規約委員会において、日本の死刑制度について審査が行われ、死刑廃止を求める厳しい批判がなされた。日本政府は、この批判に謙虚に耳を傾け、死刑の廃止に向けてスタートを切るべきであったにもかかわらず、これにあえて逆らい、死刑の執行を強行したことは、国際的にも許されない。
陳徳通さんは、日本語が不自由なために、裁判においても、十分な審理が受けられず、その結果、強盗殺人の実行行為者が誰かなど、判決には不自然・不合理な点が多々あるだけでなく、恩赦の出願も行っており、今後再審を行いたい希望も持っていたし、せめて家族と面会をさせてほしいと訴えていた。精神病にも罹患していた。
山地悠紀夫さんと前上博さんは、いずれも控訴取り下げで確定しており、三審まで裁判を受ける権利を保障されておらず、また事件の背景をなす生育環境や人格特性について十分に審理が尽くされておらず、さらにその責任能力についても疑問があり、死刑の量刑が正しかったか否か大いに問題がある。
以上のほか、法的に何らの義務がないにもかかわらず、死刑の執行を強いられている拘置所職員の苦痛にも心を致すべきである。
私たちは、死刑の廃止を願う多くの人たちとともに、また、森英介法務大臣に処刑された陳さん、山地さん、前上さんに代わり、そして、この間連続的に死刑を執行させられている拘置所の職員に代わって、森英介法務大臣に対し、強く抗議する。
2009年7月28日
死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90