アジア連帯講座のBLOGです
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9月27日、「行動する保守運動」を自称する「在日特権を許さない会」や「主権回復を目指す会」などのレイシスト集団が東京・秋葉原で行った「外国人参政権反対」デモにおいて、かれらのデモに対してたった一人で「排外主義に反対です」と書かれたプラカードを向けた若者に、デモの途中であるにもかかわらず参加者たちが集団でリンチするという事件が起きた。
▲「在特会」の関係者がアップしたと思われる集団リンチの映像
また、「在特会」らは、そのリンチ映像を「戦果」として、「シナ人(ママ)を撃沈」などとタイトルをつけた動画をいくつもYou-Tubeにアップするという、かれらのおぞましい本性を自らあらわにした。かれらの関係者と思われるものがアップした動画では、他にもデモ中にかれらが「中国人」と見なした通行人を集団で小突くなどの場面も映し出されている。
この前日の26日には、「レイシストの頭目」を気取る西村修平が主宰する「主権回復を目指す会」が主体となっていると思われる池袋での街宣の前に、集団で中国人が経営する食材店に押しかけて「24時間営業の店が歩道にダンボールや冷蔵庫をはみ出させているのは道路交通法違反だ」などという愚にもつかない言いがかりをつけて「シナ人・チャンコロ(ママ)を日本から叩き出すぞ」と気勢を上げるなど、かつてロシアでの「ポグロム」やナチスの「クリスタルナハト」を思わせる暴挙に出た。また、同日の街宣中にも通りすがりの者を「中国人だ」などとして、集団で暴行を加え、その映像を嬉々としてYou-Tubeにアップしている。
「在特会」らのレイシスト集団は、もはや「人を見たら敵と思え。敵は殺しても構わない」という妄執に駆られた「反社会的暴力集団」とでも言うべき存在に、自ら成り下がったというべきだろう。さらに恥知らずなことに、かれらが嬉々としてアップした「戦果」動画を観たインターネットユーザーから、ネット上の各所で非難の声が上がり、デモ参加者からすら「外国人参政権に反対するために参加したのに、ただの外国人排斥デモだった。しかも暴力を容認するのでは、もう参加できない」などの声が寄せられると、「あれはデモに紛れ込んだサヨクの自作自演かもしれない」などと誰も信じないようなデマを嘯いている。まさに「息をするように嘘をつく」レイシストどもである。
▲「在特会」の関係者がアップしたと思われる集団リンチの映像
また、「在特会」らは、そのリンチ映像を「戦果」として、「シナ人(ママ)を撃沈」などとタイトルをつけた動画をいくつもYou-Tubeにアップするという、かれらのおぞましい本性を自らあらわにした。かれらの関係者と思われるものがアップした動画では、他にもデモ中にかれらが「中国人」と見なした通行人を集団で小突くなどの場面も映し出されている。
この前日の26日には、「レイシストの頭目」を気取る西村修平が主宰する「主権回復を目指す会」が主体となっていると思われる池袋での街宣の前に、集団で中国人が経営する食材店に押しかけて「24時間営業の店が歩道にダンボールや冷蔵庫をはみ出させているのは道路交通法違反だ」などという愚にもつかない言いがかりをつけて「シナ人・チャンコロ(ママ)を日本から叩き出すぞ」と気勢を上げるなど、かつてロシアでの「ポグロム」やナチスの「クリスタルナハト」を思わせる暴挙に出た。また、同日の街宣中にも通りすがりの者を「中国人だ」などとして、集団で暴行を加え、その映像を嬉々としてYou-Tubeにアップしている。
「在特会」らのレイシスト集団は、もはや「人を見たら敵と思え。敵は殺しても構わない」という妄執に駆られた「反社会的暴力集団」とでも言うべき存在に、自ら成り下がったというべきだろう。さらに恥知らずなことに、かれらが嬉々としてアップした「戦果」動画を観たインターネットユーザーから、ネット上の各所で非難の声が上がり、デモ参加者からすら「外国人参政権に反対するために参加したのに、ただの外国人排斥デモだった。しかも暴力を容認するのでは、もう参加できない」などの声が寄せられると、「あれはデモに紛れ込んだサヨクの自作自演かもしれない」などと誰も信じないようなデマを嘯いている。まさに「息をするように嘘をつく」レイシストどもである。
しかし、秋葉原での集団リンチに加わったものがネット上で「舐められたら徹底的にボコボコニせよ、と桜井さん(「在特会」の主宰者のこと)に厳命された。自分も杖をサヨクに打ちつけてクリーンヒットした」などと「戦果報告」を書いている。(http://news.2ch.at/news/s/news2ch24160.jpg )また、映像では8.15の反靖国デモを妨害した連中の中にいた見覚えのある顔がいくつも映っている。そもそも自らがアップした動画で、西村が暴行を先頭で扇動しているではないか。よくもこんなデマを言えたものだ。
これらの白昼堂々の集団暴力の現場には、どれも警察官がすぐ近くで張っているが、すべて見てみぬふりで暴行を放置し、しばらくしてから間に入るだけで、この明白な「傷害罪」や「威力業務妨害」の現行犯たちを見逃している。もはや「日の丸フーリガン」と化した「在特会」の暴力は、権力の言う「社会秩序」の観点からすら危機的な状況に入りつつあると言っていいだろうが、公安警察はむしろ民主党政権成立の情勢下における「民主主義破壊の尖兵」という一つのカードとして、この「日の丸フーリガン」を当面利用しぬくという方針を持っていると見ていいだろう。
その証拠に、この5月に名古屋で行われた「在特会」の排外デモに抗議した仲間に対して、愛知県警は執拗な「任意出頭要請」を行っている。公安・警察権力は文字通りの粗暴犯を放置し、犯罪者に抗議した者に対して不当なプレッシャーをかけているのだ。絶対に許すことはできない!
この「日の丸フーリガン」によれば、新首相の鳩山由紀夫と彼の政権は「戦後初のサヨク政権」であるらしい。「新憲法制定議員同盟」(中曽根康弘会長)の顧問であり、、「天皇即位20年奉祝委員会設立総会」で「憲法に『日本国は国民統合の象徴である天皇を元首とする』とうたうべきではないか」と公言したバリバリの改憲派で天皇主義者である鳩山も聞いて驚くというものだ。
また、選挙期間中の麻生自民党による「日の丸を切り裂いた民主党を許すな」とか「民主党が政権を取れば日教組が日本を支配することになる」などという右翼暴力団の街宣と見まごうような愚劣極まる極右キャンペーンをもってしても自民党が大敗を喫したことにも、この「レイシスト徒党」が相当の孤立感と危機感を抱いていることは間違いないだろう。このことこそが、「レイシスト徒党」が暴力を躊躇なく賞賛し行使する「日の丸フーリガン」と化した根拠のすべてである。桜井は27日のデモ前の集会で堂々と「民主主義に従って、国民が選んだ民主党政権に黙って従うか、それとも、民主主義の旗を降ろしてでも日本を守るために戦い抜くか。その二者択一しかもうないんです!」などと民主主義破壊を公言している。そして、「外国人地方参政権付与法案」が国会で成立した日を「Xデー」として、何らかの行動を起こす、と予告している。「レイシストの暴力」は、まさに危険水位に達しつつある。
西村修平などは、かつては看板にして暴れていた「維新政党・新風」から除名され、「国民新聞」、「チャンネル桜」などの右派の同業者と喧嘩と分裂を繰り返す「右翼ゴロ」にすぎない。次の情勢には、現在つきあっている「行動する保守」の連中ともいずれ分裂するであろうことは想像に難くない。その意味では西村らが「極右ファシスト政党」として結実して、フランスの国民戦線のように社会に一定の根を下ろす可能性はとてつもなく低いだろう。
しかし、そのことは当面する「日の丸フーリガン」の暴力を軽視するということにはならない。かれらは国家権力や言葉の真の意味での「在日特権」を貪る米軍基地には絶対に向けない暴力を左派や市民運動はおろか、もはや手前勝手に「敵」と認定した無防備な市民に無軌道に向ける存在と化している。また、警察が市民を守らずに「日の丸フーリガン」を放置し利用している現状では、わずか最大数百人の結集力のナチもどきの「フーリガン」でも、「クリスタルナハト」を引き起こすことが可能だろう。そう、現在は「クリスタルナハト」のカウントダウンに入っているのだ!
差別意識を煽り立てる政治運動未満の「外国人排斥運動」でしかないかれらは、「自分より弱い」と見なした者への暴力によって快感を得るという「暗い共感」のつながりしかない。この程度の低い徒党に対しては、右派業界ですら「アイツラとは一緒にされたくない」とする声も少なくない(そうした右派に対しては「在特会」らは「奇麗事保守」などとレッテルを貼って攻撃している)。もはや「日の丸フーリガン」との闘いは、「右翼vs左翼」などではない。それは本質的に「暴力vs民主主義」であり「反社会的集団vs全社会的民衆」の対決なのである。私たちは、早急に「在特会」らの差別言動と暴力に心を痛め、憤っている広範な人々とともに具体的に街頭に結集し、そして文字通り全社会的に包囲して孤立感と無力感のうちに解体する陣形を整えなければならない。
2000年前後頃から、「新風」の看板を背負って戦後補償の運動への妨害に登場してきた西村たちが、一時反戦平和の運動の前から姿を消していた時期がある。それは2003年のイラク反戦運動の大高揚を勝ち取った時期と機を一にし、その後数年は思い出したようにしか姿を見ることがなかった。それまでは、アフガン反戦運動の集会などに、堂々と妨害やレポに現れていたにも拘らず、にである。レイシスト集団との対決は、「どちらが街頭を制圧するか」という闘いであると言っても過言ではないだろう。そういう運動の大高揚を勝ち取ったときにこそ、レイシスト集団の内部での混乱と分裂を強制するだろう。
また、レイシストを包囲するという闘いは、外国人・移民労働者の権利のための運動との連帯、アジア戦争被害者への戦後補償、あらゆる侵略と独裁を許さないアジア-国際連帯の運動、などあらゆる人権運動の総体的発展の中で、この日本社会の差別意識を克服・変革する事業と一体の課題だろう。そして、「定住外国人の地方参政権」の実現、教科書への『慰安婦』記述の復活、日本軍『慰安婦』犠牲者への謝罪の国会決議と公正な補償を行なう立法措置などを、あらゆる妨害をはねのけて実現させよう。
準備しよう!結集しよう!そして包囲しよう!
自由の敵に自由を渡すな!ヤツラを通すな!
(F)
これらの白昼堂々の集団暴力の現場には、どれも警察官がすぐ近くで張っているが、すべて見てみぬふりで暴行を放置し、しばらくしてから間に入るだけで、この明白な「傷害罪」や「威力業務妨害」の現行犯たちを見逃している。もはや「日の丸フーリガン」と化した「在特会」の暴力は、権力の言う「社会秩序」の観点からすら危機的な状況に入りつつあると言っていいだろうが、公安警察はむしろ民主党政権成立の情勢下における「民主主義破壊の尖兵」という一つのカードとして、この「日の丸フーリガン」を当面利用しぬくという方針を持っていると見ていいだろう。
その証拠に、この5月に名古屋で行われた「在特会」の排外デモに抗議した仲間に対して、愛知県警は執拗な「任意出頭要請」を行っている。公安・警察権力は文字通りの粗暴犯を放置し、犯罪者に抗議した者に対して不当なプレッシャーをかけているのだ。絶対に許すことはできない!
この「日の丸フーリガン」によれば、新首相の鳩山由紀夫と彼の政権は「戦後初のサヨク政権」であるらしい。「新憲法制定議員同盟」(中曽根康弘会長)の顧問であり、、「天皇即位20年奉祝委員会設立総会」で「憲法に『日本国は国民統合の象徴である天皇を元首とする』とうたうべきではないか」と公言したバリバリの改憲派で天皇主義者である鳩山も聞いて驚くというものだ。
また、選挙期間中の麻生自民党による「日の丸を切り裂いた民主党を許すな」とか「民主党が政権を取れば日教組が日本を支配することになる」などという右翼暴力団の街宣と見まごうような愚劣極まる極右キャンペーンをもってしても自民党が大敗を喫したことにも、この「レイシスト徒党」が相当の孤立感と危機感を抱いていることは間違いないだろう。このことこそが、「レイシスト徒党」が暴力を躊躇なく賞賛し行使する「日の丸フーリガン」と化した根拠のすべてである。桜井は27日のデモ前の集会で堂々と「民主主義に従って、国民が選んだ民主党政権に黙って従うか、それとも、民主主義の旗を降ろしてでも日本を守るために戦い抜くか。その二者択一しかもうないんです!」などと民主主義破壊を公言している。そして、「外国人地方参政権付与法案」が国会で成立した日を「Xデー」として、何らかの行動を起こす、と予告している。「レイシストの暴力」は、まさに危険水位に達しつつある。
西村修平などは、かつては看板にして暴れていた「維新政党・新風」から除名され、「国民新聞」、「チャンネル桜」などの右派の同業者と喧嘩と分裂を繰り返す「右翼ゴロ」にすぎない。次の情勢には、現在つきあっている「行動する保守」の連中ともいずれ分裂するであろうことは想像に難くない。その意味では西村らが「極右ファシスト政党」として結実して、フランスの国民戦線のように社会に一定の根を下ろす可能性はとてつもなく低いだろう。
しかし、そのことは当面する「日の丸フーリガン」の暴力を軽視するということにはならない。かれらは国家権力や言葉の真の意味での「在日特権」を貪る米軍基地には絶対に向けない暴力を左派や市民運動はおろか、もはや手前勝手に「敵」と認定した無防備な市民に無軌道に向ける存在と化している。また、警察が市民を守らずに「日の丸フーリガン」を放置し利用している現状では、わずか最大数百人の結集力のナチもどきの「フーリガン」でも、「クリスタルナハト」を引き起こすことが可能だろう。そう、現在は「クリスタルナハト」のカウントダウンに入っているのだ!
差別意識を煽り立てる政治運動未満の「外国人排斥運動」でしかないかれらは、「自分より弱い」と見なした者への暴力によって快感を得るという「暗い共感」のつながりしかない。この程度の低い徒党に対しては、右派業界ですら「アイツラとは一緒にされたくない」とする声も少なくない(そうした右派に対しては「在特会」らは「奇麗事保守」などとレッテルを貼って攻撃している)。もはや「日の丸フーリガン」との闘いは、「右翼vs左翼」などではない。それは本質的に「暴力vs民主主義」であり「反社会的集団vs全社会的民衆」の対決なのである。私たちは、早急に「在特会」らの差別言動と暴力に心を痛め、憤っている広範な人々とともに具体的に街頭に結集し、そして文字通り全社会的に包囲して孤立感と無力感のうちに解体する陣形を整えなければならない。
2000年前後頃から、「新風」の看板を背負って戦後補償の運動への妨害に登場してきた西村たちが、一時反戦平和の運動の前から姿を消していた時期がある。それは2003年のイラク反戦運動の大高揚を勝ち取った時期と機を一にし、その後数年は思い出したようにしか姿を見ることがなかった。それまでは、アフガン反戦運動の集会などに、堂々と妨害やレポに現れていたにも拘らず、にである。レイシスト集団との対決は、「どちらが街頭を制圧するか」という闘いであると言っても過言ではないだろう。そういう運動の大高揚を勝ち取ったときにこそ、レイシスト集団の内部での混乱と分裂を強制するだろう。
また、レイシストを包囲するという闘いは、外国人・移民労働者の権利のための運動との連帯、アジア戦争被害者への戦後補償、あらゆる侵略と独裁を許さないアジア-国際連帯の運動、などあらゆる人権運動の総体的発展の中で、この日本社会の差別意識を克服・変革する事業と一体の課題だろう。そして、「定住外国人の地方参政権」の実現、教科書への『慰安婦』記述の復活、日本軍『慰安婦』犠牲者への謝罪の国会決議と公正な補償を行なう立法措置などを、あらゆる妨害をはねのけて実現させよう。
準備しよう!結集しよう!そして包囲しよう!
自由の敵に自由を渡すな!ヤツラを通すな!
(F)
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