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地方空港はなぜ増えつづけてきたのか―静岡空港、新石垣空港から考える―
4月17日、成田プロジェクト(「いま成田空港で何が起きているのか」プロジェクト)は、文京シビックセンターで「地方空港はなぜ増えつづけてきたのか―静岡空港、新石垣空港から考える―」というテーマの第2回航空・連続セミナーを行った。講師は、桜井建男さん(空港はいらない静岡県民の会事務局長)、生島 融さん(八重山・白保の海を守る会事務局長)。提起下記別掲
地方自治体管理の空港58のうち、53の空港が着陸料では必要経費が賄えないという状態に追い込まれている。いずれの空港建設のプロセスで、事前に多くの批判・反対の声があったにもかかわらず、それを無視してきた。「日本航空」の破綻の原因として採算無視の国際・国内路線就航、放漫経営などが挙げられているが、国内線からの撤退が実行されていけば、さらに立ち行かなくなる空港が続出する。98番目に開港した「静岡空港」、長年の反対運動の歴史をもつ「新石垣空港」の話を聞きながら、豊かな自然を破壊して空港をつくってきた側面から、そして航空行政の矛盾を解く側面から論議を深めた。(Y)
桜井建男さん(空港はいらない静岡県民の会事務局長) 提起要旨
一昨年から静岡空港をめぐって立ち木問題が全国ニュースとなり、昨年、現職の知事が辞職に追い込まれた。09年6月の開港が無理なので暫定開港せざるをえないという状況が生まれた。どたんばにきて強行突破してきた公共事業の正体が現れた。
北九州空港、神戸空港、中部国際空港など開港してから利用者が増えたところはどこもない。空港特別整備会計に依拠して「需要がある、将来性がある、経済合理性がある」ということで自治体と国土交通省が旗ふり役になってかさ上げ需要予測の元に建設を推進してきた。そういう公共事業が全国に押しつけられてきた。その結果を象徴するのが、空港事業の大赤字だ。
静岡空港は、20年前に計画された時、計画案が県議会で審議されたことがない。示されたこともない。これを作りますよ、予算を付けますよという議会決議があっただけだ。そうやってスタートした。
その意味では成田空港が閣議決定で突然決められていったことと同じような構造にある。静岡空港も天下り構造だった。永田町・霞ヶ関で決まって下りてきた。地元は関係ない。引っ張り込まれたという話だ。それで右往左往したのが地元経済界であり、県議会の推進派であって、住民、県民は置き去りのまま計画が進められた。
4月17日、成田プロジェクト(「いま成田空港で何が起きているのか」プロジェクト)は、文京シビックセンターで「地方空港はなぜ増えつづけてきたのか―静岡空港、新石垣空港から考える―」というテーマの第2回航空・連続セミナーを行った。講師は、桜井建男さん(空港はいらない静岡県民の会事務局長)、生島 融さん(八重山・白保の海を守る会事務局長)。提起下記別掲
地方自治体管理の空港58のうち、53の空港が着陸料では必要経費が賄えないという状態に追い込まれている。いずれの空港建設のプロセスで、事前に多くの批判・反対の声があったにもかかわらず、それを無視してきた。「日本航空」の破綻の原因として採算無視の国際・国内路線就航、放漫経営などが挙げられているが、国内線からの撤退が実行されていけば、さらに立ち行かなくなる空港が続出する。98番目に開港した「静岡空港」、長年の反対運動の歴史をもつ「新石垣空港」の話を聞きながら、豊かな自然を破壊して空港をつくってきた側面から、そして航空行政の矛盾を解く側面から論議を深めた。(Y)
桜井建男さん(空港はいらない静岡県民の会事務局長) 提起要旨
一昨年から静岡空港をめぐって立ち木問題が全国ニュースとなり、昨年、現職の知事が辞職に追い込まれた。09年6月の開港が無理なので暫定開港せざるをえないという状況が生まれた。どたんばにきて強行突破してきた公共事業の正体が現れた。
北九州空港、神戸空港、中部国際空港など開港してから利用者が増えたところはどこもない。空港特別整備会計に依拠して「需要がある、将来性がある、経済合理性がある」ということで自治体と国土交通省が旗ふり役になってかさ上げ需要予測の元に建設を推進してきた。そういう公共事業が全国に押しつけられてきた。その結果を象徴するのが、空港事業の大赤字だ。
静岡空港は、20年前に計画された時、計画案が県議会で審議されたことがない。示されたこともない。これを作りますよ、予算を付けますよという議会決議があっただけだ。そうやってスタートした。
その意味では成田空港が閣議決定で突然決められていったことと同じような構造にある。静岡空港も天下り構造だった。永田町・霞ヶ関で決まって下りてきた。地元は関係ない。引っ張り込まれたという話だ。それで右往左往したのが地元経済界であり、県議会の推進派であって、住民、県民は置き去りのまま計画が進められた。
国交省の外郭団体で二倍、三倍、十倍の水増しの需要予測を出したことをやむをえないと発言した理事長のことを東京新聞、中日新聞が暴露した。一週間後、川勝知事は、「需要予測は間違っていた、過大であった」と表明した。つまり、できレースでずーっと来たということだ。静岡空港は、下方修正を繰り返してきたが、それにも関わらず空港建設が進められてきた。
しかし問題は、こういう公共事業をやってきて、その責任を誰がとるのか、誰が責任を取らせるのかというところにきている。やりっ放しで、生かすも殺すも、地元の皆さん次第ですよという国の投げやりな、無責任な行政の結果を、そのまま我々は受け入れることはできない。客観的に地方空港は、地方自治体だけで維持できる状況には全くない。国も地方も財政はパンクしている。地方空港は、大整理時代に直面している。ヨーロッパでは百キロ圏内の地方と地方を結ぶような路線は廃止し、空港も廃港にして、新たな社会システム、公共システムに転換していくモーダルシフト(鉄道・船舶輸送転換)への流れになりつつある。ジッェト機は、最大のCO2を排出し続けておたり、エコロジー時代の流れに逆行していることは間違いない。
静岡空港の収支の見通しは、年間の収入は2億円足らずで、支出が県はまだ公表していないけれど、11億円だと言っている。しかし、我々の試算によると15億円前後、これに空港建設のために借り入れた借金の返済が年間20億円。そうすると年間35億円前後の支出が確実に見込まれる。これは採算というものではない。採算を度外視すれば、後は墓穴を掘って自滅の道を歩むだけだ。成田、羽田だけではなくて、関西三空港の問題も暗礁に乗り上げて足の引っ張り合いを行っている。内部の矛盾だけが広がっている。
4月4日に15回目の総会をやったが、そこでは「きっぱり廃港か?もなくば自滅の道か」と宣言した。今年から来年にかけて静岡空港は、単に利用する客が減っていくだけではなくて、無理矢理、後を引き継いだFDAが飛行機を飛ばしていけば、とんでもない事態が起きかねない。
いずれにしても結果責任を問う、地方空港を一刻でも早く整理し、廃港に追い込むという切り口を一緒に考えていかなくてはならない。そういう局面に私たちは立たされている。
生島 融さん(八重山・白保の海を守る会事務局長) 提起要旨
新石垣空港反対運動に関わって27年目になります。関わった時は、すでに空港設置許可を当時の運輸大臣は出していた(1982年)。最初の案は、2500メートル滑走路で突然決まって、地元の人達は反対運動を取り組んだ。成田空港反対運動とほとんど変わらない経緯だった。私は三里塚闘争に関わっていたから、それはあまりにもおかしいということで関わった。
1979年7月、白保海上案が決まった。2ヶ月前、革新系の市長が住民の有力者を呼びだして「滑走路建設が決まった」と突然言い出した。地元の間でも色々と話し合いが行われたが、反対派は阻止委員会を作った。(1979年12月)
石垣島で反対だったのは、白保の人達だけだった。しかも白保の中でも賛成派と反対派と別れていた。だから親兄弟、親戚、友人の間で軋轢が生まれた。石垣では、老人会、組合、メディアなどが推進派の70団体で推進協議会を作った。反対派は四面楚歌に追い込まれていった。
埋立許可は、当時の建設大臣の許可が必要だった。埋立をするためには環境アセスメントをとらなければならなかった。おざなりな調査だった。反対運動は、全国各地に支援グループが作られ盛り上がっていった。当時の環境庁が青サンゴに影響があると指摘せざるをえなかったが、500メートルカットするということで認めてしまった。
その後、空港建設計画は紆余曲折し、カラ丘陸上案となった。この案は、これまでと同様にずさんな環境比較を行いつつ、最初からカラ丘陸上案ありきの選定であった。
1.地下川からの赤土流出 2.コウモリなど希少種保護 3.ビオトープ破壊(生物の住息環境)について深刻な環境問題が存在していた。安全面についても 1.集水域となるカルスト台地の弱層 2.空洞の位置を特定できない 3.地下水が流れているため土壌を流してしまう─などの問題があった。このように環境破壊、安全軽視のまま設置許可を出してしまった実態が明らかになっていった。
事業認定取消訴訟(2006年6月提訴)では、すでに19回の口頭弁論が行われているが、これらの安全性、アセス調査のずさんなやり方を争点にしながら追及している。東京地裁の現地調査も実現し、裁判所は、慎重審理を行っていると言える。2月に結審だったが、国側は突如、意見書を提出するということで8月まで結審が延びた。積極反論は、非常に異例であり、危機感の現れだ。
今後の公共事業の進め方との関係で環境アセス法をどのように解釈し、運用するのかということでも注目されている裁判だ。日弁連の環境保全委員会の弁護士も意見書を書いてくれた。
その一方で強制収用委員会(2月10日)は、公開審理一回で終了してしまった。反対地権者は、関西、東京にも存在しているから各地で公開審理を開催してくれと要求したが無視だ。また、現地の反対運動は、厳しい状況が続いている。20人の共有者は、反対運動を拡大していくことができないほど、地域的圧力、親戚間の軋轢の中に追い込まれている。
「なぜ地方空港は増えたのか」について。やはり政・官・財の癒着が空港乱開発を押し進めた。具体的には、1.地方の公共事業依存の経済 2.政治家が事業を誘導し、票につなげる 3.空港設置の必要性を厳しく適正に判断するべき官が天下り先の確保にあった。航空局所管の公益法人・独立行政法人は、28団体も存在し、ここにかなりたくさんの官僚が天下り、「仕事」を作っているのが実態だ。さらに空港本体が赤字なのに駐車料金等によって空港ビル経営が黒字であり、収奪している事実も明らかになっている。このような構造を支えてきたのが空港整備特別会計だ。この財政によって空港をどんどん造ってきた。自然破壊、安全無視の空港はいらない。
しかし問題は、こういう公共事業をやってきて、その責任を誰がとるのか、誰が責任を取らせるのかというところにきている。やりっ放しで、生かすも殺すも、地元の皆さん次第ですよという国の投げやりな、無責任な行政の結果を、そのまま我々は受け入れることはできない。客観的に地方空港は、地方自治体だけで維持できる状況には全くない。国も地方も財政はパンクしている。地方空港は、大整理時代に直面している。ヨーロッパでは百キロ圏内の地方と地方を結ぶような路線は廃止し、空港も廃港にして、新たな社会システム、公共システムに転換していくモーダルシフト(鉄道・船舶輸送転換)への流れになりつつある。ジッェト機は、最大のCO2を排出し続けておたり、エコロジー時代の流れに逆行していることは間違いない。
静岡空港の収支の見通しは、年間の収入は2億円足らずで、支出が県はまだ公表していないけれど、11億円だと言っている。しかし、我々の試算によると15億円前後、これに空港建設のために借り入れた借金の返済が年間20億円。そうすると年間35億円前後の支出が確実に見込まれる。これは採算というものではない。採算を度外視すれば、後は墓穴を掘って自滅の道を歩むだけだ。成田、羽田だけではなくて、関西三空港の問題も暗礁に乗り上げて足の引っ張り合いを行っている。内部の矛盾だけが広がっている。
4月4日に15回目の総会をやったが、そこでは「きっぱり廃港か?もなくば自滅の道か」と宣言した。今年から来年にかけて静岡空港は、単に利用する客が減っていくだけではなくて、無理矢理、後を引き継いだFDAが飛行機を飛ばしていけば、とんでもない事態が起きかねない。
いずれにしても結果責任を問う、地方空港を一刻でも早く整理し、廃港に追い込むという切り口を一緒に考えていかなくてはならない。そういう局面に私たちは立たされている。
生島 融さん(八重山・白保の海を守る会事務局長) 提起要旨
新石垣空港反対運動に関わって27年目になります。関わった時は、すでに空港設置許可を当時の運輸大臣は出していた(1982年)。最初の案は、2500メートル滑走路で突然決まって、地元の人達は反対運動を取り組んだ。成田空港反対運動とほとんど変わらない経緯だった。私は三里塚闘争に関わっていたから、それはあまりにもおかしいということで関わった。
1979年7月、白保海上案が決まった。2ヶ月前、革新系の市長が住民の有力者を呼びだして「滑走路建設が決まった」と突然言い出した。地元の間でも色々と話し合いが行われたが、反対派は阻止委員会を作った。(1979年12月)
石垣島で反対だったのは、白保の人達だけだった。しかも白保の中でも賛成派と反対派と別れていた。だから親兄弟、親戚、友人の間で軋轢が生まれた。石垣では、老人会、組合、メディアなどが推進派の70団体で推進協議会を作った。反対派は四面楚歌に追い込まれていった。
埋立許可は、当時の建設大臣の許可が必要だった。埋立をするためには環境アセスメントをとらなければならなかった。おざなりな調査だった。反対運動は、全国各地に支援グループが作られ盛り上がっていった。当時の環境庁が青サンゴに影響があると指摘せざるをえなかったが、500メートルカットするということで認めてしまった。
その後、空港建設計画は紆余曲折し、カラ丘陸上案となった。この案は、これまでと同様にずさんな環境比較を行いつつ、最初からカラ丘陸上案ありきの選定であった。
1.地下川からの赤土流出 2.コウモリなど希少種保護 3.ビオトープ破壊(生物の住息環境)について深刻な環境問題が存在していた。安全面についても 1.集水域となるカルスト台地の弱層 2.空洞の位置を特定できない 3.地下水が流れているため土壌を流してしまう─などの問題があった。このように環境破壊、安全軽視のまま設置許可を出してしまった実態が明らかになっていった。
事業認定取消訴訟(2006年6月提訴)では、すでに19回の口頭弁論が行われているが、これらの安全性、アセス調査のずさんなやり方を争点にしながら追及している。東京地裁の現地調査も実現し、裁判所は、慎重審理を行っていると言える。2月に結審だったが、国側は突如、意見書を提出するということで8月まで結審が延びた。積極反論は、非常に異例であり、危機感の現れだ。
今後の公共事業の進め方との関係で環境アセス法をどのように解釈し、運用するのかということでも注目されている裁判だ。日弁連の環境保全委員会の弁護士も意見書を書いてくれた。
その一方で強制収用委員会(2月10日)は、公開審理一回で終了してしまった。反対地権者は、関西、東京にも存在しているから各地で公開審理を開催してくれと要求したが無視だ。また、現地の反対運動は、厳しい状況が続いている。20人の共有者は、反対運動を拡大していくことができないほど、地域的圧力、親戚間の軋轢の中に追い込まれている。
「なぜ地方空港は増えたのか」について。やはり政・官・財の癒着が空港乱開発を押し進めた。具体的には、1.地方の公共事業依存の経済 2.政治家が事業を誘導し、票につなげる 3.空港設置の必要性を厳しく適正に判断するべき官が天下り先の確保にあった。航空局所管の公益法人・独立行政法人は、28団体も存在し、ここにかなりたくさんの官僚が天下り、「仕事」を作っているのが実態だ。さらに空港本体が赤字なのに駐車料金等によって空港ビル経営が黒字であり、収奪している事実も明らかになっている。このような構造を支えてきたのが空港整備特別会計だ。この財政によって空港をどんどん造ってきた。自然破壊、安全無視の空港はいらない。
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