アジア連帯講座のBLOGです
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2010年3月B滑走路供用開始策動を許さない!
「東峰の森」伐採糾弾! 東峰住民の生活を守ろう!
4.13三里塚・東峰現地行動
4月13日、三里塚・暫定滑走路に反対する連絡会は、東峰共同出荷場で「2010年3月B滑走路供用開始策動を許さない!「東峰の森」伐採糾弾! 東峰住民の生活を守ろう! 三里塚・東峰現地行動」が行われ、50人が参加した。
成田空港会社は暫定滑走路の北側延伸に伴う新誘導路建設のために「東峰の森」伐採を強行するとともに、東峰用地を空港設備で囲んでしまった。さらに地上を自走する航空機、上空を離着陸する航空機の騒音や排気ガスによって環境破壊、住民の生存権が破壊され続けている。空港会社は、あらゆる手段を使って用地内住民を追い出し、 南側を延長し3500メートル級の滑走路の完成をねらっている。あげくのはてに07年12月、航空機の発着回数を現在の年間20万回から30万回にする計画を明らかにした。当然にも成田市住民から騒音被害が増大する危険に対して反発や不安が拡大している。
「東峰の森」伐採糾弾! 東峰住民の生活を守ろう!
4.13三里塚・東峰現地行動
4月13日、三里塚・暫定滑走路に反対する連絡会は、東峰共同出荷場で「2010年3月B滑走路供用開始策動を許さない!「東峰の森」伐採糾弾! 東峰住民の生活を守ろう! 三里塚・東峰現地行動」が行われ、50人が参加した。
成田空港会社は暫定滑走路の北側延伸に伴う新誘導路建設のために「東峰の森」伐採を強行するとともに、東峰用地を空港設備で囲んでしまった。さらに地上を自走する航空機、上空を離着陸する航空機の騒音や排気ガスによって環境破壊、住民の生存権が破壊され続けている。空港会社は、あらゆる手段を使って用地内住民を追い出し、 南側を延長し3500メートル級の滑走路の完成をねらっている。あげくのはてに07年12月、航空機の発着回数を現在の年間20万回から30万回にする計画を明らかにした。当然にも成田市住民から騒音被害が増大する危険に対して反発や不安が拡大している。
空港会社は、横堀地区に対しても同様に強引な手法を繰り返している。一月に反対同盟の大鉄塔、案山子亭、団結小屋の周囲に十八本のコンクリート柱で囲み、金網を張り巡らした。さらに4月9日には、横堀十字路から大鉄塔等に行く道路を付け替え変更しただけではなく、約五十メートルのトンネルを通過しなければ到着できないようにしてしまった。トンネルの出入り口には、監視カメラやセンサーを設置し、車などが通過するたびに空港警備関係機関に警報が流れるシステムだ。大鉄塔等を重要監視ポイントとして弾圧体制を強めながら、周辺の舗装を進め、誘導路や駐機場として整備しようというのだ。横堀大鉄塔等に向かう道路付け替え変更とトンネル化の強行に抗議する。
管制塔占拠元被告団と交流&横堀地区現地調査
空港会社の東峰と横堀地区に対するした連続的な攻撃に抗して連絡会は、集会の前段の取り組みとして横堀地区現地調査を行った。
すでにこの日には横堀大鉄塔敷地内では、管制塔グループと仲間たちによる管制塔占拠闘争戦士の原勲さんの墓参が行われている。十二日の「管制塔占拠30周年記念の集い」と「『1978・3・26 NARITA 管制塔占拠作戦の記録』出版」記念が盛況でかちとられ、決意新たに三里塚闘争に連帯するために現地に駆けつけた。現調行動に参加した仲間たちも墓参し、70人を超える仲間たちは交流を深めた。
現調参加者は、大鉄塔中段に昇り、空港全域を見渡す。労活評現闘の山崎宏さんは、 参加者に地図を配布し、A滑走路横の旧木の根地区に健在である木の根ペンション、暫定滑走路と東峰地区、横風滑走路予定地などのポイントをチェックする。田んぼくらぶの仲間から旧熱田家田んぼをめぐる経緯、跡地と埋め立て状況などについて説明が行われた。さらに鉄塔周辺の横堀・農業研修センター、旧現闘本部などの共有地の存在を視認し、空港会社の共有地強奪策動を許さず防衛していくことを確認した。
石井紀子さん(東峰地区)
暫定滑走路に着陸するジェット機の轟音下、東峰共同出荷場で集会が始まった。 石井紀子さん(東峰地区)は「3月21日に鶏舎、24日に出荷場が東峰十字路の近くに引っ越した。ここの轟音直下とくれべたら静かです。らっきょう工場の方と先々週、お花見をかねて昼食をしました。それからも毎週日曜日は、誰かが来てくれています。お花見、お月見とか、虫の音を聞く会とか、これからもこの共同出荷場を使っていくきたいと考えています。仕事が変わったけれど、私にとって拠点はここだと思います。集会で皆さんが来てくれるのも、とってもありがたいです。集会だけではなく、小さなグループでも来ていただけたら本当にうれしいです。これからもここを一緒に管理してくださるように、よろしくお願いします」と呼びかけた。
続いて関西三里塚闘争に連帯する会からの連帯アピールが読み上げられ、4月20日に関西新空港反対現地集会(泉南市・岡田浦浜)を取り組むことが紹介された。
平野靖識さん(東峰・らっきょう工場)は、「今年は成田空港三十周年だそうですが、 らっきょう工場の三里塚物産も三30周年です。来週、記念会を行います。この地区の青年たちは、1970年代から空港と対決していく過程で有機農法に切り替えていった。空港と飛行機が襲いかかってくることに対しての拒否感だった。沖縄・水俣・三里塚という反権力の拠点としてならんでいたが、農薬を使いながら空港反対をしていくことはどうなんだろうという感覚もあった。反対同盟は、1983年に三つに分裂したが、結果として有機農法など自立して考えてきた人達だった。三里塚物産の取組は、有機農産物を加工して、いくらかでも地域に利益のために取り組んできた。これからも皆さんも見守っていただきたい。この出荷場は壊わす必要がないわけですから、 有効に使いながら守っていこう」と発言した。
管制塔占拠闘争元被告団の前田道彦さんは、「今日は原勲君の墓参りで仲間が横堀に来ています。皆さんには、集会を持ち支援していることに敬意を表します。私たちも心は全く変わっていません。昨日、管制塔占拠三十周年記念本を出版した。三・二六闘争がどういう闘いであり、どのように動いたのかなどについてまとめたものです。 闘争に参加した仲間たちの証言集です。ぜひ読んでください。私は現在、千葉県内に住んでいます。三里塚現地の話がよく入るようになってきた。空港会社は、発着回数を増やすと言っているが、どうみてもあせっているようだ。ある新聞記者は、空港に外国資本を受け入れるかどうかなども問題が大きくなると言っていた。私なりの闘い方で闘い続けていく。現地からも呼びかけていきたい」と連帯挨拶を行った。
行動提起が山崎さんから行われ、開拓道路に向かうコースのデモが行われた。開拓道路から暫定滑走路にむけて「工事をやめろ!『東峰の森』伐採を糾弾する!東峰住民の生活破壊を許さないび!」とシュプレヒコールを行った。
デモは、東峰出荷場に戻り集会を再開し、日米安保終了を通告する会、田んぼくらぶ、しいたけ運動、横堀団結小屋維持会から闘争拠点を防衛しながらスクラムを強化していこうとアピールが行われた。(Y)
管制塔占拠元被告団と交流&横堀地区現地調査
空港会社の東峰と横堀地区に対するした連続的な攻撃に抗して連絡会は、集会の前段の取り組みとして横堀地区現地調査を行った。
すでにこの日には横堀大鉄塔敷地内では、管制塔グループと仲間たちによる管制塔占拠闘争戦士の原勲さんの墓参が行われている。十二日の「管制塔占拠30周年記念の集い」と「『1978・3・26 NARITA 管制塔占拠作戦の記録』出版」記念が盛況でかちとられ、決意新たに三里塚闘争に連帯するために現地に駆けつけた。現調行動に参加した仲間たちも墓参し、70人を超える仲間たちは交流を深めた。
現調参加者は、大鉄塔中段に昇り、空港全域を見渡す。労活評現闘の山崎宏さんは、 参加者に地図を配布し、A滑走路横の旧木の根地区に健在である木の根ペンション、暫定滑走路と東峰地区、横風滑走路予定地などのポイントをチェックする。田んぼくらぶの仲間から旧熱田家田んぼをめぐる経緯、跡地と埋め立て状況などについて説明が行われた。さらに鉄塔周辺の横堀・農業研修センター、旧現闘本部などの共有地の存在を視認し、空港会社の共有地強奪策動を許さず防衛していくことを確認した。
石井紀子さん(東峰地区)
暫定滑走路に着陸するジェット機の轟音下、東峰共同出荷場で集会が始まった。 石井紀子さん(東峰地区)は「3月21日に鶏舎、24日に出荷場が東峰十字路の近くに引っ越した。ここの轟音直下とくれべたら静かです。らっきょう工場の方と先々週、お花見をかねて昼食をしました。それからも毎週日曜日は、誰かが来てくれています。お花見、お月見とか、虫の音を聞く会とか、これからもこの共同出荷場を使っていくきたいと考えています。仕事が変わったけれど、私にとって拠点はここだと思います。集会で皆さんが来てくれるのも、とってもありがたいです。集会だけではなく、小さなグループでも来ていただけたら本当にうれしいです。これからもここを一緒に管理してくださるように、よろしくお願いします」と呼びかけた。
続いて関西三里塚闘争に連帯する会からの連帯アピールが読み上げられ、4月20日に関西新空港反対現地集会(泉南市・岡田浦浜)を取り組むことが紹介された。
平野靖識さん(東峰・らっきょう工場)は、「今年は成田空港三十周年だそうですが、 らっきょう工場の三里塚物産も三30周年です。来週、記念会を行います。この地区の青年たちは、1970年代から空港と対決していく過程で有機農法に切り替えていった。空港と飛行機が襲いかかってくることに対しての拒否感だった。沖縄・水俣・三里塚という反権力の拠点としてならんでいたが、農薬を使いながら空港反対をしていくことはどうなんだろうという感覚もあった。反対同盟は、1983年に三つに分裂したが、結果として有機農法など自立して考えてきた人達だった。三里塚物産の取組は、有機農産物を加工して、いくらかでも地域に利益のために取り組んできた。これからも皆さんも見守っていただきたい。この出荷場は壊わす必要がないわけですから、 有効に使いながら守っていこう」と発言した。
管制塔占拠闘争元被告団の前田道彦さんは、「今日は原勲君の墓参りで仲間が横堀に来ています。皆さんには、集会を持ち支援していることに敬意を表します。私たちも心は全く変わっていません。昨日、管制塔占拠三十周年記念本を出版した。三・二六闘争がどういう闘いであり、どのように動いたのかなどについてまとめたものです。 闘争に参加した仲間たちの証言集です。ぜひ読んでください。私は現在、千葉県内に住んでいます。三里塚現地の話がよく入るようになってきた。空港会社は、発着回数を増やすと言っているが、どうみてもあせっているようだ。ある新聞記者は、空港に外国資本を受け入れるかどうかなども問題が大きくなると言っていた。私なりの闘い方で闘い続けていく。現地からも呼びかけていきたい」と連帯挨拶を行った。
行動提起が山崎さんから行われ、開拓道路に向かうコースのデモが行われた。開拓道路から暫定滑走路にむけて「工事をやめろ!『東峰の森』伐採を糾弾する!東峰住民の生活破壊を許さないび!」とシュプレヒコールを行った。
デモは、東峰出荷場に戻り集会を再開し、日米安保終了を通告する会、田んぼくらぶ、しいたけ運動、横堀団結小屋維持会から闘争拠点を防衛しながらスクラムを強化していこうとアピールが行われた。(Y)
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